第56話 説得下手な女の決意


 シャニカと話したい――私の言葉を最後に、沈黙が漂う。


 今回の件は殆ど解決してるようなものだし、クラウスが彼女の記憶を複製してるから無理に話さなくてもいいのは分かってるんだけど――


「アスカ様……申し訳ないのですがあのシャニカと話している間、私達は別室にいてもよろしいですか? この子は、あの子に憑依されている間ずっと身動きが取れず、眼の前で起きる光景を見ている事しかできなかったそうで……あの子を酷く恐れているのです」


 眉を寄せるモニカさんの腰にシャニカちゃんが抱きついて震えている。

 自分の体を乗っ取られて、ただ見守る事しか出来ない――悪夢としか思えない体験をした少女の姿に胸が締め付けられる。


 自分の体を強引に奪われた挙げ句、家族の命すら軽く扱われる――乗っ取った側に世界を救う為とか大切な人を守る為という正義があったとしても、乗っ取られた側にとっては悪魔と変わらない。


「分かったわ。あのシャニカも貴方達の姿を見て冷静に話せなくなる可能性もあるし、二人は隣の部屋に避難しててくれる?」


 私の提案に頷いた二人が立ち上がる。手をしっかり繋ぎ合って隣室に向かう姉妹の後ろ姿を見て、何だか私も救われた気になる。


 今――私が生き延びた世界で救われた人達が少なくとも二人いる。


 ヒューイはモニカさん達を監視する為か、ここと隣の部屋、両方の様子も確認できる所に移動した。

 もう和解できたんだし、監視なんてしなくても――と思うけど、多分、私のこの考えはこの世界の人達にとって『甘い』んだろう。


「それじゃ、飛鳥……準備はいい?」


 防御壁に包まれたクラウスの問いかけに小さく頷く。

 クラウスは手の平に白い球体を作り出した後、その中でネックレスのチャームを開けた――けど、何も出てこない。


「……おかしいな、いるのは間違いないんだけど。筒の中は魔力を吸うって言ってたから引っ付いてて出られないのかな?」


 クラウスが勢いよくネックレスに付いた筒を振ると、べチャリと青緑の何かが球体にへばり付いた。

 その何かは球体の中で一気に膨らんで複数の女性の形相を作り出し、一斉に私を睨みつけてくる。


(恐……!!)


 これまで遭遇してきた人魂が火の玉みたいな感じだったから、同じ感じかと油断してた。

 魔物と言っても違和感のない人面集合体に睨まれて思わず身がすくむ。


『何よ!? あんたが何言っても私、絶対反省なんかしないから!! 消すならさっさと消しなさいよ!!』

「お、落ち着いて。消したりなんかしないから。ただ、話し合いができたらって……」


 クラウスの防御壁の中、更にドッジボール位の白い球体の中で蠢いてるからまだその程度で済んでるけど、これが解放されてたら腰が抜けて尻餅ついてたかも知れない。


 それほど恐ろしい形相でシャニカは前と同じように喚き散らす。

 更衣室で会った時の少女の面影はもう、何処にもない。


『男を惑わせて世界を崩壊させるあんたなんかと、誰が話しあうもんか……!! 何度も何度も私の邪魔して、挙げ句に時戻りできなくして……あんたなんか大嫌い!! あんたがこの世界に召喚されなきゃ良かったのに!!』

 

「そ、そうね……私も貴方の立場だったら、きっとそう思う」


『何よ、その態度……自分が力持ってる訳でもない癖に、男に守られて上から目線で偉そうに……もういいでしょ!? もう私なんていらないでしょ!? 気が済んだならさっさと消しなさいよ!!』


 駄目だ、取り付くしまもない――何を言っても悪意で返されそうな状況にデジャウを感じる。

 そう言えば『自分が力持ってる訳でも無い癖に男に守られて』って、前にも言われた。


 その時は激高して、返り討ちにあって痛い目見たけど――今は怒りに駆られない。


『私、もうこの世界を守る気が失せたの!! この世界で守りたかった物なんてもうないから!! 全部、全部あんたのせいよ!! あんたがあの場所で死んでくれてれば、今度こそこの世界と皆を救えたのに!!』


 辛辣な言葉が刺さる。疫病神と言われて傷ついた時もあった。自分を責めた時もあった。

 でも、今は――その言葉にハッキリ言い返せる。


「まだ、救えないと決まった訳じゃない」


 真っ直ぐに一番大きい魂のシャニカを見据える。怒りに囚われた顔も見慣れてきた。

 大丈夫。私の傍にはロイもクラウスもいる。もう、怖くない。


「ダグラスさんが暴走しないようにしたり、暴走した時に皆で抑えたり……まだ出来る事はある。まだこの世界は終わってない。私は、私なりに出来る事をするから」

『私なりに出来る事……!? あんたみたいなただ器が2つあるだけの貧弱なツヴェルフに何が出来るっていうのよ!? どうせ他の男を利用してあの男を抑えてもらうんでしょ!?』

「そうよ!!」


『…………えっ?』


 シャニカが唖然としてる。自分で言ったくせに、今の私の言葉が意外だったらしい。


「私、あの人が暴走した時は、最悪の事態にならないように他の男を利用する……!あの人を抑えられる力がある人達を利用する!! 暴走したダグラスさんを抑えるにはそれが一番確実なんだもの!!」


 自分の命だけならまだしも、多くの人の命がかかってる状況で『愛があれば絶対乗り越えられるはずだから』なんて脳天気な事言ってられない。


 利用できるものは何でも利用して、汚名や泥水被る事になってでも活路を開くしかない。そして――


「シャニカ……私は私の人生を譲れない! でも出来るなら貴方も助けたいし、力を貸してほしいって思ってる!」


 このシャニカの、大切な人達を守る為に他人の命を踏み潰すやり方は好きじゃない。

 皇城で暗殺されかけたり、ダグラスさんの寝室で殺されかけた恐怖も恨みも、綺麗さっぱり無くなった訳じゃない。


 だけど私達に自我があるように、このシャニカにも自我がある。


 大切な人達を助けたくて、失敗を繰り返しながら何十回も同じ時を繰り返してきた彼女の心境の考えたら――このまま消えていくのは、あまりに寂しすぎる。


――もうこの世界を守る気が失せたの!! この世界で守りたかったものなんてもうないから!!――


 もうすぐ世界を救えるかも知れないと見えた希望が潰れて、守りたかったものから否定されて、もうやり直す事が出来ない絶望に押し潰されている彼女を助けられる方法があるなら、助けたいと思う。


『うるさい……うるさい!! それで同情してるつもり!? 私が何十回時戻りを繰り返しても救えなかった世界をあんたが救ったら、私が余計惨めになるだけじゃない!! 本当に、あんたがこの世界を救ったら、私は、今まで、何の為に……!!』

「もし私が世界を救えたら、それは貴方が戻ってきたからこその未来よ! だから私が世界を救うなら、それは、貴方が作り出し」

『うるさい!! 勝者の傲慢な自己満足を私に押し付けないで!!』


 言い終える前にシャニカはグルリと体を動かし、筒の中に引っ込んでしまった。クラウスが呆れた顔でネックレスの筒に蓋をする。


「……はぁ……駄目ね、私……人を説得したり励ましたりするの、本当に下手なのよね……」

「いや……僕は飛鳥、頑張ったと思うよ。ただ、相手とタイミングが悪かったというか……ほら、嫌な思いをした後って、素直に人の言葉を受け入れられないっていうか……」


 ガックリ肩を落としてると、クラウスから励ましの言葉がかけられる。


 確かに。間違った事をしたら謝ればいいって、もう間違えなければいいって頭で分かってても、心が納得できない感覚は私も覚えがある。


 シャニカも今まさにその状況――いや、彼女を奮い立たせていたものが崩れた分、より酷い状況にいるのかもしれない。


(そんな状況に追い込んだ私が『可哀想だから』って理由で手を差し伸べるのは、勝者の傲慢な自己満足って言われても仕方ないか……)


 そもそも私とシャニカは会う前から関係が最悪の方に拗れてる。

 私の事を心の底から憎んでる相手と協力なんて、無理な話なのかもしれない。


 ただ、それでも手を差し伸べずにはいられなかったのは――人を見捨てたくなかったから。

 和解する事を諦めたくなかったから。助けたいと思ったから。


 ――それが例え、勝者の傲慢な自己満足と言われるような気持ちでも。


「……そうね。伝えたい事は伝えたし、しばらく一人で考えさせた方が良いかも。私も、聞く耳持ってくれない人にずっと呼びかけ続ける余裕ないし……」

「飛鳥……大丈夫? お菓子出そうか?」


 さっきから続くクラウスの不器用で優しい言葉にくすぐったい気持ちになりながら、彼の顔を見る。

 相変わらず芸術的な儚さと美しさだけど、脆さや危うさはもう感じない。


「……どうしたの?」

「ううん。クラウス、変わったなって」

「飛鳥こそ……『男を利用する女』みたいに言われるの、嫌がってなかった?」

「嫌よ。嫌だけど……でもあの状況で『違う』って言うのは違うかなって」


 これから先、どれだけ自分を鍛えたところでダグラスさんに一対一で叶うはずない。

 彼が暴走した時、私だけの力で世界崩壊の危機を乗り越えるなんて絶対に無理だ。他人の力を借りるしかない。


 だから、人を頼る事に抵抗なんて感じてる場合じゃない。

 他人から何と言われても動じないようにならなきゃいけない。


「……あのシャニカが言ってた通り、私はただ器が二つあるだけの貧弱なツヴェルフ。そんな私が『他人からボロクソに言われるのが嫌』とか言ってたら、大切な物を守れないわ。それに……有効な手段があるのに周りからあれこれ言われるのが嫌だからって動かない人と、周りからどう言われようと有効な手段を使って世界崩壊を止めようとする人だったら、私は後者の人と手を組みたい」


 元々この世界で『野蛮で我儘で男を誑し込む異世界人』とボロクソ言われてた事もあってか、自分の中でそう割り切るだけで随分心が軽くなった。


「……分かった。僕とラインヴァイスの事は遠慮なく、好きなだけ利用していいからね。ダグラスに関する事以外でも、何処に行きたいとか、何が食べたいとか、誰を治してほしいとか、ラインヴァイスに寝そべりたいとか」

「あ、あのねクラウス……シャニカが『男を利用するんでしょ』なんて言うから『利用する』って言っちゃったけど、利用じゃなくて協力だから! 更に言うなら男女問わず協力したいと思ってるから!」


 曇りない笑顔で言われた言葉自体はありがたいと思いつつ、しっかり言葉を訂正した後、傍観していたヒューイの方を見据える。


「と、いう訳で……もし私がダグラスさんを抑えられなかった時、できれば貴方にも協力してもらえたらありがたいんだけど……」

「……そう遠慮がちに言わなくても協力してやるよ。俺も世界が崩壊するのは嫌だし、お互い打算の上とはいえ夫婦になる仲だ。協力しない理由がない」


 ヒューイも世界崩壊は嫌だろうから、呆れつつも協力してくれるとは思ってたけど――予想外の穏やかな表情と声調にポカンとしていると、彼は苦笑いを浮かべてこちらに近づいてきた。


「手を出してくれ。婚約の証として、渡しておきたい物がある」


 言われた通り手を出すと、ヒューイが指を鳴らすと、亜空間から細長い箸みたいな棒が一本出現し、私の手のひらの上に落ちてきた。


 その棒には金の刺繍が施された翠緑のリボンが全体にグルグルと巻き付けられていた。


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