第83話 黒の公爵・8(※ロイド視点)

 

 暗い地下通路を抜ける途中で仮眠を取った後、コッパー侯が言っていたとおり森の中に出た。


 『自然は何者にもが変え難き、尊き物。よその領地の森林を破壊して進む訳にはいかんだろう』と言う父上の指示通り極力森を傷つけないように抜けて平原に出た後、ルドニーク山へと一気に走る。


「2人とも、今のうちにこのスピードに慣れておけよ! 明後日は直線ではなく黒の若造が誘導する線に沿って走らねばいかん! その上何処かから攻撃されるかも知れんのだからな!」


 ベヒーモスは馬の3倍はあろうかという巨体でありながら、走る勢いは馬より大狼より早い。

 あの部屋でどうやってこれだけの筋力を維持できたのか、鍛えればもっともっと早くなるのか――たてがみを掴む手の力を少しでも緩めたら吹き飛ばされてしまいそうになる位の速度に、進行方向にいる魔物や動物達は慌てて逃げていく。


 先を走る父上とラフィは意図的にカーブしてみたり、蛇行したりしている。

 俺達がまだ走らせるのに手一杯なのに父上は既に調整に入っている。そして彼らによって掘り起こされた土が、思いきりアスと俺の顔にかかった。


「すまないアス、大丈夫か?」


 首を振って土を振り落とした後、そう呼びかけると「グ」と短い声が帰ってくる。そして土がかからないように自らラフィの軌道からズレるように駆け出した。


 最初は正直、どれだけ乱暴な獣だろうかって恐れもあったけど――でも実際に蓋を開けて見ればあの人の名前につけるにふさわしい、良い子だった。



 アスカ――俺達を助けてくれた人。


 それどころか自分が灰色の魔女として指名手配されている事を知っているだろうに、その身を晒してまで俺達の相棒まで救ってくれた人。


 他人にとっては獣でしかない、俺達の相棒を懸命に癒やす光に照らされる茶色の目と、暗い茶髪――必死な表情で、獣の血で手が汚れる事も厭わずに魔獣達を向き合ってくれたとても綺麗な人に、胸が激しく高鳴った。


 ルーが弔われる時もお供えを差し出して俺達と同じ様に祈ってくれた。この人は絶対に魔女なんかじゃない、むしろ聖女だと思った。


 何とか恩返しがしたいと思う中、彼女は青の公爵に保護されて俺達は帰る事になってしまった。

 せめて少しでも繋がりを持ちたい――覚えていて欲しいと思って咄嗟に求婚してしまった。


 ローゾフィアで成人として認められる16歳になったら結婚してほしいって言われる事は何回もあったけど、自分から誰かに求婚するのは初めてだった。


 アスカと別れた後、仲間達にその事を散々冷やかされた。そして麓の村で騎士達に責められている所を助けてくれたダンビュライト侯に治療してもらいながら、姉上にアスカへの結納品について相談しているとあれこれ言われてしまった。


 灰色の魔女は黒の公爵を袖にし、白の侯爵を誑かして地球へ帰った事になっている。

 だからダンビュライト侯もアスカが好きなのだとすぐに気づいた。姉上に相談したタイミングが悪かったと反省する。



 儚げで冷たそうな見た目に反して、割と感情的なダンビュライト侯から難題を突きつけられて悩みながら帰路につき、父上に戦果を報告する際にアスカの事を言うか一瞬迷った。



 この星と共に生きる――この世界にある物を大切にして生きる父上やローゾフィアの民の殆どは『異世界』から召喚する異世界人ツヴェルフを異端視している。


 だから、これまでローゾフィア家に嫁いできたツヴェルフはいない。

 自分達が純血のル・ティベル人である事を父上は誇りにしていた。そんな父上に『ツヴェルフと一緒になりたい』と進言したらどうなるだろう?


 だけど――ダンビュライト侯が言っていた通り、アスカが家族の契りを本当に知らないのだとしたら。

 軽く流されていたのだとしたら俺達の為にわざわざローゾフィアまで会いに来てくれるとも思えない。


 何かあればノイ・クレーブスに来るように伝えたけど、青の公爵に保護された後は皇国で匿われるのだとしたら――俺から会いに行かなきゃ、もう二度と会えないかも知れない。


 そう思った瞬間に「父上、俺、父上の後を継いで灰色の魔女を守りたい!!」と叫んでいた。


 眼球が零れ落ちそうな程目を見開いて言葉を失った父上や母上達に事情を話すと、眉間に思い切りシワを寄せて思い悩んだ父上はしばらくして俺の頭にポンと頭に手を置いた後、ワシワシと頭を撫でてきた。


「……とりあえず、祝うか!! 酒もってこい、酒!!」


 その後、次期侯爵が決まったと村全体を巻き込んで飲めや歌えやの大騒ぎになってしまった。

 遠征に出ている兄上達はいないけれど『気にする事はない、父上の後を継ぐ気ならとっくに継いでる』と他の兄上や姉上達、親戚達も村の人も皆歓迎してくれていた。だけど――


「ロイド君! ツヴェルフの為に次期侯爵になるってどういう事!?」

「酷い! ロイド様、私をおよめさんにしてくれるって言ったのにぃ!」

「皆落ち着いて。侯爵は一夫多妻が認められるから皆結婚しちゃえばいいのよ! 皆が幸せになれる素敵な話じゃない!」


 同じ年で活発なアテナ、8歳でふわふわの髪が可愛いカメリア、姉上と同じ18歳の大人びたオペラ――俺に『16歳になったら結婚して』と言ってきた女の子達。

 いつかこの三人のうちの誰かと結婚すると思ってたけど――



――アスカと結婚するつもりなら他に妻は持てないからね!?――



 ダンビュライト侯が言っていた言葉を思い出す。アスカから直接聞いた訳じゃないけど、あれがもし本当だったら、侯爵になっても――


「……皆、ごめん。俺、皆と結婚したらアスカと結婚できないらしいから……皆、俺以外の奴と幸せになってほしい」



 そう言った後は地獄だった。カメリアが大泣きして一気に人だかりができて。

 父上達には伝えたけど村の皆に『ツヴェルフと結婚したい』という事まで伝わりきってなかったらしくてお祝いムードが一気に説教ムードになり、翌日村ですれ違う老若男女皆から『ツヴェルフなんて止めた方が良い』と言われてしまう羽目になった。


 姉上や一緒にアスカに助けてもらった皆が『あれは悪いツヴェルフじゃない』『ロイド坊の初恋を見守ってやれ』というフォローしてくれたお陰で落ち着いてきた。


 だけど――父上の『ツヴェルフに惚れてしまったものは仕方がない。そしてツヴェルフと結ばれる為には次期侯爵としての地位が必要……それも仕方がない。しかしツヴェルフとの子を<跡継ぎ>にする事は認めん! 跡継ぎはこの村にいる女と成せ!!』という言葉には正直どんな顔をすればいいのか分からず、答えに詰まっている時に黒の公爵がやってきた。


 父上いわく『灰色の魔女にフラレて意識不明になっていた』黒の公爵。アスカの正当な婚約者。


 幼い頃に一度、彼が戦う姿を見た事がある。人を襲う凶悪強大な魔物を屠るその姿は素直にカッコいいと思った。

 俺もあんな風に強くなって皆を守りたい、って憧れた記憶もある。


 同じようにアスカに思いを寄せるダンビュライト侯には色々言われたけど、この人は冷めた視線を向けてくるだけで何も言ってこない。

 でもこの人は俺がアスカを好きだなんて知らないはずだ。だからこの視線は俺なんかが本当にベヒーモスを調教できるのか? って視線なんだろうけど――



 負けたくない、って思った。

 この人にもダンビュライト侯にも、負けたくない、って――



 コッパー領に向かう途中、俺の跡継ぎは俺の子じゃなくても、兄上や姉上の子を養子にする手だってあるんじゃないか――という案が思い浮かんだ。

 ただ、今それを父上に話すとどういう反応が帰ってくるか分からないから、村に戻った時に父上に話してみよう。



 あの空間で18年間育てられたベヒーモス達は予想以上に聞き分けが良かった。

 そしてこれから広い世界を駆ける事が出来る喜びで満ち溢れていた彼女達の方から、俺達に歩み寄ってきてくれた。

 お陰で黒の公爵から命じられた『ベヒーモスの爪に魔力を込めさせて指示する道を走る』という指示も、ルドニーク山の山頂に到達する頃には通るようになっていた。




 約束通り、翌々日の昼過ぎに山頂に着くと既に黒の公爵が待機していた。

 雪が溶けて剥き出しになった土の上に黒色と緑色の魔晶石が綺麗に配置されている。


「……ほぼ予定通りの時間ですね。調子はいかがですか?」

「問題ない。お前が希望した指示の他、いくつか簡単な指示も通るようになっておる。むしろお前が大丈夫か?」


 漆黒の黒猫により掛かる黒の公爵は何だか顔色と機嫌が悪い。

 顔色を察してか父上が少し穏やかな声で問いかけると、黒の公爵はゆっくりと立ち上がった。


「大丈夫です。これから貴方方をそれぞれの位置に飛ばします。その後私も転移して王都の上空から貴方方を誘導する光を放つのでそれを追うように走ってください。何度も言いますが、相手から攻撃された時点で避難して頂いて構いません。それまでに作られた軸は無駄になりませんから。ではまず、一つ目の位置への陣を開きます」


 黒の公爵がパンと軽く手を叩くと、陣が淡く光りだした。


「よし、それじゃあワシから行こう。2人共、生きて会おう!」


 こちらの言葉を待たずにラフィに乗った父上は緑色に光り輝く魔法陣の中に入っていく。黒の公爵が指を鳴らすと、一瞬で父上達の姿が消えた。


 その後、光が消えたかと思うと黒の公爵がまた手を叩く事で光が蘇る。その光に釣られるようにルーシャが歩き出す。


「じゃあロイド、気をつけて」


 姉上達も父上と同じ様に魔法陣に乗った後一瞬で消える。そして、また緑色の陣が消えた後、再び輝き出す。

 その陣に踏み入れる前に、黒の公爵にどうしても聞きたかった事を問いかける。


「あの……何でアスカにフラレたんですか? 何故彼女は地球に帰ろうとしたのか、残る事になってしまっ」


 聞きたかった事は言葉は最初の方しか受け止めてもらえなかったようで、鋭い視線で睨みつけられる。


「しつこいぞ。私はフラレた訳ではない。行き違いの末に衝突してしまっただけだ。くだらない質問しないでさっさと転移陣に乗れ。この陣は維持するだけでも相当魔力を消費する」


 聞く順番を間違えてしまった事を反省しつつ、緑色の陣の上に乗る。


「……いいか? 飛鳥は罪無き人が死ぬ事を何より嫌う。自分のせいで誰かが傷つく事も嫌う。だから私はお前達を死傷させるつもりは毛頭ない。お前らも無理だと判断した時点でさっさと逃げろ。お前達を利用するのはあくまで巨獣を解放するついでだ」


 父上に対して丁寧に接していた黒の公爵が俺に厳しい言葉を向けてくる。

 利用、ついで――巨獣を下に見る態度に苛立ちがこみ上げるけど、こんな所で使命を放棄する訳にはいかない。


「……ついででも、ローゾフィアの民は受けた恩を絶対に返す。やり遂げる」

「……正直お前とは二度と会いたくない。だがその真っ直ぐな精神に免じて1つ……貴族としての品位を身につける上で絶対に必要な事を言っておこう」


 スウ、を息をついた後ハッキリ目を見据えられて



「目上の人間に対して不躾な質問をするな」



 怒りを宿した目でそう言われた後、緑色の光に包まれた。


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