第161話 ベッドの上で


 また黒の空間に立たされる。だけどクラウスの姿がない。

 足元を見る。ラインヴァイスもいない。

 

 ただ、遠くに――本当に遠くに淡い光が見える。


 もしかしたらその光の中にラインヴァイスがいるのかも知れない――そう思って目を細めると、すぐ背後から唸り声が響く。


 驚いて振り返れば、蝙蝠のような羽の生えた大きな黒猫が淡い光の方に向かって激しく唸っている。


「ペイシュヴァルツ……」


 今にも飛んで襲いかかろうかという形相に、思わず両手を広げて立ち塞がる。


「やめてよ、あの子が貴方に襲われたら、ひとたまりも……!!」


 言うやいなや躊躇なくガブッと左手に思いっきり噛みつかれて、その痛さに目が覚める。



(ここは……!?)


 真っ暗闇の中で状況を確かめる。柔らかい枕と布団の感触――どうやらベッドに運ばれたようだ。


(えっと、私……2つの魂を解放して、写真を破って、掃除機の中にいた青緑の魂に攻撃されて、ヒューイに去られてから、気を失って……)


 その後、誰かがベッドまで運んでくれたのだろう。それは分かる。そこまでは理解できる。


 だけど……何かがすぐ傍に感じる人の気配と私の肩から肩にかけて乗っているこれは多分、人の腕――――気だるさが酷くて頭がうまく回らないせいもあるだろうけど、この状況が全く理解できない。


 ただでさえ意識を無くす前に大量出血したのに更に血の気が引いていく。叫びたい気持ちもあるけど多分それをしたら目眩が起きそうな位には気持ち悪い。


 ちょっと足を動かし、確実に誰かと添い寝状態である事を確信する。この腕や足の感触からして間違いなく男性だ。それも、背が高い人。


 想像したくないけど、私にこういう事をしてきそうな男性は一人しかいない。


 その人がやらかした可能性を考えて、自分の状態を手探りで確認しようとすると未だ痛みが残る左手が上手く動かない。仕方なく右手だけで体に触れる。


(服……よし、服は、変わってない……パンツとブラ、OK……やらかされて、ない……!?)


 そして改めて左胸とそれを包むブラの間に硬い感触を確認した所で確実にやらかされてない事を確信し、安堵する。

 意識を失う直前、必死の思いでペンダントを隠した場所――本当に危ない所だった。


(この人が気を失った人間に手を出すような人じゃなくて良かった……)


 状況の確認が出来て安心した次は照明を付けようと、のしかかった腕をよけてゆっくり身を起こし、ベッドから出ようとした所で腕を掴まれる。


「飛鳥さん……?」


(起きてる!?)


 起きてるなら起きてると、私が目を覚ました時点で一言――と言おうとした所を引き寄せられ、抱きしめられる。


「ああ、良かった……血まみれで倒れてる貴方を見た時は本当に、生きた心地がしませんでした……」


 暗闇の中で表情が見えない。魔力が落ちてくる感触に寒気を覚えつつ、安堵する声と抱きしめる腕が震えている事に気づく。

 今抜け出したらまた厄介な事になりそうな気もしたので大人しく胸に抱かれる。


 私の生存を喜んでくれる事への感動より黒の魔力が落ちてくる嫌悪感が勝るのが、虚しい。


「ダグラスさん、あの……私、この状況が、ちょっと、理解できないんですけど……」


 腕の震えが止まった頃を見図らって切り出すと『ああ』と相づちを打たれ、パアッと部屋が照らされる。

 漆黒の部屋かと思ってたけど――ダグラスさんの寝室だ。


 改めて身を起こそうとするとダグラスさんも私を支えるようにして身を起こす。   

 床と壁に血が飛び散っていてかなりスプラッタな光景に再び意識が遠のきかかったので支えてくれた事は素直に感謝する。


「私が帰ってきた時にそこで、全身傷だらけの血まみれで気を失っていたんです。痛みや血については粗方治療できたと思いますが……もう、痛い所はありませんか?」


 幸い、左手以外は何箇所か疼く程度で痛みは無い。それより気になることを聞いていかなければ。


「私、どの位気を失ってたんですか……?」

「私が15時に帰ってきてから飛鳥さんを発見して、すぐ治療して……それから2時間は経ってますね。」

「あ、あの、セリアとランドルフさんは?」


 2人は今無事なんだろうか? 焦燥にかられた質問にダグラスさんは少し眉をひそめて問い返してきた。


「それに答える前に、先に質問に答えてもらいましょうか……何故こんな所で倒れていたんです?」


 それは、と声に出した所でその後紡ぐ言葉に抵抗を覚える。


 もし素直にヒューイが来た事を言ったらどうなるんだろう? ダグラスさんは確実に彼に対して何かしら行動を起こすだろう。


 簡単にやられそうな人ではないけれど、誰かが巻き込まれるかも知れない。しかも彼は公爵家の人間。被害を受ければ、また新たに私を恨むような人間が――


 そう考えるとヒューイの事は言えない。言えば確実にまた誰かが酷い目にあうのは間違いない。


(それに……もし私が一人であの掃除機の魔法陣を見つけていたら……一人で解除していたら多分、死んでたのよね……)


 止めた理由はどうあれ、私が致命傷を負う前に彼が侯爵の魂を止めてくれた事は事実だ。


 侯爵の魂が掃除機に収まって尚私にぶつかってきたのは完全に魂の意思だと思う。そんな強い恨みから一応、助けてくれた命の恩人――恩人と言うにはかなり抵抗あるけど、それを仇で返す真似はしたくない。


「飛鳥さん……言えないんですか?」


 優しく答えを促すように呼びかけられる言い方に少し圧を感じつつ、どう説明するか考える。


 少なくともヒューイがいた時、ランドルフさんはずっと気絶していた。

 途中でヒューイがセリアやヨーゼフさんと遭遇していなければ彼の名前を出さずに済むかも知れない。


(ランドルフさんが気絶する前にヒューイの姿を見てるかもしれない、という可能性はあるけど……とりあえず彼の情報抜きで話をしてみよう……)


「……ダグラスさんが、嘘をついたからです」


 真っ直ぐに向かい合ってそう言うとダグラスさんの眉がピクり、と眉が動く。


「ダグラスさんは叫び声なんて聞こえないって言ってたけど、私には何度も聞こえたから絶対に執務室が怪しいと思って……ここの入り口、訓練場と同じ仕組みかなって黒の魔力込めたら偶然開いたんです」


 ここまでの言い訳は予め考えていた。


「で、ここに入ったら筒はあるし掃除機にも魔法陣刻まれてるしもしかしたら……と思ってそれも解除したら、こ……小生意気な魂に魔法を使われて……」


 嘘は言っていない。一瞬、侯爵の――と言いかけたけどあれが侯爵の魂だと分かったのはヒューイが言ったからだ、と気付いて咄嗟に言いつくろう。


「では、あのメイドが訓練場に忍び込んだのも飛鳥さんの差し金だと?」

「そうです。私が頼んでやってもらった事です。ランドルフさんを気絶させたのも私です。テレパシーをガンガンにかけて」


 良かった、上手く誤魔化せたみたいだ。少し肩の力を抜きつつもまだ油断はできない。

 質問に答えつつ注意深くダグラスさんの顔を注視する。まだ怒る様子はない。


「よく筒や掃除機の魔法陣を一人で解除できましたね?」

「ダグラスさんが以前魂を解放した時に解除レリーズを使う所を見ていたので……」


 少し視線をそらし、小さな舌打ちが聞こえた。そろそろ、怒る――?


「……写真を、破ったのも?」

「それもダグラスさんが嘘をついたから……私、写真嫌だって言ったのにまさか隠し撮りしてるなんて思いませんでした……魂の事といい、写真の事といい、ダグラスさんって、嘘つきなんですね?」


 しまった。ちょっと怒りが漏れて流れるように嫌味がこぼれてしまった。自分の事を棚に上げて他人を嘘つきだと罵る自分が嫌になる。


「そうですね……」


 そう呟いたダグラスさんの顔の横に黒い魔法陣が現れた瞬間、反射的にうずくまる。


 でも何も起きない――チラ、と魔法陣があった場所を見やると黒から青色へと変わった魔法陣がダグラスさんの頭に向かってとても冷たい風を吹き付けている。


「な……何してるんですか!?」

「魂がもう無いので……やはり、熱くなった頭は冷やすのが一番手っ取り早い……」

「冷やすどころか髪、凍りつきはじめてますけど!?」


 その寒さがこっちに及んで身を震わせるとダグラスさんは私の体を橙色の温かな光で包んだ。

 それから少しして青の魔法陣が消えると同時に温かな魔法も消え、ダグラスさんは頭を抑える。

 文字通り髪が凍る位の凍風とうふうを思いっきり浴びればそりゃあ頭も痛くなるだろう。


 そんな事をする位なら私に怒ればいいじゃないですか――と言えればいいけれど、

正直、自己完結してくれるならその方がずっとありがたい。

 今のはこっちも寒くなったから近くでそれやるのはやめてほしいけど。


「……事情は大体分かりました。あのメイドはヨーゼフが捕らえて今、執務室で見張らせています。ランドルフは……私が来た時にはまだ気を失っているようでしたが、流石にもう起きているでしょう」


 1つため息を付いた後、ダグラスさんは微笑んだ。


 何で……怒らないんだろう? いくら頭を冷やして冷静になったと言えどもこの態度には違和感しか感じない。


 信じていたのに裏切られて、閉じ込めていた魂解放されて、写真まで破られて――もし私がダグラスさんの立場だったらもう二度と勝手な真似をしないように脅しにかかる。

 今は、絶対に微笑む所じゃない。


 私ですらそう思うのに、何でダグラスさんがそう思わないのか――魂の悲鳴も全く聞こえない。という事は、怒りの矛先もないという事。


(何で……どうして……?)

 

 ダグラスさんの態度に戸惑ううちに、また私は彼の胸へと抱き寄せられた。



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