第47話 器の中にいる理由


「全く……色恋というのは本当に恐ろしくて厄介なものですね……さて、お茶がすっかり冷めてしまったので淹れ直しますか……アスカさんはどうします? 他にもオススメのハーブティーがあるので試してみますか?」


 ヴィクトール卿が再び防御壁を張り直してくれたけど、冷たい風に当たってすっかり体が冷えてしまったのでお言葉に甘える事にした。


 先程のサファイアを溶かしたようなハーブティーとはまた違う、アメジストを溶かしたような透き通った紫色のハーブティーが注がれていく。

 その優しい香りと味に再び心が落ち着いていくのを感じながら、先程の会話で気になった事を尋ねてみた。


「あの……ヴィクトール卿、さっき、術に巻き込まれた人達の治療と弔いって……」

「言葉のとおりですよ。私の魔法に10人ほど巻き込まれました。何人かは死んでいるでしょうね」

「……平然と話せるんですね」


 自分の手で人を殺してしまった事をあまりにもサラッと認める言葉につい反発的な口調で呟いてしまった事を後悔する。

 ヴィクトール卿はそんな私の態度に苦笑いしながら言葉を続けた。


「平然と話せるようじゃないと公爵なんてやっていられませんからね。人の死を抱えていては救えるものも救えない。彼らが死んだのは彼らのせいです。彼らがそこにいて、そこにたまたま私の魔法が刺さっただけ。それで死ぬならそれは避けきれなかった彼らの運命です」


 ルクレツィアが言っていた言葉と重なる。父親が説いた言葉がそのまま娘の指針になっているんだろうか?

 でも自分の攻撃に他人を巻き込んだ人間が説く言葉として、それはあまりに無慈悲な言葉のように思える。


 私の表情と感情から私がその言葉をどう受け止めているのか分かったんだろう。ヴィクトール卿は自身が持つティーカップを静かにソーサーの上においた。


「……酷い言い方に聞こえるかも知れませんが、私達公爵は皆そう割り切っていないと耐えられない程の命を手から溢れ落としています。私が魔法を使わなければそれ以上の人間が死んでいた……私の魔法は10人の騎士を殺したのではなく、20人の騎士と民の命を救ったのです。既に避難していた民が多い分効率悪く聞こえますが、もし民が避難していなければそれ以上の人間の命を救っていたでしょう」


 その言い方からはこちらを説き伏せようとする圧を感じた。


「……すみません、失礼な言い方して……」


 私の言葉は難癖と受け取られても仕方ない。反省して素直に謝罪する。


「いえ……こう割り切っていても、いざ実際に言われると少しカチンときてしまう自分も人なのだなと実感しました。公爵以外は皆私を恐れて私が不快になりそうな事は言いませんからね……たまにはこうして何の忖度もなく会話してくれる人と話して、自分が人である事を自覚するのもいい」


 微笑みをたたえて僅かに揺れるハーブティーを見据えるヴィクトール卿の目は何を映しているのかわからない。

 もう少し謝罪の言葉を続けた方が良いかなと思った時、彼の言葉が続いた。


「それより、貴方は先程からずっと思い悩んでいるように見える……言いたくない事を言わせなければ気分も晴れるかと思いましたが、そうでもないようですね。私で良ければ相談に乗りますよ? 自分の中で抱えていて答えを出せない物でも、人に話せば答えが見えるかも知れない」

「……あの、何でそこまで私を気にかけてくれるんですか? 私は、この世界から逃げ出そうとしたのに……」


 ダグラスさんと交友があるから私を保護しようとしてるのは分かるけど、この世界から逃げようとした人間に対する態度ではないように思う。

 塔の屋上での顛末はルクレツィアから聞いているはずなのに。ヴィクトール卿の意図が見えない。


「確かに、貴方を恨む人間は少なくありません。ですが貴方が思っている程多くもありませんよ。私は貴方を恨んでなどいません」

「でも、ツヴェルフがいなくなったのは……」

「そうですね……アレクシスをキング級のツヴェルフと契らせたいと思っていましたから、彼女達がいなくなった事はとても残念に思っています。ですが娘も息子もまだ若い。次の……10年後のツヴェルフを待てばいい」


 ヴィクトール卿はそこで一度言葉を切ってハーブティーに一口つけた後、再び言葉を紡ぎ出す。


「他の公侯爵家の跡継ぎ達も10代20代ですから、次のツヴェルフでも十分間に合う。ツヴェルフが逃げた程度で騒ぎ過ぎなんですよ……あまり思い詰めない方が良い。誰だって嫌な運命には抗おうとする。貴方と共に地球に帰ろうとしたツヴェルフ達は運命に勝っただけです」


 運命に勝つ――この世界に召喚されて、皇帝や伯父さんと話しておばあちゃんに伝える為に帰るのが私の運命だと思う、的な事を言っていた優里の姿が頭を過る。


 運命に勝った優里やソフィアと、未だ運命に翻弄されて先が見えないまま抗っている自分の差に改めて自嘲してしまう。


「それに、獣人に誘拐されたアレクシスが助かったのはダグラス卿の……引いてはアスカさんのお陰ですからね。アレクシスが誘拐された時は最悪私がツヴェルフか娘と新たに子を成さねばならないと考えていましたから、その可能性が遠のいただけでも私は貴方に感謝しています。恨む理由など何一つ無い」


 恨む理由など何一つ無い――そう言われて少し心が軽くなる。


 このまま自分の中にあるモヤモヤを抱え込んでいても答えが出そうにない。この人に相談してみても良いのかも知れない。


「あの、私……ダグラスさんが動けなくなってしまった事で魔物討伐が追いつかなくなってるってルクレツィアから聞かされて……その分この世界の人達が魔物に襲われて怪我したり、亡くなってると思うと不安で、でも自分がどうしたら良いのか分からなくて……『その人の運命だから自分には関係ない』とは、どうしても思えなくて……」


 声が震えたり、上手く言葉が出せず途切れ途切れになってしまった私の言葉をヴィクトール卿はただ静かに聞いていた。


「……なるほど。弱者の死を悼むあまりにその死に囚われていると……そうですね、貴方にこの方法が合うかは分からないのですが……少し、自分を客観的に見てみると良いも知れません」

「客観的に……?」

「例えば……自分に向かって石を投げられるのなら、気が済むまで自分を責め続けるのも良いでしょう。ですが、少しでも投げる事を躊躇するのであれば……そこまで自分を責めなくても良いのではないでしょうか? 石をぶつけられて痛がる自分に気が済んだなら、もう許してあげても良いのではないでしょうか?」


 自分に対して、石を投げられるか――想像してみる。


 自分のせいで死ななくて良かった人が死んでいるかも知れない――そう嘆く自分に私は……石を投げられる気がしない。

 それどころか『貴方のせいじゃない』と寄り添ってしまいそうだ。もし自分が他人だったら何とか元気づけてやりたいと思う。


 これまで自分を責め続けていたのに、いざ本当に自分を傷つけようと躊躇するどころか自分を庇おうとする自分が、どうしようもなくちっぽけで小狡い人間に思えてくる。


「と言っても、これは受け売りの言葉なのですがね……この年になってもまだ励ましの言葉一つまともに言えない。お恥ずかしい限りです」


 今の私の感情があまり良いようには見えていないのだろう、ヴィクトール卿は苦笑いした。


「そ、そんな事ないです! 今の言葉で大事な事に気づかせてもらいました……この温かいハーブティーも、防御壁も……全て…感謝しています。本当に、ありがとうございます」

「……そう言って頂けると淹れた甲斐があったというものです。私は人が美しい物を見た時の感嘆の感情が一番好きなんです」


 そう言って微笑むヴィクトール卿の姿が亡くなった父の姿と重なる。


(お父さんも生きてたら……こんな風に相談に乗って、励ましてくれたのかな……?)


 口下手で優しかった父は――交通事故で亡くなってしまった。その事を思い出すと同時にドクン、と胸が跳ねる感覚を覚える。


(駄目……それ以上思い出しちゃいけない……!)

 

 今の私は白の魔力も指輪もなく不安定だ。ペイシュヴァルツが私の中にいる事を思うと、できるだけ黒の魔力も使いたくない。首を軽くふって思考を散らす。


「……先程から不思議に思っていたのですが、貴方の中にいる黒い子猫は何故働かないのですか?」

「ペ、ペイシュヴァルツまで見えるんですか!?」

「先程アスカさんの黒の魔力が乱れた時にチラッと見えました。私から隠れる事を優先して魔力を安定させられなかったのならもう無駄ですから、アスカさんを安定させてあげなさい」


 ヴィクトール卿の言葉に呼応するように心がスウッと落ち着いていく。


 もしかしてペイシュヴァルツが私の器の中にいたのは――私がこの半月、心を大きく乱さずにいられたのは、ペイシュヴァルツのお陰なんだろうか?


 音石を奪った挙げ句にアーサーに託した事は正直根に持っているけど、主を危機に陥らせてしまった私を子猫になっても助けてくれる万能黒猫に感謝の感情がこみ上げてくる。


「良かったですね。心が安定したようで」


 このオジサマにも――蛇に下半身飲み込まれてしまっている現状はともかく、敵対してもおかしくない私に温かい環境を提供して飲み物まで淹れてくれて、悩み相談にまで乗ってくれた上に体調まで気遣ってくれるとか、正直、神としか思えない。


「いえ、あの……本当にありがとうございます! もしヴィクトール卿にも何か悩み事があったら、私も相談に乗らせてください……!」

「おや、こんな枯れた人間の悩み相談を?」


 ヴィクトール卿はあっけにとられた顔をした後、目を細めてくつくつと笑う。


「そうですね……今の所、悩みという悩みはありませんが……ラリマー邸に戻ったらまた私の淹れた茶を飲みながら話し相手になってくれませんか? 持参していないハーブティーの中にもオススメがありますし、美味しいお茶菓子もあります。アレクシスにも命の恩人を紹介しておきたいですし……」

「分かりました……!」


「ありがとうございます、楽しみにしてますね……では私は氷竜戦に備えてそろそろ仮眠を取ります。アズーブラウ、ダンビュライト侯が来たらノックしてください」


 ヴィクトール卿が指を鳴らすと、テーブルもチェアもティーセットも消えて指を鳴らした当人は青の球体に包まれた。

 半透明ではなく大きなトルコ石のような鮮やかな青色の球――中でどう寝るのか分からない。


 正直、氷の雨やら防御壁やら亜空間収納やらこの短時間にこの人の魔力の凄さを見せつけられて全く逃げられる気がしない。

 純粋に恩返ししたい気持ちも強いけど今は素直に相手の言葉に応じるしかない、というのが現状だ。感情も見られてしまう訳だし。


(逃げるという感情が読まれてしまうのなら、今は大人しくしていた方がいい。それに……もしアーサーがダグラスさんを宥めてくれて、ヴィクトール卿が立ち会う場でダグラスさんと冷静に会話する事ができたら……)


 正直、まだ逃げ出したい気持ちはある。だけどペイシュヴァルツのお陰だろうか?以前よりもダグラスさんに歩み寄ろうとする勇気が湧いてくる。


 訓練して少しは強くなった自覚もあるし、最悪の場合エドワード卿から貰った銃がある。だから――ちゃんとダグラスさんと話し合いたい。


 そんな風にカッコよく決意を固める私をアズーブラウはまたあぐあぐと飲み込んでいく。

 上半身を出てるより丸呑みした方がアズーブラウ的に楽そうなので抵抗せずに受け入れると、アズーブラウは私が寝やすいように気遣ってくれたのか、地面に寝そべった。


 私が呼吸できるようにちょっとだけ口を開いてくれた部分から少しだけ冷たい空気が入り込んでくる中、黒の魔力を使って自分に向けてテレパシーを念じてみる。


『ペイシュヴァルツ……ありがとう』


 今も私の器の中にいるだろうペイシュヴァルツに、このテレパシーは届いたのだろうか――来るかどうかも分からない返事を待っている間に、私もいつの間にか眠っていた。



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