第49話 怒涛の展開


「あ、アスカ……その……ヴィクトール卿に、変な事、言われてない?」

「……変な事?」


 顔を真っ赤に――耳まで真っ赤にしたクラウスが恐る恐る問いかけてくる。視点も何だか定まっていない。

 よっぽど私に知られたくないような事を考えていたんだろうか?


「ダンビュライト侯……貴方がこれ以上私にとって都合が悪い感情を抱き続けるなら、私も非道な手段を取らねばなりません。後10秒以内に考えを改めないと変な事……言いますよ?」


 クラウスの動揺を利用しようとヴィクトール卿が殊更優しい声でクラウスを煽る。


 赤面して俯くクラウスの姿に(早く10秒過ぎて変な事を教えて欲しい)というよこしまこの上ない好奇心を抱いたけれど、私の期待は叶う事無く5秒位で体に巻き付いていた青の鞭が緩まり、空中浮遊の末にクラウスの後ろに降ろされた。


「クラウス、何なの? 変な事って何なの?」

「アスカは知らなくていいから……!」


 クラウスはちょっと怒ったように私から顔を背け続ける。

 ヴィクトール卿には感情がどんな風に見えているんだろう? その辺りも聞けば良かった。今聞いてもはぐらかされてしまいそうな気がする。


 改めてヴィクトール卿を見ると、左脇に青の鞭を抱え――その幾重にも蜷局とぐろを巻く鞭の長さは鞭というよりロープのように見えるけど――その先端をジャムが入ってそうな感じの小さな瓶の中に浸している。


「……何してるんですか?」


 不思議な光景に自然と問いかけるとこちらに視線を向けてちょっと楽しそうに口元の笑みを強めながら語りだす。


「氷竜相手に正面衝突すると山が崩れますからね。今は雪に埋もれていますがここは魔晶石の石鉱がいくつもあるので後に響く戦い方をしたくないんですよ。なので原始的な方法ですが魔物を苛立たせる匂いで誘き寄せて氷竜を釣り上げ、空中に固定した状態で心臓を攻撃します。釣り上げた瞬間襲ってくると思いますので防御壁はしっかり張っててくださいね」


 私達を乗せたラインヴァイスごと覆う薄い白い障壁が発生するのとほぼ同時にヒュッ、と雪原に向けて鞭が放たれた。

 蜷局の数がどんどん減って雪の上に鞭の先端が乗った時にはヴィクトール卿の手には鞭の持ち手だけが残る。どうやら鞭の長さはある程度調節できるようだ。


 この光景、何処か既視感がある――釣り上げる……と言った通り、まさに釣りの光景だ。


(何だっけ、海や川の釣りじゃなくてテレビでよく芸能人が氷の上に穴を開けて釣ってて、天ぷらにして食べてるアレ……そうだ、ワカサギ釣りだ! ここで釣るのは氷竜らしいけど)


 まるで針に餌を付けずに釣りの雰囲気を楽しむ賢人のような青の公爵と、その公爵にこれから釣られるらしい氷竜――これから先の展開が全く予想できない。


 釣りを始めて、3分位だっただろうか――突然鞭の先端の辺りの雪が勢いよく吹き上がった。


 その視界が遮られんばかりの大量の雪飛沫でものすごい大物が釣れたのが分かる。


 飛沫が落ち着いた先に見えたのは白銀の肉厚ながらも細長い、龍――日本のおとぎ話に出てくるようなそれと違うのはその色と、尖った氷が幾重にも刺さったような3本の尾っぽ。


 氷竜の全身が顕になったと同時にその尾っぽが激しく揺れて少し離れた位置にいるこっちに向かって来る。防御壁が無事に弾いたけれど、尻尾が当たった衝撃で僅かに揺れる。


「アズーブラウ!」


 ヴィクトール卿がアズーブラウから飛んで離れると、また紺碧の大蛇が青色に輝いて巨大化していく。


 氷竜と同じ位の大きさになったかと思うと、竜鱗のような鱗に頭から背中にかけて青い鶏冠とさかみたいなのまで生やした状態に変化していき、氷竜に巻き付いていく。こっちを襲った氷竜の尻尾も纏めて絡んだ後、ギリっと締めあげる。



 何て言えば良いのだろう? ここに来るまでに想像していた光景と大分違う。



 氷竜の姿が違う訳じゃない。いわゆる釘刺しバットみたいな氷刺し尻尾が3本ある以外はまあ、予想の範囲内の氷竜だ。


 でも、何ていうか、龍との戦いって魔法を放ったり強力なブレスを吐いたりとか、そういう光景を想像していた。

 死者の大群相手に黒の槍振り回して無双していたダグラスさんばりにヴィクトール卿も勢いよく鞭振り回す姿を想像していた。


 だけど実際は蛇と龍が絡まり合ってグネグネしている中、ヴィクトール卿は氷竜の口近くにしゃがみ、青の鞭を手にした左手を氷竜の口に突っ込んでいる。


 パッと見大きな青龍と大きな白龍の、空中妖怪大戦争にしか見えない。


 今、氷のブレスとか吐かれたらヴィクトール卿は大丈夫なんだろうか? 苦しんでいるようには見えないから大丈夫なんだろうけど――と思った時、目の前の視界が急に変わった。


 ラインヴァイスが身を翻したのだと気づいた時にはすごい速さでその場から離れていく。


「えっ、ちょっ……!」


 予想外の展開にクラウスの袖を引っ張ると焦った感じでクラウスがふり返る。


「アスカ、逃げるなら今しかない……! あいつらが邪魔してこない場所まで避難してから地球に帰る方法を一緒に探そう!!」

「クラウス、待って! この状態でもしアズーブラウが負けたらヴィクトール卿が危ないわ! サポートしてくれって言ってたじゃない……!」


 諦めてなかった事もそうだけど、この状況で逃げ出すなんて本当にクラウスは何考えてるの!?


『ダンビュライト侯、そちらの方に行かないでください! ロットワイラーの領地に色神が侵入したら休戦条約に違反……』


 魔法を使ったのか、遠く離れてしまったはずのヴィクトール卿の声が響く。

 

「そうだ、ロットワイラーを突っ切れば良いんだ……!! そうすれば戦争になってあいつらは僕達を追ってこれない……!!」


 ヴィクトール卿の警告に良いこと思いついたと言わんばかりにクラウスが笑い、ラインヴァイスのスピードが早まる。


 後ろで地鳴りが響く。流石のヴィクトール卿も警告が逆効果になると思っていなくて動揺したのか、氷竜が予想以上に暴れたのか――何かしらの理由で絡み合った二匹が山に落ちたみたいだ。


 その遠くに見える光景に保管していたネックレスがいつの間にか絡み合ってダマになってしまった状態を思い出す。ネックレスはあんなヌルヌルギチギチ暴れないけれど。

 なんて考えてる場合じゃない。ヴィクトール卿も心配だしこんな状況、放っておく訳にはいかない。クラウスの暴走を止めないと。


「クラウスお願い! 戻って!!」

「駄目だよ、戻ったらまたアスカがダグラスに捕まってしまう……!!」


 ああ、ちゃんと、向き合わないといけない――けど今クラウスはどんな言葉も聞いてくれそうにない。

 そう思った時には思いっきりクラウスの頬を叩いていた。パンッ、と乾いた音が響く。


「クラウス……もう、いい加減にして!!」

「ど、どうして……」


 どうして――そうよね。クラウスは色々助けてくれたのに。今だって私の事を思ってここから逃げ出そうとしてくれているのに。


 私は貴方の好意を――散々利用したのに。本当は私が平手打ちされる方なんだって、分かってるのに。


「アスカ……そんな目で、見ないで……!僕は……!」


 縋るようなクラウスの潤んだ目が痛い。疲れ切っている様子が罪悪感に拍車をかける。

 どうして? 逆らわないって言ったじゃない。言う事聞くって言ったじゃない。


(……でも、私はそれを受け入れなかった)


 逆らわないって言った時にクラウスを受け入れていればよかったのだろうか?

 何でも言う事聞くって言われた時にありがとうって受け入れていたら、少しは安心して私の言葉をちゃんと聞いてくれたんだろうか?


 今のクラウスはおかしい。だけどクラウスをおかしくさせているのは私だ。

 どうすれば分かってもらえるのだろう?どうすれば……


「アスカ……」


 悩んでいる内に私の額にクラウスの手が触れる。振り払おうとすると物凄い力でビクともしない。


「嫌だ……ラインヴァイス、僕は、アスカに、嫌われたくない……!! 力を……!」


 額を通して白の魔力が直接、頭の中に入り込む。その侵入してくるような感覚に抵抗感を覚えて顔を背けようとするも、体が動かない。


 何かが溶けて消えていくように感じ始めた、その時――


「ヴニャアアアアアッ!!」

「ペイシュヴァルツ!?」


 突如私の頭の上に現れたペイシュヴァルツがこれまでにない位に威嚇し、私の額からクラウスの手を撥ねつける。


「邪魔をするな!!」


 怒りに満ちた形相のクラウスに撥ねつけ返されたペイシュヴァルツが勢い余ってラインヴァイスから落ちていく。


(今のペイシュヴァルツには羽がない! こんな所から落ちてしまったら猫といえど無事じゃすまない……!!)


 咄嗟にペイシュヴァルツの後を追ってラインヴァイスから飛び出した瞬間――



 ピョコッ、とペイシュヴァルツの背中から小さな羽らしき物が生えるのが見えた。



(えっ!?)


 その羽をハッキリ確認する間もなく、私がペイシュヴァルツより先に雪面に落ちる。

 下半身がスボボボッと小気味良い音と同時に雪に埋まる。同時にザシッ、と左足を何かが硬いものが抉り裂いていくような感覚を覚える。


(ああー……これ絶対痛くなる奴っ……!!)


 非常事態のせいか私自身が興奮しているせいかまだ強い痛みは来ないものの、そんな予感をさせる程度には裂かれちゃった感覚がある。


 痛みが来ない内にフカフカサラサラの雪から這い出そうとしても中々身動きが取れない。コートの内側やブーツの中にみっちり入ってしまった雪が少し溶けて冷たい不快感を生み出す中、また地鳴りが聞こえてきた。


 それは先程のような短いものではなく、長く、段々大きくなっていく。こっちに向かってくるかのように。物凄い勢いで音量を増していく。


(えっ、まさか、)


 ここは雪山。さっきアズーブラウと氷竜が落ちて一帯を震わせた雪山。

 嫌な予感に恐る恐る地鳴りがする方向をふり返ると――一面の白が恐ろしい勢いでこちらに襲いかかってくる。



「雪崩!?」



 こういう時ってどうすればいいんだっけ――確か、雪の表面に上がる為に泳ぐとか、と思っても下半身が埋まっていて身動きが取れない。


 咄嗟に黒の防御壁を張っては見たものの、ものすごいスピードで迫りくる雪崩によって私の視界はまたたく間に白に飲まれた。


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