第13話 叶わぬ夢に幻を・2(※ヒューイ視点)
人工ツヴェルフを永続化させる為に各公爵家を回っている、とレオナルドがウチにやって来るなり親父に『あの女譲りの髪と目が苦手だからお前に任せる』と押し付けられた。
お姫様がリビアングラス邸でどんな風に過ごしていたのか確認したかったから丁度いい、と思って話を聞いていたら、突然親父の魔力が何度も吹き出すから不思議に思って駆けつけてみれば――そこにはあの子がいた。
驚いたように俺を見る、お姫様――あの子の名前を言い慣れてなかった事をこの時ほど感謝した事はない。
冷静に考えれば着ている服がヴァイゼ魔導学院の制服。あの子じゃないって事にすぐ気づけたはずなのに、脳がそう判断してくれなかった。
戸惑う内にレオナルドが自分の妻にしか見えないみたいな事を言い出すからおかしい、という違和感の方が強くなっていくうちに向こうが正体を白状した。
お姫様がお嬢様に変わっていく姿に、その理由に閉口した。
――淫魔のフェロモンは愛する人への想いが強いほど作用する物……見抜けなくても仕方ないのです――
愛する人――想いが強ければ強いほど見抜けない――確かに、数年前一度だけサウス地方に現れた淫魔の話を聞いてどれほどのものかと思って討伐しに行った時、まさにその時想っていた子の姿でそれは現れた。
ただ――(可愛いけど、もうちょっと体にメリハリがあると尚良い)と思っていたその子が理想のままのメリハリボディで現れたから違和感も強く、別人だと認識できたから触れられる前に攻撃する事ができた。
それでも好きな子と瓜二つな存在を手にかけた後味はかなり悪かったが。
だが、さっき俺の目の前に現れたあの子は――顔も体型も完全にあの子だった。
もうどう言い逃れる事も出来なかった。淫魔のフェロモンは俺の目にハッキリとお姫様を映しだした。
俺の感情が自分自身の物だろうと、あいつの感情の影響だろうと、俺は今あの子に<好意>以上の物を抱いてしまっているのは間違いない。
だからといって別に、あいつから大切な人を奪おうとかそういう事は考えちゃいない。
ただ――あいつが、あいつらがあの子を酷い目に合わせるなら、助けてやりたいとは思う。
もう、あの子が苦しんだり悲しんだりする姿を見たくないと強く思っている。
波風立てずに穏便にあの子の側にいてやりたい。何かあった時は今度こそ守ってやりたい――が、そんなのは叶わぬ夢だ。
英雄の称号を授与された、破格の強さを誇る公爵様兼友人がそれを許すはずもない。
あの子だって大怪我を負った時に見捨てた俺の事を信じてくれるはずもない。俺自身、自分の感情を信じていない。
だから、幻で満足するのもありかなと思った。
お嬢様の願望も叶う。俺のこの何とも似合わない夢も散らせる。誰も傷つかない淫魔の幻覚に興味を持って2人きりで話す為に彼女を部屋に招き入れた。
(さて……どうしたもんか)
お嬢様が男に近づかれる事に慣れてない、ってのはすぐに分かった。
ついうっかり以前のようにベッドに腰掛け、一声で消せる照明魔法でまさにそれっぽい雰囲気を醸し出してしまったがお嬢様は全く分かってなかった。
(まあこの子は子どもの頃からずーっとアーサー一筋だったからな……そんな状態で男に慣れてたら逆に驚く)
椅子を引き寄せてお嬢様を座らせて、自分はベッドに腰掛けて――まあ照明は付けにいくのも面倒だしこのままでいいだろう。
まずはこの状態でダグラスと交わした契約呪術が発動するかどうかを確認しないと――と思い恐る恐る髪の毛から触れる。
ギュッと目をつぶるお姫様の反応に手で振り払われた時の事を思い出す。
本人に触れる事すら拒まれてしまうなら、傷つけてしまう位なら――本当に、幻でいい。
見た目の通り、本来あるはずの髪の感覚が途中から無くなる。呪術は発動しなかった。
次に指に触れてみるがそれでも発動しない。本人の意識が起因になるような呪術ではない事に心から安堵する。
(……そういや、嗅覚はどうなるんだ?)
俺はあの子の匂いを知らない。そこは理想になるのか――と寄せると、フワりと感じるのは理想の女性の香りというよりは、あの子はこんな感じだろうか? と思っていた素朴で優しい香り。
俺が分からない部分は俺が思い描く『理想のあの子』で補完されるようだ。
言葉で表現できない何かが温かく満たされて期待が高まっていくと同時に、諦めの念も湧き上がっていく。
本当にそれでいいのか、という疑問をぶつけるとお姫様の目で、淀みなく、真っ直ぐに俺を見るから――もしもの話をすると、酷く悲しげな顔をするから――無意識に謝ってしまっていた。
お嬢様だと分かっていても、ずっとその姿を見ていたらお姫様にしか思えなくなっていく。
叶わぬ夢ならいっそ、幻を重ねてしまう事で終わらせられないだろうか?
幻でもこの手にあの子を抱けるなら――俺の中で何かが変わる気がする。
あの子が幸せそうに、楽しそうに笑う姿を見られたなら、俺の中にある罪悪感は消える気がする。
そんな自分勝手な打算でお嬢様の要望を受け入れた後、つい額にキスしたら失神されてしまった。
何で白目向いちまったお姫様を見なきゃいけないんだ、本当に大丈夫なのか? と心配になりながらもそっと目と口を閉じさせてペンダントのスイッチを切り、お嬢様に戻す。
お嬢様を抱えて応接間に戻った後、ソファに寝かせるまで従僕は俺を酷く冷めた目で見ていた。
まあ、自分の仕える主の娘があちらこちらで浮名を流す男に抱かれるのは面白くないだろうな。
ラリマー領の女の子との恋を終わらせた時の、周囲の人間の冷めた目と同じ――その目の色も相まってより寒々しさを感じて早々に部屋を出て自分の部屋に戻ると、部屋の前で親父が待っていた。
「……あの子は帰ったのかい?」
「いえ、気を失ったので応接間に運びました……父上、いちいちあのお嬢様に余計な事を言ったりからかったりしないでください」
「おや、ボクは良かれと思って言ったんだよ? あの様子じゃあお前を落とせそうになかったからねぇ。望みのない、誰も幸せにならない恋だからなどと諦めている間は完成度の高い幻に酔えるかもしれないだろう? それにしても……お姫様……お姫様ねぇ。ふふっ……一体誰にとってのお姫様なのかな?」
俺があの子に接する態度が他の子達とまるで違うせいか、親父にはもうすっかり見透かされてしまっている。
腹のあたりを押さえて吹き出す親父に苛立ちを覚えつつ『誰にとってのお姫様』という質問に言葉が詰まる。
言葉の代わりに重い溜息をかえすと親父もそこまで追求する気はなかったのか、あっさりと、より嫌な方向に話題を変えた。
「外野から口を出されるのが嫌なら、絶縁の手紙の一つも出してあげたらどうだい?」
親父はレオナルドより先に応接間を出ていたはずなのに聞こえていたのか、それとも自分が出た後にどういう話になるかを盗み聞きしていたのか――どちらにせよ――
「それは………父上には関係ない話では?」
「確かにそうなんだけどね……毎節届くあの女からの手紙がいい加減目障りになってきたんだよ。お前が何の返事も送っていないというのに20年も……本当に懲りない女だ。お前がお前でいられるうちにお前の言葉を突きつけてやればいいんじゃないかと思っただけさ」
これは命令か? 嫌味か?
「いい加減嫌われているという事を、あの面倒臭い女に分からせてやるといい」
ああ――命令だな。
「……分かりました」
そう答えると親父は「お休み」の一言もなく去っていった。いつもの事だ。
部屋に入り机の上に便箋と羽ペンを置く。
机を照らす照明魔法の光は少し時間が経っても文字が書き込まれない薄緑の紙を照らしていた。
(俺が、俺でいられるうちに、か……)
母上とは20年前のあの日――あいつを殺そうとした際に切りつけてしまい、何を言う間も無く転移されてしまって以来会っていない。
ただ、翌節から届く手紙に自分は無事である事や、俺の体調を気遣う文言が記されていた。
母上は俺の事を大切に想っている。そして、あいつの事も大切に想っている。
だから、自分の身を挺してでもあいつを庇ったんだろう。
大抵の親は子どもが死にかけていたら守ろうとするだろう。中には母上のように自分の命を顧みずに子どもを庇おうとする親も少なくないだろう。
もし俺とあいつの立場が逆だったら俺の事を守ってくれたんだろう。そんな事位、毎節届く手紙を読んでいれば分かるさ。
だけどな――赤子の時と、7歳の時と――俺は2回、あいつに勝った。それを台無しにした母上に対して恨みが全く無い訳じゃないんだよ。
せめて赤子の内や幼い頃に一体化していたら、と思わざるをえないんだよ。人格が確立した今の状態で一体化なんてしたら俺はどうなる?
母上が敵じゃない事は分かっている。大嫌いだと軽蔑している訳でもない。
ただな、ただ――母上のせいで俺はこんな中途半端な状態に立たされてるんだよ。それを母上の事を考える度に痛感させられるんだよ。
俺は母親を切りつけた。あいつじゃなくて守りたかった母親を切りつけてしまった。
気にするなと綴られる手紙は罪悪感こそ軽くしてくれたが、この手に残る罪の感覚と『母上さえ邪魔しなければ』という怒りは消してくれなかった。
(ああ……あの子に対する罪悪感はそこから来てるのかもしれないな……)
力なき弱者を見捨ててしまった罪悪感――まあ、あの子も母上も弱者と呼ぶにはあまりに強い精神力を持ってるが。
俺を責めないその姿に母上を重ねてしまったのかもしれない。
自分の中に20年以上も燻り続ける怒りに向き合いながら、あの子を見捨ててしまった時の事をぼんやりと思い出す。
前ジェダイト侯――ヴェレーノ・ディル・フィア・ジェダイトは我も癖も強い侯爵達の中で滅多に発言せず、かと言って凡人侯のような気の毒な位におどおどした様子もない事から恐ろしく存在感がなく『いようがいまいが何の影響もない』という意味で<幽人侯>と蔑まれていた。
その実態は欲もなく素朴な人柄で、親父からほぼ放置されている俺を気の毒に思ってか俺には何だかんだと世話を焼いてくれた。
ここ数年は向こうが人と関わる事を避けるようになり顔を合わせる機会は一気に少なくなっていたが、俺にとっては恩師のようなもんだった。
だからダグラスに処刑され魂を捕らわれた事を聞いた時は驚いた。
だがツヴェルフ暗殺を目論むなんて殺されても仕方がない罪だ。一族皆殺しにされなかっただけまだマシだと思う。
ただ、死後まで苦しめられるのは納得がいかず親父が勝手に譲ったジェダイト領の返還について交渉するついでに、まだ魂が残っているようならそっと解放してやれればと思った。
そこに元凶のあの子がいたから、利用した。
友が暴走した原因であり、恩師が死んだ原因――無知で我儘なお姫様。
その時はその程度の存在だったから平然と見捨てられたのに、今ではもう血塗れになってのたうつ彼女を思い出す度にズキりと心が痛む。
助けずに悪態をついた過去の自分を殴りに行きたい位に。
この想いや罪悪感をあの子に打ち明けるつもりはない。ただ、幸せであってくれればそれでいい。
俺だって、この感情がいつ消えるかも分からないのに想いを向けてもらおうなんて都合のいい事を考えちゃいない。
ただ――叶うなら1日だけ、誰の邪魔も入らずに気を使わずに一緒に過ごせたなら。
身勝手な自分が許されて、彼女に受け入れてもらえる――そんな甘い幻に酔えるのなら。
自分の罪と運命から解放されて、ただただ夢に浸らせて欲しい。
アーサーがどう出るかは分からないが、ここまであのお嬢様をスルーしておいて誰かに奪われそうになったら慌てて動き出すなんてそんなみっともない真似をする男には思えない。
本当にアーサーがあのお嬢様の事を何とも思っていないんなら、誰に気を使う必要もない。
そこまで考えて、もう一度薄緑の便箋に向き直る。
<もう二度と手紙を送らないでください。会いにも来ないで下さい。俺はもう貴方と一切関わりたくありません。これは父上の命令ではなく、俺自身の意思です>
そして、<貴方のせいで>と呪う言葉も<どうか健やかに>と願う言葉も書けないまま、時間が過ぎ――1つため息を付いてそのまま封をした。
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