第69話 寡黙な剣士の葛藤・1(※アーサー視点)


 氷竜から逃れてルドニーク山の国境を超えた後、ダグラスと合流した。

 お互いに情報を交換した後、近くの村に足を伸ばして情報を集めたい旨を伝えるとダグラスは『早く研究所に行かなければ!』と騒ぐ。


 友と違って色神を持っていない私が一人で敵国の研究所に入るにはそれなりに入念な準備と下調べがいる。

 家を出る前に父からもらった情報も最新の物ではない。


 アスカ嬢が雪崩に巻き込まれたと聞いた時は厄介な事になったと思った。だが雪崩から既に脱出しているのなら、すぐに死ぬような事はないだろう。


 ダグラスの話を聞く限り、どう少なく見積もっても次の実験までに2、3日は休息時間が取られる。

 代替えの効く人間ならまだしも、唯一無二のツインのツヴェルフ――彼は迂闊に死なせたりはしない。

 人工ツヴェルフは間違いなく彼の夢。そしてアスカ嬢はその夢を叶える鍵になりえるのだから。


 淡々と説くと友は分かってくれたようだ。だが今度は『お前が一人で生きる力もないくせに強がるなとか余計な事を言うから飛鳥が……!』と愚痴愚痴言われる。


 ダグラスが何に対して怒っているのか理解できない。一人で生きる力もない人間に強がられても迷惑でしかない。

 女子どもであれ、一人で生きる力を身につけようとする事の何が悪いのか分からない。


 だが私に面と向かって言うのではなく愚痴愚痴言うにとどめている辺り、か弱い子猫生活の中で少しは弱者の気持ちを理解してもらえたようだ。


 道すがら現れる魔物や死霊達を討伐しつつ、半日かけて村に着く。

 何処か寂れた印象を受ける村の宿屋も兼ねているらしい小さな酒場で飲んでいる者達に金を渡し、情報を集める。


 近隣の村や少し離れた街の奴隷市場であの研究所に金で買われた人間が多くいるが、誰一人戻ってこない――というきな臭い情報のついでに毎夜この村の中に死霊が入り込むので村人達は夜、小さな結界石が置かれたここに集まって寝泊まりしているという話を聞く。


 詳しく聞けば研究所の近くに死霊が集まる森があり、そこから死霊達が夜な夜なここまでやってくるのだという。

 その日の夜は宿屋兼酒場で村民に混ざって一泊させてもらった。ちらと外を確認すれば確かに死霊達がふよふよと浮かんでいた。


 これは何とかしなくてはならない。翌日、研究所近くの森に着くなり死霊討伐を開始する。


『アーサー……!! 早く、早く飛鳥を助けに行ってくれ!!』


 死霊討伐中ダグラスはずっと怒っていた。森の中の死霊をあらかた倒し終えた頃には、すっかり日が暮れていた。

 森の中で防御壁を張って野宿する。眠らない事には万全の体制で動けない。


 友はいま冷静になれていないだけだ。私は間違っていない。


 魔物討伐に国境は関係ない。例え敵国の民であれ、人の命には変わりない。それに死霊は命を貪り新たな死霊を作り出す。放っておく訳には行かない。

 アスカ嬢を助け出した後は死霊討伐をしている時間もない。ここを浄化できるのは今しかないのだ。


 研究所で犠牲になった者達の怨念が時を経て死霊化しているのだろう――元々この森にいたであろう魔物や動物を追い出す位にこの森は『死』に包まれていた。


 これが異父兄が作り出した物ならば、私が何とかしなければならない。

 彼を作り出してしまった人間の一人として、その罪を少しでも償いたい。


 しかし普段あまり衝突する事のない友との衝突は少なからず私を苛立たせた。

 その苛立ちを抱えつつ就寝し、日が差してきた頃研究所へと向かう頃には友は一切口を聞いてくれなくなった。


 朝からずっと無言で小さな尻尾を私の肩にビタビタと叩きつけてくる。私も特にかける言葉も思いつかず、ただただ研究所に向けて足を運んでいると――


『アーサー、空を、空を見ろ……!!』


 十数時間ぶりに友の声を聞いて見上げると、遠くの空にアスカ嬢の姿があった。研究所の少し斜め上で不安定に浮かんでいる。


 どうやら矢を射られているようだ。おぼつかない姿勢でヨロヨロとかわす彼女は非常に危なっかしい。

 村で見た地図によれば研究所は海に切り立った崖の上に立っている。つまりアスカ嬢の下は海なのだが――友の関心はそこには無かったようだ。


『ま、まさか……ヒューイの片割れと……!?』


 今アスカ嬢が使っている魔力は確かにアイドクレース家の翠緑の魔力だ。

 浮遊術ヴォレは相当な魔力を使う――という事は、それだけの魔力を注がれた事になる。


『あの男に強引に、力ずくで……絶対そうだ、それで必死に逃げ出してきたんだ……!! ああ、飛鳥……飛鳥……私が、私がこんな姿じゃなければ……!! ああ……!!』


 激しく凹み嘆く友を見て、アスカ嬢を後回しにした事に初めて罪悪感が生じる。

 私が優先していればアスカ嬢は強姦されずに済んだのかも知れない。いや、アスカ嬢は今生きている。私は、間違っては――


『アーサー!! これ受け取って、ダグラスさんに飲ませて……!!』


 思考をアスカ嬢のテレパシーによって遮断される。顔を上げると彼女がこちら側に向けて何かを投げたのが見えた。


 だいぶ距離がある――研究所の人間に私の存在を気づかれる事に躊躇したが、仕方がない。

 遠距離操作魔法テレキネシスでこちら側に袋を引き寄せ手の内に納めた瞬間、肩に乗る友の尻尾の毛が逆立ち頬を刺激する。


 再び視線をアスカ嬢に戻せば、彼女の体には数本の矢が刺さっていた。


「ヴァニャアアアアアアア!!!」


 アスカ嬢が矢で射られて落ちて視界から消えた瞬間、友が絶叫し飛び出そうとしたので咄嗟に首根っこを掴んだ。


「ヴニャア!! ニャアア!! ヴゥーーーー!!」


 完全に理性を失っている。尻尾をブワりと膨らませてジダバタと足掻く友はもはや怒り狂う子猫以外の何物でもなかった。


 小さな障壁を作りその中に友を閉じ込めた後、彼女が落ちた方へと走り状況を確認する。

 崖下――10メートル位の距離の先に藍色の海が広がっている。


 研究所の方にも目を向けると厳しい表情をしている緑の髪の男と目が合った。

 こちらに向かってくるかと思ったが、男は素早い身のこなしで窓を使って研究所の中に入っていく。


(不味いな……早くアスカ嬢を助けないとカーティスに逃げられてしまうかもしれない。だが私は泳げないし浮遊術ヴォレも使えない。遠距離操作魔法テレキネシスで引き上げるにしても、何処にいるかが分からなければ)


 海に人影は見えない。相当深い海のようだ。魔力探知――はあまり使いたくない。魔力探知は自分の魔力を波状にして広げるもの。

 魔力隠しの護符で自分の魔力を隠していても、自分が魔力探知を発動させれば何の意味もない。


(今、私の魔力に気づかれるとカーティスに逃げられてしまう可能性がある……しかし……!)


 友の婚約者を取るか、これから殺されるだろう多くの人間達の命を取るか――


 判断に迷った時、突如白い何かが海に飛び込みまるで表面に浮かぶ魚を得たかのように海から飛び上がる。それは一瞬の光景だった。


 見上げると純白の大鷲ラインヴァイスの嘴に友の婚約者が挟まってるのが見えた。

 それはすぐに離されて大鷲に乗るダンビュライト侯に抱えられ、空の彼方へと消えていく。


 友は全身の毛を逆立たせながら体を硬直させているが、どんな怪我も癒せる彼に任せれば彼女の命は大丈夫だろう。その安堵で体の力が抜ける。


 だが新たな問題が発生した事に気づき、再び体に緊張が走る。


 色神がロットワイラーに侵入した――それは明確な休戦協定違反。


 純白の大鷲が飛んできた方向を見据えると、真紅の巨竜が飛んでくるのが見えた。


『リアルガー公!!』


 念話で呼びかけると真紅の巨竜は私達の前で止まった。


「おお、アーサー! こんな所におったのか!」

『何故ロットワイラーに侵入された!? 休戦協定をお忘れか!?』


 畳み掛けるようにテレパシーを続けると、リアルガー公は一瞬きょとんとした後周囲を見交わす。


「休戦協定……ああ、そう言えばロットワイラーに公爵は入っちゃいかんと言われとったな!! すまん、忘れておった!! まああの小僧が入ってしまったんじゃ同じ事よ!」

『確かに1人入ってしまった以上、後は2人入ろうが全員入ろうが同じ事ですが、一体何故こんな事に……』


「話せば長くなるのだが……ヴィクトールがここ数日アズーブラウを神化させっぱなしにしていてな。神化は周りの大気にも影響してくるから青系統以外の魔力を持つ者からしたら空気が冷えるし不味くなる訳だ。それでロベルトとワシが苦言を呈しに行くとヴィクトールの奴、思い出したようにお前らの地方の騎士の形見の剣をバラ撒いてな……ロベルトが形見をぞんざいに扱うなと怒って喧嘩になった、と思えば突然アズーブラウの口からあの小僧とラインヴァイスが飛び出して逃げ出すわで、もう大騒ぎよ」


 皇国の重鎮達はこの非常事態に何をやっているのか――危うく思考が止まりかける。


 ロベルト様が青の公爵に対して怒るのは仕方ない。皇帝の容態やツヴェルフ達の転送、ダグラスの戦闘不能――あらゆる非常事態で気が張り詰められておられる中、自分の部下の形見を乱雑に扱われれば侮辱されたも同然だ。


 ロベルト様も父も私も、死にゆく仲間や部下に何も思っていない訳ではない。

 家族や友人に次いで心が痛む自覚があるからこそ、彼らが生きた証と遺言を何としてでも家族に託す。

 それらを乱雑に扱われれば――いや、今はあの方のお気持ちを慮る時間はない。


『……それで、ダンビュライト侯を追ってここまで?』


 状況を整理しようと念話を続けると、リアルガー公はそれに応じる。


「その通り。最初はヴィクトールが追いかけようとしたんじゃがシーザー卿が行方不明でな。今唯一ダグラスの時止めを単独で行えるヴィクトールに出ていかれると困る。それ故ワシが小僧を追いかけてきたという訳なんじゃが……いやーしかし不味い事になった……!! 小僧は見失ってしまったしロットワイラーにも侵入してしまったし……ここからどうしたものか……」


 リアルガー公が困ったように顎髭をいじりだすのを見て、私も1つ深呼吸をして冷静になるように務める。


 そしてアスカ嬢に託された小袋を思い出し、中身を確認する。

 そこに入っているのは小瓶が4つ――これをダグラスに飲ませろという事は恐らく、器のヒビを直すような薬なのだろう。


『……リアルガー公、これを持って戻ってダグラスに飲ませて下さい。あの研究所に捕らえられていたアスカ嬢から託されました。恐らく器のヒビを治す薬です』


 小袋をリアルガー公に向けて遠距離操作魔法テレキネシスで渡すと、リアルガー公がまじまじと袋の中を確認する。


「なんと、これをアスカ殿が……!? しかし、あの小僧が……」

『今はダグラスの器のヒビを治す事の方が先決です。ダグラスが動けるようになれば彼の動きを止めている公爵も動けるようになります。休戦協定にも違反してしまった今、皇国内でいち早くその対応を話すべきかと』


 違反したとは言えロットワイラー側もすぐにマナクリアウェポンを撃つ事はしないだろう。向こうも状況を確認する時間は必要だろうし、入ってくる情報によればアレは恐ろしい威力こそ誇るが万能の武器ではない。

 確認できている台数は1台。連射もできない事が分かっている。何処に向けて放つかの話し合いも行われるだろう。


 今すぐにどうなるという話ではない内に皇国内で結束を固めてもらわなければ。


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