第88話 銀色の渡り鳥
温室はコッパー邸にあった物よりちょっと小さいかな? と感じる位の大きさでまだ上モノだけ建てました、と言わんばかりに足元には草が茂っている。
ただ、コッパー邸の温室と同じように手を伸ばしたらちょっと指の先端が触れそうな位置にフェンスが取り付けられていて、そこにはまだ何も絡んでいない。
だけどダグラスさんがいる温室の隅に歩み寄っていくとそこには1本、細い木らしき物が植えられているらしく、その周辺のフェンスにはちょっとだけツタが絡んでそこにポツ、ポツと仄暗い光を放っている箇所がある。
夕日が沈んて青白い星が照らす温室の中、濃灰で微かに仄暗い光を漂わせているそれが何かは――何も教えられていなくても分かった。
「ダグラスさん、ただいま」
「あ、ああ、飛鳥さんでしたか……! おかえりなさい」
どうにも暗い顔をしている。私の機嫌を伺っているというより何か落胆しているような落ち込み方だ。
「ダグラスさん……今朝は、その、この世界の常識とか私のおかれた立場を分かってなくて、その……怒っちゃってごめんなさい」
まずは何より先に今朝の事について謝る。小さく頭を下げるとダグラスさんから優しい声が落ちてきた。
「いえ、私も……もっと貴方に寄り添う言葉を言うようにヨーゼフから言われました」
ヨーゼフさん本当いい仕事してくれるわ……と内心改めてお礼している間にダグラスさんの言葉が続く。
「……女性には共感が大事だと、知識として分かってはいるのです。実際になんとも思ってない女性に対しては世辞も共感の言葉もスラスラ言える……ですが貴方相手には実践する事が難しい。最善の方法より自分の言葉や感情が出てきてしまう……私の気持ちを分かってほしい、受け入れてほしいと思ってしまう」
その気持ちは分からないでもないけど――他の女の例えを出された事にムッとして顔をあげるとダグラスさんが怯んだのが分かった。
「も、勿論それでは駄目だと思ってますし、これからなるべく自制しますので……すみません」
まるで私に嫌われるのが怖い子犬みたいな顔してそう言うものだからまあいいか、と水に流す。今はそれより気になる事がある。
「あの、この木ってもしかして……」
「ああ……」
仄暗く光る実を見上げて問いかけると、ダグラスさんも頭上を見上げた。
そして手を伸ばすと仄暗く光る実を一粒契って私の前に差し出す。
「……飛鳥さんがコッパー邸で世話になっている時にこのスフェールシェーヌを気に入っていたという話を聞いたので、ツテを頼って取り寄せてみたのですが……」
またサラッと嘘をつく。まあこれは嘘つかれても仕方ないし、悪い気もしないんだけど。
ダグラスさんの手の平で転がる、小さな黒い実――暗い色はボンヤリとは光るけれどコッパー家の橙色に光る艶やかな空間とは程遠い。
むしろ青白い星の光を阻害するような、仄暗い光。
「ご覧の通り、ここは黒の気が強く……コッパー邸で咲くような鮮やかで美しい輝きが出なくて、どうしたものかと……」
その寂しそうで消え入りそうな声に思わずギュッと抱きつく。
「あ、飛鳥さん!? どうしたんですか……!?」
「ここの実だって十分綺麗です……! そりゃあ綺麗で鮮やかで宝石みたいな実だって好きだけど……この地味で仄暗い実だって、私は、好きです……」
どぎまぎするダグラスさんの声に被せるように素直な言葉をぶつける。
私があの温室で綺麗だって眺めてた実を自分の館でも、と思ってわざわざこんな温室作って木まで取り寄せて。
それで成った実が全然輝かしくないからって、落ち込んで――
「……飛鳥さん、何故泣いているんですか? 向こうで茶菓子の食べ方が雑だと叱られてしまったのですか?」
「何も言われてません。これはダグラスさんが私を喜ばせようと頑張ってくれた事が嬉しい、嬉し涙です……」
っていうか、食べ方雑だと思ってたんだ……これでも行儀悪くならないように気をつけて食べてたつもりなんだけど――って口に出したらまた喧嘩になっちゃう。
今度セリアにマナーもちゃんと教えてもらおう。
「そうですか……貴方が辛い目に合っていないのならいいのですが……」
ダグラスさんの戸惑う言葉が耳の近くに聞こえる。
今はただ、この人の優しさと温かさにだけ目を向けていたい。
優しさの裏にどんな感情があろうと、この人から感じる温かさは絶対に、偽りなんかじゃない。
(そうだ、きっと……あの手紙だって。手紙に書かれた言葉は偽りなんかじゃなかったはずだ)
だって、あの手紙の言葉の一言一言に心動かされるものがあった。
悲痛な想いも幸せを願う気持ちも。他人の私にですら伝わってくる物があったんだから。
手紙に記された事実と、込められた真実。手紙をダグラスさんに託した時の表情と言葉――ダグラスさんのお父さんの真意は分からない。
でも。それなら自分の都合の良いように信じたい。
だけど『ダグラスさんの両親はダグラスさんを愛していたと思います』、とは言えない。
言えば理由を追求されるから。伝えちゃいけない真実もそこにあるから。
伝えられない真実に頭の中で苦しさと悲しさが交錯して、涙がどんどんこみ上げてくる。
スン、と小さく鼻をすするとマントで包むように抱きしめ返される。
「すみません……嬉し涙であれ何であれ、貴方が泣いている姿は私以外の誰にも……星にも見せたくないので……」
ああ、この人はこんなに優しいのに。心配してくれているのに。私の涙は止まってくれない。
「あの、ごめんなさい、服……」
少し顔を離そうとすると服が濡れていく事も全く気にしない、と言わんばかりに頭に手を添えられて再びダグラスさんの胸に密着する。
「あの、飛鳥さん……今節の15日なんですが……その日は、その……ル・ティベルで最も星が綺麗に輝く日でして……」
つい先程聞いた話にもしや、と顔を上げる。ダグラスさんは上に視線をそらしていて私が顔を上げた事には気づいてないようだ。
「……サウェ・ブリーゼという地のとても美しい海に生息する鏡珊瑚が星空に呼応して光る習性があるんですが、星の日のそれは星鏡と言われ、空も水面も形容しがたい程に美しいので、もし良かったら見に行きませんか……? そこは貴族用のホテルやプライベートビーチもあるのでその、婚前旅行」
「あの、私も、それ、マリーから聞いて……あの、そこで愛を誓いあった恋人達は幸せになれるとも聞いてて……ダグラスさんと、行きたいなって……!」
誘ってくれた事が嬉しくてかぶせ気味に言うと、私の方を見たダグラスさんの表情がパァッと明るくなる。
「そ、そうですか……!! そこまで知られているのは少々恥ずかしいですが、既に最高級ホテルのスイートルームを予約してあるので……ここの温室の失態はそこで挽回させてください」
「ダグラスさん……私、本当にこの仄暗く光る実も好きですよ? それにこれ、小さいから弱々しいだけで、大きくなったらキラキラするかもしれないし……後ここ、家庭菜園にもピッタリだし……! この温室は全然失態なんかじゃない……最高のプレゼントです……!」
「飛鳥さ……」
ダグラスさんに思いっきり背伸びして、そっと口づけする。
唇に柔らかな感触を一瞬感じた後、すぐに背伸びをやめてダグラスさんを見ると、口元を綻ばせてフルフルしている。
「プ、プレゼントのお礼……です。この温室とスフェールシェーヌに比べたら全然大した物じゃないんですけど」
「いいえ……十分です。私はこれが……貴方の嬉しそうな笑顔や優しい声が私に向けられている事が何より嬉しい。最高のお礼です」
ちょっと恥ずかしいけど、ダグラスさんが嬉しそうに私を見つめてくる。まさかこの人がフルフル震える所を可愛いだなんて思う日が来るとは思わなかったな。
「家庭菜園……ダグラスさんもたまにでいいので手伝ってくれますか?」
「勿論です。土を耕したり水やり、害虫駆除、収穫……魔法や魔道具を使った方が楽な場面も多いでしょう。困った時は頼ってください」
「それとこれからは武術も教えて下さいね」
「もちろ……いや、待ってください……武術?」
可愛い震えが止まってダグラスさんの目が一気に厳しくなる。
「だってダグラスさん、塔の屋上で稽古付けてくれるって言ってましたよね? 私、自分の身はちゃんと自分で守れるようになりたいので」
私を引き止める為に必死に色々並べ立てた際に出た言葉を私は忘れていない。
ダグラスさんも心当たりがあるようで私から微妙に視線をそらす。
「な、何かあったら私が守りますので……」
「でも……私これまで何度か死にそうな目にあってますけど、ダグラスさんもクラウスも私が本当に死ぬ寸前でしか助けに来てくれてないじゃないですか」
正直――本当の危機に助けてくれるヒーロー感が、どっちも足りないというか。
最低限でも鍛えておかないと助けに来てくれる前に死にそう、っていうか。
「だから……何かあった時に2人が助けに来てくれるまで粘れる程度に鍛えたいんです」
何だか泣きそうな顔になってるダグラスさんがちょっと面白いなと思いつつ、あくまでも助けに来てくれる前提だから、とフォローを入れる。まあこれは建前だけど。
本音は2人に頼りきったり、依存しきったりしないように何かあった時に自立できるように自分を鍛えておきたい、という自己防衛意識。
それに(私がセラヴィのようにならないようにする為にはどうすればいいか?)と考えた時、何かあった時に負けない力を――2人が道を踏み外しかけた時に引き戻せるだけの力を持っていたいと思った。
物理的に鍛えれば精神的にも鍛えられるって訳じゃないけど、鍛えておくに越したことはない。
(それにいつかエレンに再挑戦して、見返してやりたいって気持ちもあるし……)
コッパー邸でリチャードから戦い方をしっかり教えられたし筋トレも出来る範囲でしてるから、あの時みたいに痛めつけられて終わり――なんて展開にはならないだろうけど、『見返す』ってレベルにはまだまだ足りない。
それにダグラスさんとクラウスと両方と結婚するからこそ『男に守られてばかりの女』なんて言われたくない。あらゆる理由が私に強くなれって言ってる。
真っ直ぐにダグラスさんを見つめると困った子犬のような表情をしている。
そこで折れる訳にはいかないのでじーっと見つめると、ダグラスさんから重い溜息が零れ出た。
「……分かりました」
ガックリと肩を落として項垂れるダグラスさんに内心(勝った……!)なんて思いつつ。
こうやって変わってくれる人だから、私もちゃんと変わりたいと思う。
「……ダグラスさん」
項垂れたダグラスさんの顔の頬を両手で挟むようにして覗き込み、もう一度視線を合わせる。
驚くダグラスさんの表情が、とても、愛しい。
大丈夫。私きっとこの人とやっていける――レオナルドとマリーみたいな、アシュレーやアンナみたいな素敵なカップルにはほど遠いかもしれないけど。
私達は私達なりに、上手くやっていけるはずだ。
だって、あちらこちらバタバタして、酷い目にも辛い目にも痛い目にもあったけれど、その中にはダグラスさんのせいで、って面もあるけど――でも、この人の温かさと黒の魔力の安らぎの中に、私は確かに『幸せ』を感じるから。
「大好き……!」
何の遠慮も躊躇もない笑顔を向けると、ダグラスさんの表情を確認する間もなく今度はぎゅうっと力強く抱擁された。
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