第12話 叶わぬ夢に幻を・1(※ヒューイ視点)


 あの子がこの星から消えた日の夜、俺は親父に呼び出された。


 照明が点いていない書斎からバルコニーに繋がる大きなガラスの扉――そこから少し離れた所にある翠緑のソファを占拠しながら、グリーンワインが入ったグラスを片手に親父は俺を見ずに嘲笑う。


 親父の肩にとまっている翠緑の蝶は羽根をゆっくりと開閉させ、その姿は止まり木で毛づくろいしている小鳥のように穏やかに見える。


「それで、魔王の誕生かと思ったところであのお嬢さんの声が響いてね……それを聞いた途端ピタッと止まって大人しくなったんだよ。愛というものは本当に怖いねぇ」


 親父は用件を言う前にその日何が起きたかを、俺の反応を楽しむように一言一言ゆっくりと語りだした。

 青白い星フェガリの光に照らされた嘲笑は悪魔のようにも邪神のようにも見えた。


 そんな親父に恐怖を感じない訳でもなかったが、それよりあの子の事が気になって仕方がない。


 何かしらの、けして軽くはない罪に問われるだろうとは思っていたが、まさか強制出産刑なんて刑が課せられるとは思わなかった。


 かつてツヴェルフが冷遇されていた時代、反抗的なツヴェルフに対しそういう刑やより下世話な刑が課せられていた話を聞いた事はあるが、あの子をそんな目には絶対合わせたくなかった。


 リビアングラス家に――異父弟レオナルドに保護されるように仕向けていて本当に良かったと思う。


 もう帰ってこなくていい。これ以上こんな世界にいて危険な目に合わなくていい、あいつの事なんか一切気にしなくていい――そんな気持ちがただただ心に渦を巻く。


「そこからあのお嬢さんの愛の言葉とちゃんと帰ってくるから迷惑かけずに待ってて、って言葉2つで元に戻るんだからね……全く、子どもはおろかまともに肉体関係を結んだ訳でもない女性に対してそこまで心酔できる若人達が羨ましいよ」

「……愛の言葉?」


 無意識に気になった言葉を尋ねると、親父はバルコニーの方を見据えながら思い出すように答える。


「確か……愛してる、とか貴方だけ、だなんて言葉は使えないがそれでも今、貴方の横を歩いていきたいと思う位には好き、みたいな言い方だったよ。いやぁ、実に初々しく可愛らしい愛だ……あの愛がダグラス卿の禍々しく重々しい愛に飲み込まれてしまうのは少し寂しい気もするね」


 そう言い終えるとグリューンの羽根が止まり、身を包んでいる翠緑の光が少し強まる。

 親父はグラスを静かにテーブルに置くとグリューンを自身の指先に乗せた。


 親父がまるで小さな子どもをあやすような微笑みを浮かべると、グリューンの光が弱まる。

 そういう微笑みが俺達に向けられた事は一度もない。


「彼女は1節2節のうちに戻ってくるようだけど……お前は何もしないのかい?」

「……彼女が自分の意志でダグラス卿の傍に戻ってくると決めたのなら、私が何か言っても聞かないでしょう」


 冷めた笑みを向けてくる親父にぶっきらぼうに吐き出した言葉が心に刺さる。


 この痛みが俺の中にある想いを壊してくれたらと思うがそう上手くはいかず。

 かといって闇に自ら飛び込む蝶を助けてやる義理はないし、それができる力も俺にはない。


「それじゃあお前に来ている縁談を進めても問題ないね?」

「は……?」


 詳細を聞く前にグリューンを肩に戻した親父がその指先を深緑色の豪華な装飾が施された両袖机の方に向けると、そこに置かれていたらしい1枚の写真がヒラリと飛んで俺の手元にやって来る。


「これは……」


 写真だけで分かる。目が醒めるような青のドレスを身に纏う、アイスブルーのお嬢様。

 以前見た時より少し髪の色が少し薄まっている気がする。


「ここに帰る途中でヴィクトール卿に呼び止められてね。その娘とお前との縁談を持ち込まれたんだ。断る理由はいくらでも作り出せるが、娘を人工ツヴェルフにしたのはこれが目的だろうと思うと迂闊に断れなくてね。そもそもボクの判断で断る事でもないし」

「人工ツヴェルフ……?」


 聞き慣れない言葉を繰り返すと、親父は面倒臭そうに眉を顰めて呟く。


「器の中の核を相反力で押し出す……相反し合う同等の魔力があってこそなせる技で魔力の力加減を誤れば器が割れかねない危険な方法なんだけどね……彼らはそれをやり遂げ、ロットワイラーで開発された器を洗浄する魔導機も使って見事人工的にツヴェルフを作り出したんだ。その子は人工ツヴェルフ1号だよ。2号はリビアングラス令息夫人だ」


 そしてダグラスが人工ツヴェルフにあの子の出産ノルマを肩代わりさせようとしている、2人はそれを了承の上で人工ツヴェルフになったらしい事を教えられた。


 サウス地方の継母達や俺の熱に巻き込まれた達を思い返してみれば『愛する男の血と色と家を引き継げる子を生みたい』と願う気持ちは分からないでもない。


 だからこそ――1つ大きな疑問が生じる。

 

「ルクレツィア嬢がアーサー……コッパー侯爵令息の事が好きなのはご存知でしょう? 何故私に縁談など……」

「彼は娘を人工ツヴェルフにしたからには皇家や公爵家と繋がりを持たせたいんだろう。<指定した2人の男の子どもを作ったら3人目でアーサー卿と結婚してもいい>という条件をつけて人工ツヴェルフになる事を許可したそうだよ」


 笑顔のヴィクトール卿と固く握手するこのお嬢様の姿が容易に想像できる。

 娘の好意をこんな風に利用する親と、それでも良しとする娘――とんでもない家だな。


「……よろしいのですか?」


 機嫌を伺うように聞くと、親父は眉を顰めたまま嘲笑う。


 これまで『お前の女性関係に口をだすつもりはないけれど半人前の身であちらこちらに無駄な種を撒かないようにね』と忠告されていた。


「ヒュアランと一体化してないお前が子どもを作る事に懸念がない訳じゃないが……向こうの器もそれなりに大きいからね。けして悪い話じゃないと思ったんだ。お前も、お前専用の人工ツヴェルフを作ってもらった所で大切に出来ないだろう? ラリマー家のご令嬢……あの呪神の娘ならお前が守らなくても誰も手を出さないよ」


 呪神と称されるヴィクトール卿は海向こうの帝国の侵略やウェスト地方の魔物から民を守り、特定の魔物の討伐を一手に引き受ける国の英雄。

 基本的には穏健で保守的、常に笑顔を絶やさず一見優しい印象を抱かせる紳士だ。


 だが――敵や害になると判断した相手には人だろうが魔物だろうが獣人だろうが一切慈悲も容赦もなく殺し尽くしたり、かつて反公爵派が娘を襲った際には襲撃者一人の罪に留めず、匿った島の人間を一掃したりと心無い一面も知られている。


 おまけにその時の反公爵派の大元だったと噂される伯爵一族や公爵に反抗する貴族達が謎の不審死を遂げている。


 パーティー、茶会、日常生活の中で突如頭や胸を抱えて倒れ込んで死に至る貴族達――公爵はその場にいないのに公爵が呪い殺したとしか思えない、そういう噂も相まって。いつしかついた二つ名が『青の呪神』。


 そんな彼の逆鱗に触れようとする人間は確かに誰一人としていないだろう。


 どの公爵も神の二つ名が付けられてる理由は『触らぬ神に祟りなし』って意味もあるんだろうが――罪を犯した者だけに直接裁きを下す他の神達に比べて、罪を犯した者達に関わる者も皆間接的に呪い殺される恐れがある呪神は一層怖い。


 そして俺はその呪神を事あるごとに挑発している親父が一番怖い。


「条件的には悪くないが、向こうと関係を持ったらそのうち海向こうの帝国との戦争に駆り出されるのは目に見えてるからそこまで推したい縁談でもない……嫌なら嫌で断ってくれて構わないよ。『息子の気が乗らない、親として子の意向を優先させたい』って答えが一番無難だからね」

「……分かりました。父上がいいなら私も進めてもらって構いません」


 親として子の意向を――なんて心にもない事を平気で吐ける親父に、俺は望み通りの言葉をかえす。

 親父の口ぶりからこの縁談に少なからず興味を持っているのは明らかだ。


 親父は俺が呪い殺された所で痛くも痒くもない。代わりがいるからな。

 俺は一応優先されているだけで、いつ切り替えられてもおかしくない。

 

 だから――俺は親父には逆らえない。リアルガーのツヴェルフや異父弟の愛妻と契るよりはこのお嬢様が一番マシでもある。そう考えるようにしてこの縁談を受け入れた。


 


 そんなこんなで話は進み、顔合わせの日がやってくる。俺は貴族街に出て顔合わせの際に出す菓子を予約しておいた店に立ち寄った。

 

 サウス地方は料理や菓子に様々なハーブを使う事から独特の風味を持つものが強く、アイドクレース邸の料理人もそういう物を得意とする。


 俺はハーブを使った料理も菓子も結構好きだが、嫌いな人間も多い。

 サウス地方出身じゃない客人を迎える際は貴族街に売っている物を買った方が心証が良い。


 従僕に取りに行かせても良かったんだが女性は「自分の為に相手がここまでしてくれる」って事に喜びを感じるみたいだからな。


 実際、恋の熱に浮かされていた時は何なら喜んでもらえるかと選ぶのも楽しかった。

 そんな数節前の記憶を懐かしんだ後、菓子が入った箱を受け取り亜空間に収納する。


(そう言えばあの子、お菓子は美味しいって言ってたな……)


 料理こそ口に合わなかったみたいだが、お茶とお菓子を美味しいと言ってくれた事を思い返すと心に温かいものを感じる。

 館に戻った後、料理人にあの時出したお菓子も作っておいて欲しいと伝えた上で正装に着替え、ラリマー父娘おやこを出迎える。


 応接間に着くまでヴィクトール卿にチクチク言われ、顔合わせが無事に済むのか心配になったが、親父の慇懃無礼な態度にラリマー家はすっかり慣れているようで。

 珍しく親父が用意したという、鮮やかな紺碧のハーブティーを飲みながら淡々と話は進んだ。


 古代の魔術書――というのは俺も初耳だったが、親父は考古学に詳しく失伝魔法も把握している。

 この舘には隠し部屋も多いから、親父がそういう部屋にそういう物を隠していてもおかしくはない。


 一人前――つまり、俺がヒュアランと一体化してからじゃないと見せられない、という事。

 無詠唱や制限言語無しの陣術なんて常人には到底なし得ないことまでサラリと話す親父に底知れない恐怖を感じる。



「それじゃあ後は若い者同士で」と親父やヴィクトール卿が離れたようやく肩の力が抜けると今度はお嬢様に俺の心境を見抜かれる。


「ヒューイ卿……貴方はこの縁談、全く乗り気ではないようですけれど――」


 乗り気ではない――ああ、確かに。親父に逆らえないから、消去法で一番マシだからって理由で乗ってるだけで、乗り気じゃない。


 褒めなかった事への謝罪と、柔らかい言葉でそれを言い繕って見せれば向こうから縁談を取り下げてくれるかと思ったが、向こうも向こうで覚悟を持ってこの場にいるようで。

 俺のコロコロ変わる好みの対策にと嫌な提案までされ、反射的に断ってしまう。


 俺が今好きなのは地球ル・ガイアに帰ってるミズカワ・アスカだ、なんて――言えるはずないだろ。


 早くこの想いが霞のように消えてくれる日を願っても、全く変わる気配がないどころか心の中で激しく吹き荒れる。

 他の女性に対して自ら世辞を言えなくなる位に興味を持てなくなっている。


 この想いは俺自身が持つ好意か、それともあいつの殺意の反動か――どちらであれ俺自身がそのうち帰ってくるあの子とどうこうするつもりも勇気もない。

 黒と白に悩まされているだろうあの子を更に困らせてしまうだけだ。


 それなら早く別の女性と――と思うが、それすらできない。身動きが取れない激情にただただ心が焦がされていく。


 まだ心の準備が出来ない――乙女のような理由で延長するのもどうかと思ったが、1年2年の婚約期間なんてそう珍しい物じゃないし、幸いお嬢様は学生だ。

 子作りは学校を卒業してから、でも誰も全然怪しみはしない。


 すぐにどうこうしようというつもりはない事を伝えると、お嬢様はまだ何か言いたげだったが、お菓子に話題を移すと乗ってくる。


 ツヴェルフになっても公爵家の娘としてのプライドと生活態度を崩さない姿に少し感心した所でアーサーの話を聞かせろと詰め寄られた。

 

(そう言えば……何でアーサーは殺されてないんだ……?)


 14年前――アレクシス卿の懐妊パーティーでヴィクトール卿の非を堂々と追求したあいつは、普通なら一族ごと呪い殺されている。

 相対する公爵に仕える侯爵家――流石に呪い殺すのは都合が悪いと踏んだんだろうか?


 深く考えずに学生時代の――アーサーがいかに優秀だったか、変人だったかを聞かせてやると、お嬢様は必死にメモを取りながら聞いている。


(まあ、娘が惚れた相手を殺すのは流石に躊躇するか……)


 良い話も変な話も目を輝かせて一言一句聞き逃すまいとする嬉しそうな表情のお嬢様――恐れ多い噂が多い呪神も、娘の笑顔を曇らせたくはなかったのかもしれない。


 2人の男と契れ、と酷な事を課してはいるが3人目で想い人との結婚を認めている。

 親父と違って、向こうは厳しさの裏にまだ愛情らしきものが伺える。

 心に羨ましさがうずくのを感じながらついつい話を続ける内に、時間はあっという間に過ぎていった。




 残された手が付けられていない菓子を亜空間に収納してラリマー家を見送った後部屋に戻ろうとすると、珍しくメイドに呼び止められる。


「シーザー様からこちらをお渡しするようにと」


 金色の刺繍が施された半透明な生地のリボン――それを受け取るとメイドは一礼して去っていく。


 俺があのお嬢様にどういう感想を抱いたかはまるで興味がないようだ。自分は言いたい事をあれこれ言う割に、こっちの言葉は聞きやしない。


(……あの時みたいに命令してこないだけ、マシだけどな)


 婚約するもしないも好きにしろ、と言わんばかりにその後も縁談の話に触れてくる事はなく、数日が過ぎた頃――ラリマー家のとんでもない親子はとんでもない手段に出てきた。



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