第57話 変わっていく私達
「もしかして、それ……時戻りの針!?」
「言ったろ。悪いようにはしないって」
これが何なのか聞くより先にクラウスが声をあげ、ヒューイが肯定の言葉を返す。
言われてみれば先端の幅が少し膨らんでいて、時計の長針のように見えなくもない。
「俺や
ヒューイの言ってる事は分かる、分かるけど。
ダグラスさんが暴走した時、私が命を落とす可能性がある事も分かってるけど――
「中の針はかなり傷んでる。一応リボンで補強したが、いつ折れて使い物にならなくなるか分からないが、後一回くらいは使えると思う」
「気持ちはありがたいんだけど……過去の自分を乗っ取るのはちょっと……」
そう、これを使えば私は過去の私を乗っ取ることになる。
私は誰にも、例え未来の私でも、絶対この体を譲りたくない――この体も、大切な人達も。
そう思ってる私がこれを使う訳にはいかない。
ヒューイの説明を遮って針を返そうとしたけど、ヒューイは受け取ろうとせず困ったように眉を寄せた。
「……あんたは何度も何度もこれに殺されてきてるんだ。一回くらいこれを使ったって罰は当たらない。それに、もしあんたがあいつの暴走に巻き込まれて死んだ時、これを使えば、あいつが何をきっかけに暴走するのかが事前に分かる」
確かに――あのシャニカはダグラスさんが暴走して、私が他の男と逃げて、世界が崩壊しかかってるって事しか知らない。
彼女の記憶の解析が進んでも、何がきっかけでそんな事になったのか、私達に何が起きたのかまで分からないかもしれない。
これがあれば、ダグラスさんが何故暴走するのかを確認した上でやり直せる。それも分かる。けど――
(……あのシャニカの魂に取り込まれかかってる、救えない魂やシャニカちゃんを見ちゃうと、ねぇ……)
とは思っても、原因が分かった上でやり直せるかもしれないメリットに気づくと、返すのも惜しい気がしてきて。
受け取るのも返すのも抵抗を覚える中、ふと、根本的な事に気づく。
「……そう言えば、シャニカの魂ってアクアオーラ侯が分離させたのよね?」
「ああ」
「乗っ取られた魂はすぐには取り込まれない……って事はこれを使って時を戻った後、すぐ彼の所に行って私の魂を分離してもらえば、私は過去の私を取り込まずに済む……って事?」
「……ああ」
私の問いかけをヒューイが肯定してくれた事で時戻りの針への不安が消え去り、代わりに期待がこみ上げる。
「……分かった。これは最後の切り札としてありがたく受け取るわ」
セリアの言葉を借りるなら、出来ることなら一生使いたくないとっておき――って、死んだ後使うから一生って言葉はおかしいか――なんて考えてると、ヒューイが呆れたように肩を竦めた。
「まったく……あんたは本当にお人好しだな」
「いや、これはお人好し、って言うか……未来の私が来た時『すみません、死んじゃったんでちょっとだけ同居させてもらいました。ごめんなさい』位の腰の低さで来てくれたら許せるかな、って思っただけよ」
「そんな発想になれるところがお人好しだって言ってるんだよ」
私がこの針をどう使うか、言わなくても察したらしいヒューイに素直な気持ちを打ち明けると、彼の表情は苦笑いに変わった。
「……正直、ジェダイト姉妹を許してくれるのはありがたいが、あのシャニカにまで温情かけるあんたの優しさは、俺には全く理解できない」
「私も彼女に思うところが全く無い訳じゃないけど……でも実際殺されてないし、ジェダイト侯の魂に傷つけられた痕も、クラウスのお陰で傷ひとつ無いし……今回の件も一応解決して余裕が出てきた今、出来る事なら和解したいって気持ちが勝ってるだけよ」
そう。優しさなんて、余裕の有無で大分変わってくる。
ジェダイト侯の魔法で傷ついた痕が今も全身に残っていたら、あのシャニカみたいに怒りと失望の言葉を叫び続けてたかも知れない。
私、カッとなった時に酷い事言っちゃう悪い癖あるし――間違いなく言ってる。
(で、それで相手を傷つけてスカッとできるかっていうと、できないのよね……)
感情に振り回されるままに吐き出した言葉は他人を容赦なく傷つけて、その後残るのは禍根と自己嫌悪。
爽快感以上の反省や罪悪感、それに対する抵抗感、復讐されるんじゃないかって不安――過去を思い返す度にそんな不快な感情に捕らわれる。
今だって、可哀想だから。助けてあげたいから。分かりあえるかもしれないって感情の他に色んな感情が混ざってる。
険悪な関係でい続けたくないから。事を荒立てたくないから。穏やかに終わるならその方がいいから。周りに迷惑かけたくないから――そんな臆病な感情がいっぱい混ざった私の優しさは、あんまり綺麗じゃない。
でも――どんな感情が混ざっていようと、綺麗じゃなかろうと、自分に刃と殺意を向けてくる人の気持ちを理解しようと向き合えた私は、以前の私より少しだけ強くなってる気がする。
「……痕は消えても、酷い目にはあっただろ……」
ヒューイが小さな声で呟く。実際に私が酷い目にあったの見てるヒューイからしたら、あれを許せる私が理解できないんだろう。
独り言のような呟きに返答してもいいのかちょっと迷ったけど、
「……ねえヒューイ。貴方との出会いはお互い最悪だったわよね? クラウスもそうだったけど。でも今こうして世界崩壊を食い止める為に協力しあおうとしてる。あのシャニカともこんな風に和解できたらいいなって……ただそれだけの話よ」
状況が状況とはいえ、出会った頃のクラウスは私に対して物凄く刺々しかったし、私も元彼と声が同じだからって必要以上に動揺して意地になって。
ヒューイはヒューイで一度目はスカイダイビングさせられるわ嫌味言われるわ、二度目はギリギリ命助けてはくれたけど血まみれ状態で放置されるわで、本当、二人との出会いは最悪だった。
でも、そんな私達と今の私達は違う。自分自身も、関係も、その時とは全く違う方向に変わっている。
きっと、未来の私達も今の私達と違う。私達だけじゃない。ダグラスさんも、セリアも、皆――きっと違う。
そう考えるとやっぱり、私は過去の私を乗っ取りたくない。
決意を固めて改めて二人の顔を見ると、ヒューイもクラウスもバツの悪そうな顔をしたまま口を真一文字に結んで無言を貫いている。
「……あの、二人とも、ちゃんと私の話聞いてた? 二人との出会いは確かに最悪だったけど、今は険悪な状態から抜け出してこうして話をしてるんだし、出会いが最悪だからって諦めるのは早いんじゃないかと思って」
「聞いてる。聞いてるから何回も言わないで。本当に反省してるから」
クラウスには相当刺さってしまったみたいだ。そもそも今の会話でクラウスの名前を出す必要はなかったかも――と私も反省する。
カッとなってなくても人の地雷を踏んでしまう失言癖、本当何とかしたい。
「……あの、皆様、大丈夫ですか?」
声がした方に視線を向けると、隣の部屋からモニカさんが心配そうに顔を出していた。
バツの悪い顔をしてる男女三人が無言で立ってるこの状況――そりゃ心配する。
「ああ、大丈夫だ。ついでにこっちに戻ってきても大丈夫だ」
「飛鳥、ラインヴァイスがその針、普段は亜空間にしまっといた方がいいって」
ヒューイがモニカさんを手招きする中、クラウスから助言される。
確かに、こんなのうっかり落としたらとんでもない事になるかも、と時戻りの針に目を向けると、再び翠緑の婚約リボンが視界に入った。
――ヒューイには今、本当に心から愛する人がいるみたいですの――
頭をよぎったのはルクレツィアから翠緑の服やラインヴァイスのぬいぐるみをもらった時に添えられた言葉。
――ですが、お相手は表立って言える方では無いようで……きっと一生心に秘めていくおつもりなのでしょう。ですので、アスカ様の三人目の男にはうってつけかも知れませんわね――
そう。ルクレツィアはそう言って『私には不要なものですが、アスカさんには役に立つ日が来るかも知れませんし』と翠緑の服や装飾品をくれた。
ヒューイは気を悪くした様子もなく、普段遣いすればいいって言ってくれてたけど――
(婚約リボンは私に着けて欲しくないからこれに巻き付けたのね……)
婚約の証を想い人に見られたくないって気持ちは分かる。
お互い、打算の上で夫婦になる間柄だし、野暮な事言うつもりはないけど――
「ねえ、ヒューイ……貴方に想い人がいるのはルクレツィアから聞いてるし、私もダグラスさんがいるから、その辺あれこれ言うつもりは無いんだけど……私の子どもはちゃんと愛して欲しい……」
愛した人との子じゃないからって、冷遇しないで欲しい。
まだ一人目の子どもも出来てないのにこんな事を言うのも恥ずかしくて、最後はちょっと弱々しくなってしまった。
何て返されるか不安の中、ヒューイの顔を見ると彼は驚きの表情で私を見たまま固まっていた。
クラウスとモニカさんも目を見開いて私を凝視してる。
それはギョッとしたような、信じられない物を見てるような、異様な驚きで――
あれ? もしかして私――また何か失言しちゃったの?
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