第219話 とあるメイドの勝負事・1(※セリア視点)


 朝、アスカ様の部屋に入るとそこにアスカ様の姿はありませんでした。

 代わりにベッドで眠るのはダグラス様。なるほど、アスカ様が理想的と仰るだけあって良い体をしてらっしゃいます。


 大丈夫。私が見てはいけない部分は布団で隠れていて見えていません。上半身はセーフです。

 そしてセーフとは言え主の婚約者の半裸などメイド如きが長々と見て良いものでもありません。

 早々に部屋を出てアスカ様を探すついでにルドルフ殿の部屋を尋ね、ダグラス様を起こすように伝えました。


 アスカ様にとって初めての初夜――色々思う所がありバルコニーで想いにふけるだけでは飽き足らず、お庭でも散歩してるのかも知れません。


 こういうちょっと女性が物憂げな気持ちになってる時に殿方が優しく寄り添ったり温かい声をかけたりするとポイント高いのですが――ダグラス様ですからね。

 ダグラス様の至らない点は私がフォローするしかありません。


 そう思ってアスカ様を探したのですが、館の何処を探してもアスカ様のお姿が見当たりません。

 もしかして? と思い最後にヨーゼフ殿の所に寄るとそこにルドルフ殿とランドルフ殿もいました。アスカ様がいない事を報告すると、


「真夜中、とても強い白の魔力を感じました。恐らくアスカ様はまたあの小僧にさらわれたのでしょう……」


 数日前に腹を貫かれた割に起き上がれる程にまで回復していたヨーゼフ殿が1つため息を付いて窓の向こうの空を見上げました。


「どうしましょうか? ダグラス様はまだ起きませんし……確か、ル・ターシュへの転送は今日の深夜……ダンビュライト侯はアスカ様を地球に帰すつもりなのでしょうか……?」

「アスカ様の傷を治療した時にあの転移石のペンダントをそのままにしていたんだから、ダンビュライト侯が協力してる可能性は高いよね」


 同じ顔、同じ声の2人の言葉にもうアスカ様に会えないという緊張感が押し寄せてきます。

 けして取り乱したり涙を流す程ではありません――が何故こんなに寂しく感じてしまうのでしょう? もう恩を返せなくなるかもしれないからでしょうか?


「あの街は緊急時に門を閉め、街に強力な結界を張る……ランドルフ、今から書く手紙をセン・チュールにいる騎士団の人間に届けてお前は門が閉まっても対応できるように街で待機していなさい。ルドルフは今のうちに家事を済ませて、主が起きた時にすぐに動けるようにしておけ」


 ヨーゼフ殿の言葉を聞いたルドルフ殿は早々に部屋を出ていきました。


「……セリア殿はどうされますか? 私は貴方の行動を指図する権利はありません。後を追うなりここで待つなり好きになさると良い」

「私は……」


 クラウス卿がアスカ様をさらったのが事実であればダンビュライト家に行っても門前払いされるでしょうし、それならセン・チュールにランドルフ殿と一緒に向かうという手もありますが……


(それより先に、確認したい事があるんですよね……)


 アスカ様が地球に帰ろうと企んでいた事を告げても何の反応もなかった皇家が何か知ってるのは間違いありません。


 ル・ターシュの転送も塔への転移石も神官長の独断だと思っていましたが、ここまで何の反応もないのは皇家も加担しているからだという結論に至らざるをえません。


 皇家がアスカ様の為だけに動くとは考えづらい――考えうる可能性としては、他にも転送させたい本命のツヴェルフがいる。

 だから塔への転移石を壊されたアスカ様を我関せずと見捨てたけれど、クラウス卿が見捨てる事を許さなかった――といった所でしょうか? あるいは元々このタイミングで助けるつもりでいたのか。


 どちらにせよ、どうしてこんなに腹ただしいのでしょう? 私が命をかけて守っているアスカ様を蔑ろにされてるも同然だからでしょうか?



 イライラしながらアスカ様の部屋の前に戻ると、丁度部屋を出てきたルドルフ殿から『ダグラス様はしばらく起きそうにないのでそのままにしておいてください』と言われてしまいました。

 アスカ様がさらわれているというのに何故叩き起こさないのでしょう?


 部屋を開けるとダグラス様に布団がしっかり被せられていました。その横でアスカ様の私物と召喚時に着ていたという服を黒い紙袋に詰め込んでいきます。


(……分からない。分からない)


 何をしているのでしょう、私は。アスカ様がさらわれたというのに。何故アスカ様の私物を紙袋に詰めているのでしょう?

 まるで、地球に帰る事を良しとしているかのように。


 いいえ。私はけして帰ってほしい訳ではないのです。残ってほしいのです。これからもアスカ様のお世話をしたい想いに何の淀みもございません。でも。


「……ダグラス様。これは裏切りでも何でもありません。アスカ様がもし帰りたいと思っているのであれば、荷物を持たせて帰らせてあげたいだけです。私物など残っていても困るだけですから」


 何を言っているのでしょう、私は。

 もしアスカ様が地球に帰ったら私物など処分してしまえばいいのに。


 いいえ。アスカ様の許可無くアスカ様の私物を処分なんてできません。もしアスカ様が帰りたいのなら持って帰って頂くのが筋――主の忘れ物を届けるのはメイドの役目。


 そう。私はどちらに転んでもアスカ様の為になる行動を取っているだけ。あらゆる状況を考えて動いてこそ、私なのです。


(それにしても……)


 死んでるのか寝てるのか分からないレベルで眠っているダグラス様に段々苛立ちが募っていきます。


「……ダグラス様! 引き止めたいのであれば、とっとと起きて引き止めに行ったらいかがですか!? 今ならまだ十分間に合いますよ? 今日が終わる時に転送されるのでしょう!?」


 いくらクラウス卿や純白の大鷲にかけられた魔法が強力で眠ってしまっているのだとしても、想い人が全裸でさらわれて尚眠り続けているのはあまりに間抜けではありませんか?


 アスカ様はけして全裸で逃げるような方ではないのです。バスローブもそのままクローゼットの服も私物にも一切手を付けずにその身1つで逃げるとは到底思えません。まさかクラウス卿がああいう状況を見越して服を用意していたとも思えませんし。

 せいぜい自分が羽織っているコートやジャケットをかける位の事はしたのかもしれませんけど。


 部屋に沢山衣服や下着があるのに素っ裸に男から借りたコート一枚羽織って外に出る女――どう考えても自分の意志で出ていったとは考えづらいのです。


 だけど元々アスカ様は地球に帰りたがっていました。そのうえダグラス様に追い詰められて、苦しめられて。私を人質にああいう状況になって――昨夜のアスカ様は諦め感こそ出てましたが嫌々、という感じはしなかったのですが――痛い思いもされたみたいですし、全裸で出ていく可能性は絶対に無いとは言い切れないのが悔しいところです。


「……何で肝心な時にそんな能天気に寝てるんですか!? アスカ様がいなくなってもいいんですか!?」


 これだけ叫んでみても眉がピクリと動く。起きる……!? と期待したけどそれっきり動かない。

 ああ、もういいです。起きた時にせいぜい頑張ってください!



 ダグラス様に見切りをつけて荷物を詰め半ば飛び出す形で館を出ると、門の前に馬車が止まった所でした。


 皇城の馬車から出てきた橙色の髪の長身の美丈夫は――コッパー家のアーサー卿。


(領地に帰る前にダグラス様に会いに来られたのかしら?)


 皇城仕えのメイドとなってからお二人が皇城で何かしら語られている姿を何度かお見かけしたことがあります。

 でも今ダグラス様は寝ていますし――なんて、そんな事を考えている間に馬車が再び動き出してしまいました。


「あ……待って!! 私を乗せていってください!!」


 もうお昼も近い。歩いて皇城に行っては間に合わないかも知れない。いえ、馬車で行っても間に合わないかも知れない。だけど……!


 私に似つかわしくない叫びも虚しく、馬車が動き出した――と思いきや少し進んだ所で止まりました。

 アーサー様は静かに私を見据えた後、ふい、と馬車の方に顎で指し示す。


 止めてくれた、という事でしょうか? その表情からは何の感情も読み取れませんでしたが小さく一礼した後、馬車の方に全力で走りました。


 どうして? どうしてでしょう? どうして私はみっともなく大声を上げてダグラス様を起こそうとしたり馬車を止めようとしたり、1秒でも無駄にしたくないが為にみっともなく全力で走るのでしょう?



(ああ、もう、全部……全部アスカ様が悪いのです!)


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