第202話 飛べない鳥の行く先は・4
リアルガー邸を出て、庭に止まっている黒馬車まで歩く。
入る時にはオレンジ色に染まっていた空が黒に染まりかけている。
まだ入ってくる馬車もいくつかあるから、まだまだパーティーは続くのだろう――そんな事を考えながら黒馬車に乗り込む。
そしてセリアの事をどう切り出すか――と思った所で、また後ろから強く抱きしめられる。
「飛鳥さん……良かった……貴方のその雑草のように逞しく強靭な精神力には本当に辟易していましたが、今はその精神力に深く感謝しています……」
安堵した様子で耳元で呟かれた言葉に激しい違和感を覚える。
逞しい精神力――違う。この世界がおちおち自分を放棄する事すら許してくれないだけ。
動いても動かなくても私のせいで誰かの命が脅かされるなら、私が動く事でその人の運命を変えたいだけ。
「ダグラスさん……セリアを助けてください」
私が紡ぎ出した言葉にダグラスさんはピタリと言葉と動きを止める。
「お願い、します」
続けて願うとダグラスさんは困ったように小さくため息を付いた。
「話を、聞いていたのですか……」
ダグラスさんは目を細めて抱擁を解くと座席に座り、窓を開けてルドルフさんに出発するように促した。
間もなく馬車が動き出し、このまま立ち続けるのも難しくてダグラスさんに向かい合うようにして座る。
出発してどの位経っただろうか――今度は長い溜息を付かれた後、ダグラスさんがこちらを見て低い声で語りだした。
「私は……貴方のその、他人の為に己の身を投げ出す所が本当に気に入らない。しかし、その性格のお陰で貴方は私の元に留まってくれた……皮肉なものです」
目の前で今にも死にそうだったり消えそうな魂を見てただ呆然としてる訳にはいかないってだけで、そこまで他人の為に動いてるつもりはないんだけど。
だってそこでただ見ていたらその死や消滅は、私のせいにもなるじゃない。
もしかしたら私が止める事ができたかもしれない――そんな後悔、背負いたくないだけ。
その人に生きていて欲しい、という理由が全く無い訳ではないけど――私の見てる前で死なないで欲しい、あるいは私を理由にして死なないで欲しい、私が動くのはそんなとても自分本意な理由。
それを言ったらこの人はどんな反応するんだろう?
声に出す前に、向こうからの言葉が続けられる。
「お願いの件ですが……私は、これまで貴方に幾度も裏切られてきました」
「……すみません」
ポツりと呟かれた言葉に謝罪を重ねてみるけどまるで聞いていないかのように言葉は続く。
「しかも先程の男はリビアングラス家の当主……黄の公爵です。以前言ったと思いますが、私は公爵相手に対立する事は極力避けたい」
公爵――昨日の夕方やって来た赤の公爵のようにダグラスさんと対等に渡り合える人間だとしたら、確かに要求を拒めば厄介な事になるだろう。
「そもそも、私にはあのメイドを助けるメリットもない」
返す言葉もない。ダグラスさんを説得するのは難しそうだ。
(どうする……? 館に帰って黄の公爵が来たら、直談判して何とか許しを……)
一つの死罪なら罪を分け合う事でお互い生き延びる事が出来るかも知れないと思ったけれど――あれは<関わった者皆死刑>なのだからその可能性は低い。
でも、レオナルドの父親なら――誠心誠意話せば分かってもらえないだろうか?
「表情が戻ったと思えば……貴方はすぐロクでもない事を考える」
私の考えている事を見透かされたように言葉を重ねられる。
「……今、後で館に来るロベルト卿に直談判する事でも考えているのでしょう? あの公爵は情より規律を優先させます。懐柔する事を考えるだけ無駄です」
(となると、館についたらまずセリアを逃すのが先か……)
少なからず私は殺されない。セリアを逃がす事さえできれば。
「……あのメイドを内密に逃がそうと思っているならそれも止めた方が良い。あのメイドが逃げれば次は彼女の家……アウイナイト男爵家が標的になります。あのメイドの代わりに家族の命が捧げられるだけです」
何も言っていないのにここまで見透かされると気味が悪い。
「……ダグラスさん、人の心が読めるんですか?」
「貴方が分かりやす過ぎるんです」
そこまで分かりやすく顔に出ていたかな? ちょっと反省する。
でも、万事休す――にする訳にはいかない。まだ方法があるかもしれない。
考えなければ。私を助けようと色々考えてくれた優里のように。
「私に対しても、正面から言わずに頭を使えば良かったのに……」
「それは……ダグラスさんにもう嘘を付きたくないと思ったから……」
もうあまり時間が無さそうなのと、頭がまだ上手く回らないというのもあるけれど。
「……貴方が今頼れるのは、私しかいません。」
「え? でも……ダグラスさん、助けるの嫌なんですよね?」
「私は嫌だとは一言も言っていない」
「だって、助けるメリットも何もないって……」
「以前のように、貴方がメリットを作り出せばいい。例えば……今夜私と契るなら、私はあのメイドを庇ってもいい」
窓の向こうを見ながら呟かれた予想外の提案に、言葉が詰まる。
契るというのはつまり……セックス。
「それは、2ヶ月後じゃ……」
「……シーザー卿の言葉は酷く不快でしたが、早く契って夫婦になっておかないと色々と不都合な事が起きるのは事実です。しかし一度貴方と交わした約束を、何の対価もなく破るのもフェアではないと思っていました……貴方が今使える交渉材料としては最適でしょう」
不思議とダグラスさんの提案にさほど衝撃や抵抗は感じなかった。
これまで何度も言われてきた事だし、何度も貞操の危機に瀕しているからかもしれない。
遅かれ早かれこの世界にいたら契る事になるのだ。
それでセリアの命が助かるのなら、それでいいじゃない。
これまで、一線を越えそうで越えない感覚に胸を高鳴らせた事もあったけど。
もう決めてしまった今は何故か虚しさしか残らない。
どの道こうなってしまうのなら、この人が好きだった時に――こうなれたら良かったのに。
頭をよぎった未練に首を横にふって別れを告げる。
「……分かりました」
する、と決めたからだろうか? 思ったより心がスッキリしている。そして滑らかに言葉が出てきた。
「無理にとは言いません。流石に貴方も他人の為に即座に男を受け入れる決意などできないでしょう。わざわざ他人の為に身を捧げる時期を早める事もない……」
「分かりましたって言ってるじゃないですか」
ダグラスさんは私の声が聞こえていなかったのか、私が了承してないかのような言葉を続けてきたから苛立ちを感じて語気を強めて改めて言うと、馬車内に変な沈黙が漂う。
「……本気ですか?」
何故言い出した本人が引いているんだろう? 先程の言葉は冗談で言ったようには聞こえなかったけれど。さっきからダグラスさんの心が全く見えない。
(これじゃあ、私が率先して致したいみたいじゃない……!)
そっちが言い出した事に乗っただけなのに。
「落ち着いてください……契ると言うならまだ続きがあります。貴方も御存知の通り私は0時に近づく程体調が悪くなる。あの女を庇った後に貴方に時間を稼がれて結局私が寝入ってしまって有耶無耶になるかも知れない……貴方に一人勝ちさせる訳にはいかない」
「……何が言いたいんです?」
また厄介な事を言い出す予兆に、無意識に眉が潜まる。
「前払いです。ロベルト卿が館に来る前に契りを交わす事が条件です」
前払いって――いくら何でもムードの欠片もない発言に、開いた口が塞がらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます