第204話 男と女の初めての夜
馬車が舘に着いた頃には空はすっかり黒く染まっていた。
結局、眠らされる事なくキスやらハグやらで魔力を注がれてる間に着いてしまった。
よくよく考えればすぐ館に帰らず何処かに泊まって――という手段もあったのに。それを提案する間も与えてくれなかった程激しい口づけの余韻がまだ残っている。
「アスカ様、ダグラス様、おかえりなさいませ」
馬車から降りると、セリアが館から駆け寄ってくる。
「すぐ飛鳥と契りを交わす。用意しろ」
メイドに申告する必要があるのは知ってるし、自分で言うのも恥ずかしいからダグラスさんが言ってくれた事もありがたいけど……流石に率直に言い過ぎじゃない?
いや、でも、まあ卑猥な単語を使わなかっただけまだマシなのかもしれない。
「すぐ、ですか……? 今のアスカ様には、負担が重すぎるかと……」
セリアは怪訝な視線をダグラスさんに向けている。確かにメンタルだって不安定だし手だってまだまともに使えないこの状態。セリアが心配するのもよく分かる。
「本人も了承済みだ」
ダグラスさんの言葉を聞いたセリアから『正気ですか!?』と言わんばかりに視線を向けられる。小さく頷くとセリアはしばし目を細めた後、
「……かしこまりました。それでは急いでドレスを脱いで化粧を落としましょう。ダグラス様はその間に湯浴みをどうぞ。その後アスカ様も湯浴みして頂いて……ああ、剃刀等も準備しなくてはなりませんね」
「時間がない……湯浴みだけで十分だ。衛生面さえ問題なければ後はどうでもいい」
「ダグラス様……何をそんなに急がれているのか分かりませんが、ツヴェルフに対し品も思いやりもない性行為は通報案件になります。女性は心身の準備に時間がかかるのです。それを、どうでもいいだなどと……! ダグラス様は獣か蛮族に成り下がりたいのですか!?」
セリアの厳しい言葉にダグラスさんの眉が潜まる。
「……分かった。手早く済ませろ」
意外な事に怒りの言葉一つ言わずにダグラスさんはさっさと館に入っていく。
「……セリア、最近ダグラスさんに厳しくない?」
どうでもいい発言は頷けないけどお風呂には入れさせてくれるんだから、やっぱり獣や蛮族よりはずっとマシだと思うけど。
「アスカ様……本当に宜しいのですか?」
私の問いかけをスルーしたセリアの表情は淡々としているけど、語調からは少し心配している様子が伺える。
「まあ、もう、決めたし……」
歯切れ悪く呟くと、セリアはそうですか……と小さく答えて館の方に歩き出した。
部屋でヴェールを外し、セリアに化粧を落としてもらっているとノック音が響く。セリアがドアを開けるとルドルフさんの声が聞こえてきた。
「ダグラス様が湯浴みを終えられました。いつでも浴室をお使いください。それと湯浴みを終えられたらこの部屋で待機しているように、とのことです」
湯浴みを終えたんなら直接こっちに来ればいいのに。ダグラスさん今、何処で何してるんだろう?
「それではアスカ様も早速湯浴みを。私、色々持って行く物がありますので先に浴室に行っててください」
二人で部屋を出た後、セリアは自分の部屋の方へと歩いていった。
浴室の手前の脱衣所で待っているとサービスワゴンを押したセリアが入ってきた。剃刀にクリームの入った小瓶が視界に入り、先程言った準備の意味を理解する。
「それは……」
抵抗しても無駄だと分かっているものの、つい言葉が溢れる。
「アスカ様。有力貴族の婦人や令嬢がメイドに裸を見せる事は恥でも何でもありません。まして今アスカ様、手が使えないじゃないですか。お任せください。短時間でもきっちり仕上げさせて頂きます」
皇城を出る前に一度セリアの前で半裸を晒した時同様、脇や手足、背中等を滑らかスベスベにされた後、淡々と洗われる。
全裸を晒すのは恥ずかしかったけどセリアを看護師さんだと思ってみたり、必死に温泉とかスーパー銭湯の光景を思い返してみたりして何とか羞恥心を抑え込んだ。
タオルで丁寧に全身の水気を拭かれ、黒く滑らかなバスローブを羽織らされた後、手に治癒軟膏を塗られ丁寧に包帯を巻かれる。
そして――
「セリア……これは……!」
私の前に1枚の見覚えのあるエッチなデザインのパンツが差し出される。
それはこんな状況になってしまった元凶とも言える漆黒の下着の片割れ――黒パン。この状況でこれが出てくるとは、何の因果だろう?
苦言を呈そうとした時、セリアの声が頭に響く。
『アスカ様、このままでは心身ともにダグラス様におかされてしまいます』
それってどっちの意味の『おかされる』なんだろう? いや、どっちもか。
『上下セットではないので効果は半減するでしょうが、少なくともこれを履いた姿を見せておけば情事の最中にアスカ様が拒んでも先日のように苦しませ追い詰めるような事はしてこないでしょう』
セリアの目はいつになく真剣だ。これはセリアの純粋な善意だろう。
何故だろう? 私とセリアの間にも信頼関係があるとは言い難いのに。
お互いがお互いの為に自分を危険に晒している。
何が私とセリアを繋いでいるのだろう? 分からない。
ただ、セリアが私を心配してくれている事は嬉しい。
『セリア、ありがとう……でも、気持ちだけ受け取っておくわ。私、もうこれ以上あの人を裏切りたくないから』
これまで裏切りを重ねてきた私の願いに彼が条件を出したんだから、私もその条件に対して誠実でありたい。
それに今後彼の優しさに触れる度に黒パンが過るのは嫌だ。
黒パン履いた結果、お互いそれの力のせいで不幸になるかも知れない。
もうこれ以上状況を悪化させる事は避けたい。このまま契って明日のル・ターシュへの転送を諦めれば私は3年後に何のリスクもなく、他人を危険に晒す事もなく帰る事が出来るのだから。
「……分かりました。アスカ様は本当に、変な所で律儀なんですから……」
セリアは黒パンをポケットに仕舞い、黒いモコモコのスリッパを足の前に置いてくれた。
「それでは私はこちらに待機しておりますので」
浴室から出た後、部屋のドアのすぐ横の壁にセリアが立つ。
「ねぇ……助けて欲しい時は大声あげるから、もう少しドアから離れた所にいてくれない?」
やはり、声を聞かれるのはちょっと――いや大分恥ずかしいと思いながらお願いすると、セリアはドアの向かい側の壁際に立った。この辺が限界か。
(ああー……眠らされOKだったら声とか気にせずに済んだのに……)
自分の思考が色々とおかしい自覚はあるけど、どうしようもない。漫画や小説でしか知らない未知の世界――歯を食いしばって挑むしかない。
恐る恐るドアを開けると、高級感溢れる黒のバスローブ姿のダグラスさんが既にベッドに腰掛けている。
髪を解いたダグラスさん、すごく艶っぽい。だけど入ってきた私に視線を向けるでもなく、その何の感情も感じない表情から今何を考えているのか全く分からない。
(こういう時って……多分、隣に腰掛けるのが正解なのよね?)
そっと隣に座ると、ダグラスさんは包帯を巻き直された私の手に静かに自分の手を重ねた。
温かい、というより少し熱く感じる温もり。香水とかの香りとは違う、何とも言えない甘い雰囲気。
アダルトな雰囲気はよくピンク色で表現されているけど、そう表現されるのも分かるような雰囲気。
直ぐ傍のダグラスさんからは温かく妖しい、むせ返るような色気を感じる。これがいわゆるフェロモンって奴なのだろうか?
(……ついに、この時が来てしまった……!)
頭の中で何度想像したかも分からないベッドインの危機がついに現実になってしまった。
まだ手を重ねられただけなのに、何を言われた訳でもないのに。ダグラスさんの色気とこの部屋を包む雰囲気に顔と胸が少しずつ熱くなっていく。これはお風呂上がりってのも大きいかもしれないけど。
この雰囲気に飲まれて致すのならそれはそれで、案外悪い物ではないのかもしれない。
そもそも愛し合う男女がする行為だから元々悪い物ではないはずなのだけど。
(黒パン断ったら替えのパンツとか出してくれなかったけど本当にこれでいいのかしら? スリッパはどのタイミングで脱ぐべきなの? 押し倒された時? 上手く脱げるかしら? それにバスローブは? そこは流れで何とかなる?)
エッチなドラマも漫画も小説もそこの所詳しく書いてくれないからいざ実際こうなったらどうすれば良いのか分からない。
スマホとネット環境があれば調べられるのにこの世界にはそれが無いから困る。
「……あのメイドは貴方を利用しようとしていた。貴方はあんなメイドを守る為に本当に自分の身を犠牲にするのですか?」
ここから先の流れを必死に脳内でシミュレートしている時に今更な事を小声で問いかけられる。
「……セリアは私を守ろうとしてくれただけです」
セリアに気づかれないよう、私も小声で返す。
「ですが、貴方が身を捧げるにはあまりに……」
(え……この人、この期に及んでまだ躊躇してるの……!?)
ダグラスさんの方を向くと、手こそ重ねてきたが視線はただじっと床を見据えている。
こちらに準備を急かしておきながら、当の本人はまだ覚悟が決まってないようだ。
まずい――リアルガー邸を出てから大分時間も過ぎている。このまま時間切れになったら、この人はセリアを守ってくれるのだろうか? 今いち読めない。こうなったら――
「あの……この状況で他の女の話するの、やめてくれませんか……?」
御託を並べられるのを防ぐ為にダグラスさんの肩に頭を寄りかからせ、腕に手を回して胸部を押し付ける――何かの漫画で見たいわゆる『あててんのよ攻撃』を仕掛けてみる。
こんな行為で興奮する男の心理がよく分からないけど、漫画でこの攻撃を受けた男性は大抵ドギマギしているのだからとにかくリアルの男性にも何かしら効果があるはず。
「……ダグラスさんが、したくない訳じゃないって言うから、私も勇気出してるのに……」
理由や感情はどうあれ、私、これが初体験になるのに。少し位リードして欲しいのに。なるべく相手の流れを壊さないようにと脳内でシミュレートまでしてるのに。
何でこの状況で私が誘惑しなければならないのか分からない。
(ここまでして躊躇されるようなら、後払いにしてもらお……)
流石にここまでお膳立てしてるのに躊躇されると私、色んな意味で立ち直れない。
折れかかった心を守る為にスッと離れようとした時――肩を掴まれる。
「すみません……確かに、仰るとおりです。元々私が言い出した事ですから……責任を、取ります」
肩に手をかけられたまま、口づけとともにゆっくりとベッドに倒される。
馬車の中での激しい口づけとは違い触れ合った唇はすぐに離れ、頬に、額に、頭にと場所を変えて首元の方に移されていく。
自分に伸し掛かってくる筋肉質な男の圧迫感がもうこの状況から逃れる事が出来ない事を悟らせる。
そこから下の方に彼の頭が動こうとした時――大事な事を言いそびれている事に気づいた。
「あの、ダグラスさん……! 私、ダグラスさんが思ってるような、経験豊富な女じゃないので……!!」
私の発言にダグラスさんはピタリと動きを止める。意図を測りかねているようだ。
「だ、だから……! 私、その……こういう事初めてなので……! できたら、優しく……!」
初めてはものすごく痛いって聞くし、眠らされないのであればちゃんと言っておかなければ――と焦って伝えた言葉にダグラスさんは少し驚いた顔をした後、
「はい……もちろんです」
嬉しそうに微笑まれた後、もう一度深く優しい口づけを落とされる。
壊れ物を扱わんとせんばかりの優しい接触と流れてくる黒の魔力は、何故か少しくすぐったくて――心地良かった。
以前、神様なんていない、なんて思った事もあったけど。
ダグラスさん、ベッドの上では優しいといいな――、なんて微妙な願望は叶っちゃったあたり、やっぱり、神様はいるのかも知れない。
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