第218話 優里の願い(※優里視点)


 私、絶対に地球に帰らなきゃいけないんです。

 おばあちゃんに伝えたい事があるから。ちゃんと現実と向き合わなきゃいけないから。


 そして40年後にまたこの世界に召喚されるだろう人達が帰りたいと思った時に道を示してあげられるように――私は絶対、地球に帰らなきゃいけないのに。




 硬い感触に目が覚めると、自分の部屋とは明らかに違うベッドに寝かされていた。


「ここは……?」


 薄暗い空間で呟くとあまり広くない空間なのか声が響く。少し埃臭さを感じる空間の中でここが石造りの部屋である事がうっすら感じ取れる。


「目を覚まされましたか」


 聞き慣れた声が返ってくる。この世界に来てからずっと私の傍にあった声の方に視線を向けると金属製のドアがある。ドアにはこちらの様子が覗き見れるような長方形の横穴があり、その横穴から見える暗い金色の眼。


「ユンさん……!?」


 慌ててドアの方に駆け寄ってドアを叩く。


「ユンさん、ここは何処ですか? ここから出してください!私は……!!」


 呼びかける中で状況を思い出していく。今何時なんだろう? ここは皇城? 早くネーヴェ君と合流しないと。どうしてユンさんが?


「地球に帰りたいのでしょう? 今日が終わる時に、セン・チュールの塔から」


 立て続けに吹き上がる疑問や不安がユンさんの淡々とした一言によって止められる。


「どうして……!?」


 どうして、バレてしまったんだろう!? できる限り隠してきたのに。

 ノートに書き込んである情報だって万が一見られた時の為に創作の物語の設定にしたし登場人物も全部仮名にしたのに。


 飛鳥さんの手紙で『ユンに気をつけて』って暗号が来た後、こっそりネーヴェ君に確認したらユンさんの家は代々リビアングラス家に仕える家だからでしょう、と返されて。


 道理で、ユンさんは事あるごとにレオナルドさんをやけに推してきた。

 どんなに素敵な良い人でも既婚者って思うともう絶対無理だったからネーヴェ君を頼ったけれど結果的にそれが大正解だったみたいで。


 そこからはノートは肌身放さず持ち歩くようにしたし、念の為にそこに恋愛要素も追加してみたりプロットだって書いてみたり。勿論、普段喋る言葉には逐一気を払っていたのに。


「……貴方は嘘がつけない純粋な方。そんな貴方が異世界に召喚された人間達が自分の世界に戻る、というストーリーの物語を書かれては疑わざるをえません」


 一応登場人物を全員男性名にカモフラージュしておけばユンさん気味悪がって読み込まないよね、って思ったのに……!

 ああ、私は本当に飛鳥さんみたいに上手く切り抜けられない。


「ユーリ様……この世界に召喚された使命を放棄されては困ります。貴方にはこの世界の皇家、あるいは有力貴族の子を、最低でも2人……いえ、3人は宿してもらわなければなりません。地球に帰られたいのであれば先に使命を果たして頂かないと」


 使命? そんなの――私の使命じゃない。


 私の使命はおばあちゃんに皆の伝言を伝える事。この世界の事を地球の皆に伝える事。40年後に召喚される子達の為にこの世界の物語を書く事。


「ご不便かと思いますがどうか、今日一日だけお傍を離れる事をお許しください。私が気に入らなければ解任して頂いても構いませんので」

「あ、あのノートにフェイク入れてるかも知れませんよ!?」


 咄嗟に出まかせを言うとユンさんの目が細まり、クスクスと笑われる。


「私が貴方のノートだけで行動するような頭足らずな人間だとお思いですか……? レオナルド様に書庫の禁書室に入って頂きル・ターシュの軌道まで確認しています」

「レオナルドさんが……?」


 意外な人物の名前を思わず反芻する。


「私としてはリビアングラスの名を持って貴方の罪を明かし、拘束してもらった方が安心できたのですが……私の報告を受けたレオナルド様は心優しい方。ユーリ様がこの星から逃げようとしたという罪を明るみに出したくない、という計らいからこの様にユーリ様の負担が一番少ないであろう当日だけの拘束に踏み切ったのです……どうかこれ以上私を、レオナルド様を失望させないでください」

「ユンさん……! 開けてください、ユンさん!!」


 ドアの覗き口がパタンと閉じられ、遠ざかる足音を前に叫びは虚しく響くだけ――私が叫ぶのをやめるとすぐに静寂が訪れた。


(どうしよう……)


 石造りの部屋に抜け出そうな部分はない。ドアも頑丈で抜け出せそうにない。

 今が何時なのかもここが何処なのかも分からずじまいで、途方に暮れる。


(帰らなきゃ……絶対、帰らなきゃいけないのに……!)


 皇帝は言葉少なに、だけど、おばあちゃんがまだ生きている事を喜んでくれた。『致し方ない状況だったとはいえ、酷い事をしてしまった』と頭を下げてくれた。


 私と同じ黒髪に茶色の眼を持っていた伯父さんは優しかった。

 ネーヴェくんと同じ様に落ち着いていて表情にあまり変化のない伯父さんは穏やかな声でおばあちゃんと母がどんな人なのか聞いてくれた。


 おばあちゃんが伯父さんの話をしていた事を伝えた時の目は少し輝いていた。『母上には私が無事に生きている事を伝えて欲しい』と言われた。


 神官長はおばあちゃんがこの世界でどんな風に過ごして、どんな風に帰っていったのかを教えてくれた。


 話してくれて気付いた。この人がおばあちゃんにとっての<優しい神様>なんだって。だからおばあちゃんが聞かせてくれた昔話の事を話すと、泣かせてしまった。

 私の所に来る前に飛鳥さんとも話していたらしい。自分達がおばあちゃんにいかに孤独な環境に身を置かせてしまったかを謝罪された。


『私は貴方の気持ちを慮る事すら出来なかった愚かな男です。けして、優しい神様などではなかった』そう伝えてほしいと言われた。


 地球に帰って、おばあちゃんに皆の伝言を伝えて。その後この世界の物語を書くの。

 40年後に召喚された誰かが一人でもその小説を読んでいたら、帰りたいと願った時に帰れるように。


 色々複雑で、面白くて物凄く興味がある世界だけど、私はこの世界で終われない。地球に帰って私は現実に向き合わなきゃいけない。その上でこの世界の事を綴る。それこそが私の使命だと思うから。




 この世界に来る前の私は、本当に孤独だった。


 数ヶ月前に大事な友達――梨子ちゃんの好きだった先輩から告白されて、断ったのに次の日から私の友達は皆私を避けるようになって、私は一人ぼっちになった。

 理由は簡単だ。友達は梨子ちゃんと私を秤にかけて梨子ちゃんに着いた。ただそれだけ。


 漫画やドラマでよくある、あからさまなイジメを受けた訳じゃない。ただ無視されハブられクスクス笑われ。その程度の事。だけどその程度の事が心をえぐる。


 『好きな人とペアになって』はキラーワード。理科は班での実験が辛い。国語の読み上げはクスクス囁かれ。家庭科や技術の時間は作った物を暗にからかわれ。


 ただ淡々と教科書を読み上げ黒板にポイントを書き記されていく歴史の授業の時間が一番好きだった。


 本当は学校に行きたくない。それで何度か仮病を使って休んだ事もある。だけど家に居てもお母さんと喧嘩しておばあちゃんを心配させてしまう。


 学校も家も関係ない、何処か遠くへ行きたかった。元々好きだった剣と魔法のファンタジーの世界で素敵な王子様や騎士様に見初められるお姫様の物語に殊更のめり込むようになった。

 ファンタジーは良い。どんなピンチも魔法で救ってくれるから。


 そういう物語を学校の休み時間や部活中に書いていた時もあったけど、からかわれるようになってから何も書けなくなってしまった。そのうち家でも書けなくなって。


 同じ文芸部に所属している私がずっと暗い顔してるのを先輩は気付いていたくせに素知らぬ顔で梨子ちゃん達と話し、何食わぬ顔で卒業していった。


 私が暗い顔してても気にもかけないのに何で私に告白なんかしてきたんだろう?

 何でだけ私こんな目に合わなきゃいけないんだろう?


 先輩の告白は私を不幸にしただけ。

 私は断ったのに――少女漫画で誤解されるような態度じゃなくて、ちゃんと、『ごめんなさい、お付き合いは出来ません』ってハッキリ断ったのに。


 私が書く物語にはこんな悲しい展開は絶対いれない。

 好きな人が友達に告白してもその友達と友達でい続けられる、そんな友達を作るし、以前告白した相手が周囲に無視されていたら断られたとしても助けに行くような、そんな素敵なヒーローやサブヒーローを作る。


 敵意なんて生まれない、好意と幸せの世界を――ハッピーエンドだけを書いていたい。

 上手くいかない現実を耐え忍ぶ為に、せめて空想の世界でだけは幸せでいたい。


 そう、空想は理想の世界の作れる。創作は理想の世界を広められる。

 友達も恋人も家族もいらない。私は私の世界で友達も恋人も家族も作れるから。


 そんな事を考えて街を歩いていた所で、飛鳥さんに出会った。


 雨が降る中、無言でただ大粒の涙を流して歩くその人の姿が現実に絶望してる自分と被って。

 でもその人には私のように逃げられる世界があるのかな? と考えたら放っておけなくなって。


 私は家が近いし雨に濡れても構わないからせめて傘だけでも――と思って声を何度かかけた所でこの世界に召喚されてしまった。



 大きな塔。この世界の人と子づくりをしろ、は言い換えれば恋をしなさいとも言いかえられる命令。

 私達を歓迎するパーティー……馬車に乗る前から、ここはおばあちゃんが昔語ってくれた物語なのでは、と考えていた。


 そして私の書いた物語を読んだおばあちゃんが『優里が書く世界は綺麗だね。こういう世界だったら私も幸せになれたかも知れない』と言って微笑んでいた事を思い出す。

 この世界に来ておばあちゃんの言っていた意味が分かった。


 本当に異世界があって、そこに人間がいたとしたら――その世界も地球と同じで悪意や敵意にまみれてる。

 リアルに書けば書くほど物語はハッピーエンドから遠ざかっていく。だから人はハッピーエンドに憧れる。


 情報を集める中で推測は確信に近づいていった。そしてあの時――私がユンさんの問いかけに答えられなかった事を逆手に取ってユンさんが飛鳥さんを陥れたあの時。


 私のせいで、私が上手くユンさんの問いをかわせなかったから飛鳥さんに迷惑をかけてしまった。地球に帰ろうとしてる事がバレてしまう。

 そう思って頭が真っ白になった時、飛鳥さんが突然妄想を語りだしてユンさんをドン引かせた。


 それはお世辞にも機転の効くもの、とは言えなかったけどその場の空気を叩き壊す発言で飛鳥さんは危機を切り抜けてくれた。

 あそこで飛鳥さんも押し黙ってしまっていたら私達はもっと早くユンさんに疑われていたと思う。今よりずっと早く囚われの身になっていたかもしれない。


(でも、飛鳥さん……どうしてそこまで赤っ恥かけたんですか? どうしてその赤っ恥の中に私を巻き込まなかったんですか? 飛鳥さんが恥を晒す事になった原因は、私にあったのに)


 それ以外にも手紙の暗号でユンさんに気をつけるようにと伝えてくれたり。

 メアリー先生を助けようと皇城にクラウスさんを呼んでくれたり。


 一番厳しい状況に置かれながら、それでも私達の力になろうとしてくれる。誰かを助けようとしてくれる。

 飛鳥さんはずっと私達に優しかった。魔物狩りで死にかけていても皇城を出る時に襲撃されても。心折れる事無く地球に帰る事に前向きだった。


 昨夜久々に再会したソフィアさんから黒の公爵に脅されている事を教えられた時は驚いた。

 同時にソフィアさんが飛鳥さんにその事を言えない気持ちも理解できた。


 言えば飛鳥さんが諦めてしまうのは目に見えていたから。あの人が私達を脅迫したのだと知ればなおの事、不幸になるから。


 飛鳥さんに会うまで、強引に連れて行くかどうか迷ってた。

 でもあんなに輝いていた飛鳥さんが元気を失って落ち込んでいるのを見ていられなかった。

 帰りたいと願う飛鳥さんと一緒に地球に帰りたかった。


 結局、飛鳥さんは黒の公爵の所に戻ってしまったけど――その眼に再び光が宿ったから私がやった事は無駄じゃなかったと思ってる。



 その後、皇城に帰って、寝て起きたらこうなってしまった。



 本当にどうしよう? この状況じゃ誰も助けに来れない。

 ユンさんも行ってしまった。ユンさんが私を探す仕草をしていたら誰も彼女を疑わない。


(飛鳥さん……飛鳥さんだったらこんな時、どう動くのかな?)


 手あたり次第に何でもかんでも使って、周りにどう思われても道を切り開ける方法を見つけ出せるのかな?


 でも今の私には何も思いつかない。除き口が塞がれて真っ暗になってしまった部屋で固く閉ざされた扉を前に、私はただ皆で帰る事を願う事しか出来ない。


 そんな自分がどうしようもなく、歯がゆかった。


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