第111話 何も知らない英雄


「どういう事……? あの人、下着、見てないの?」


 改めて確認すると、セリアは小さく息をついて語りだす。


「ダグラス様、様付けがどうこう言ってらしたでしょう? 下着に魅了された者は相手に名を呼ばれるだけで筆舌に尽くしがたい幸福感に包まれるそうです。そんな状態なら敬称なんて些細な所にこだわらないはず。その事抜きにしてもお二人の様子見ている限り、下着を見られたとは思えないです」


 セリアの言葉に、大きく息を吐いてベッドにドサりと倒れ込む。


「良かったー……本当、良かったわ……私もう純白の生地と糸探してパンツ作る所まで想像してた。だって、一生涯パンツに捉われる人生なんて気の毒過ぎるじゃない……」

「私、アスカ様の発想に時折狂気を感じます」

(私はさっきセリアの態度に狂気を感じたわ……)


 お互いのため息が被る中、心に抱えていた大きな不安の1つが消えてくれた事に改めて感謝する。


 それにしても名前呼ばれただけで筆舌に尽くしがたい幸福感に包まれるなんて、もはや洗脳の域。そうなるの分かってて下着勧めてきたセリア本当怖い。

 あの人がそれに引っかかってなくて、良かった――って、ちょっと待って。


「じゃあ何で、私が馬車で座った時ガン見してきたの? 隠せとか言ってマントまで差し出してきたし……」


 再びベッドから身を起こしてセリアに問い詰めるように聞くと、セリアから困り笑いを向けられる。その視線は何だか哀れみすら感じられる。


「……あの時、アスカ様が隠さねばならなかったのは下半身だけではありません」


 その言葉と手で胸をトントンと叩く仕草で、セリアが何を言いたいのか明らかだった。


「ああ、うん……そういう事ね……分かった」


 結果は違えど恥ずかしい物を見せてしまった事に変わりなかった。

 もうどうしようもない事だと分かっているけれど、顔と頭が熱くなっていく。しばらくこの熱は引きそうにない。

 穴があったら入りたい衝動に駆られ、ひとまず頭から布団を被る。


「で……でも、下着を見てないなら何であんな余裕ない感じになっちゃったの? ホールに来た時から変だったし……セリア、何て言ってあの人をホールに連れて来たの?」

「クラウス様にフラれ、ダグラス様に突き離され、深く傷ついてるアスカ様の傍にはレオナルド様がいます……と事実を述べただけです」


 布団から少しだけ顔を出して質問して返ってきた答えに顔が余計熱くなる。全てを事実として捉えたら結構過激なシチュエーションになっている。


「ダグラス様はアスカ様の部屋から帰られる際も盗聴の際も相当余裕ない感じでした……それに加え突然のライバルの出現、アスカ様の拒絶……ダグラス様の心は今大いに乱れています。仲直りして心落ち着かせればあの方も冷静さを取り戻し、アスカ様と共に過ごす時間に慣れてくれば余裕も戻ってくると思われます」


 冷静さも余裕も取り戻されたら脱出の難度があがるのは確実――となるとやはりこの一切会わない状況をできるだけ維持しないといけない。


「……傷ついたアスカ様の気持ちは理解できるのですが、仲直りだけは早めにされた方がよろしいかと。今あの方はアスカ様に嫌われたくない一心でアスカ様の意思を尊重していますが、あの方を怒らせたら恐ろしい物を見る事になります」

「恐ろしい物……?」

「……アスカ様が保護されていた間、何が起きたかご説明しましょう」


 保護という言い方に疑問を抱くも、それを言う前にセリアが語りだした。


「私がホールに着いた時、丁度アスカ様がレオナルド様からマントを受け取っていた所で……アスカ様がダグラス様の作り出した黒の球体に包まれた後、ダグラス様がレオナルド様のマントをそれはもう……マントが破けるんじゃないかって位に徹底的に洗浄してました。その時のダグラス様はそれはそれは、親の仇でも取るかのような恐ろしい形相をしていました」


 あの人も恐いけどそれを嬉しそうに話すセリアも恐い。


「そして2階に上がり、レオナルド様にマントを突き返しました。その後、捕らえていた襲撃者達相手に障壁を張り、誰に確認するでもなくその場で処刑しました」


 処刑、という言葉に寒気が走る。


「幸い、その時には見物客は皆ホールから逃げ出していたので外部の目撃者はおりませんでしたが……報告を受けて駆け付けた皇太子様と赤の公爵があの方を止めるまで、それはもう恐ろしい光景でしたとも」


 そう言ってセリアは目を伏せた。その様子から相当酷い光景だったんだろうなと思う。想像するのはやめておこう。


「生け捕りしたのは情報を得る為でしょ? 何で……?」

「その事なんですが……『何故彼女を襲った人間を生かしている?』と驚いていたのでダグラス様、囮作戦の事知らなかったみたいなんです」

「え?」


 知ってて来ないんだとばかり思ってた。ヨーゼフさんを迎えに来させたのは襲撃者に備えて、という訳じゃなかったのか。


「ダグラス様、六会合の夜から魔物討伐に行かれたでしょう? 帰ってきたのはアスカ様をお迎えする直前ですからソフィア様が襲撃にあった事とか囮作戦の事を知る機会が無かったみたいで……」

「……会議で決めた事って、その場にいない人に伝えないの? 私を守るのも反公爵派を捕らえるのも全部あの人任せにするつもりだったんでしょ? それなら手紙位送らないと……」

「皆ダグラス様が来るものだと思ってましたし、あの方なら突然の襲撃にも対応できるだろう、という感じで……」


 あの人の強さに絶大な信頼を寄せる気持ちは分かるけど、その大雑把な思考に(この国の重鎮達大丈夫なの?)と不安が過る。


「ダグラス様は処刑を止めさせられた後、皇太子様相手に『勝手に人の婚約者を囮に使うような外道に従う道理は無い』と喧嘩を売って危うく皇家と決裂しそうになったのですが、赤の公爵に『その婚約者に大恥かかせた貴殿が我らを外道呼ばわりするとは片腹痛い!!』と一喝されて有耶無耶になりました」


 この屋敷からの脱出方法は神官長やネーヴェの定期訪問の時に相談しようと思ってるから、皇家と決裂されたら非常に困る――私が言いたい事を言ってくれた赤の公爵には足向けて寝られない。


「そして黒馬車に乗ってアスカ様を解放して今に至る……という流れなんですけど、皇城のホールを絶望に陥れた死神がアスカ様に大嫌いってちょっと泣き叫ばれただけで人生の終わりが来たかのように塞ぎ込むんですもの。私、本当にビックリして……」


 馬車の中で余裕無く私の機嫌を伺っていたあの人が皇城のホールでキレ散らかしてたっていう今の話に私もビックリだわ。


「ここに着いてアスカ様があの方を突き飛ばした時、流石にこれは怒るかな……と思ったんですけど、アスカ様に『私を嫌わないでください』って懇願して飛んでいった時は私、しばらく声が出ませんでした……ここで暴れなかった分、皇城でまた一波乱起こしてなければいいんですが」


 その一波乱、心配ではあるけど今は1ヶ月無事に乗り切る事を優先しないといけない。この世界で起きる事に首を突っ込む余裕は無い。


 ただ――1つ分かった事がある。この世界の人間が大事な事を言わないのは、私に限った話じゃない事。

 私が囮にされてる事を知らなかった彼に『守ってくれなかった』なんて言葉を吐いてしまった事を後悔する。


 謝りたい。でも、謝れない。謝ったらまた、一気に距離を詰められて仲直りする事になりそうで。

 謝るにしても何も今すぐじゃなくてもいいだろう。別の理由で仲直りせざるを得ない時に、流れで言ってしまえばいい。



 そして――彼が言った通り、その日から1週間が過ぎても私と彼が顔を合わせる事はなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る