第15話 歓迎パーティー・7


 穏やかな演奏と暖かい空間に包まれながらも、嫌な事を思い出してしまった私の心には冷たい風が吹きすさんでいた。


(……いけない、ちょっとまだこの感情は置いといて今は話を聞かなきゃ)


 そう、今は失恋の痛手に苛まれてる場合じゃない。首を横に振り、想像を散らす。


 ダグラスさんが何故多くの貴族の前で私を囲うような発言をしたのか、は理解できた。

 次にそこまで私に執着する理由――ツインについて聞かなければ。冷静を取り戻して改めてダグラスさんの方を向く。


「ツインは器を2つ持つ者。器の大きさこそキングやクイーンに及びませんが、2つの異なる色の魔力をそれぞれの器に収め、維持する事ができる特殊な器です」


 なるほど、1つの大きな器がキングやクイーン、大きくはないけど2つの器を持つのがツイン――説明されてみればそれはとても単純な名称だった。


「私はセレンディバイトの黒の魔力とダンビュライトの白の魔力をその身に平等に宿した上で子を産んで頂く事を目的に、貴方の召喚を希望しました」

「ちょ、ちょっと待ってください……!」


 ツインについてはすんなりと理解できたものの、続く言葉で一気に話がおかしい方に行った事に戸惑いを隠せず、話を中断させる。


「それってあの、さっきの話と合わせると……つまり、同時進行……貴方とハグとかキスをしながら、向こうともハグとかキスして、最終的に2人の子どもを産めって事ですか?」

「仰る通りです」


 私が言い辛いながらも何とか紡ぎだした質問を、ダグラスさんは眉一つ動かす事無く肯定した。

 お相手公認の同時進行二股とか――やはりこの世界の貴族の価値観は狂っている。


「同時進行がお嫌であれば先に白の魔力を貯めてからこっちに来られても構いません。ただ、先に産んで頂くのは私の子です。私の子を宿す前に向こうとセックスされるのはお控え頂きたい」


 その言葉が耳に入った瞬間、顔が一気に熱くなり、反射的に両手がダグラスさんの顎元のスカーフを掴みあげる。

 また周囲からどよめきが上がったが、気にしていられない。正直今のダグラスさんの発言には許せないものがある。


「私が、そんな、あちこちの男とセックスできるような人間に見えますか……!?」


 ちょっと、大声を出すにはセックスと言う単語はあまりに――という理性がかろうじて声量を抑えた物の、ありったけの怒りを込めて顔を歪め声を絞り出す。


「すみません……ですがこれは私にとって、とても重要な事ですので……」


 ダグラスさんの右手が掴みかかっている両手に触れ、ゆっくりと振りほどかれる。


「……アスカさんがそういう事ができる女性には見えませんが、色恋沙汰と言うのは暴走が付き物のようですので、念の為……失礼しました」


 深々と頭を下げられてはこれ以上怒りをぶつける事も出来ず、かといって先程の数々の謝罪の時のように『もういいです』なんていう気にもなれず。


 ここじゃないどこかで、いつかその澄ました顔面引っぱたいてやる――という思いを胸にしまい先程感じた純粋な疑問をぶつける。


「器が1つだと2つの色が混ざってしまうから2つの器を持つ私を……というのは分かりました。でも、何で? それぞれ違う女性と子作りしたら都合が悪いんですか?」


 何故一人の女性に2人の男性の魔力を別々に注ぎ、子を産ませる必要があるのか?自分でも考えてはみるものの全く見当がつかない。


「それは……説明が難しいですね。今はただ、都合が悪いから貴方を召喚したのだ、としか言えません。貴方が私の願いを聞き入れないこの状況でこちらの事情を全て話す事にも抵抗があります」


 馬車を一緒にしたとはいえ、今日出会ったばかりの、ルールも常識も違う異世界人相手に最初から自分の思う事を全てベラベラ話す――というのはかなりリスクのある行為だという事は私でも理解できる。


「……分かりました」


 こちらも願いを聞き入れる気になれない以上、こちらも深追いしない方がいいんだろう。

 素直に引き下がると小さな沈黙が流れ、その沈黙を破るようにダグラスさんが口を開く。


「……馬車内でも申しました通り、私のこの願いは地球……いえ、この世界においてもかなり特殊な物です。私がこの願いの為に貴方の召喚を望んだのは事実ですが、だからと言って無理矢理貴方と事に至るのは最後の手段にしたい」


 最後の手段、という言葉に寒気が走る。

 この人、今は私の機嫌を伺って下手に出ているけれど、私が拒み続ければ最終的に無理矢理事に至るつもりだ、と言ってる。

 私の口から罵倒と軽蔑の言葉がこぼれ出る前にダグラスさんは話を続ける。


「私が貴方に条件を出すように貴方もそれ相応の条件を出して頂ければ、私はそれにできうる限り応えましょう。私の願いさえ聞き入れて頂ければ、後は余程目に余る行動を取らない限り貴方の自由にして頂いて構いません」


 続いた言葉に対等な関係を持とうとする意志は現れているけれど、この人の望みを拒絶する権利まではもらえないらしい。

 それでも――私に対して大分譲歩するつもりでいるらしい彼の言葉に罵倒と軽蔑の言葉は引っ込んだ。


「それは……やる事やったら後は自由にしていいし、その為ならどんな願い事も聞くと?」

「品のない言い方ですが、そういう事です」


 ダグラスさんの返事に、私の言葉をどういう風に解釈したのか察する。そういう意味で言ったんじゃないのに。と思ったけれど、もう訂正する気すら起きない。


「……私の願いは、一日でも早く地球に帰る事です」


 ダグラスさんの顔を見る気になれず、顔を伏せて呟く。


 アンナはこの世界で過ごすのも良いかもしれないと言っていたけれど、私はこの独特な世界からすぐにでも逃げ出したい。


「もし貴方が1日でも早く地球に帰れる方法を教えてくれたなら、それに協力してくれるなら、その方法しか無かったら……私は、貴方の願いを聞きいれるかもしれません」


 それはもう、投げやりに近い言い方だったかもしれない。それでも『かもしれない』と後でいくらでも逃げられる言い方ができて良かったと、言った後でぼんやり思う。


「1日でも早く地球に帰る方法、ですか……分かりました、調べてみましょう。少し、日数を頂けますか?」


 ダグラスさんは私の願いに多少戸惑っている様子はあった物の、すんなり私の願いを聞き入れた。


「いいですけど……もし帰る方法が分かって教えてくれたとしても、必ずしも子を産むという約束はできませんよ?」


 教えたのだから、と後で強引に詰め寄られそうな気がして、改めて予防線を張る。


「私も貴方が子を産むまで直接協力する気はありません。しかし、帰る方法を調べて教えれば貴方は私に借りができるでしょう?」


 ダグラスさんは私が条件を提案した事で安心したのか、少し肩の力が抜けたのが分かった。


「そういう借りをいくつも積み重ねていけば、いつか貴方は私の子を産んでも良いと思うようになるかもしれない……無理矢理力ずくに魔力を注いで子を産ませる事になるより、ずっといい」

「……そこに、愛がなくても?」


 ぽつりと呟いてしまったその言葉に対して、『貴方は一体何を言っているんですか?』と言わんばかりに小さく口を開けたダグラスさんに、イラっとする。


「……私が言ってる事は、この国の貴族にとってそんなにおかしい事ですか?」


 怒りの感情が抑えきれず、つい喧嘩腰で言ってしまう。


「これは失礼……貴方もクラウス卿と同じような事を言うのだな、と思いまして」

「クラウス……貴方が言っていたダンビュライト家の当主、の事ですか?」


 質問しようと思っていた名前が出てきた事で不快な気持ちが抑えられ、頭が再度質問モードに切り替わる。そうだ、まだ聞きたい事はある。


「おや、あの状況でその家名を覚えておられたとは」


 ダグラスさんは驚きの表情を見せる。何故だろう、この人が驚くとちょっと勝った気になれて嬉しい。


「そう言えば、その方はこのパーティに来られていないようですが? このパーティーに出ないと言う事は、あちらは私の事を望んでないのではないですか?」


 そうであってほしい、と内心願いながらダグラスさんを見上げる。


「……何度か手紙を送っているのですが、確かに快い返事ではありません」


 渋々答えたダグラスさんに(やった!)と心の中で盛大にガッツポーズをする。向こうの人は乗り気じゃない――その確信が私に予想以上の活力と希望をくれる。


 そうなると、ここであれこれ言っていても結局『あっちが嫌がってるからやっぱナシで』なんて展開もありえるかもしれない。

 そうなれば『呼んだけど必要なくなったので帰るの協力します』的な流れにもなりうるかもしれない。


「だったら……」

「だから、貴方にも彼を説得してほしいのです」

「え?」


 目を輝かせて求めた答えはあまりに予想外な物で、時が固まる。


「愛が無いと抱擁も口づけもセックスもできない者同士、貴方は私よりクラウス卿と話が合うと思います。彼も貴方と会えば考えが変わるかもしれませんし。どのみち向こうの魔力がある程度注がれてからじゃないと私も動けませんから」

「ストップ……! それって、私にその方を誘惑しろって事ですか……!?」


 この会話の中でもう何度、この人の言葉を止めただろう? 思い返すのも億劫な状態で恐る恐るダグラスさんを見ると、思いのほか穏やかな表情で、


「そうです。ああ、私の事を気にする必要はありません。セックス以外はどうぞお好きなようにクラウス卿と愛を語らってください」


 誘惑、という言葉は違ったかもしれないと言った後に思ったけど、ダグラスさんの肯定と身も蓋もない言い方と悪気の無さそうな微笑みに顔がまた一層熱くなる。


「それはちょっと……私、ゆ、誘惑とか、そういうのはちょっと……」


 誘惑――自分で言った単語なのに顔がどんどん熱くなる。

 そういう事をする為に近づいて、あれこれ説得してとか……いや、それ、何て言う、無理ゲー?


 恥ずかしさからくる熱さは先程の怒りからくる熱さとまるで違い、絶対無理だと今度こそ大声あげてしまいそうになった瞬間、鐘の音が鳴る。


「ああ、失礼……そろそろ私は帰らねばなりません。最後にこれを」


 唐突な別れの言葉と共に鳴らされる指の音と同時に目の前に現れたのは、ふちに金の刺繍が入った光沢のある黒のリボンで結ばれた、見るからに高級感溢れる黒い紙袋。


「貴方が私の馬車に忘れていった物です。差し出がましい事かとは思いましたが、中に入っていた物は全て綺麗に洗って乾かしてあります」


 自分の服、そして優里から借りたハンカチが入った袋となれば受け取らない訳にもいかず。お礼を言って丁重に受け取る。


 と、同時に、視界の大半が、黒に染まった。


(……え?)


「私に対してはどれだけ無礼な態度を取られても構いませんし、貴方を脅かすような些細な揉め事などは何とでも致しましょう」


 下りてくる声の近さに――それは力が込められたものではない、軽いものではあるけれど――抱きしめられているのだと、理解させられる。


「しかし、こういった多くの貴族がいる場で失態を晒されては私でもカバーできない事があります。発言や行動には、くれぐれもお気をつけください」


 最後の台詞にとても冷たい印象を感じた後、抱擁は自然と解かれた。


「それでは。また、お会いできる日を楽しみにしています」


 丁寧なお辞儀と共に向けられる優しい笑み。これが彼の愛想笑いなのだとしたらかなり罪づくりな笑顔だと思う。

 その場を去っていくダグラスさんを見送る中、残っていた貴族達の声が聞こえてくる。


 ――ダグラス公がツヴェルフにプレゼントを…!――


 ――夫人、見ました!?あんな風に抱擁された事あります…!?――


 ――あのツヴェルフ、途中叫んだり掴みかかったりしてたのに…!――


 ――別れ際のあの笑顔…!堅物で有名なダグラス様もついに結婚かしら…!?――


 喧騒の中漏れ聞こえる会話から、周囲はこの紙袋をプレゼントだと完全に誤解しているようだ。


(まさかあの人……その辺の事も計算してこの高級そうな紙袋に忘れ物を……!?)


 これだけじゃない――カッコいい宣言とやらも、周囲に聞き取れない会話をあえてこの場でした事も、先程の抱擁も、全部、こうなる事を計算してやった事なのだろうか?


 耳に入ってくる感嘆の言葉は全て、向こうが周囲にそう思わせようと思えば意図的に仕掛けられる事だ。


(いや、流石に私の行動まで予測されていたとは思えないけど……)


 それでもそれを上手くかわし、結果的に穏便に会話を終える事が出来たあたり、頭の回転が速い人なのだろう。


 受け取った袋を胸に、もう一度壁にもたれかかって上を見上げる。

 続いて吐き出された重いため息は、高い天井でキラキラ煌めいているシャンデリア達には少しも届きそうにない。


 失恋して、異世界から召喚されて。子作りの為に召喚されて。ドレス着させられてパーティーに参加させられて、私には既に決まった貴族がいるみたいで。それも2人も。しかも同時進行で。


 地球に帰りたいけれどそれは40年後で。なんだかよく分からないけど手のひらで転がされている感じが分かって、悔しくて。でも、ちょっとドキドキしてしまったのも事実で、あんなぶっ飛んだ願い事してくる男にそうなってしまったのもまた、悔しくて―――


 ああ、辛い。悔しい。セックスとか無理。厄介な事になった。誘惑。同時進行とかありえない。何この世界。何あの男。でもときめいた。多分悪い人じゃない。でも頭おかしい。ヤバい。悔しい。帰りたい。帰れない。ああ、寂しい。


 様々な感情が入り乱れて上を見上げて呆けている私を、周囲の貴族はどう思っていただろう?

 周囲の声を聞く気力も考える力も潰え、ただただ天井の煌めく光を見つめる。


 結局その後セリアが戻って来るまで誰からも話しかけられる事もなく、様々な感情や疑問が頭の中を激しく巡り続けていた。


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