第20話 「3番目」の婚約者


 今まで、アーサー様にこんなに真剣に見つめられた事があったでしょうか? いえ、ありません。

 アーサー様のとても綺麗な目を彩る橙色の虹彩がとても美しくて、ドキドキしてしまいます。


『……ラリマー嬢、そのフェロモンは止める事ができないのか?』

「えっ、あ、はい! いいいいい今止めますわ!」


 突然のテレパシーに言葉がままならぬまま、手探りでチャームのボタンを押します。アーサー様の表情は全く変わりません。


「と、止めましたわ」

『……全く変わらないな』


 それはそうですわ――想い人が私なら全く変わらないはずですもの。


 ああ先程から心臓が祝福の鐘を打ち鳴らさんばかりにバクバクバクバクしてますわ。

 家族計画はどうしましょうかアーサー様の子どもなら3人以上ほしいですわ一人くらいは私の青とアーサー様の橙が混ざった子どももほし


『ヒューイ、その首飾りを君も付けてみてもらえないか? それで君がラリマー嬢に変わるのなら私も自分自身に問いただそう』

「ああ、それなら俺も同じの持ってるから寝室で付けてきてやるよ」


 信じられないから他人を使って確認する――アーサー様、こういう状況でも冷静なの流石ですわ。

 ヒューイも証明する為に寝室に入り――またアーサー様に姿を変えて現れて私達の前に立ちます。



 アーサー様が2人。こうして本物と幻覚を交互に見てみると瞳も魔力の色も全く同じなのに纏う雰囲気が全く違います。

 ヒューイが先程と違って、という事も関係しているのでしょうけれど。


 ですが――本物のアーサー様の表情は一切変わりません。交互に私とヒューイの方を見比べて――その目の動きに違和感を覚えます。


 目線が違うのです。ヒューイの方を見る時は視線が僅かに上がっています。

 ヒューイは私よりずっと背が高いのですから、それは当然なのですが――です。


「……俺も、俺に見えるみたいだな?」


 アーサー様の態度からヒューイも私と同じ結論を出したのでしょう。

 その問いかけにアーサー様が無言でうなずくと、ヒューイはチャームに触れてフェロモンを止めました。


「……そう言えば、数十万人に一人いるかいないかの割合で淫魔に対して抗体を持ってる人間もいるって何かの本で読んだな」

『……私も何世代か前のコッパー家の当主が淫魔討伐を請け負っていた、という話を思い出した。ヒューイ、その首飾りを貸してもらえないか? 騎士団の中で耐性がある者を集めて淫魔討伐隊を結成できるかもしれない』

「あー……確かにそういう使い方もあるな……だが流石にヴィクトール卿からの貰い物をお前に貸す訳にはいかないな」

「あ、それでしたら私のをお貸ししますわ!」

「いや、君からはいい」

「えっ……ど、どうしてですの……!?」


 頭が追いつかない私にアーサー様から至極冷静な眼差しを向けられます。


『ラリマー嬢、誤解はもう解けただろう? 私は君に対して好意を持っていない。極力君とは関わりたくないと思っている』

「そ……そうですか……」


 好意を、持っていない――ハッキリそう言われてしまいますと、もうそれ以上の言葉が紡ぎ出せませんわ。

 爆発しそうなくらいに高鳴っていた心臓がキューッと萎んでいくような、そんな苦しさを覚えます。それでも取り乱してはなりませんのよ。


好きな殿方アーサー様を前に、見苦しく取り乱す様を見せては、なりませんの。


『ヒューイ、そういう訳だ。私の事は一切気にしないでほしい』

「いや、今更そう言われてもな……」


 チラ、とヒューイが私の方を向いた気がします。ちょっと目が潤んでしまって表情を確認する前にヒューイはアーサー様に向き直ってしまいました。


「悪い、無理なもんは無理だわ」


 ああ、私の未熟者――婚活にも失敗してしまいましたのね。アーサー様への想いが叶わぬならせめてラリマー家の娘としての務めを、思いましたのに。

 ここまで頑張って何一つ手に入らないなんて、哀れですわ。


 表情を取り繕うのに精一杯で声が出せない内に、ヒューイがとんでもない事を言いだしました。


「アーサー……俺とお嬢様に本当に悪いと思ってるなら、責任取ってお嬢様の3番目の婚約者になってやれよ」


 ヒューイの言葉は優しさと罪悪感から来るものなのでしょうけれど、惨めですわ。


『私はヴィクトール卿に嫌われている。ラリマー家には極力関わりたくない』

「嫌われてるのは知ってるさ。けどお前ん家と繋がりを持てればコッパー領で採れる魔晶石が格安で手に入る。あの方はお前個人の事がどんなに気に入らなくても、そういうメリットを考慮する人だよ。淫魔討伐だって今後はお前に代役頼める訳だしな」

『……しかし』

「なぁ、お前がこの子と関わりたくないって理由が本当に『ヴィクトール卿を怒らせたくない』ってだけか? それで14年間、この子の好意を無視しといて縁談もぶち壊しといて今更『関わりたくない』って、俺がこのお嬢様の父親だったらとっくにお前殴り飛ばしてるぞ」


 ヒューイは自分が縁談を断る事で私がお父様に叱られる事も危惧してくれているのでしょう。涙で滲んでどちらの顔もよく見えませんわ。


「どちらにせよ俺はもうこのお嬢様に興味無くしちまったし、着替えさせた後ラリマー邸に返す。ヴィクトール卿の怒りはお前かこの子のどっちかに向くぞ」

「あ、アーサー様にはめ、迷惑はかけませんわ! 元はと言えば私がハンカチを返しそびれていた事に原因があるのですから……!」


 ヒューイの優しさはありがたいですが、だからってアーサー様に負担をおかけしたくありません。

 そんな、同情での婚約なんて私は――


「いいのか? 俺があれこれ口出せる立場じゃないが、俺には縁談断られてアーサーからは拒絶されて……相当なお叱りを受けるだろ? 最悪、君の異母弟と契れって言われるかも知れない」

「元々『アーサー様に告白してフラれた時はもう一切関わらない』と約束していますのでアーサー様から拒絶される分に関してはお咎めありませんわ。ただ、ヒューイと契れない事も含めてアレクシスの事を持ち出す可能性はありますけれど……お父様がそう望むのであれば……仕方ありませんわ」

「悪いな……本当に、アーサーさえこなけりゃ良かったんだけどなぁ。俺、先に着替えてくるから、その間に言いたい事全部こいつに言っちまえ」


 ヒューイがポンと私の肩に優しく叩いた後、寝室の方に行ってしまいました。

 その優しさに、思わずボロっと涙が溢れてしまいます。


『……ラリマー嬢、すまない。いい所だったのだろう?』


 アーサー様の申し訳無さそうな声が頭に染み入ります。


『だが……君は何故私が婚約すると思っていた? 確かに好意を持っていないとハッキリ言ったのは今だが、それ以前から私が君に好意を持っていない事など十分分かっているだろう? 何故今まで諦めなかった?』


 謝罪の後少し厳しい口調に変わったそれが心に刺さり、一粒涙が溢れてしまいます。


「こ、好意を持たれてなかったとしても……アーサー様はこれまで、私をハッキリ拒絶して来なかったではありませんか。他のご令嬢に対しての態度も余り変わらないし、だから、嫌われている訳でもない、と思って頑張ってきましたの……私、まだ子どもとして見られているのだと、大人の女性になれば、いつか見てもらえるかもしれないと……」


 心の支えにしていた言葉を吐き出す度にボロボロと涙が溢れます。


「でも、アーサー様、ツヴェルフ歓迎パーティーに来られたでしょう? ツヴェルフには珍しく興味を示されてたから……ツヴェルフになれば興味持ってもらえると思ったのです……私もツヴェルフになれば、ソフィアさんのようにアーサー様に気遣ってもらえるかと思って……子どもだって家を継げますし……」


 そこまで言った所でハンカチが差し出されました。以前全く同じ色で刺繍がちょっと違うハンカチ。

 そんな風に時折優しさを表してくれるから、ずっと私は諦められなかったのです。


 でも今はもう、そのハンカチを受け取る訳には参りません。ガウンの袖でそっと目もとを押さえて溢れ出てくる涙を生地に吸わせます。



――ねぇルクレツィア……ツヴェルフになったのはいいけどアーサー卿が君を受け入れるとは限らないよ?――

――分かっていますわ。でも今までよりもこの恋が成就する可能性が増えたのですからそれで良いのです。ラリマー家の地位と私の愛、そしてツヴェルフとしての体を持ってしてでも叶わぬ恋なら潔く諦めますわ――



 ツヴェルフ化した時にクラウス卿とのやりとりを思い出します。

 その時は滑らかに出た言葉も、いざ実際こうして直面すると何と薄っぺらい言葉なのでしょう? でも――


――いくら私の想いが強くともアーサー様の迷惑になってしまう、危害が及んでしまうと考えたらきっと諦められますわ。想い人の迷惑になるのはとても辛い事ですもの――


 ええ、その気持は変わってませんわ――アーサー様に危害が及ぶくらいなら、私は――



『……分かった』

「え」


 突然のアーサー様の言葉に何が分かったのか分からず、顔を上げるとアーサー様が困ったように私を見据えていました。


『……ヒューイとの縁談を潰してしまった責任を取ろう。それで君の気持ちが収まり、ラリマー公が君に向けるだろう怒りも多少静まるなら、私も君と家庭を築く覚悟を決めよう。ツヴェルフになった君と子を成せばコッパー家の跡継ぎ問題が解決するのも事実だからな』


 それはきっと、10分前なら歓喜した言葉。でも――


「……私に対して好意はないのでしょう? いくらアーサー様と結婚できると言われても、同情心で嫌々結婚されて喜べるほど私、心無い人間ではありませんわ」

『私の両親は互いに好意の欠片もなく「拾った以上は責任取って一生面倒見る」「他に行き場がないから仕方なく嫁いだ」という理由で結婚してもうじき30年になる。今ではお互いを理解し、良い関係を築けている。もちろん、お互いの努力あってこその関係だ。だから私も、君に好意を抱けるように試みたり色々努力する』






『……どうした? ラリマー嬢』

「はっ……すみません、意識が飛びましたわ……!!」


 私も君に好意を抱けるように試みたり色々努力する、って、それはつまり――まだアーサー様とラブロマンスチャンスが消えていないという事でしょう!? 

 意識が飛ばしてる場合じゃありませんわ……!!


『……君がそういう結婚が嫌だと言うなら、私も無理にとは言わ』

「喜んで嫁がせて頂きますわ!」


 アーサー様は一度決めたら余程の事が無い限り貫き通す方。気が変わらない内に決定事項にさせて頂かなくては。


『そうか……本当に良いのか? 私と君とでは歳が離れすぎている。君は18で私は今年27だ。それに私は君の父親と相性が悪い。私の父もかなり厄介だ。母と異母弟が言うには私自身も相当厄介な人間らしい。君の暴走癖も人の話をちゃんと聞かない所も厄介だ。だから色々迷惑をかけあって険悪になる事も多々あると思うが……君は本当にそれで良いのか?』

「私は全く問題ありませんわ……あの、その……アーサー様こそ、他の男に穢された私を受け入れてくれますの?」


 おずおずと口に出した心配事に対し、アーサー様が眉を顰められます。


『他の男の子どもを生んだ女を、そんな風に表現するのはやめてほしい。私も母も穢れてなどいない』

「すみません、二度と言いませんわ。でもその、今、ヒューイとの婚活が失敗したので、いつ結婚できるかも分かりません……3番目で本当に宜しいんですの? 2人目の候補はネーヴェ殿下ですし、3番目ですと大分お待たせしてしまうかもしれません……」


『……私が君に曖昧な態度を取り続けた14年、君の年齢を考えると対等ではないかもしれないがその位なら待とう。それに……私は子どもは自分と妻の傍で育てたい。私の子を産んだ後はもう他の男の所に行かせるつもりはないから一番最後なのは逆に都合が良い。勿論、君が他の男に情を移して婚約を破棄するなり、私との生活に嫌気がさしてコッパー邸を出る事は止めはしないが』

「コッパー家に骨を埋める覚悟で嫁がせて頂きますわ」

『そうか、それなら私は気長に君を待つとしよう……どうした?』


「いえ、あの……私に優しいアーサー様なんて違和感が強いですわ。貴方様は本当にアーサー様なのでしょうか?」


 これまでずっと、素っ気なかった方が今こうして私に優しい言葉をかけてくれる――淫魔の首飾りの事もあって、どうしても疑問を抱いてしまいます。


『……どうすれば本物だと信じる?』


 アーサー様にそんな風に言われるとつい、抑え込んでいた我儘を、いえ、本物しか正解を言えない言葉を言ってしまいたくなるのです。


「わ……私の事を名前で呼んでくださったら、信じますわ」

『……私が君の名を呼んでも、ちゃんと天から与えられた寿命を全うすると約束するのなら』


 ああ、この返しは――やっぱり、本物ですわ。ちゃんとあの時のやり取りを覚えていらっしゃるのですね。


「安心してください。私、死にませんわ。自分に与えられた役目とお父様との約束を果たした後、アーサー様の元に飛び込みコッパー家で天寿を全うする事をお約束します」

『……分かった』


 アーサー様は1つ息を吸って、またその曇りなき眼で真っ直ぐ私を見つめます。

 そしてその口を開いて、私に微笑み、かけて、きま――


「ルクレツィア……これまで君に失礼な態度を取り続けた事を謝罪する。これからは私もちゃんと君と向き合う事を約束しよう」


 

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