第9話 最悪の嘆願


 意識を取り戻してまず真っ先に、暗闇の中で何か硬い物の上に土下座させられているような感覚を覚える。


 肘は外に広げている訳じゃなく、地に着いてるような状態だけど添えるように合わせた両手の甲に自分の頭を乗せ、お腹の下に膝を折って丸まった状態は一言で言い表すなら土下座、という言い方が一番近い。


 この意味が分からない謎の体勢から即座に動こうとしたけどまるで金縛りにでもかかったかのように動けない。

 その上、全身を布――この感触から恐らく魔力隠しのマントで包まれた上から無造作に紐か何かでグルグルに縛られてるっぽい。所々に痛みを感じる。


 何なのこの状況。目も開ける事も出来ないから自分がおかしな体勢でいる事以外、一体何がどうなっているのか分からない。

 理解が追いつかない状況に声を上げようとするも、口も動かせない。


 今、正常にその役目をはたしているのは鼻と耳だけ――胸を太腿に圧迫された中での鼻呼吸は息苦しく、正常、とは言い難いけれど。


 そんな苦しい状況で耳障りなノイズの中でゴォォ……と風を切る音とヴァサ、ヴァサと響く羽の音で恐らく自分は今、上空――飛竜の上にいるのだろうと察する。


 そして嫌な予感と不安が心を煽る中で今この場で私が出来そうな事を考える。口が使えないなら魔力はどうだろうか?


『ねぇ、これ、どういう事……!? 何で私こんな間抜けな姿で固まって縛られてるの……!?』


 黒の魔力を使って周囲に問いかけてみるけれど、何の反応もない。


 他に何かできる事はないだろうかと悩んだ時、遠くで雷の音が聞こえた。

 どうやらこのノイズのように聞こえる音は雨のようだ。ただ、雨が体に打ち付けてくる感覚はない。


 テレパシーに対して反応がなかったので、次に魔力を探す事を試みる。

 以前読んでいた魔法教本に書いてあった、周囲の魔力を探知する方法――壁や床などに遮られる建物内等では探知範囲は半減するって書かれてたけど、今この場所に障害となるような物はなさそうだ。


 心を出来るだけ落ち着かせてただ色を感じる事だけに集中すると――真っ暗な視界の中でぼんやり、と浮かんでくる。


 真下に感じる赤黒い魔力は、飛竜のものだろうか? ルドルフさんやランドルフさんの魔力は感じない。

 ただ、すぐ傍に魔力の色は分からないけど魔力らしき大きなモヤを感じる。


 意識を失う前の状況からこのモヤが誰なのか大体推測できる。


『ねえ、貴方、アーサーでしょう!? アーサー、アーサー!!』


 こんな目に合わされてもう敬称なんか付けていられない。モヤモヤした魔力に向けて最大限強く念じてみる。が、反応が無い。


 こうなったら、何の制御もせずに黒の魔力のテレパシーをぶつけてみようか――と思ってはみたものの、今この状況でアーサーを驚かせたら拘束は解けるかも知れないけど危険な事になりそうだ。

 飛竜が飛んでるのは間違いなく落ちたら防御壁を張っても助からないレベルの上空だろう。


(落ち着け……落ち着くのよ……)


 確かアーサーは私をコッパー家で匿うような事をルドルフさんに言っていたはずだ。

 だから少なくとも恐ろしい目に合わせるような真似はしてこないはず。


(クラウスの事が気がかりだけど、コッパー家で囲われた時に手紙を書けば……まあ出させてくれるかどうか微妙な所だけど……)


 色々考えつつ息苦しい土下座状態でどの位立っただろうか? 突然、硬直と拘束が解けて視界が開けた。


 目に飛び込んできたのは朝か昼か夕方かも分からないとても暗く濃い灰色の空と、防御壁に打ち付けるおびただしい程の水滴。私は予想通り大きく羽をはばたかせる飛竜の背に乗っていた。


『これから近くの村で少し仮眠を取る。もうすぐ皇家……あるいは白の騎士団が君の捜索を始めるだろうから足を付かせないためにも君は宿から一歩も出るな』


 真横にいた青年の背中に流れる長い髪は――想像していた髪型も色と違った。ポニーテールのように縛った茶髪の男性。


「えっ……!?」


 正体を確認したくて足場に気をつけつつ男の背後から顔を覗き込むと、


「シャッ!!」


 男の肩にいたらしきペイシュヴァルツから威嚇と猫パンチが飛んできて、ペシッとこめかみを叩かれる。


「痛っ!」


 実際はそんなに痛くなかったんだけど、つい(これ痛い奴だ)と脳が判断して反射的に声を上げてしまった。

 ペイシュヴァルツはビクッと震えた驚いた仕草をした後、威嚇をやめた。その隙に茶髪の男の顔面を確認する。


 切れ長の目に、スラリと整った鼻、真一文字に結んだ口――顔の作りはアーサーだ。

 だけど――目の色……虹彩の部分が橙ではなく、暗い茶色だった。


 以前セリアは変化の術では目の色は変えられないって言ってた。アーサーの顔なのに、アーサーじゃ、ない?


「……誰!?」


 間近で大きな声をあげてしまった私の問いにアーサーらしき男は眉をしかめながら、頭の中に声が響く。


『アーサー・フォン・ドライ・コッパーだ。この領地では私の顔を知っている者も多い。足がつかないように変装している』


 名乗るその声は数時間前に飛竜の前でやりとりをした時と同じ――アーサーそのものだ。


「あ、私は……」

『知っている。君の事はダグラスから色々聞いているから何も言わなくていい』


 かなり突き放した物言いに内心イラッとしつつ、疑問に思った事を続ける。


「アーサー……何で目の色がなんで違うの? 变化の魔法じゃ目の色は変えられないって聞いたけど……」

『変装用のレンズだ。魔晶石を加工した薄い膜の虹彩部分に色を付けた物を眼球に付けている』


 カラーコンタクトレンズ――略して<カラコン>がこの世界にも有る事に驚く。


「……私を匿う事が、変装するほど大げさな事なの?」

『リチャードはまだ近衛騎士という立ち場と皇家の命令という名目でツヴェルフの傍にいたから極刑になる事はないだろうが、私が君を連れ去った事が知られればコッパー家は完全に皇家と有力貴族達に反する事になる。念の為に君の髪の色も変えている』


 そう言われて自分の前髪を伸ばして確認してみると、確かに暗い茶髪が明るい茶髪に変わっている。

 早く村に降りて鏡で自分の顔を確認したいと思いながら、また疑問に思う事を問う。


「……そんなリスクを背負ってまで、何で匿ってくれるの?」

『ダグラスが君を大切にしているからだ』


 純粋な質問の答えが予想外過ぎて、一瞬思考が停止する。


(大切――不特定多数の人間の前で襲っておいて、大切?)


 アーサーも私がダグラスさんに襲われる見苦しい姿を見ていたはずだ。それでなおこういう言い方をしている時点でこの男とも価値観は合わなさそうだ。


 フイ、と顔を背けたアーサーとそれ以上会話する気にもなれず(大切ってなんだっけ?)と思いながら豪雨の中、いくつもの灯りが見える場所に降り立った。


 どす黒い空と振り続ける雨で視界が大分遮られる中、アーサーは飛竜を木で出来たガレージのような建物まで誘導し、飛竜に付けられた赤色の首輪とガレージにある杭を細い縄で括りつけて固定する。

 その後、何も言わずに隣の灯りの強い2階建ての建物に入っていったので慌てて付いていく。


 カウンター越しに座って新聞らしき物を読んでいた、この宿の亭主らしき気の良さそうな赤灰色の髪のオジさんが、入ってきた私達を見て人数を確認するなり話しかけてきた。


「お二人かい? ダブルベッドの部屋は開いてるけどツインの部屋は使われててね。後は大部屋しかないんだが、どうする? 今大部屋には三人泊まってるよ。ちなみにうちはどの部屋でも一人一泊銀貨一枚、休憩なら半額だ」


『大部屋って?』

『……限られた空間で受け入れられる人数を増やす為に大人数でも少人数でも対応できるよう大きな部屋に敷居を立てて区切った部屋だ』


 矢継早に語られる言葉の中で気になった言葉をアーサーに質問し、答えが返ってきた後、彼は懐から鮮やかな橙色のがま口財布を取り出してカウンターの上に1枚の銀貨を出した。


「……ダブルベッドの部屋で、昼まで」

「ええ!?」


 予想外の発言に思わず変な声を上げてしまうと、アーサーの鋭い眼差しで睨まれる。


『騒ぐな! さっきも言った通り、極力君の姿を見られたくない。心配しなくても私はソファにでも寝かせてもらう』

『ご、ごめんなさい、ダブルベッドは別に……いや、そこも十分驚く要素ではあるんだけど、それより、アーサーって、喋れたのね……!?』


 そう言えばソフィアにはツヴェルフ歓迎パーティーの時に自己紹介していたらしいから、喋れない訳ではないのだ。

 これまでずっとテレパシーだったからまさかこんな所でその声が聞けるとは思わなかった。


「お嬢ちゃん……ダブルベッドの部屋で本当に大丈夫かい?」


 私が声を上げた事を心配してくれたのか、オジさんが心配そうに声をかけてきた。オジさんの背後に見える時計の針は8時を示している。

 仮眠と昼まで、という言い方から今は朝の8時なのだろう。


 この時間からダブルベッドの部屋で昼まで休憩と言う男と、それに声を上げる女――確かに心配要素しか無い。


「だ、大丈夫です……! 大丈夫!」


 迂闊に何か言えば墓穴を彫りそうな気がして、そうとしか言えなかった。




 2人用の部屋とは言え、大きなベッドのせいだろうか? 少し手狭に感じる部屋の中、ベッドの他にはテーブルとタンスが1つずつ。テーブルを挟んで向かい合うように椅子が2つ。

 そんな必要最低限の物しかない、至ってシンプルな部屋に通された。


『ソファ、無いんだけど……』


 先程のアーサーの考えが早速暗礁に乗り上げ、不安そうにアーサーの顔を伺うと向こうも嫌そうな顔でこちらを見下ろしていた。


『ソファが無ければ床で寝ればいいだけの話だ』


 間髪入れない返答に違和感を覚える。

 ソファで寝られるならまだレディファースト――って事で自分を納得させる事ができたけど、流石に床で寝ると言われると罪悪感が勝る。


(それにこの人って確か、貴族……それも侯爵令息よね?)


 そんな身分の高い人間を床に寝かせてしまっても良いんだろうか?

 貴族を差し置いてダブルベッドを使ったとあってはまた何処かで変なレッテルを貼られるかも知れない。


 これまで地球に帰るつもりでなりふり構わずに行動していた面はある。

 だけど3年間は地球に帰れなくなった事を考えると、ある程度この世界の世間体も気にした方が良いんじゃないだろうか?


 と言うか、絶対また何か言われそうな気がする。<侯爵令息を床に寝かせて自分は広いベッドでくつろぐツヴェルフ>というレッテルが追加されてしまう未来が見える。


 それ以前にお金払った人間を床に寝かせても良いんだろうか? まだ一緒にベッドを使った方がいいのでは? という考えが過ぎった所で大事な事を思い出した。


(そうだ、アーサーって確かルクレツィア嬢の想い人なのよね……)


 床で寝かせるより一緒のベッドで寝る事の方が危険な気がする。

 当人同士に何の感情もなくても第三者に『一緒のベットで寝たけど何もありませんでした』と証明する事はとても難しい。


 というかダブルベッドの部屋に入った――その事実だけでもルクレツィア嬢は傷つくんじゃないだろうか?

 まだ友人と言えるような関係じゃないけど、あの恋に生きる令嬢の顔を曇らせる事はしたくない――そう考えた時、微妙にお腹が傷んだ。


 それは、ある現象の兆候だった。


 これまでドタバタが続いてすっかりその日が近い事を忘れていた。それが迫っている事を考えると一気に血の気が引いていく。


 やばいやばいやばい、塔にいたならまだリヴィさんに言えたんだけど。この痛みが来るって事は、そろそろ来る頃だ。遅くとも、明日には来る。


「あの、あの……その、アーサー……私、ちょっと、買い物に行きたいんだけど……」


 恐る恐る話しかけると、やはり鋭い眼差しで見据えられる。


『駄目だ。君が見つかると面倒な事になると言っただろう。物見遊山の為に寄った訳じゃない。後、私の名前を口にしないでくれ。私は名前が知られている。変化の術も苦手だから髪の色を変える事しかできない。怪しまれたらバレる』


(こっちだって物見遊山なんかしてる場合じゃないわよ!!)


 全力でそう叫びたい気持ちを抑え、とにかく下手に出る。


「わ、私が出歩くのが駄目なら、この銀貨で買ってきてください……!」


 ポケットに入れておいた銀貨を1枚手渡して頭を下げ、嘆願する。

 ヨーゼフさんと賭けて引き分けて貰った銀貨がまさかこんな所で役に立つなんて。


『……何を?』


 眉を顰めしぶしぶと言わんばかりに聞き返してくる態度から、今から私が紡ぐ言葉への態度が簡単に予想されて酷く気が滅入る。


 でも言わないと伝わらない――時間が無い。躊躇してる時間なんてない。


「せっ……」


 ああ、この世界に来てから事有る毎に自分の中にある尊厳を奪われている中で、それでも何とか守る事が出来ていた尊厳をまた一つ失う事になるなんて。


「せ……生理用品……」


 明らかに変な物を見るような眼差しで私を見るアーサーの反応はまさに絶句という表現がふさわしく、私に死にたいと思わせるには十分だった。


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