第169話 甘い一時と手解き


「本当、ですか……?」


 ダグラスさんの予想外の言葉につい、口を開く。


「ええ、ですから夢の中でまでクラウスに会おうとしないでください……」


 ペイシュヴァルツはバッチリ主にチクったようだ。だけどこのグッと堪える態度を見るに『好きな女の為に恋敵に頭下げる男の方がよっぽど格好良い』という私の呟きも伝えてくれたのだろうか?


「分かりました……あの、ありがとうございます」


 ダグラスさんの縋るような眼差しも相まって素直な感謝の言葉が漏れ出る。

 何にせよ<会える>という希望が心を照らし、自然に口元が緩むとダグラスさんの表情も少しだけ緩んだ。


「それでは、後で彼に手紙を出します……それより……」


 ダグラスさんが指が鳴らすと同時にドサドサと物が落ちる音が室内に響く。頭にも柔らかいものが落ちてきた。ペイシュヴァルツを象ったクッションのようだ。


「今日は久しぶりに街に出たので、貴方に似合いそうな物や喜びそうな物を色々買ってきました。飛鳥さんが気に入る物が1つでもあればいいのですが……」


 床とテーブル、ベッドにどっさりと置かれた色とりどりの箱や紙袋。これらを買う為にいくら使っちゃったんだろう? とつい下世話な事を考えてしまう。


「生憎、私は女性の衣服や装飾品に関してあまり関心がなく……飛鳥さんが交換日記に青色や水色が好きと書いてあったのと、動きやすい服を好んで着てるようでしたのでその辺りを意識して……後、黒や濃灰だけでは女性は気が滅入る……と友人の意見を参考にして買った物が殆どです……」


 セリアが目を輝かせていそいそと服やドレスを取り出して私の方に向けてはクローゼットにしまっていく。

 交換日記に書き返した好きな色や私が普段着ている服を意識して選んでくれたその気持ち、人の意見を参考に私が喜ぶ物を意識してくれた気持ちに心が緩む。


「少しでも飛鳥さんの気分転換に、なればと思いまして……ただどうしても白や薄い色の物は好きではなく……すみません」


 セリアが広げていく衣服はダグラスさんの言う通り、青や濃い水色が多めの有彩色の物が多く、白や明るい色の物を基調にした服が一切ない。ただ、申し訳程度にパステルカラーが使われている物も多く、服自体はそんなドギツイ印象は受けない。


(……大事には、してくれてるのよね)


 それは、私がこれだけ頑なな態度をとってきても実力行使に出ない所からも伝わる。


 本気で嫌われようと思えば『白が良かった』とか『好きなデザインの物がない』とかのたまえばいいんだろうけど――この人の一生懸命の好意と誠意をもう踏みにじる事ができない。


「……あまり、気に入ったものはありませんか?」


 私の表情をあまり喜んでいない、と受け取ったのか少し落ち込んだように問いかけられる。


「と……突然だったので驚いてるだけです。どうせなら私も……」


 私も一緒に連れて行ってくれたら、なんて言葉がうっかり零れそうになる。

 やめよう――好感度下がる選択肢が選べないのなら、好感度上がるような選択肢も避けよう。


 目の前の人に対して悪人にも善人にもなれない中途半端な自分が酷く歯がゆく、続く言葉を待っている様子のダグラスさんから視線をそらしてベッドの上に置かれた箱を手に取る。


「ああ、それは都民に長らく愛されているチーズケーキだそうです……もし良ければそれで今からお茶にしませんか? 飛鳥さんに魔法の使い方も教えたいので……」


 クラウスに会わせてもらえる上に何か服やらお菓子やら色々買ってくれた上に魔法まで――?

 あまりの態度の変わりように戸惑いを隠せない。何か企んでいるのでは、という怪しさすら感じる。


「でも、私に魔法を教えたら絶対厄介な事になるって……」

「このままだと貴方は困った事がある度に無理矢理魔法を使うでしょう? そっちの方がよっぽど厄介です。溜まった魔力を乱暴に扱って自爆されるのも、溜まりすぎて私がやむを得ない事情で館を離れる際に飛鳥さんが苦しむのも避けたい……なので魔法は、その……2ヶ月後までは好きに使ってください」


 その目は優しさに満ちている。油断させて何をどうこうとか、罠にはめよう、という意図は一切見えない。


「いいんですか……?」

「使えば使うほど体に馴染んでくる面もあるでしょうし……安全に黒の魔力を使ってくれる分には足りなくなっても……」


 私が注げばいいだけですし、と言いかけた所でゴホ、と大きな咳払いをして顔をそらされる。

 気持ち悪い言葉も使わないように気をつけているようだ。


 黒の魔力で魔法が使えるようになれば出来る事が一気に増える。咄嗟に魔法で身を守ったり、上手く使えばこの人を出し抜けるかもしれない。

 どれだけ黒の魔力を注がれても転送される前あるいは転送後に放出してしまえば地球に帰った後に魔力が原因での鬱や被害妄想に悩まされる事もない。


「分かりました……喜んでお茶に付き合わせてもらいます」


 願ってもない状況に喜びが抑えきれない私の言葉に反応したセリアがウキウキした様子で部屋を出ていく。ティーセットを取りに行ったのだろう。


「ああ、貴方のその笑顔が眩しい……まるで木漏れの下、儚く傷付いて尚爽やかな風に吹かれて道行く人の目を惹く漆黒の花のようです」


 ダグラスさんの突然の詩的で綺麗な称賛に激しい違和感を覚える。


「その言い回し……ヒューイ卿に教えてもらったんですか?」

「そうです……飛鳥さんのようなタイプは『野に咲く花を雨風から守るように愛でておけば間違いない』みたいな事を言っていたので……」


 一夜限り思考の男が言うにはちょっと似つかわしくない助言。服の助言もそうだけど、恋敵に塩を送る真似をするヒューイの恋愛観がよくわからない。


(やっぱり『私が好みに当てはまった』とかいうのは冗談で本当は自分の事をダグラスさんに言わなかった事への恩返しだったのかしら?)


 照れを隠すのに『好みにはまったから』なんて言い訳するのも変な気がするけれど。


(まあ、セリアが前に『緑が何を考えてるのか考えても仕方ない』的な事を言っていたし気にするだけ無駄か……それより……)


「……ダグラスさん。貴方の言葉で今の感情を素直に言ってみてください」

「貴方の現金な笑顔と打算に満ちた返答に心満たされて抗えない自分が悔しくて仕方がない……」


 目は笑っているが、口元が少し引きつっている。

 魅了をかけられて抵抗する人間が持ってそうな感情をよく綺麗に着飾らせたなと思う。

 悔しいより嬉しいが勝ってるみたいなのは何となく感じ取れるけれど。


(確かに打算だけど……私だって、仲直りできた事が嬉しいって、全く思ってない訳じゃないんだけどな……)


 言えない自分が本当に、歯がゆい。



 セリアが張り切ってお茶の準備をした後、再びクローゼットへの服を収納する作業に戻る。


 「仲直りしたのですから」と餌付けを強調され「流石に全部はちょっと」と妥協案でお互い一口ずつチーズケーキを食べさせあう。

 甘く滑らかなチーズケーキの美味しさを堪能しながらこの人にヤバい性癖を与えてしまった事を後悔する。


「現金な笑顔も可愛いですが、美味しい物を遠慮なく食べる飛鳥さんも可愛い。そして羞恥心に塗れて頬を染める飛鳥さんの無愛想な顔もたまらなく愛しい」


 嬉しそうにこちらを見つめながら紡がれる甘いんだかくどいんだか分からない愛の言葉で美味しいはずのチーズケーキの味をぼかされつつ、続くダグラスさんの言葉に耳を傾ける。


「黒は他の色に比べて魔力そのものに強い攻撃性があり、非常に不安定な色の1つです。だから放出する際に魔力を制御する必要があるのですが……飛鳥さんはまず、防御壁を覚えましょう」

「防御壁なら魔護具のナイフで張れますけど……」


 腰につけた魔護具のナイフをチラリと見やって呟く。


「そのナイフは魔力が使えないツヴェルフが使う事を最優先して作られた物ですから、効力はお守り程度のようなものです……黒の防御壁は黒の魔力が暴発した時に被害を殆ど吸収してくれます」


 日常使う魔道具程度なら普段の生活で自然と魔力の量は調節されるけど、魔法はどの位魔力を使うのかが分かりづらい。

 だから魔法を扱いなれない間は失敗しやすい、と優しく分かりやすい説明を続けられる。


「制御って何だか難しそうですね……」

「大丈夫……制御はイメージの問題です。感覚さえ掴めればそう難しい物ではありません」


 そう言うとダグラスさんは私の後ろに立ち、私を覆うような体制で私の左手にダグラスさんが自分の左手を重ねた。


 手袋――してない。私が手袋をしてるからセーフではあるけれど。この近さは別の意味で危ない。胸が、激しく脈打つ。


「左手に黒の魔力を集中させながら魔護具で防御壁を張るのと同じイメージをして『防御壁プロテクト』と唱えてみてください。大丈夫です……私が制御しますから、痛みは生じません」


 耳元で囁かれる力強い言葉がとても心地よく感じる。凍てついていたはずの心が溶かされていく甘い感覚に酔いながら必死に理性を保つ。


「……防御壁プロテクト


 言葉を紡いだ瞬間、思い切り吹き出る魔力が何かに押されるように形を調節される。

 蛇口を抑える事で水の勢いが変わるような、そんな感覚――静かに体から流れ出る魔力は痛みを伴わない。


「この感覚を覚えてください。大きく魔力を消費する物であればあるほど、この感覚が重要になります」


 数分間、痛みを感じない魔力を放出した末に防御壁が消えてダグラスさんの手が離れる。


(……終わっちゃった……)


「魔力が尽きたようですね……注ぎましょうか?」


 ダグラスさんの甘い言葉に我に返る。脈が、自分でも分かる位に早い。


「けっ……け、結構です……!」

「それは失礼しました。それでは、また魔力が溜まってきたら練習しましょう」


 時計をちらりと見やり、ダグラスさんは私から離れる。


「……クラウスに手紙を書くついでに外出してきます。夜遅くなりそうなので飛鳥さんは気にせず先に休んでください」

「……行ってらっしゃい」


 出かけると言うから行ってらっしゃいと返す――ただそれだけの事なのに。ダグラスさんは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて部屋を出ていった。



 この時――もう少し甘えておけば良かったかな、なんて思う程度にはまた花が咲く予兆を感じたのに。

 その花が咲く事を強く望んでいる本人が踏み荒らしてしまうのは何故なんだろう?



 その日の夜――ダグラスさんがメアリーを殺そうとする夢を見た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る