第77話 幸せを願って
外廊下を抜けて部屋に戻ろうとすると、2階の通路でアシュレーとアンナに鉢合う。
右頬がうっすら手の形に赤く腫れながらも笑顔のアシュレーと、彼にまるで米俵を肩に背負いこむかのように担がれるアンナに閉口する。
顔が向こう側なのでアンナがどんな表情をしているのか分からない。
てっきりハッピーエンドを迎えるかとばかり思っていたけどアンナがアシュレーを思い切りフって激高したアシュレーが強引にアンナを担ぎ上げて攫っていこうとしているのでは――という可能性が頭をよぎる。
いや、案外アンナがこういう担がれ方に憧れていたという可能性もある――アニメや漫画ではよく見かける担がれ方だし――どちらにせよ、その絵面は余りにも夢が無い。
「アンナ……アシュレーのその担ぎ方に一言物申していいかしら?」
「……お願いします」
万が一アンナがその体制を気に入っていたら悪いので、一応確認するとアンナのお尻の辺りから弱弱しい返答が聞こえたので、2人が何を言っているのか分からないと言わんばかりのきょとん顔をしているアシュレーに物申す。
「アシュレー、その担ぎ方は仕留めた獲物担いでる感が半端ないわ。女性を担ぐ時はこうよ、こう」
「……こうか?」
お姫様抱っこの手振りをしてみせると、アシュレーはアンナを一度ゆっくり降ろし、私が指示した通りに担ぎ直した。金の刺繍が施された真紅のリボンがカチューシャのようにアンナの頭を飾っている。
「アンナ……今は体調大丈夫なの?」
「はい……アシュレーが傍にいたら、嘘のように落ち着いて……」
優しい笑顔でアンナを見つめるアシュレーと、見つめかえすアンナ。その穏やかな瞳が酷く懐かしく感じる。
同じ色の魔力を持つ者が傍にいれば安定する、というのは事実みたいだ。
「あの、アスカさん……私、貴方に酷い事を……」
「気にしないで。魔力の特性は私も体感してるし。私も反省しなきゃいけないとこあったし」
こちらに視線を向けて申し訳なさそうな表情で謝罪しようとするアンナを遮るように言葉を被せる。
燃え上がるアンナと衝突する事は恐らくもうない――それだけで十分だ。
「アスカ、俺の発言が原因でアンナと喧嘩したんだってな。本当に悪かった」
私とアンナの話を聞いていたアシュレーが頭を下げる。
「その腫れてる頬に免じて、全部水に流すわ……アンナの事、よろしく頼むわね」
「ああ、俺の一生をかけてアンナを幸せにしてみせる」
アシュレーが小さく頷いて、再びアンナに視線を戻す。
その真っすぐな赤い瞳に見つめられて、顔を真っ赤にして俯くアンナが羨ましい。一生をかけて幸せにしてみせる――私も一生に一度位はそういう言葉を言われてみたい。
「……アンナを裏切ったりしたら、許さないからね?」
そう念を押すとアシュレーは困ったように深い溜息を吐く。
「……お前もあいつも、何で俺がアンナを裏切る話をするんだ?」
「あいつ……?」
「ネーヴェだよ。あいつアンナに『アシュレーが裏切ったら地球に帰りますか?』って聞いたんだよ! これから一緒に暮らすって時に俺が裏切る話するとか失礼過ぎるだろ!? アンナは帰らないって言ってたけど、そもそも、俺が、裏切らない!!」
怒りを込めて叫ぶアシュレーの気迫に圧倒される。ネーヴェもよくアシュレーの前でそんな質問が出来たものだ。それにしても――
(アンナは帰らないのか……)
アシュレーと恋に落ちる前から地球に帰る事に消極的だったから、驚きはしないけど――アシュレーに裏切られても帰りたくないと思う程地球が嫌だったのかと思うと人の闇を垣間見てしまった気持ちになる。
「そうね……二人の門出に水を差すような事言ってごめん」
アシュレーの言っている事は最もなので、素直に謝る。
「お前に怒ってる訳じゃない……お前には本当に世話になったしな。もし黒と白の当主両方にフラれたら俺がお前と気が合いそうな奴紹介してやるから安心しろ」
全く持っていらないお世話だと思いつつ、アンナに視線を戻す。
「じゃあ、アンナ……この世界で貴方が幸せになれる事を心から祈ってるわ。もし何か困った事があったら、いつでも連絡してね」
私がこの世界にいる間に、アンナが辛い目に合った時助けを求められるように、最後になるかもしれない声をかけ片手でガッツポーズをする。
「はい……アスカさんもどうか、お元気で」
私の想いが伝わったのかどうか分からないけど、アンナは微笑んだ。
去っていく2人の後ろ姿を見えなくなるまで見送ると、ただただ寂しさが残る。
この世界に来て、別の道を選んだ人間との最後になるかもしれない別れ。
「アスカ様、そんな悲しい顔なさらずとも……ダグラス様はいつでも館にご友人を呼んでもいいと仰られてましたし……」
人に気を使わせるほど悲しい顔をしてしまっていたんだろうか? セリアが励ますように声をかけてきた。
「でもマナアレルギーの危険があるからアシュレーかアシュレーの家族がついてくるんでしょ? それはアンナに悪いわ」
家の中で大人しくする分にはまだしも、自分が友人に会うだけの為に他人が動く事をアンナは嫌がるだろう。
「そうですか……でもパーティで会う機会もあると思いますし、これが今生の別れとは限らないのですから、あまり気に病まれずに……」
「……ありがとう」
確かに、私がこの世界にずっといるのであれば今生の別れにはならないだろうけど――セリアの精一杯の気遣いに笑顔で答え、再び部屋に向かって歩き出した。
部屋に戻り、お風呂に入る。朝あれだけ痛い目に合わされたのに体には傷一つ残っておらず、お湯が沁みる事もない。
(ああ、気持ち良い……今日もようやくゆっくりできるわ……)
傷を治されたくないと意地を張った私に頭を下げてまで治療してくれたクラウスには本当に感謝しかない。
(……クラウス、本当に大丈夫かしら)
自分に降りかかった災難からようやく逃れる事が出来て改めて今日の出来事を振り返ると、クラウスの事が気にかかった。
浴槽に頭のてっぺんまで浸かり、丁度良い温かさに包まれた静寂の中で思う。
(ここにいる間友人でいてくれたらいい、か……)
初めての友人として彼に何をしてあげられるだろうか? 料理を作って彼にプレゼントするだけじゃ、全然駄目な気がする。
酸素を求めて水面から顔を出しぼんやりと白い天井を見上げながら、しばらく考え続けた。
お風呂から上がり、用意されていたネグリジェを着こんだ所でセリアが夕ご飯を持ってきた。
「お行儀悪いですけど今日は特別です。温かいうちにどうぞ」
鏡台の上に食事が乗ったトレーを置かれ、髪を乾かされながらパンを齧る。自分の食べる姿を見ながら食べるというのは、少し恥ずかしい。
「アスカ様、先程の話なのですが……」
「そう言えば、アンナの部屋を出た時に話があるって言ったわよね……何?」
私の髪に温風をあてながらセリアが話を切り出してくる。その後の怒涛の展開ですっかりその事が思考の中から吹き飛んでしまっていた。
アンナとの内緒話の中でセリアに聞かれてたらマズいのは私が地球に帰るつもりでいる事と、この世界の男と恋愛するつもりはない、の辺りだ。
セリアに嘘をついてる事がバレたかもしれないと思うと、食欲が一気になくなっていく。こればかりは先程のように妄想で切り抜ける事が出来ない。
パンを皿に置き、横に立つセリアの様子をうかがいながらじっと言葉を待つ。
「あの……アスカ様の好きな人って……ダグラス様の事じゃなかったんですか?」
そっちか――って、その質問は少しおかしくないだろうか?
まるで私がダグラスさん以外の人を好きだという可能性を残してる言い方に違和感を拭えないでいるとセリアが更に言葉を続ける。
「実は……私達がアンナ様の部屋を出た後、会合を終えたダグラス様が来られまして……私が廊下に立っている事情をご説明すると、部屋の前に立たれて、その……中での会話を、盗聴されていたみたいで……」
セリアが言いづらそうに紡ぎだした言葉に、鏡の向こうの私は完全な無の表情を作り出していた。
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