第101話 黒の葛藤(※ダグラス視点)


 節に一度皇城で行われる六会合はここ数年、5人の公爵しか集まらない。前ダンビュライト公が没してから彼の息子である異父弟が一度も六会合に来ないからだ。

 来ない理由を知らない他の公爵が怒りを吹き出す度に場が険悪になるので皇家に掛け合い、異父弟を侯爵に降格させた。


 5人の公爵と皇帝の代役を務める皇太子の6人で囲うにはかなり広い円卓で一通り議題の結論が出た所で小休憩が入る。


「もう明緑の節に入ったというのにノース地方の大雪はまだ解決しないのか?」


 厳しい表情で黄が赤に問いかける。


「いや、こちらの方はもうほぼ片が付いておる。ただ、コッパー家が管轄している辺りまではアレの力は届かんからなぁ……悪いがあの辺は自然な雪解けを待つしかなかろうて。それよりヴィクトール、ウェスト地方の獣人はどうなっとる? こちらが相手にしているのは天候だが、そちらは獣人。貴殿自ら手を下しにいけばすぐ解決する話だろうに」


 黄を受け流す赤が青に振れば、


「農作物を少々荒らす程度で根絶やしにするのは可哀想でしょう? この程度の被害、昨年の備蓄で十分補えます。私が赴くかどうかは人的な被害が出るか、来年も同様の被害が出た際に考えます」

「死人が出てからでは遅すぎる。卿のその、犠牲が出てから動く姿勢は――」


 他人事のように語る青を黄が睨みつける。


「命の被害が出ていないのに命を摘み取る行為こそ、余計な被害や怨恨を生み出すのです。そこに住む民が、その土地特有の危機に直面して命を落とすのならそれは――」


 普段ならこういう話に耳を傾けては他公爵や有力貴族の近況を把握したり面白い言い回しを参考にしたりするのだが。

 今はそんな気になれず、ただ眼を閉じ腕を組んで時間が過ぎるのを待つ。


(早く、飛鳥さんに会いたい……)


 昨日の甘い感覚がずっと抜けない。目を閉じて彼女の笑顔を思い起こすだけで、胸が高鳴る。

 最初会った時は何とも思わなかった彼女の風貌が、今はたまらなく愛おしい。


 4日で作るよう依頼したはずのドレスは私が城に向かう直前に届いた。

 2日で作ったとは思えぬ程丁寧に縫製された美しい漆黒のドレスは、きっと飛鳥さんによく似合う。


 ただ、私も審美眼に優れている訳じゃない。やはり2日で仕上げられた物は不安だ。飛鳥さんに渡す前に目が確かな人間に見てもらった方が――


「ダグラス卿、あの勝気なお嬢さんとはその後上手くいってるのかな?」


 視線を向けた先の緑と目が合い、問いかけられる。


「おお、聞けばアスカ殿は狩りで白の弓を引いたとか? いやぁ、勇ましい女は実に良い。あれは最強のツヴェルフと謳われるシェル・シェールの再来になるかもしれんなぁ!」

「カルロス卿……私と彼との会話に割り込まないでくれないかい? しかも生涯独身で通したツヴェルフと比較するなんて、彼の前で縁起でもない」

「はっはっは、細かい事を気になされるなシーザー卿!」


 赤の追撃に緑が反発する。この場にいる赤以外が飛鳥さんを内心蔑んでいるのは分かっている。まあ下手に興味を持たれるよりずっと良い。


 さて、緑の質問にはどう答えよう? 緑の息子がサウス地方に出ている今、近くに相談する人間がいない――まあここにいる人間も自分よりは色恋沙汰に詳しいだろう。聞くだけ聞いてみるか。


「お陰様で順調です。順調ですが……」

「「ですが?」」


 私の話に興味があるのは赤と緑か。相対している癖に色恋沙汰に目が無い気質は同じ、というのも面倒だ。


「恥ずかしながら今までこういう事には縁が無かったもので……何をすれば彼女が喜ぶのか分からないのです」

「おや、人が持ってきた縁談を全て断っておいて縁が無かった、というのはなかなか酷い言い様ですね。これでも貴殿にふさわしい女性を厳選してお渡ししていたつもりなのですが?」


 青が呆れたように肩をすくめる。断る度に『頼まれた以上、一度聞いておかなくてはと思っただけですのでお気になさらず』と笑顔であっさり引き下がっていたはずだが。やはり青は心の底で何を考えているか見えない。


「……容姿が優れていて地位も申し分無い君が花や装飾品や菓子を渡して甘い言葉を囁けば大抵の女性は喜ぶと思うけれど……まあ私達の感性は古いからねぇ……おや?」


 緑が何かを聞きつけたかのように少し開いている窓の方を向き、噴き出したかと思うと机に突っ伏して肩を震わせる。


「どうされました? シーザー卿」


 青の問いかけに緑が指をパチンと弾くと室内にやわい風が入ってくる。同時に室内に女性の声が響きだした。


『いくらツヴェルフの一妻多夫が認められているとはいえ、自分の婚約者が確立してるのに人の婚約者候補に手を出すのは流石にどうかと思います!』

『ちょっと! 私を見境無く男に手を出す尻軽女みたいに言うの止めてくれない!?』



 この声は――飛鳥さん?



 飛鳥さんと、もう一人――赤の息子の番との醜い言い争いに緑はもう声にならないのか突っ伏したまま体を震わせ、黄は書類を持つ手が震えている。

 緑はともかく黄のその震えが怒りからくるものだというのは顔を確認しなくても分かる。


 ああ、飛鳥さんの、放っておくと厄介な事をやらかす特性は何とかならないだろうか? 

 流石にこういう場に醜態を持ち込まれるとフォローの仕様が無い――そう思った瞬間、緑の目前に勢いよく赤の斧が刺さる。


「シーザー卿、趣味の悪い真似はやめて頂きたい」

「そうだねぇ……確かに、恋煩う若人に聞かせる内容じゃなかったねぇ」


 先程まで陽気に笑っていた赤が眉を顰めて緑を睨む中、緑はこちらを見てニヤついている。

 先程助言してくれたと思えば数分と経たずに突き落とすような真似をしてくる。息子はともかく、自由気ままに吹き荒ぶ緑本人はこれだから好きになれない。


「……ダグラス、彼女達はまだ若いのだ。ここに来て日も浅い。ストレスが溜まれば感情を露わにして恥を晒す事もある。ただ、それでも貴殿の婚約者をあそこまで罵倒するのは酷い。未来の嫁にはワシから重々伝えておこう」


 特別な情がある訳でもない他人の為に怒り、他人の為に謝る――そんな赤の思考も理解できない。


「ダグラス卿……貴殿も自分の婚約者の言動を厳重に注意すべきだ。愛しさのあまり目を瞑りたくなる気持ちは分からないでもない。しかし公爵令息を殴り、貴族を罵倒し、神器にまで触れ、器の小ささを自覚せずに貴族の令息達を惑わす……そんな彼女の行いや言動は到底受け入れられるものではない。貴殿が望んだ、貴殿の為のツヴェルフなのだから要らぬ争い事を招かぬよう徹底的に教育しろ。それが出来ぬなら表に出すな」


 くどくどと説く黄に睨まれると、面倒で仕方がない。


「分かりました。これが終わり次第、注意しに行きます……ああ、そうだ」


 短く答えた後に指を鳴らして現れたドレスに興味を示すのは、青と緑。


「彼女が城を出る時の為にこのドレスを贈ろうと思うのですが、いかがでしょう? ヴィクトール卿から紹介して頂いた工房で作らせたのですが、2日間で出来上がったので少々心配で……」


「うわぁ……凄いねぇ。それを2日で作らせるとか、どれだけお金積んだの?」

「素晴らしい……遠目に見ただけで分かる程のとても上質なドレスです。喜ばれると思いますよ。今朝工房から私に礼状も届きました。お役に立てて何よりです」


 審美眼に長けたこの2人がそう言うのなら、ドレスには何の問題も無いだろう。


「それならいいのですが……注意をした後にこれを渡せば、私は嫌われずにすむでしょうか……?」


 今はこちらの方が切実な問題なのだが、赤、青、緑から何も答えは帰って来ず黄の重いため息が部屋に響く。


「そろそろ会議を再開しましょう。次は各地より報告を受けている魔物の討伐について割り振りを――」


 これまでずっと無言だった皇太子の一声で会議が再開された。



 六会合を終えてドレスを片手に飛鳥さんの部屋へと向かうと廊下に彼女のメイドと赤毛のメイドが立っている。

 メイド達が立っているのは昨日入った部屋とはまた別の部屋の前。


「飛鳥さんは?」


 問うと彼女のメイドが手ですぐ横の部屋を示す。


「この部屋の中にいらっしゃいます。これから好きな人を語るから、席を外すようにと」

「地球では好きな人を語る時、人払いするルールなんだそうです」


 戸惑った様子で説明される。地球にそんなルールがあるとは聞いた事無いが――飛鳥さんと話す話題を増やす為にも、一度きちんと地球について学ぶ必要があるな。それにしても――


(好きな人……狩りの時は私の事もクラウスの事も好きでも嫌いでもないと言っていたはずだが……いや、待て……昨日、彼女は私の求婚を受け入れてくれた……という事は……)

 

 いや下手な勘違いをしてはいけない。聞けばいい。彼女が誰に心惹かれているのか、不満に思ってる事なども聞ければより好かれる事が出来る。


 この二人のメイドがどれだけ魔力探知に長けているか分からない以上魔法を使うと厄介な事になりかねない。ドアの前に立ち、眼を閉じて全神経を耳に集中させる。


『――地球に帰るならこの世界の男の人に関わらなくてもいいじゃないですか。本当はアスカさんも恋がしたいのでは?』


 また赤の息子の番か――まあ、彼女のお陰で飛鳥さんの好きな人が分かるのだからここは感謝しておくべきか。


『心の底では彼氏に裏切られた心を癒してくれる人を探してるんじゃないですか?』

『それは無いわ』


 ハッキリと否定する彼女の言葉が、私の心に小さな亀裂を入れる。


『こんな所で恋に落ちて、その人に裏切られたらどうするの?』


 私は、裏切りません。私の子を唯一、母子ともに問題無く産む事が出来る貴方を、私を、セレンディバイトを救ってくれる貴方を、裏切れるはずがありません。


『地球なら……日本ならまだ一人でも細々と生きていける。でもこの世界は魔物がいたり有力貴族がいたり、悪意のある人間に絡まれたり……その上、人から魔力貰わないと魔法はおろか魔道具一つまともに使えやしない。私達は常に誰かに守られてないとこの世界を生きていけないのよ?』


 大丈夫です。私がずっと、貴方を守り続けます。魔物? 有力貴族? 悪意のある人間――? 貴方に害をなす物は全て、私が叩き潰しましょう。

 もう二度と貴方を危険な目には合わせない。貴方は魔法も魔道具も使えなくていい。何もできなくていい。だから。

 

『私だって一人で生きるのは寂しい。誰かに癒されたいし甘えたいし頼りたい。支えたいし支えられたいわよ?』


 ああ、飛鳥さんに寂しい思いなんてさせません。いくらでも癒します。甘えてください、頼ってください、支えてください。私も貴方を支えますから。だから――


『でも誰かに縋らないと生きていけない人生なんて嫌。相手の心変わりを、突然の別れを心配しながら怯え、媚び諂う人生なんて絶対に嫌。だから、この世界で恋愛するっていう選択肢は私には無いの』


 小さな亀裂が大きな亀裂を呼び起こして――割れる。


 ――ああ。そうか。最初から。


 最初から、私の事など何とも思っていなかったのか。


 でも、それならあの笑顔は――いや、何とも思ってないからこそ笑えるのだ。

 ただ、嫌われてないというだけで――好きだと思ってない相手でも、笑える。私が、勘違いしただけだ。


 飛鳥さんの中では私も、異父弟も、地球に帰るための手段でしかない。きっと私の願いを叶えた後は子どもを顧みる事も無く、地球に帰りたいと急かすのだ。



 想いが引いていくと、また汚い衝動が噴き出してくる。



 彼女の愛が望めないのなら、いっそもう抱いてしまえばどうだろうか?

 絶望に打ち震えて私の子を宿し、白の魔力を溜めなかった事を嘆き、後悔し、恐怖に身を震わせ私の子が胎内で育っていくのをその身で実感しながら地球に帰りたいと必死に私に縋りつく飛鳥さんは、きっと物凄く美しい。


 嫌だ、私は、私が手料理を食べただけであんな嬉しそうな笑顔を見せてくれた飛鳥さんが良い、私の力になりたいと言ってくれた、あの眼差しで見つめてきた、あの飛鳥さんが良い。


 私の求婚を受け入れてくれたあの時、飛鳥さんは本気で私に怯えていた。だから心躍った。手の甲に口づけした時なんて、本当に襲ってしまいたくなる位に美しかったのに。


 違う。あれは怯えや恐怖に興奮したからじゃない。私は、飛鳥さんに受け入れてもらえた事が嬉しかったから――でも実際は受け入れられた訳では、なかった。



 ――どうやって、家に戻ったのかはよく覚えていない。ドレスを片付けて着替えた後、ペイシュヴァルツに乗り六会合で依頼された魔物討伐に出る。



 青白い星の下、魔物の群れの中に飛び込んで魔物を屠っていくこの時間だけが今の私に快楽をもたらしてくれる。

 魔物の叫びが、血が、迷いを晴らし、頭を冴え渡らせる。


 ――いいじゃないか、飛鳥さんには子どもさえ産んでもらえば。


 突然この世界に召喚されて子づくり強要されて、その上私まで愛してほしいなんて横暴だろう。私は何を勘違いしていたのだろう?


 飛鳥さんがこの世界に召喚された原因である私を、受け入れてくれるはずが無い。憎まれていない、恨まれていない――それだけでもありがたい事なのに。


 私が、飛鳥さんを諦めればいいだけだ。飛鳥さんが産んでくれる私の子どもと、もう一人、従順な母親役を用意してそれで幸せな家庭を作ればいい。それだけの話だ。


 それに彼女には分かってもらわなければならない。自分の立場を。私と異父弟にしか望まれてない存在である事を。

 力量差で屈しないのなら今の環境があるのは私が守っているからだという事を思い知らせなければならない。彼女の為にも。


 ドレスなんて渡さなくて良かった。渡したらまた飛鳥さんを図に乗らせてしまう。飛鳥さんが図に乗ったらまた、他の公爵に叱られる。他の貴族に馬鹿にされる。


 飛鳥さんの愛が得られるのならそれでもいいと思った自分が、本当に怖い。

 ドレス1つに金を使い過ぎたし、六会合では他の公爵相手に恥を晒すという致命的な汚点を残した。

 これ以上、飛鳥さんに――彼女に、心乱される訳にはいかない。


 厄介な家に産まれたものだと思うが、それでも自分の家を、厄介事ばかり抱え込まされながらも英雄という地位を築き上げた自分を馬鹿にされるのは、見下されるのは耐えられない。

 

 愛だの恋だのといった色情に振り回されて、本当に大事な物を見失ってしまう所だった。


 頭でそう結論付けてもなお、心が軋む。


 恥を晒させて、惨めな思いをさせて、孤独にさせて、私に縋りついて助けを求める彼女を見たい。いや、そんな事をしたらもう笑顔なんて見られなくなる。せめて最初会った時のような関係に戻れたなら――


 色んな感情が心の中で入り乱れる。いくら頭の中で整理しようとも、すぐに暴れてかき乱していく。

 欲しい、悔しい、悲しい、辛い――寂しい。



 ああ、やはり――色恋沙汰なんて、ロクでもない。


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