第203話 飛べない鳥の行く先は・5
あまりに品のない発言に言葉を失いつつ、思考を巡らせる。
(えっと……つまり、帰ったら速攻ベッドインって事?)
時間の猶予も与えてもらえないのは――と思ったけれど
あれこれ考えて悩む時間がないのはある意味楽なのかも知れない。
(いや、でも、お風呂入る時間位は欲しいわ……)
する事自体はともかく、何の準備もせずに、というのは抵抗がある。
(手も痛くなってきたし薬を塗り直してもらってからの方が……ああ、ムダ毛とかも……って言うか手が使えないんだけど、上手く剃れるかしら……)
考えなければならない事がどんどん頭に浮かび上がってくる。それをダグラスさんには躊躇と捉えられたようで。
「ほら……やはり貴方には荷が重い。あの女は自分の罪で滅ぶのです。飛鳥さんが身を犠牲にしてまで守る必要など……」
「私、嫌だって一言も言ってないんですけど」
さっき言われた言葉をそのまま言い返すと、目を見開かれる。
「こういう交渉で身を投げ出せるなんて……もしや飛鳥さんは男性経験がお有りで? ああ、それなら納得がいく……それなりの男性経験をお持ちなら即座の情事も私を騙す事も容易い事……」
口元に手を当てながら小声で早口で捲し立てる内容は非常に失礼な言葉ばかり。
(駄目だこの人……早く黙らせないと……)
私のやる気――この場合やる気って何か変な意味に捉えちゃうから、意欲に言い換え――この状況だと意欲も何かやらしく聞こえるから駄目だわ――とにかく何かエネルギーが削られる。
「あの……ダグラスさんは私としたいんですか? したくないんですか?」
この失礼極まりない状況に耐えかねて率直に問いただすとダグラスさんの減らず口が止まる。
(ダグラスさんから言い出した事だし、したくないって事はないと思うけど……)
馬車の中には私とダグラスさんの2人しかいないし、今のは単純な質問であってプライドを傷つけるような物言いではなかったはず――非常に答えづらい問いかけではあったかもしれないけれど。
「し、したくない訳では……」
「じゃあ交渉成立です。ただ、ドレス脱いだり化粧落としたりお風呂入って手の薬塗り直す時間位ください」
弱々しい言質を取って話を進めるついでに、こちらの要望もごり推しする。
「わ、分かりました……しかし……」
何をそんなに抵抗する事があるのか分からない。
「しっかりしてください。この世界の有力貴族は恋愛と子づくりは別と考える人が殆どなんでしょう? ダグラスさんは愛がなくても出来るんでしょう?」
「で、ですが飛鳥さんは愛がないと出来ないんでしょう? そうです、愛、があるのですか? 私に対して……」
その言葉と眼差しから、明らかに期待が感じ取れる。
だけど――
「無いです。けど蛮族や魔物相手じゃないだけ全然マシ位には思ってます」
男は愛がなくても出来るけど女は愛がないと出来ない――って何かで聞いた事があるけれど、それは誰かが女性に夢見て作り出した綺麗事や言い訳だと思う。
本当にそうだったら風俗やAVという商売は成り立たない。
勿論、本当に愛がないと出来ない人はいると思う。だけどそれに男女は関係ない。愛がないと出来ない人もいれば、愛がなくても出来る人もいる。ただそれだけの事。
私がどちらの人間なのかはまだそういう事をしたことないからよく分からないけど――少なくともダグラスさんが愛がなくても出来る人なら問題はないだろう。
「そ……そんな、以前は、好きだった、と……」
明らかにショックを受けている様子のダグラスさんに追撃する。
「すみません……私、本当にもうダグラスさんに嘘はつきたくないからハッキリ言いますね。ダグラスさん私の事、ことあるごとに男にうつつを抜かす尻軽女みたいな嫌味言いますよね? 私の怖がる顔とか嫌がる顔を嬉っしそうに見つめてきますよね? 人傷つけるのも殺すのもお好きですよね? 私に黙って盗聴、盗撮、盗難もしてますよね? 私を服従させようとわざと苦しめましたよね? そんな、決定的に価値観が合わない人とは一緒に生きたくないっていうか……」
ずっと言いたかった事を吐き出す。
「あ、でも……好きだったのも本当です。ダグラスさん格好良いし、強いし、優しいし。声も好き。やり方間違えてる事多いけど好意は伝わるし、私が言った事を配慮しようとしてくれるし。私に寄り添おうとしてくれた事も分かる……貴方が酷い事しようとした時は傍にいて止める人生も悪くないかなって思った事もあったんです」
紡ぎ出す言葉に伴って思い浮かぶ彼の笑顔や優しさ――そこから込み上がる感情を抑えつけて言葉を連ねる。
「だけど私はダグラスさんの気分次第で追い詰められる……私には貴方を変えられないし、止められない。それがよく分かりました。それに……私達はお互い裏切りあい、傷つけあってきました。ダグラスさんはもう私の事信じるなんて無理でしょう? 私もです。もう、ダグラスさんを信じられない。だから……」
だから、もう、無理なんです――と言い切ろうとしたけれど。
本当に、言い切ってしまって良いのだろうか? 頭の中で迷いが生じて、決定的な言葉を出させてくれない。
ダグラスさんから目を背けて、闇に包まれた窓の向こうを見やる。視界に何処までも続く木の陰。耳に響くのは地面を蹴る馬の脚の音と車輪が回る音。
声は聞こえてこない。続く私の言葉を待っているのだろう。
「……だからこの交渉を機に、最初の関係に戻りましょう? 私は貴方の願いに応えます。その代わり3年後、絶対に地球に帰らせてください。3年後ならまだギリギリ、向こうでの生活を立て直せると思うんで」
家賃滞納に年金、税金の事を考えると結構不安だけど、その不安の殆どを金で解決できると思えば金貨を多めに持たせてもらえれば何とかなりそうな気がする。この世界の金が地球と同じ物であれば良いのだけど。
「それと、致す時は私を魔法で眠らせてください。その間……どうぞ私を好きにしてください」
「そんな事……出来るはずがない……!」
そうだった。このまま館に戻ったら致す時にセリアが――専属メイドが、有力貴族がツヴェルフに魔法使わないかどうかチェック入れるんだった。
こんな取引、セリア本人に知られる訳にもいかない。ダグラスさんが私を脅したという理由で皇城に飛ばされかねない。それでセリアの罪が帳消しになる訳でもなく。
「分かりました……それならもういっその事、ここで私を眠らせてこの場でどうぞ……!!」
すう、と息と大きく吸って吐き出した後ギュッと目を瞑って両手を広げる。
(ああ、こんなムードの無いやりとりする位なら、元カレと1回位しておけば良かったのかな……)
そうしていれば少なくともこんな、完全事務的な流れではなく少しは甘酸っぱいムードに包まれて初体験を――と思ったけど、今元カレを思い出した所で胸に何の感慨もない。
(……色々、遅かったのかな? あれこれ考えずに流れに身を任せれば良かったのかな? 避妊すれば子どもだって滅多に出来ない訳だし)
でも。『良かった』じゃなくて『良かったのかな?』とハッキリ答えを出せない事が答えなんだろう。
セックスは子づくり。避妊だって100%じゃない。他人の価値観はともかく、私は妊娠した際にきちんとその命を受け止められる状態で挑みたかった。
滅多が自分に重ならない保証なんて何処にもない。それに1回やったら事あるごとに誘われ、その度にするかしないかの選択に悩まされる。
その度に地盤を固めてない不安定な状態で常に子どもを宿すリスクを恐れて断って二人の仲が険悪になっていく位なら――最初の1回目から拒んでいたかった。
でも結局それ以上の可能性――異世界に召喚されるというトラブルが自分に降り掛かってきて、これまで頑なに守ってきた初体験は浪漫の欠片も無く捧げられる。
心が動き出したと同時に色んな感情が渦巻き出す。その中で際立つ悲しみと虚しさが、私の目の奥を刺激して涙が滲む。
ただ、幸いなのはこれから先この人との間に生まれる、この人が望む<綺麗な子ども>はきっとこの人やペイシュヴァルツ、あの館の人達に大切に、何不自由なく育てられるという事。
一番懸念している子どもに対しての責任が保証されている事が、身を捧げる不安を払拭している。
私の3年間を犠牲にすれば、それで全て上手くいくんだ。
「飛鳥さん……私は……」
しばしの沈黙が続いた後、ダグラスさんは立ち上がって私の両手首を掴みそのまま私の膝に降ろした後、そのまま隣に座った。
何を言い返されるのか、表情を見るのが怖くて目を開けられない。
「私は……」
それ以降の言葉がなかなか出てこない。彼の声が再び紡ぎ出されるのをじっと待つ。
「……いえ、そうですね……飛鳥さんの言うとおりです。確かに私達は、性格も、気質も、価値観も合いません……だからこうして貴方を傷つけ、追い詰めてしまう……お互い憎み合いながら、傷つけ合いながら生涯を共にする位なら最初に願ったとおり、お互いの願いを叶える形で、この関係を終わらせた方が良い……」
辿々しく紡ぎ出される言葉と震える手が少し気の毒に感じるけれど。
「貴方が傍にいてくれる3年の間に私は……自分の心にケジメを付けましょう……」
溶けて消えるようなか細い声が、寂しさを煽るけれど。
(……ごめんなさい)
今言った言葉は全て嘘ではないけど。
本当は、私、もう貴方に愛を向けるのが怖いの。
貴方に愛を向けられるのも怖くて仕方がないの。
だって貴方は私をもう信じてくれないから。私も貴方を信じられないから。
お互いが信じあえない愛に踏み出せる程、私、強くないのよ。
それに立場も力も圧倒的に貴方の方が上だから結局、そこに上下関係が生じる。
貴方の力に怯えていつ捨てられるか不安にかられながら貴方と一緒に生きる位なら、最初の関係に戻りたい。
貴方もそう思っているから――私の話を最後まで聞いてくれたんでしょう?
ギュッと自分の手を握りしめたいのに、痛みがそれをさせてくれない。
「……飛鳥さん」
優しい呼びかけがすぐ近くで聞こえた後、顎に手袋の感触を感じる。
「……契れば、少なからず子どもができる可能性があります……なのでその前に貴方の器に黒の魔力を満たさなければなりません」
耳元で囁かれた酷く甘い呼びかけの後、唇が重ねられる。
そのまま口内を侵食してくる舌の生々しい感触と共に、重々しく冷たい黒の魔力が入り込んでくる。それはいつもより重く冷たく感じた。
(ここにはセリアがいないんだから、眠らせてくれればいいのに……)
強く抱きしめられ、深い口づけが続く中何故眠らせてくれないのか――そればかり考えていた。
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