第81話 黒の公爵・6(※ダグラス視点)


 朱の娘の問題発言に空気が凍る中、巨獣のたてがみに埋もれていた変人侯がゆっくりと顔を離す。


「……魔獣使いと魔獣は目で意思疎通を図ると聞いていたが、何を言っているのかまで分かるのかい? 私はラボン卿とは多少なりとも良い関係を築けていると思っていたが、そんな話は一度も聞いた事がない。いや、そこまで仲良くないと言われてしまえばそれまでなんだがね。それにしても魂違いとは一体どういう事かな? この子は私の妻の生まれ変わりだよ。魔力の色が全く同じなんだ。そりゃあ前世の記憶は消えてしまっているかもしれない。だがリーシャが死んだ年に同じ色を持つベヒーモスが産まれて私と出会うなんて運命だ。この子は絶対にリーシャの生まれ変わりだ」


 いつもと変わらぬ滑らかな喋りではあるが、表情豊かな男が無表情で喋っている時点でかなりダメージを受けている事がわかる。

 しかし朱の娘も超人侯の娘だけあってそれなりに強靭な精神の持ち主なのか、異常な変人侯の様子に怯みつつ言葉を続ける。


「で、ですが……この子、とても困ってます。自分はリーシャじゃないから頬ずりしてこられても困ると。もし生まれ変わりならば惹かれ合うもの。見知らぬ私に涙ながらに訴えかけてくる程困ったりしないはずです……!」


 朱の娘の言葉に問題の巨獣を注視してみる。


 荒々しいこげ茶色のたてがみと額から生える2本の大きな薄灰の角や硬い皮で覆われたいかつい体は非常に攻撃的で近寄りがたい風貌をしているが――問題の赤黒い瞳は潤み、目元には水が滲んでいる。そしてグゥ……と悲しそうな鳴き声を上げてその風貌に似つかわしくない哀愁を漂わせている。


 ああ――これは私でも分かる。魂違いだ。


 初対面の私でさえそう思う程哀愁が漂っている巨獣を見た変人侯も、流石にショックを受けたようで固まってしまった。


「……そんな、まさか……!」


 世界の終わりが来たかのような呻きを上げた後、ガックリと項垂れ膝をついた変人侯に魂違いの巨獣も動揺したのか、朱の娘の方にそのギョロリとした目を向けてグゥグゥ鼻息荒く鳴きだした。


「そ、育ててくれた事には感謝していると……嫌いな訳じゃないそうです。ただ、スキンシップが激しいのと他の2頭との差別に困っていたようで……!」 

「……何て事だ……君がべヒとモスにハブられているのは私が原因だったのか……!重ね重ね済まない、リーシャ……!!」


 愛する妻の名をつけた巨獣以外の2頭に対する名付けが雑すぎる。

 恐らく他にも依怙贔屓していた所もあったのだろう。この巨獣が他の巨獣にハブられる様が透けて見える。

 

 誰が見ても打ちひしがれている変人に対し、巨獣は困ったようにグゥグゥ言っている。

 自分が兄弟にハブられてしまった原因である主を励ますとは。余程気の優しい巨獣なのだろう。


「そんなに落ち込まないでほしいそうです。今までありがとうと言っています」

「そうか……完全に迷惑という訳ではなかったのならそれで良かった、っていやそうじゃない! 今までありがとうってなんなんだい!? まさか、リーシャも皆と一緒に行きたいのかい!?」


 勢いよく顔を上げた変人侯に対してグウ、と橙色のリボンを付けた巨獣がハッキリ頷く。


 図体が大きい分、その辺の獣よりは知性もあるだろうとは思ったが人語を理解している事に少々驚く。18年も人に育てられれば多少人語も理解するのだろうか?


 ハッキリとした意志表示に変人侯の背中が塵になって消えそうな幻を感じたが、彼は首を横に振ると諦めたように喋りだした。


「……分かった。これまで私の自己満足に付き合わせて悪かったね、リーシャ……いや、君はリーシャじゃないんだ。新しい名前をつけてもらって、君の行きたい所に行くといい。例え生まれ変わりでなかったにしても、君の存在に救われていた面はある……私は今不幸のどん底だが、君達が幸せになれるよう祈っているよ。べヒとモスも済まなかった。どうかこれからはこの子を仲間に入れてあげて欲しい」


 ゆっくりを立ち上がって他の巨獣達に視線を向ける変人侯につられてそちらを見ると、両頭とも視線を交わし――十数秒程の沈黙の末、グウ、と2頭同時に頷いた。


 その様子を見て再び変人侯は魂違いの巨獣に向かい合い、震える手でたてがみに結び付けられた橙色のリボンと指輪を解く。


 私だったら魂違いだと分かった時点で即刻始末して無かった事にするが、変人侯はそうしない辺り巨獣そのものに対しても情があるのだろう。それが尚更気の毒でもある。


 あの巨獣は魂違いだと分かって欲しいだけではなく、ここを出たがっているのだから。

 情を分けた相手に颯爽と出ていかれる――あまりに憐れであざけりの言葉も出ない。


「ああ、この子に乗るのは君がいいな……この子の生まれ変わりでないとしても長年共に生活してきたこの子は私にとって大切な存在には間違いないからね。男に乗られたくない」

「は、はあ……父上、宜しいですか?」

「構わん。そいつはお前が名付けてやれ」

「では……え、名前はこのままがいい? ……ごめんね、魔獣使いは魔獣に自分の名前を一文字使った名前をつける決まりなの。だから……ルーシャじゃ駄目?」


 初対面の魔獣と打ち解ける為だろうか? 朱の娘がこれまでの人に対して向けていた言葉とは全く違う優しいトーンで魔獣に呼びかけると、巨獣はグウと鳴いた。


 この巨獣は大丈夫そうだなと思い他の巨獣達の方に目を向けると、自分達と意思疎通が出来る魔獣使いに既に心許したのか超人侯と朱の少年それぞれにすり寄っている。


「可哀相になぁ。ベヒなんて安直な名前を付けられて……よし、お前は今からラフィだ。ローゾフィアに着いたらこんな陰気な場所じゃなくて風通しのいい場所に新しい寝床も作ってやるからな! そんな訳だからロイド、お前は残っているその雌を新たな相棒にしろ」


「分かりました。それでは……お前の名前はアス……でいいか?」

「駄目だ、別の名前にしろ」


 巨獣が頷く前に反射的に言葉が出てしまっていた。こんな醜悪な巨獣に飛鳥にちなんだ名をつけるとは何を考えているのか。

 黒の魔力を出して威圧してみせると、朱の少年は少し怯みながらも真っ直ぐこちらを見返してくる。


「若造! これから生涯を共にする相棒になる魔獣が異性の場合、想い人にちなんだ名をつける決まりなのだ。魔獣自身が受け入れぬのなら仕方ないが第三者が口を挟む話ではない!!」


 愛息の危機に凄んでくる超人侯と険悪な関係になる訳にもいかず、背を向けるとアスと名付けられそうになっていたベヒーモスがグウ、と鳴いた。どうやら気に入ってしまったようだ。


 非常に腹立たしいが、こんな巨獣に自分にちなんだ名をつけた男に飛鳥もドン引きするだろうと思い直す。それでも面白くない事には変わりないが。


「……ああ、そう言えばロイドはお前をフッたツヴェルフに惚れおっ」

「私はまだフラレてなどいない……! 擦れ違いの果てに離れ離れになっただけです!!」

「わっはっは! フラレようがフラレまいが、どちらにせよお前は恋敵に巨獣を贈る事になってしまった訳だ! お前にとっては非常に不服な状況だろうが、今回の依頼はきっちりこなしてやるから許せ!」


 ラフィと名付けられた巨獣を引き連れてこちらに歩いてきた超人侯がまたバンバンと背中を叩いてくる。

 地味に響く痛さを堪えていると変人侯までこちらに寄ってきた。


「セレンディバイト公、君はロットワイラーとの戦争を止めに行くといっていたが……ラフィとアスはともかく、ルーシャまでそんな危ない目に合わせるわけにはいかないぞ」

「大丈夫です。彼女達にはあまり危険のない作業をさせるつもりですので」


 私が向こうで何をしようとしているか伝えると、変人侯は眉を顰める。


「……私自身はそのやり方はどうかとは思うが……物理的な戦争で両方の国の命が潰えていくよりはずっといい。それにその方法なら、向こうも今後過激な実験や研究は自主的に控えてくれるかもしれない」

「くれぐれもロベルト卿には内密にお願いします」

「分かっているよ。あの方は敵国であれ力無き民を巻き込むやり方を好まないからね。ただ先日のダンビュライト侯とリアルガー公がロットワイラーに侵入した件は昨日の内に連絡してしまった。今頃皇城はバタバタしているだろう。決行するなら急いだ方がいい。今、非常通路の道を開けよう」


 広い空間の奥の方に近づくにつれて壁に1つ、大人の肩の辺りにはめ込まれている石が見える。

 変人侯がそれに手を当てると石と石が擦れる音と共に壁が大きくスライドし――巨獣が通る事を見越して作ったのだろう――皇城の扉位の大きさの道が現れた。


「この道を通ればイノ・オランジュから少し離れた森に出る。出口はこの橙色の魔晶石で反応するから通った後は閉めておいて欲しい。氷竜が討伐されて以降、気温も元に戻ったお陰で山の方の雪は大分減っているが、念の為雪崩で潰れた麓の村やルドニーク山の周辺は立入禁止区域にしてある。だから今君達が山頂に上がる分には何も問題ないはずだ。ああルーシャ、せめてもう一撫でさせておくれ。これが最後なのだからいいじゃないか。いや、もしかしたら突然前世の記憶が戻る事があるかも知れない。その時は一言連絡を……いや、どうせラボン卿に知られてしまったのだから暇ができたら私から会いに行こう。そうだな、それがいい。ローゾフィアなら会いに行くのに無理のない距離だし……」


 無言の笑みがそれ以降の言葉を予測させる。この男――超広範囲索敵望遠鏡アナライズテレスコープで覗くつもりだ。

 ノイ・クレーブスまで険しい山脈や守りに阻まれているが距離的にはロットワイラーより近い。見ようと思えば恐らく、見られる。


 醜悪な巨獣にブフン……と諦めのため息をつかれてなおたてがみに埋もれる変人侯に寒気を感じる。


 変人以上、狂人未満――『変態』という言葉はこういう人間にこそふさわしいのだろう。


 ただでさえ会話に難があるこの男の傷心中であろうタイミングで交渉を始めるのは少々気が引けるが――私に残されている時間が少ない以上、躊躇してはいられない。


「……ラボン卿、私は少しコッパー卿と話がありますので先に行ってください。明後日の……そうですね、日が暮れる頃に行動を起こしたいと思っていますので明後日の昼過ぎ位にルドニーク山の山頂にいて頂ければ」

「分かった。明後日にはお前が望む程度の行動はできるようになっているだろう」


 非常通路を進んでいく彼らの背中をしばし見送った後、傷心の変人侯にどう声をかけようか迷いながら視線を向けると、彼は既にこちらに見て苦笑いしていた。


「……セレンディバイト公、そんな目で見られては私も話したい事を話せない。君だって私と同類だろう? お互い軽蔑するのはやめようじゃないか」


 明らかな問題発言を放たれ、けして少なくなかった同情心は一気に消え失せた。


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