第231話 白の献身(※クラウス視点)


 眠りについたアスカの右手を手にとって優しくさする。酷い火傷を負っていた両手にはもう傷一つ無い。


(完全に治せて良かった……傷が残るとそれ見る度アスカはあいつを思い出しちゃうだろうから……)


 白の魔力はあらゆる怪我も病気も癒やす。だけどそれでも<限界>はある。

 死者を生き返らせる事が出来ないように。切断されて時間が経ってしまった手足を再生できないように。


 両手に塗られた最高品質の治癒軟膏で手当されていたのが良かったのか、深い火傷は完全に治せる範囲で留まってくれていた。


 そして傷一つ残っていない右手の中指に嵌められた、白の指輪。美しい白銀の土台に嵌め込まれた白い魔晶石はアスカにとても良く似合っている。


 アスカが僕に指輪を嵌める時、自分と同じ、右手の中指に指輪を嵌めてくれた事がすごく嬉しかった。


 互いが同じ指に嵌める指輪が<結婚>を意味する事、いつ教えてあげよう? あいつに見せつけてからでも遅くはないよね? あいつだって君とのキスを見せつけてきたんだから。


(ああ……僕は今、間違いなく幸せだ)


 アスカと同じ指に指輪をしている幸福感と、あいつが顔を歪ませる事を想像してこみ上げてくる高揚感に酔いしれながらアスカの右手の甲にそっと口づける。


『またキスした。今魔力注ぐ必要ないのにキスした』

「うるさいよラインヴァイス」


「ん……」


 僕の声に反応したのかアスカが僅かに声を上げて顔を歪ませる。改めて強制睡眠スリープをかける。

 黒の魔力の影響なのか、アスカには強制睡眠スリープが効きづらい。こまめにかけ続ければずっと眠らせ続ける事は出来るけれど――


 『……ラインヴァイス、ちょっと僕から出てってくれる?』

 『嫌。今のお前、目を離すと何するか分からない。却下』


 信用ならないと言わんばかりに厳しい声が頭に響く。

 流石に館で暴れられたら困るので眠らせたアスカを純白の部屋に備え付けられた浴室で綺麗に洗おうとした際、部屋の浴室には色神が入って来られないような特殊な結界が刻まれていた。


 『これに魔力を込めるの、良くない』というラインヴァイスを無視して刻まれた結界に魔力を込めて浴室に入ってアスカを洗浄した事を余程根に持っているらしい。

 それ以降ラインヴァイスの僕を見る目が厳しい気がする。


『クラレンスもこうだった。こういう時、離れないの一番。我、学習した!』


 自慢気に語るラインヴァイスだけど、そんなだから父様は浴室にラインヴァイスが入ってこれない、見れない、聞けない特殊な結界を刻んだんだと思う。

 浴室はそこで休む事も出来る特殊な仕様だった。


(色神を宿しても思考まで読まれないのは幸運だったな……)


 この鳥は偉そうな割には微妙に賢くないから思考さえ読まれなければ容易に裏をかけるし、誤魔化せるし、騙せる。

 

 浴室から出て飛鳥に服を着せてベッドに寝かせた後に行った記憶消去を思い返す。記憶というのは気を失っている、あるいは眠っている時は真っ暗な、あるいは夢の記憶が書き込まれるようだ。


 本当はあいつの記憶を全部消し去ってしまいたかった。

 だけど大量の記憶を消し去ると精神崩壊する危険性やふとした事で記憶が浮かび上がりやすくなるとラインヴァイスに言われて躊躇した。


 何処から消すか――アスカの額に触れて、アスカが見てきた記憶を映像化して読み取りながらアスカの身に何が起きたのか確認していく。

 アスカに酔いしれるあいつの顔が酷く気持ち悪くて見ていられなくて、そこはラインヴァイスだけに見てもらったけど。


『アスカ、まだ契ってない』


 浴室で(もしかして……?)と思った予感は的中した。まだアスカは穢れてない。だけど穢れてないからこそアスカはまたあいつへの想いを芽生えさせてしまったみたいで。


 アスカがどれだけ穢されようと、もう僕の想いは変わらない――いっそ無理矢理穢してくれれば良かったのに。

 その記憶を残しておけばアスカのあいつへの想いは枯れ果てて、僕の想いを少しは受け入れてくれたかも知れないのに。

 

 余計な想いを芽生えさせない為にも、あいつとアスカが契ろうとする一連の記憶は消したい――そして地球に帰る際にメイドの事をいちいち気にかけられても困る。


 丁度メイドの話になる前にあいつに抱き締められて硬直する場面があったから、それ以降の記憶を消す事にした。

 地球に帰りたいと願って逃げ出して捕まる――丁度良いシーンだったし、マナアレルギーで記憶が抜けたと説得できる範囲だ。


 そうやってあいつを最も恐れるタイミングでアスカの記憶を消したのに。それでもアスカが僕を拒む仕草はショックだった。


 だけどすぐ思い直す。アスカにはこの一節半で色んな事が起きすぎてる。

 この世界に召喚された時からずっと辛い思いをしてるアスカにこれ以上負担をかけたくない、苦しませたくない――傷付けたくない。


(本当は純白の部屋でアスカが目を覚ました時点でちゃんと好意を伝えようと思ってたけど……)


 アスカの心の中にまだあいつが住み着いてる今、無理に好意を伝えても拒まれるどころかパニックを起こされてしまうかもしれない。

 そう思って咄嗟にはぐらかして傷付いた気持ちを抑えていたつもりだったけど、あの部屋は僕の中にある欲望を表面化させようとする傾向がある。


 結果、迷う心と不安定な感情に押されてアスカに不信感を持たれてしまって、あまりに避けるその姿に苛立って墓穴を掘って、結局また誤魔化してしまった。


(辛い、辛い、辛い――僕だって、アスカを愛しているのに。アスカとだからするのに。したいのに)


 それを言えばアスカは僕を拒む。それが分かっているから言えない。怖い。


 必死に気持ちを押し殺して、塔について眠る事で気持ちを落ち着かせようとして。

 物音で目を覚ませば、ネーヴェ君達がアスカと話している。


 ブローチを大切なお揃いと言ってくれた事が嬉しくて。今起きて話の流れを乱すのも気が引けて狸寝入りしてしまう。


「アスカは自分に愛を向けてくれない男の子どもを産むなんて絶対に嫌、私を一番に想ってくれて、誰より大切にしてくれて、他の女に一切目を向けない男じゃないと嫌と言っていましたが、セレンディバイト公はそうではないのですか? 彼は恋愛面でも子作り面でもアスカを求めている。アスカにとって彼は理想の男ではないのですか?」


 そうなんだ。それなら僕もアスカの理想に男になれる気がする。


「……気に入らない事があった時に恐怖で抑えつけてくるような男はそれ以前の問題よ」


 そうだね。あいつはアスカを苦しめる。問題外だ。僕は君を恐怖で押さえつけたりはしない。


「……アスカはやっぱり、重くて我儘で欲張りです」


 そうだね。でも僕はそんな重くて我儘で欲張りなアスカが大好きなんだ。


 僕を利用する割に僕の好意を拒む我儘なアスカが。僕の力を最大限利用しようとする欲張りなアスカが大好きなんだ。

 だってアスカが<僕自身>を拒めないでいるのはアスカが我儘で欲張りなおかげだから。

 この世界ではアスカは無力で、僕の力を利用せずにはいられない。

 だからアスカのそういう部分を利用すればずっとアスカを繋ぎ止められるんだ。


「いいのよ優里……別に私、恋愛の為だけに生きてる訳じゃないし。私の重さに耐えられない男なんてこっちから願い下げだわ」


 そうだね。アスカはそのまま、重いままでいて。僕以外の男を近寄らせないで。


 そんな優越感に浸っているうちに2人は去っていく。

 起き上がるとアスカが黒い手帳に触れているのが見えて血の気が引いた。その手帳が何なのかはわからない。だけど、


(駄目だ、思い出さないで、何も思い出さないで……!!)


 先程まで感じていた優越感が吹っ飛んでそんな思考で頭が一杯になり、ただでさえ嫌いな色に恐怖をも感じて無意識に背後に立って呼びかけてしまっていた。


 驚いた様子のアスカはメイドに手紙を書く、と言ってノートと羽根ペンを持ってテーブルに寄せた椅子に座った。


 まだ不安が消えない。怖い。アスカがいつ記憶を思い出してしまうかも知れないと思うと、嫌な動悸がする。


(……父様もこんな気持を抱えていたんだろうか?)


 きっとそうだ。父様の場合、母様の数年間の記憶を消してるからきっと僕よりその不安は強かったはず。

 だから――母様が黒い物を見たり手袋をつけずに物に触れる事を恐れてエレンにお世話係を命じたんだ。


 幼い頃の僕はただエレンは館に遊びに来ているのだとばかり思っていたけど、今思い返せばエレンは父様が外出している時は必ず母様の傍にいた気がする。


 母様はメイドを嫌っていた。今なら理由が分かる。

 自分とデュラン卿を引き離した専属メイド――スピネル女伯のせいだろう。記憶が消えても深い嫌悪感はトラウマとしてそこに残る。


 父様は消してしまった記憶の中にある答えに辿り着けず、母様は大人の女性が怖いのだと考えたのだろう。

 かと言って男性の従者を傍に置く事を嫌だったのだろう。

 だから騎士団長の娘で僕の遊び相手でもあった幼いエレンに白羽の矢が立った。


 エレンはこの事をどう思っていたんだろう? 母様が死んだ日の記憶を消してやったから今更聞いても仕方ないけど――償いの発端である記憶が消えたらどうなるんだろうと思ったけど、そこから先は親の仕事だ。僕が考える事じゃない。


 エレンは最後までアスカに謝らなかった。だから記憶を消した。

 それがエレンが僕に対して向ける償いに対する、僕の償いだ。


 ――これまで僕を見守ってくれた事に対する感謝と、ストレス。僕の大切な物を踏みにじろうとした怒りを込めたお返し。


 謝らないよ? 僕はギリギリまで待った。それでも謝りに来なかったのはエレン達だもの。そこまでアスカの事が嫌いなら、もういい。


 僕は君達から解放された世界で幸せになるから――君達も僕から解放された世界で幸せになったら?


 ダンビュライト家にある遺産を全て売り払えば従者達にしばらくの間食わせていけるだけの金になるだろうし。後の事は僕は知らない。そこまであの家に恩義はない。


 そんな事よりアスカの事で頭がいっぱいなんだ。

 僕は体の傷こそ癒せるけど、心の傷を癒やす魔法を持っていない。


 ――明確に言えばあるけど。黒の魔力を使わせて白の魔力で満たしきってしまえば嫌な事なんて何もかも消えて幸せにしてあげられるけど。これから戦いになるのは目に見えている。


 まずは地球へ行く事を優先して――そこでアスカをしっかり休ませて、それから受けとめてもらおう。

 アスカの右手をさすりながらラインヴァイスに呼びかける。


『ラインヴァイス、アスカの記憶を見せて』

『我、もう読まない』


 ツン、とした言い方でラインヴァイスの拒絶の声が響く。


『アスカもうすぐ地球帰る。意味なく記憶覗くの良くない。お前辛くなるだけ』

『昨日、見せてくれたのに?』


 記憶を消去した際に「そう言えばアスカの元カレと僕が本当に同じ声なのか確認したいんだけど」と言ったら別れのシーンを見せてくれた。


『それ、我もちょっと興味あったから協力しただけ。変なとこ見せた。後悔してる』


 記憶を読み取る力はとても便利なのに、この力は色神と宿主の両方の協力があって初めてこの秘密の力は使えるらしい。ラインヴァイスが嫌がれば、記憶は読めない。


 それと異世界の記憶は言語を都合良く変換してくれない。

 アスカの元カレの声質はラインヴァイスいわく本当に僕と同じらしいけど、聞き慣れない言語のせいか実際に僕が思う僕の声とは違うからか、僕にはよく分からなかった。


『お前、あの後魔法大全の翻訳魔法のページ見てたの我、知ってる。地球の情報の悪用、良くない』


 この鳥、なかなか面倒臭い。せっかく地球に行くのに備えて前もって翻訳魔法を覚えたのに。


「……アスカが何でフラれたのかはっきり聞こうと思って」

「見てれば分かる。あれ男の心変わり。それいちいち確認しようとするお前、鬼畜」


 鬼畜――? 鬼畜は向こうだろう? アスカをフッて、傷付けて。


 その時アスカはどんな顔をしていたんだろう? アスカの記憶を読む際にアスカのその時の表情が見えない。言葉もわからない。

 だけど、視界に入るアスカの震える指が、声が。全てが痛々しい。


 アスカをそんな風にさせた僕と同じ声らしい、僕と似ても似つかない平凡な男――地球に行ったらどうしてやろうか?

 再びあの男がアスカに近づいたりしないように、アスカが惹かれないように手をうたなければ――


「うう……ん」


 少し眉をひそめて声を上げるアスカに、もう一度強制睡眠スリープをかける。でもその少し苦しそうな表情は変わらない。


(何か、悪い夢を見てるのかな……?)


 額に手を当てると、少し顔が穏やかになった。


(大丈夫だよ。もうすぐ……もうすぐ地球に帰れるからね?)


 僕も一緒に行くから。きっと僕の力は地球でも重宝される。アスカと暮らしていくだけのお金は楽に稼げるはずだ。アスカの傍にいる為なら僕は何だってするよ?


 僕の愛しい、僕の女神アスカ


 これからは僕がずっと君を守るから……何も心配しなくていいからね。



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