第70話 寡黙な剣士の葛藤・2(※アーサー視点)



「ふむ……確かに、悠長に追いかけっこしてる場合ではないな……あいわかった。これを持ってワシは一旦皇城に戻ろう」


 大きく頷くリアルガー公に向けて次は友を差し出す。


『この猫も連れて行って下さい。ペイシュヴァルツの欠片です。』

『アーサー!?』


 いつの間にか理性を取り戻していたらしい友の前足に音石のリングも嵌める。


『色神を持っていない私にはダンビュライト侯を追えない。早く体を治して自分の力で彼女を取り戻しに行け。彼女を……助けてやれなくてすまなかった』


 友に想い人の惨たらしい光景を見せてしまった事の罪悪感を抑えきれず、謝罪の言葉が漏れる。


 惨たらしい光景――のはずなのに海に落ちる前のアスカ嬢は微笑んでいた。

 陵辱され、矢で体を射抜かれて、とても微笑んでいられない状況で彼女は微笑んでいた。その哀愁漂う寂しげな笑顔が酷く私の心に纏わり付く。


 ラリマー嬢もそうだ。私を庇って氷竜の一撃を受けた時、彼女は笑っていた。

 何故痛い目にあっている時に微笑む事が出来るのか――私には女の気持ちが理解できない。守られた男がその微笑みを見せられて喜ぶとでも思っているのだろうか?


 自分の為に命を投げ出された所で、何一つ嬉しくなどないというのに――自分の非力さを思い知らされるだけだというのに。


『本当にな……!! お前のせいだ!! お前が私の言う事を聞いてもっと早く助けてくれれば、飛鳥は……!!』


 心が何とも言えない感情で締め付けられる。恐らく今、友も同じようなものを感じているのだろう。穢されてしまった想い人にあんな風に微笑まれて海に落ちられている分、私よりその心の締め付けは酷いだろう。

 

 これで数少ない友情の1つが潰える――虚しさがよぎり目を伏せると、数秒の沈黙の末に意外な言葉が重ねられた。


『……いや、今の言葉は忘れてくれ。今、飛鳥の身に起きている事は全部私のせいだ。お前はお前なりに……家に匿ってくれたり飛鳥の世話を焼いてくれたり色々良くしてくれた事は分かっている……すまない』


 友の意外な言葉に驚きつつ、まだ縁が続くのかと思うと虚しさが安堵で埋まる。


『分かった。忘れよう。だが私もそう言われるだけの事をしてしまった自覚はある。全部が全部君のせいだと思うな。私にも間違いなく責任はある』


 大人しくなった友は小さな羽をパタパタと動かし、自らの力で宙に浮かぶ。


「アーサー……お主はこれからどうするつもりだ? 目的の物は手に入ったのだからここにいる理由もなかろう? 皇国まで乗せていってやるぞ」


 リアルガー公が跨る真紅の巨竜はまだ3~4人程人が乗れる位には大きい。


「いえ。私にはまだここでやるべき事があります」

「そうか……まあワシはお主に命令できる立場ではないからな。しかしここは他国だ。あまり目立った動きをせぬようにな。まあ、ワシが言える立場でもないが」


 リアルガー公の自虐を流しつつ、改めて研究所を見据える。

 こちらに何か仕掛けてくる気配はない。赤の色神がいる以上、迂闊に手を出せないのだろうが――完全に研究所内の守りは固められているだろう。

 今から突入した所でカーティスを捕まえられるかどうかは分からないが――


『アーサー、あの研究所には実験体として金で売られた奴隷も捉えられている……助けてやってくれ。飛鳥が奴隷の事を気にかけていないはずがない。それと……奴の研究は少し気にかかる物がある。リアクターが2つあるカーティスの部屋の物には一切手を付けないで欲しい』

『奴隷の件は承知したが……後の願いは頷けない。私はここにいる人間を皆殺しにするつもりはないが、研究員に彼の研究データを保管されて王都に持っていかれるのも困る。端末らしき物は全て破壊する』

『それについては私が元の体に戻った際に何とかする。あんな男でも知能は本物だ。肉体は引き千切って魂に永遠の責め苦を味あわせてやりたいが、あの類稀な知能で築き上げた研究や技術をこのまま捨て置くには惜しい……この世界の未来を良い方向に変えられるかもしれない』


 怒りの感情が込められた中にダグラスの冷静な思考を感じる。

 彼の研究がこの世界の未来を良い方向に変えられるのなら――それは私にとって願ってもない事。


『……分かった。君がそこまで言うのなら善処しよう』


 多くの犠牲を積み上げた彼の研究がこのまま闇に葬り去られては、それこそ犠牲は犠牲で終わってしまう。彼を皇国にとって最悪の存在にしたまま死なせたくはない。


「それではアーサー、くれぐれも無理はするなよ? ワシはお主の父君と酌み交わす酒を不味いものにしたくないのでな!」


 友はリアルガー公の後ろに乗ろうとしたようだが首根っこを取っ掴まれ、小瓶の袋と共に懐に抱えられる。

 そして真紅の巨竜が皇国の方へと大きな翼を羽ばたかせて飛んでいった。


(これでダグラスの問題は解決した。後は……)


 再び研究所の方へを視線を移し、高速移動ステップを発動させて建物の中へ強引に突入する。


 もう時間はない。襲ってくる人間は一撃で仕留める。襲ってこずに逃げる人間は追わない。固く閉まった扉など壊して入ればいい。


 研究所の入り口からアスカ嬢がいた部屋、奴隷達が捉えられているらしき部屋、カーティスの部屋までの道はダグラスから聞いて把握している。

 ヒューイの片割れとやらがいつ出てくるかと気にかかったが、それらしき人間がこちらに向かってくる気配は無い――逃げたか?


 それならそれで都合は良い。私は数少ない友の一人の人格に影響を与えるマネはしたくないし、彼に関してはダグラス自身がケリをつける事を望むだろう。

 私がケリを付けないといけない相手は、別にいる。


 ここに向かう前、家を出る前に父上からかけられた言葉を思い出す。


『あの研究所にはカーティス君がいる。行けば彼と対峙する事になるかも知れない。3年前にセレンディバイト公に楽に殺してもらえればよかったんだがね……彼は多くの人間にとっての加害者だが、私達にとっての被害者だ。アーサー……お前には辛い役目を背負わせる事になるかもしれないが、その事だけは分かっておいてほしい』


 父上の酷くバツの悪そうな表情を見たのは十数年ぶりだった。


 あれは――カーティスがツヴェルフを連れてこの国に亡命した時。

 長期休みに入り学院から帰省する前に父上から『帰省しても一切カーティスの話をするな』という手紙が届いた。


 カーティスは母上の4番目の子だ。だからその手紙を受け取った時は母上を極力刺激しないように、という配慮だろうと軽く受け止めていた。


 しかし父上の念の入れようは異常だった。侍従達にも同じ様に命令し、その上わざわざ『館に来る新聞屋と喧嘩したからしばらく新聞は取らない』という言い訳まで作り上げてまで、その情報がコッパー邸の内部に入る事を防いだ。


 刺激しない――というより、カーティスの亡命自体を母上に知られないようにしていた。

 流石に違和感を覚えて何故かと追求すると『お前はそろそろ知っておいた方が良いだろう』とコッパー邸の執務室で父は淡々と語りだした。



 彼の悲劇は母上から生まれた瞬間から始まっていた。



 彼の父親――ペリドット侯には誰から見ても深く愛し合っているのが分かる第一夫人がいた。そこに第二夫人として母上が嫁いだ。母上からしたら四番目の夫になる。


 カーティスは産まれた瞬間母上から引き剥がされ、第一夫人の手によって育てられた。それ自体はよくある話だと父上は語る。


 母上も流石に産まれた瞬間から引き剥がされる事は初めてだったそうだが、これまでの3回も大体似たような扱いで慣れてはいたらしい。

 2年程ペリドット邸で手厚く介抱され体を休ませた後、また別の希望者の元に行く事になっていた。


 だがその年の――私がまだ産まれてもいない30年以上も前の14会合の雑談によって――状況が大きく変わっていった。


『ツヴェルフから即座に子を引き剥がして育てる話はよく聞くが、そうやって育てられた子は親より器が小さい気がする』


『ああ、言われてみれば……大成した話は聞きませんな。皇家がツヴェルフと子の絆を尊重するように言っているのと何か関係があるのかもしれません。まあそう言っている皇太子自身が妃の為に早々にツヴェルフを突き放し、星の海へと逃げられているので何の説得力もありませんが』


『しかしリアルガー家の番がツヴェルフだった時の子はたまに異様な大きさの器になるな。数百年前に真紅の兄妹と唄われたグレン公とカレン女公などまさにそれだ。彼らの子は普通の大きさだったらしいが』


 他愛ない雑談ではあったがそれらの話を聞いたペリドット侯はカーティスの器が殆ど成長していない事を気にかけていたらしく、領地に戻るなり第一夫人に母上がいる間は共同で育児するように伝えたらしい。


 生まれてすぐに取り上げられた子に1年後に再び関われ、と言われても上手くできない母と、突然ツヴェルフと共同で子を育てなければならなくなった第一夫人――上手く行かないのは明白だった。


 運が悪かったのは当時の母上には誰も相談できる人間がおらず、逃げる術もなく。第一夫人との関係が最悪だった事もあってノイローゼを起こし――カーティスは2歳の頃、発狂した母上に殺されかけた。


 彼の額にはその時母上によってつけられた切り傷がある。


 学院の生徒会で彼が憤慨する度、たまに前髪で隠されたそれが見えた。変な所に傷があるなとは思ったが、まさかそれが母上がつけた物だとは思いもしなかった。


 母上はその事件が起きた後、即ペリドット邸を追い出されて皇家に保護され、監視役のメイドを付けられた上で格下の伯爵家に押し付けられるように嫁いだ。

 そしてその伯爵家で子どもを産んだ後5番目の夫にも愛する存在が出来て居場所がなくなっていた所を父上に拾われて、私が産まれた。


「ここで話を終わらせられたなら、まだ彼も壊れるまでにはいかなかっただろうに」


 父上がそう呟いた後に明かした過去は私の予想を超える遥かに壮絶なものだった。


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