第198話 懐妊パーティー・3


 グラスを伸ばした手を止めると、頭の中にダグラスさんのテレパシーが響く。


『大丈夫です。グラスは魔力で浮かせますので、どれが飲みたいか教えてください』


 魔力で浮かす――という事は以前の餌付けのような状況にはならなさそうだ。


 だけど、手を使わずに宙に浮かされたグラスに口をつけて喉を潤す――間抜けな絵面しか想像できない。


 今周りからどう見られているのだろう? チラ、とホールの方を見やる。


 半透明の青の障壁越しにこちらの方を気にしている様子の人が何人か見える。

 だけどその他の多くの貴族達は各自で談笑している。

 暖色系の人は細かな事を気にしない気質の人が多いのだろうか?


(ダグラスさんの影に隠れて飲む分には周囲の目は遮れそうだけど……)


「ヴィクトール卿、君の障壁の中は少々寒々しい……解いてくれないかな?」

「このパーティーの熱気に浮かされて暴言を撒き散らしてしまう貴方にはこの位冷えた空気が丁度良いと思いますよ」


 威厳ある公爵2人と気品溢れるご令嬢の傍で間抜けな姿を晒すのは流石に厳しい。


 でも喉が酷く渇いているのも事実。

 館に帰るまで何も飲まないのは辛い。


(何か、手に持てそうな形のやつ……)


 包帯と手袋越しで指を綺麗に動かせるか自信がない。

 じっとしている分には薬の鎮痛作用が効いててそこまで痛くないけど。

 迂闊に指を動かせば痛みが走るのは間違いない。

 

(そうだ、あの持ち方なら……)

 

 小振りで丸みを帯びた器に脚がついているグラスの脚を右手の中指と薬指の間に挟んで、持ちあげる。

 バスローブ羽織った意識高い系の男がワインやブランデーの入ったグラスをこんな感じで持っているのをドラマや漫画で見た事がある。


 この持ち方は間違ってるって何かで見た気もするけど。

 今の私にはこの持ち方しか出来ないのだからこれでいくしか無い。


 まさか、飲み物の種類じゃなくグラスの形で飲む物を決める日がくるなんて。


(飲み辛い……)


 思いつきで、自由の利かない手で、普段飲んだ事のない飲み方――どうあっても様にはならない。


 この醜態、何度も晒す訳にはいかない、と一気に飲みきる。

 そして視線を感じる方に振り向くと皆きょとんとした表情でこちらを見据えている。


「お嬢さん、不思議な飲み方するんだねぇ……飲み辛くなかったかい?」

 

「これは、地球の……私が、住んでいた地域に伝わる、気分が良い時の飲み方ですので」


 また、つまらない嘘をついてしまった。

 無表情で言っても説得力皆無。


「あら素敵……飲み方で気分を示す事が出来るんですのね。では私はこちらのジュースを頂いて宜しいですか?」


 興味深そうにルクレツィア嬢がダグラスさんが持ってるトレーのジュースを私と同じ持ち方で取ろうとする。


「生憎、これらは全て飛鳥の為に持ってきた物なので……」


 ルクレツィア嬢の確認にダグラスさんが目を合わさずに答える。


「ぜ、全然いいです。どうぞ、ルクレツィアさん。良かったら、皆さんもどうぞ。私、そんなに飲めませんし……」


 喉が潤ったお陰か、少し滑らかに声が出る。

 私、何でダグラスさんの塩対応をカバーしてるんだろう。


「ありがとうございます、アスカさん」


 微笑んでジュースを手に取るルクレツィア嬢が可愛いからいいか。


「それでは私も頂きましょう」

「これはこれは……ダグラス卿が運んできた飲み物を手に取る日が来るなんてねぇ……」

 

 ちゃっかり他の2人の公爵も私を同じ持ち方で飲み物を手に取る。

 そして皆、私と同じように初めてこの持ち方をしたであろうにも関わらず優雅にそつなく口をつける。

 貴族すごい。見苦しくなく振る舞うスキルが半端無い。

 

 心なしか障壁の中の冷えが少し収まったような気がする。

 奇しくもを羞恥心と罪悪感を背負う代わりに空気を変える事ができたようだ。


「ダグラスさん、自分の、飲み物は……」


 空になったトレーを見て、持ってきた本人が飲み物を取りそびれている事に気づく。


「いえ、私は貴方が私を気にかけてくれただけで十分です……」


 優しい声でそう言うダグラスさんの表情を見る気になれなくて俯く。

 ダグラスさんは私が持っている空のグラスを取ってトレーに乗せる。


「こら! 公爵3人揃ってこの館の主への挨拶にも来ずにホールの隅で障壁張って内緒話に勤しむとは感心せんぞ! ワシも混ぜろ!」

 

 青の障壁の向こうで赤の公爵とアマンダさんが近づいてくるのが見える。

 どうやらこの障壁は内から外への音は防ぎ、外から内への音は取り入れるようだ。

 赤の公爵は、響く声の荒さの割に目が輝かせているように見える。


「これは失礼。品位に大きく欠けた話をしていましたので」


 気づいた青の公爵が障壁を解き、一礼するのに合わせて私も頭を下げる。


「ボクはこれでおいとまするよ。用も済んだし寒いのも暑いのも苦手なんだ」


 障壁が解かれたからか赤の公爵が来たからか、緑の公爵はフラリと去っていく。


 本当に館の主に一言も挨拶せずに去っていった。

 物凄い失礼なんじゃないかな、とチラと赤の公爵を見やる。

 赤の公爵は眉をしかめて彼の後ろ姿を見据えた後、私と目があって人の良い笑顔を浮かべた。


「アスカ殿、体調が悪い中来て頂いて感謝する。すぐ近くに休憩室も用意してあるから辛いのであれば遠慮なく休まれると良い」

「心配いりません。元々挨拶だけのつもりで来たので、私達ももう帰ります」


 赤の公爵の言葉にダグラスさんが被せる。

 緑の公爵もだけどダグラスさんも相当失礼。

 貴族の頂点とは一体何なのか。

 

「馬鹿を言うな。挨拶だけで済むはずがなかろう? 貴公には言わなければならないことが山程あるし、ロベルトが来るまでいてもらうぞ」


 緑の公爵はスルーしたけどダグラスさんの申し出はにべもなく却下される。


「このめでたい席で公爵達が長話していては周囲にいらぬ不安を与えるでしょう。説教は六会合で聞きますので本日はもう帰らせて頂きたい」

「急を要する話もあるのだ。貴公もこれ以上敵を増やす事は避けたかろう?」

 

「敵とは……? 私は私の物に手を出されない限り、皇家にも他の公爵家にも危害を加えるつもりはありません。私どもの事はもう放っておいて頂けませんか?」


 冷めた言い方からダグラスさんが不機嫌になっている事が察せられる。


「生憎ワシは馬鹿もお人好しも放っておけんのだ。さて何から話そうか。貴公が罪人に下した非情な処刑の是非についてか、強引に捕まえた魂に何をしたのかの事情聴取か――」


 残酷な言葉が紡ぎ出され、思わず顔を伏せる。

 どちらも私が関わっている話だ。


「……飛鳥さん、休憩室で休んでいてください。話が終わり次第迎えに行きます」

「それがいい。アマンダ、アスカ殿を休憩室まで運んでやってくれ」


 私が目を背けていい話なんだろうか? 耳を塞いでいい話なんだろうか?


 考えている内にアマンダさんが私の傍に寄ったかと思うと見事にお姫様抱っこされる。改めてその美貌とファビュラスな胸が眩しい。


「お父様、私も少し疲れましたのでアスカさんに同行してもよろしくて?」


 重い雰囲気に似つかわしくないルクレツィア嬢の明るい声が響く。


「大人しくしていると約束するのであれば構いませんよ」


 青の公爵の穏やかな返答を聞いたアマンダさんが赤の公爵を見やる。

 赤の公爵が少し眉をしかめた後微かに頷くと、アマンダさんが歩き出した。



 ホールから通路に出てすぐ近くにある部屋に入る。

 豪華な赤色の調度品に囲まれた部屋は教室位の広さだろうか?

 

「さ、アマンダ様、主催者が会場を離れるのはあまり宜しくありませんわ。アスカさんに何かあれば私が介抱いたしますから」


 ソファに座らされた後、ルクレツィア嬢に押されるようにアマンダさんが出ていく。

 うっすらホールの賑わいが聞こえてくる程度の静かな空間が心地いい。


「あの、アスカさん……体調が悪いのは見るからに分かりますし、初対面でこういう事を聞くのはどうかなって思ったのですが……」


 言いづらそうに言葉を紡ぎ出すルクレツィア嬢。

 暗い顔してる理由を聞かれるのかな、とぼんやり考えていると


「……どうやってあの方を落としましたの?」


 口元に手を当てて、少し声のトーンが落としつつ。

 その愛くるしい猫目がしっかりこちらの様子を伺っている。


 何だかさっきから耳を疑いたくなるような言葉が続く。


「いえね、私、先日偶然ダグラス卿とお会いしましたの。その時、あの寡黙で影のある方が随分変わられたなと思いまして。先程も、貴方に餌付けしたり庇ったり率先して飲み物をいくつも持ってきたり……一体何をどうすればあんな……いえ、あの方にそこまで愛されるのかしらって……」


 私が黙ってしまったからか、少し慌てた様子であれこれと説明を重ねる。

 この美少女はもしかして……ダグラスさんの事が好きなのだろうか?


「あの方は数々の縁談も令嬢からのアプローチもそつなく避けて、難攻不落の独身貴族と言われる殿方の一人……落とせたとしても相手を虐めて喜ぶタイプだろうと思ってましたから、実はあんな尽くすタイプだったのか、それとも何か変貌を遂げてああなったのか……私、すごく興味がありますの」


 今、令嬢にとても似つかわしくない言葉が飛び出た気がする。


「え……っと……」


 どうすればそこまで愛されるのかと聞かれても、私にもわからない。


 彼は、私の、何処を――好きになったのだろう?


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