第68話 射たれた鳥は海に落ちて


「がっ……は……!!」


 アランは直様立ち上がって私から距離を取る。血は出ていない。


 それもそのはず――コッパー家から出る前に(人目に付いたらヤバいから)と思って異空間に収納していた銃から放たれた弾は、麻痺弾か睡眠弾のどちらかだ。


 エドワード卿が私に銃の使い方を説明してくれる時に弾倉を見せられて、次に出る弾が魔法弾である事は把握していた。

 いきなり出して撃っても致命傷にはならないな、と思った事だけ覚えてる。そして――


 ――この術は公爵家の色……宿、神に愛された者にのみ許された特別な術ですの――


 ルクレツィアの説明が正しければ、公爵令息であるヒューイの片割れだというアランもそれが使える。仮に2つの魔力が混ざっていても私の器は魔力を綺麗に分離するらしいから使えると思った。

 白の魔力で片付けた物を緑の魔力で取り出せるかは賭けだったけれど。


 壁に寄りかかってそのまま床に崩れ落ちるアランの様子を確認する為にベッドから立ち上がって近づく。

 微かに震えて動けないながらも意識がある様子を見ると、当たったのは麻痺弾のようだ。


(睡眠弾が良かったけど……そんな事言ってられないわ)


 震えるアランに口づけしてしっかり使った分の魔力を吸っておく。まだこの魔力はガッツリ使わないといけない。


「んぐぐっ……!!」


 震えながら噛みついてこようとする歯が気持ち悪いけど、背に腹は代えられない。


 死を免れる事ができるなら――魔法を使う為の魔力が吸えるなら大嫌いな男とキスくらい何て事はない。

 ただ、吸い上げる魔力にまた切り裂かれるような痛みを感じたので程々で切り上げる。


 この麻痺の効果もどれだけ持つかわからない。チラと視線を逸らすと先程の催淫剤が落ちているのが見えた。


(……飲ませとく?)


 と、思ったけれど多分それの被害にあうのは奴隷の女性だ。それを考えるといくら有効な手段とは言え使いたくない。それに――口に入れるなら別の物がある。


 トドメに部屋の隅に置いた私物からスフェールシェーヌの実を2つ程取り出し、爪を食い込ませて切れ目を作った後彼の口に放り込む。


「……!!!」


 未加工だと辛くてとても食べられたものじゃない――ジェシカさんが言っていた通りのようだ。


 震えながらのたうちしばらくは動けなさそうなアランを残して部屋を出た後、引き攣る足でカーティスの部屋に向かって歩きだす。

 途中で研究員と鉢合って驚いた顔をされるも、


「カーティスに呼ばれてるらしいんだけど、アランが急にお腹壊してトイレに籠もっちゃったのよ。代わりに案内してくれない?」


 そう言うと少々疑問に思われたみたいではあるけど、そのままカーティスの部屋に案内される。研究員と一緒なら誰も怪しんだりはしない。


(ここまでは順調ね……後は、カーティスがどう出るか……)


 もう後戻りはできない。心臓がドクドクと音を立ててうるさい。


 ポケットに忍ばせた銃の次の弾は睡眠弾だ。その後金属弾が3発。確実に当たるとは言い切れないけど、向こうが暴れてもある程度抵抗する手段になる。


 大丈夫、大丈夫――と、うるさい心臓を落ち着かせるように言い聞かせている内にカーティスの部屋の前まで着く。


「今、氷竜の卵が孵ろうとしてる所だから下手に目が合って刷り込みされると所長に殺されてしまう。ロックは開けたからもういいな?」


 とちょっと怯えた様子の研究員は足早に去っていった。


 すぐ様部屋に入ってドアを閉める。窓のカーテンは全て降ろされていて、ヒビの入った氷竜の卵が入ったリアクターの前で倒れ込むようにカーティスは寝ていた。


(なるほど。寝ていても孵化すれば勝手に刷り込まれるって事ね……)


 生まれたてと言えど氷竜相手にそこまで無防備な姿を晒して大丈夫なのか――と思いつつ、カーティスが寝ているのは物凄く都合が良かった。


 音を立てないように足の踏み場を探りながら幽体修復薬ユリルリペアが入った机まで辿り着く。

 カーティスの様子を確認しつつ横目で引き出しを開けると、幽体修復薬ユリルリペアが4本入っていた。


 それに触れようとした矢先警報音が鳴り響き、カーティスが飛び起きる。すぐ様ポケットに隠していた銃を取り出す。


「……な、何でお前がこ……!?」


 発言している最中に睡眠弾を放つとカーティスはこてんと倒れ込んだ。さっきは無我夢中で撃ったけど発射時の衝動はそれなりにあり、よろけた体で咄嗟に机によりかかって倒れるのを防ぐ。


(エドワード卿、ありがとうございます……!!)


 非力な自分でも十分に対抗できる武器をくれた恩人に感謝する。だけど油断はできない。魔法弾の効果は小さい分薄いと言っていた。

 警報音はアランが動けるようになった証だと思った方が良いだろう。


 机の引き出しから幽体修復薬ユリルリペアをスフェールシェーヌの入っている袋に4本詰め込み、袋の紐を縛って手首にかける。


(後は――)


 氷竜の卵が入ったリアクターの横に立って、カーテンと窓を開けると部屋の中へ冷たい風が勢いよく吹き込んでくる。


 窓の向こうは灰色に淀んだ空と広い海――窓の下に降り立って歩けるだけのスペースはかろうじてあるけど、足を踏み外せば10メートル位の高さがありそうな断崖絶壁の崖っぷち。


 この引きつる足で地続きの場所まで歩ききるのは不安が残るけど、ひとまず外側に出る為に窓に跨り、顔を上げた所で再び氷竜の卵が入ったリアクターが視界に入る。


 ヒビが入った氷竜の卵は所々欠けており、今にも孵化しそうだ。


(……孵化すれば、実験材料として虐げられる……)


 奴隷の人達すら助けられないのに、いちいち氷竜の卵にまで気を回してられない――いいえ、奴隷の人達を助けられないのなら尚更、助けられるものは助けるべきじゃない?


 相反する思考が交錯する。


(……せめて刷り込みだけでも防いであげられたらテリトリーに戻るのかしら?)


 帰巣本能がどういう仕組みなのか、詳しく知らないから分からないけど。危険な存在かもしれないけど。

 本来テリトリーから出てこない種族なら、むやみやたらに人間を襲ったりはしないはずだ。


 銃の中には金属の玉が3発。物理的に攻撃できるものだ。しっかり両手で銃を固定してリアクターに向けて放つとヒビが入って僅かに水が抜けていく。その衝撃か割れかけていた卵の殻が何箇所か剥がれ落ちた。


(後一発……!)


 一瞬、氷竜と目が合ったような気がしたけどそれより先に撃った弾がガラスを完全に破壊して、中の水が流れ出した。


 こちらにちょっと飛んできたその水はとても冷たくて、思わず身震いしながらカーテンと窓を大雑把に締めて下りると室内でバタバタと足音が聞こえてくる。


「うわっ、冷たっ!」

「氷竜のリアクターが……うわっ、所長!?」


 研究員達の叫びをよそに地面が続いている方にゆっくり確実に歩を進めていく。弾は後一つある。大丈夫、大丈夫――


 そう心に言い聞かせて十数歩ほど歩いた所で窓が乱暴に開け放たれた。


「てめぇ……ブッ殺してやる……!!」


 アランのその鬼ような形相に血の気が引いていく。頭の中では冷静なのにこの心が冷えていく感覚はとても体に悪い。


 すでに抜刀しているアランはその状態で華麗に窓を飛び降り、狭いスペースに一切物怖じする事なく、ツカツカとこちらに向かって歩いてくる。


 震える手で銃を構えてみせるとアランは警戒したように立ち止まって剣を構える。その目は怒りを湛えながらも真剣で、撃った弾を見切られそうな気しかしない。


 次は金属弾。頭に当たれば恐らく即死。胸に当たれば死ぬかも知れない――視線を下にそらす。


(足……足なら……!!)


 足めがけて撃った弾はあっ、という間もなく跳んでかわされた。


 そのままこちらに剣を向けてくるアランの体が近づく前に崖の方に身を投げる。



 なるべく、崖にぶつからないように勢いよく飛んで――イメージするのは、自分が空を飛ぶ姿。



 唱術で重要なのは――言葉と、イメージ。



 空を飛ぶ――それは、きっと誰もが何度か思い描いた事のある夢。そしてルクレツィアが何度か見せてくれた姿を思い出しながら、緑の魔力を意識して叫ぶ。



浮遊術ヴォレ!!」



 海にぶつかりかかった体がフワリと浮かび上がっていくのを感じる。そして地上を見下ろすと、研究所から少し離れた所に見覚えのある長い茶髪の男がいるのが見えた。


(あれは、アーサー……!?)


 そうだ、変装したアーサーだ。そして、向こうもこちらに気づいたようで驚いたような表情でこちらを見上げている。その肩に――黒い子猫らしき姿が見える。


(いた……!!)


 生きてた。まだちゃんと、生きてた。


 それだけで涙が自然と込みあがってくる。良かった。本当に――良かった。


 久々の喜びの感情に浸る中、足を何かが掠める。そこから何かが垂れる感覚と痛みに気づくと、研究所の見張り台らしき場所から矢をつがえている人が何人か見えた。


 矢は一度放てば一直線――そう思って慣れない浮遊術で必死に避ける。だけど浮遊術を維持する為の魔力の消費が思った以上に激しい。


(あそこまで、魔力、持つかな……?)


 頭によぎる絶望を、持たなくたって良い、という希望が跳ね除ける。これさえ――届けられるなら。


『アーサー!! これ受け取って、ダグラスさんに飲ませて……!!』


 アーサーの方に強く念じて幽体修復薬ユリルリペアが入った袋を全力放り投げる。

 途中で落ちてしまうかと思ったそれは、アーサーが引き寄せたかのように彼の手に収まった。


 魔力って本当便利――そう思った瞬間、両手が強い痺れに襲われて背中と胸や足に激痛が走る。


(っ……!!)


 全身を襲う鋭い痛みに空を飛ぶイメージも続けられず、緑の魔力も尽きて海に向かって一直線に落下する。


 痛い、痛い――痛みに慣れてたつもりだけど、風の魔法で全身切り裂かれた時も相当痛かったけど、


(これはもう、駄目……!!)


 でも、これで、ダグラスさんが元に戻るなら、私――もう、いいよね?


 痛みの中で諦めと懺悔の念がよぎる。


 私のせいで壊れた器だけど、私がここまでしたなら、後は、アーサーが何とかしてくれれば、それでもう――いいよね?


 例え自分に石を投げつける事は出来なくても、自分には何か出来る事はあるんじゃないかと、何もしないのはどうなんだろうと、ずっと、悩んでた。


 これで、元通りになるのなら、もうそれでいいよね? 私――楽になってもいいよね?


 ダグラスさんの器が治れば。またダグラスさんが魔物討伐して、皆が守られる。


 その為にここまでした私はもう――許されてもいいよね?


 見えない誰かに許しを乞うように何度も問いかける。その誰かが誰なのか自分でもよく分かっていない。

 だけど――私は、誰かに謝らなければいけない気がする。


 だけどそれが誰か分からないまま海に叩きつけられる衝撃と、冷たさに体が硬直し、息もできないまま痺れと冷たさと痛みや苦しみに浮かび上がった涙が海に溶けていく。


 沈んでいく苦しさが途中で急に楽になっていく。痛みが和らいでいく。


(ああ、私……死ぬのかな?)


 意識が無くなる直前、誰かに抱きしめられたような温かさを感じた。


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