第82話 黒の公爵・7(※ダグラス視点)
「非常に心外です。私は貴方とは違う……同類にしないで頂きたい」
目の前の橙色のツナギ服の男が『侯爵』という皇国の中でも特に身分の高い人間かつ
腸煮えくり返る思いを抑えている内に変人侯から新たな言葉が重ねられる。
「いいや私には分かる。君も同類だ。私は魔獣使いとあの子から魂違いだとハッキリ言われるまで私はずっとあの子をリーシャの生まれ変わりだと思い込んでいた。辛いが心の霧が晴れた気分だよ。いや辛いがね。あの子達に本気で嫌われてしまう前に気づけて良かった。心の底が抉られる程に辛いがね。だがもし魂違いじゃなかったとしてもあのまま飼っていたらお互い良い結果にはならなかっただろう。君も大分思い込みが強い傾向があるようだからね。気を付けた方がいい」
私を諌めたいのか、辛さを訴えたいのか――心境を推し量っている私の沈黙に耐えかねたのか変人侯が顔を俯けた。
「やめてくれ、その視線は心に刺さる……私も第三者目線で自らを顧みた事がない訳じゃない。アーサーやリチャードにも相当な苦労をかけてしまったと思う。愛する妻が魔物に生まれ変わったと信じて疑わない父親など、客観的に見たらどう思われているかなんて容易に想像がつくよ。実際アーサーもリチャードもジェシカの視線も冷たかったしね。だがね、周りからどう見られようとそれでも私はあの子に運命を感じたんだ。だから心の何処かで過ちだと分かっていても縋りたかった。見捨てる事も、逃がす事も、殺す事もできなかった……それは君にも分かるだろう?」
「分かりませんね。それが過ちだと分かっているならどうにかしなければいけない」
ハッキリ言い返すと変人侯一見呆気にとられた顔をした後、また苦笑いに変わる。
「……ああそうか。君は過ちだと分からずにあれこれやっちゃって後からあれは過ちだったと反省して後悔する、私以上に厄介なタイプだね。これはアスカ殿も相当苦労するだろう。まあいい、とにかくルーシャ達を助けてくれた事には礼を言おう。そしてアーサーはどうした?」
傷心中でも一向に口数の減らない変人侯に内心盛大に舌打ちしつつ、話題が変わった事に安堵する。心の嫌な部分を突付かれる会話はもう勘弁願いたい。
「2日前に研究所の手前で別れました。カーティスとケリを付けに行ったんでしょう」
「……そうか。まあ氷竜に襲われた傷はルクレツィア嬢に癒やしてもらえたみたいだし、アーサーなら心配ないだろう」
「氷竜に襲われる所を見ていたのか?」
「氷竜が息子の近くにいたらそりゃあね。その結果、親として見て良いのかどうか分からないシーンまで見てしまった。ああ、どんなシーンだったかは言わないよ。いくらあの子と言えど、親から友達にああいうシーンを暴露されるのは流石に恥ずかしいだろうからね。それで? 君は私にまだ何の用があるのかな? 今は物凄く一人で酒を煽りたい気分なんだ。手短に頼むよ」
思わせぶりな言い方にアーサーと青の娘の間に一体何があったのだろうか? と気にかかるも興味というまでに達する事はなく、本題に入る。
「……彼らをルドニーク山頂からロットワイラーの王都近辺まで
ルドニーク山から国境を超えさせてもロットワイラーの王都までかなり距離がある。
そこから王都に向かって走れば
皇国が張っている転移防止結界の形は皇城を起点とした半球体――国境ギリギリかつ高度が高いルドニーク山の頂上付近は結界の範囲から突き出ている。
勿論そこから巨獣3体を王都近辺に転移させるには相当な魔力が必要だ。私でさえ今ある魔力で1匹そこまで飛ばせるかどうかだ。
明後日の日暮れに魔法陣を起動させる為の魔力を残しておかねばならない事を考えれば今日と明日、自分の器に貯まる魔力を全て魔晶石に込めておく必要がある。
そう声に出して説明した訳ではないが、私が何を求めているかを知っただけで意図を推察したらしい変人侯が感心したように息をつき、両腕を組む。
「……なるほど、本当にルーシャ達を危険な目に合わせるつもりはないようだね。分かった。ここ数節、大雪で石鉱が埋まってしまって以来魔晶石の値段は高騰しているんだが……もう雪が溶けるのも時間の問題だし、その辺は友情価格にしておこう。それでもかなりの金額になるが、そこは同類のよしみだ。分割払いで構わないよ」
同類を強調してくる変人侯だが、傷心のあまり少しでも同類を探したいのだろう――という結論に至り反論する事を諦めた。
商談が成立した後、畜生の棟を出て薄暗い倉庫に通される。
「使いたい分だけ使うといい」と変人侯は言い残し、さっさと倉庫を出ていった。この後は先程言っていた通り、一人酒を煽るのだろう。
倉庫には様々な形や大きさの魔晶石が詰まった木箱が2、3段に積み重なった状態であちこちに乱雑に置かれている。
手頃な箱に腰掛けた後、その乱雑に置かれた木箱と空の木箱を手元に引き寄せ、手に持った魔晶石に魔力を込められるだけ込めては空の木箱に入れていく。
大分意識が朦朧としてくる中1つの木箱がいっぱいになった所で魔力が空になり、床に倒れ込んで意識を手放した。
私の意識がなくても、何かあればペイシュヴァルツが何とかしてくれるだろう――
――そう思っていた私が甘かった。
翌日――目を覚ますなり、目の前の木箱に誰かが腰掛けている事に気づく。
その見覚えのある緑色に嫌な予感がしながらゆっくりと視線を上げると、緑が自分の魔力と同じ色の魔晶石を手に持った状態で私を見下ろしていた。
「お寝坊さんだねぇ。もうお昼過ぎだよ? 何度呼びかけたり揺さぶってもピクリともしないから心配したよ」
全く心配した様子もなく心にもない言葉をかけてくるこの男が何故ここにいるのか、何故変人侯はこの男を入れたのか――いや、そんな事はどうでもいい。
呼びかけても揺すっても一切反応がない人間なんて、まず異常だと思われる――それを一番知られたくない奴に知られてしまった。
私の中にある白の魔力の存在を家臣以外に隠してきたのは、他の有力貴族に半端者だと思われたくなかったプライドからだ。
それに知られれば何故そうなったのかという話にもなっていく。
母のマナアレルギーと、そこから始まる確執や経緯を知られるのは――自分が望まれた存在でない事を周囲に知られるのは――何よりも恐ろしく、避けたい事だった。
もしその事をこの国で一番黙らせるのが難しい男に知られてしまったら、もう――
額にじわりと汗が吹き出すのを感じる。目覚めるなり体調面のしんどさから汗をかく事はしばしばあるが、ここまで嫌な汗をかくのは久々だ。
「何故、私がここに居ると……」
あえて話を逸らすと、緑は私の秘密を追求する事もなく素直に質問に答えだした。
「皇城に戻るや否や『これまで何をしていたのか』とロベルト卿に説教されてね。その流れで時が止まっていたはずの君も真面目なヴィクトール卿もいないと知ったんだ。いるべきはずの人間がいないんだよ? 風を頼ってでも探したくなるのは自然な話だろう」
風に乗った声を聞き、風に声を乗せて遠くに届ける――このアイドクレース家特有の術は非常に厄介だ。
「……君が寝ている間にコッパー侯から君が何を企んでいるのか聞いたよ。お酒は怖いねぇ。隠蔽気質の人間でも泥酔していればベラベラ話す……ああ、そう嫌な顔をしないでほしいな。ボクは君を手伝おうと思ったんだ。ほら」
手で指し示された先には3つの木箱が並んでいる。黒色の魔晶石が詰まった木箱は私が昨日込めた物だろう。そして緑色の魔晶石が詰まった木箱が2つ。
転移を構成する色は緑――これだけの魔晶石があればベヒーモス3体を王都の近くまで
「申し訳ありませんが……私は貴方の子息であるアランを殺します。仇で返す事になる恩は受け取れません」
ヒューイの片割れの名前を出した瞬間、緑の眉がピクリと動く。
「アラン……? ああ、向こうでヒュアランと会ったんだね。彼は行方をくらますのが上手くてねぇ。探していたんだ。そうか、今はロットワイラーにいるのか……」
若干棒読みな印象を受けるのは気のせいだろうか? 緑は元々棒読み臭い言い方をする時があるから、取り立てておかしい訳ではないが――
「……毎日女を抱いて魔力の色を変えているようです」
「ああ、それじゃ見つからないねぇ……で、どうして殺したいんだい?」
「……飛鳥が、彼に……陵辱されたからです」
怒りを込めてゆっくりそう吐き出すと、緑は少し眉を上げ驚いたように身を乗り出す。
「へぇ。まあヒューイが気にかけてる子だからヒュアランも会えば何かしら気にかけるだろうとは思ってたけれど……ボクの息子達は本当に手を付けるのが早いねぇ」
「何故彼を産まれた時点で始末しなかったのですか……!?」
双子は産まれた時点で親が片方を殺す――暗黙の義務にこの男は違反している。
「始末しようと思ったら妻に止められたんだよ……まあせっかく双子が生まれたんだし、多少鍛えた後で殺し合わせるのもアリかと考え直したんだ。結果逃げられてしまったけどね」
「鬼畜な事を……」
「おや……君は双子を飼ってるからてっきり知ってるものだと思っていたけれど、もしかして知らないのかい? 双子や多胎児は一心異体……いや、一魂異体と言った方が分かりやすいかな。片割れは魂が体から分離する際……つまり死ぬ時だね。近くに片割れがいれば魂がそちらの魂に引き寄せられるんだ。直接心臓を突き刺せる位にまで近づいていれば魂が持つ経験、知識、記憶……宿す感情や核も一緒に引き寄せられる。そうやって作られた存在を『呪い子』と言ってね。古代の英雄や重鎮達の中には呪い子が結構いたんだよ」
「……そんな話、聞いた事がない」
この世界や皇国の歴史には然程興味がないが、それでも公爵として恥ずかしくないよう皇国の年表にある事柄を簡潔に説明できる程度には学んでいる。
歴史書に載ってない事を何故この男は知っているのだろう? 双子が生まれた際に色神から教えてもらったのだろうか?
だとすれば
「ボクの言葉を疑うなら実際に試してみると言い。君の所の双子を殺し合わせればずっと強くなるよ?」
「彼らは彼らのままでいい」
反射的に思考を切断して反論する。どれだけ強くなると言われた所でどちらも幼少期を共に過ごした私の大切な家臣である事には変わりない。彼らが彼らだからこそ仕えてくれる有能な家臣もいる。
「……そうかい。まあ殺し合わせようとして失敗してるボクが強く勧めても説得力がないね。さて……話がそれてしまった。この魔晶石でヒュアランの無礼を許してくれないかな? ヒュアランを殺すのはヒューイでなければならないんだ」
「二度も言わせないで頂きたい……許せないから受け取れないと言っているんです」
意識を失う寸前まで魔晶石に魔力を込めていたせいだろうか? 体が酷く重く、まだ身を起こす事が出来ない。
緑は木箱から身を起こすとわざわざ私のすぐ近くに屈んでいやらしい笑みを浮かべて囁く。
「ダグラス卿、あの時……塔の屋上でボクが君の時を止めたからこそ、君は今ここにいられるし、あの勝ち気なお嬢さんも生きてる訳だ。どうかその恩とそこの魔晶石でその殺意を抑えてほしいなぁ。じゃないと君が困る事になるよ? 例えば……」
ゾクリと全身に悪寒が走った次の瞬間、私の想像を遥かに超える悪い言葉が紡がれていく。
「今起き上がる事すら出来ない君の時を再び止めて、あのお嬢さんにダンビュライト侯の中にある白と黒、それぞれの色の子を産んでもらった後に君を殺す……とかねぇ?」
考えた事もなかった。だが、確かに――飛鳥の2つの器は白と黒の魔力を分ける。
時間をかけて相反する色の器も満たせばアレとの間に白の子も、黒の子も作れるのだ。
私があの男を殺したら、私は飛鳥を奪われ、家も乗っ取られ、命も失う――
「でも君はヒューイの友人だからねえ。そんな可哀想な目に合わせたくはないんだ。だから……ヒュアラン殺すのは諦めてくれないかな? 別に捕まえてくれる分にはありがたいし半殺し位にはしていいから。ボクはトドメをヒューイに譲ってほしいだけなんだよ」
今はヒューイの片割れより誰より、私に絶望を突きつけてきた眼の前の男を黒の槍で貫いてやりたい。今この男を殺してしまえば誰にも何も知られずに済む。その後あの男も殺してしまえばいい。
しかし――今は公爵と争っている場合ではない。それに私はペイシュヴァルツを『神化』させられない。
何より目覚めたばかりでまだ抗える状態でもない。少しでも攻撃姿勢を見せればすぐに時を止められて、この男の言ったとおりになってしまうのだろう。
私の中にある白の魔力の塊が無くならない限り、私は、この男に勝てないのだ。
「……分かりました」
歯を砕かんばかりに食いしばりながら怒りを押し殺して小さく、小さく呟くと緑はそれを聞き逃さなかった。
「納得してもらえて助かるよ。ああ、僕の魔力を込めた魔晶石は好きに使っていいからね。それじゃあ、ボクはこれで失礼するよ。ふふふ……」
薄暗い倉庫のドアから外の眩しい光が差し込む。緑がそこから出ていってまたドアが閉まって、薄暗い空間に戻る。
心に渦巻くのは怒りと絶望、屈辱感と、劣等感――
いつか殺す男がまた一人、増えた。
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