第200話 飛べない鳥の行く先は・2
強引に抱き寄せられたり、バックハグに憧れた事はある。
1度位はそういう事をされてみたいと願ってみた事もある。
だけど今――こういう状況でその願いが叶っても恐怖しか感じない。
願った事を酷く後悔する。
「ああ、飛鳥さん、落ち着いてください……私はただ、何処に行こうとしていたのか聞いているだけです。怖がらなくて良い」
私の体の震えに気がついたのか、声から冷たさは消えた。
でも、体の硬直が解けない――魔力で身動きを封じられている。
「……もしかして、地球に帰ろうとする彼女達に
緊張が走る。私達を見るネーヴェもソフィアもリチャードも優里も、厳しい目をしている。
黒の魔力を渦巻かせるダグラスさんが厳しい目をしているからだろう。
(……駄目だ、これ以上皆に迷惑はかけられない)
「だ、ダグラスさん、ごめ」
「お手洗いよ!!」
謝罪の言葉が、場違いな叫びにかき消される。
この場に似つかわしくない発言をしたのは――ソフィアだ。
予想外の人物の予想外の発言に場の空気が少し変な方向に変わるのを感じた。
「……集団で?」
「ち、地球では女性が連れ立ってお手洗いに行くのは珍しくありません!!」
私を抱きしめたまま酷く低い声で呟くダグラスさんに優里が返す。
確かに、珍しくはないけれど。
そうお手洗いお手洗いって続けて叫ばれると、ちょっと、恥ずかしい――
「ああ、皆さん、こんな所にいらしたのですね! お手洗いはそちらではありません! こちらです! 着いてきてください!」
背後からアンナの声が聞こえる。
ここからホールは大分離れているはずなのに――何かを察して来てくれたのだろうか?
「さ、理由がわかったらさっさとアスカを解放して頂戴」
ソフィアが急かすけど、ダグラスさんが納得していない。ハグから解放してくれない。
「あのっ……女性にこんな所で漏らさせる男の人なんてありえませんっ……!! 地球の女性はそういうの、一生恨みますっ!!」
何で、皆、私なんかの為に。
私、こんな厄介な人に執着されてるのに。
皆この人がヤバい人だって分かってるハズなのに。
……いや、皆が頑張ってくれてるのに、私が頑張らない訳にはいかない。
ちゃんと私も言わないと。ちゃんと――逆らわないと。
「ダグラスさん……お手洗い、行かせて、ください」
私がそう呟いてしばらくして――ようやくハグから解放された。
アンナが案内してくれたのは捕まった場所から少し離れた、ツヴェルフ専用の部屋――アンナの部屋だった。
家具も絨毯も殆ど赤色。
だけど、色んな赤を使い補色として金や白などもあしらわれている。
純白一色の白の部屋や漆黒一色の黒の部屋とは全く違った。
なお、お手洗いという名目上ダグラスさんはアンナに着いて来ていたらしいアシュレーとネーヴェ、リチャードと一緒に部屋の前で待っている。
露店巡り以来久々に集うツヴェルフ4人の顔は皆、暗い。
「何か……酷く禍々しい物を感じるわね……」
ソフィアの呟きは間違っていない。
部屋の外から禍々しい黒の魔力を感じる。
「物凄く強い黒の魔力が部屋全体を包もうとしていますから……」
「あらアンナ、そういうの分かるようになっちゃったの?」
ソフィアの問いにアンナは小さく頷いて答える。
「はい……ただ、何かに阻害されているのか包みきれてないというか……この部屋の会話は聞かれてない、と思います」
阻害……ネーヴェが私達を守ってくれているのだろうか?
「……アンナ、助けてくれてありがとう」
「いいえ。私はこれまで全く皆さんの力になれなかったので……せめてこの位の事はさせてください」
アンナが優しく微笑む。
先程のピンチに手を差し伸べてくれたりする姿はこの世界に召喚された直後の事を思うとまるで別人のようだ。
「ソフィアもありがとう……あんな状況でお手洗いって発想、よく出てきたわね?」
「以前、何処かの誰かさんがその場の空気を一切読まずにお手洗いとか言い出した事を思い出したのよ」
誰かしら? と思ったけれどアンナと優里の視線からしてどうも私のようだ。
「……さて、お喋りはこの位にして……どうする? 出たらもうあの悪魔、絶対アスカから離れないわよ?」
ソフィアの中でもうダグラスさんは完全に悪魔認定されたようだ。
「何とか油断させる方法があればいいのですが……」
「飛鳥さんからはっきり婚約破棄を言い渡したらショックで引いてくれないでしょうか……?」
予想外の状況に呆然としちゃってる間に横を通り過ぎていく光景は確かにドラマや漫画で見かけるけれど。
「今の状況でそれやったら、矛先が絶対こっちに向くわよ」
ソフィアの冷静な指摘が想像を遮る。
「2人とも、アスカを助けたい気持ちは分かるけど冷静になって。こっちに危険が及びそうな手段は取るべきじゃない。アスカはあの男に捕まった所で死ぬ訳じゃないけど、私達は――」
「ソフィアさん、それは……」
優里が割って入るように言葉を遮ると、ソフィアはひとつ息をついて肩をすくめる。
「……もし私達が死んだら、それこそアスカが辛いでしょう? 私達は先ず自分の身の安全を優先しないと」
確かに。ソフィアの言い分は全て理にかなっている。
私も、もしソフィアと優里の身に危険が及ぶ位なら――
「でも……私は飛鳥さんに助けられました」
優里が俯いて、ポツりと零す。スカートを握る手が震えている。
「飛鳥さんは、私の失敗をカバーしてくれました。ユンさんやセリアさんに変な目で見られても、恥をかいても……私を責める事無く切り抜けてくれた事があるんです。私……凄く嬉しかったんです。庇われた事なんて、今まで一度もなかったから……」
そんな事あったっけ――と思い返すと、妄想話で切り抜けた時が思い当たる。
あの時はなるべく優里を刺激しない方が良いと思って話してただけなんだけど――
「死ぬ訳じゃなくても、飛鳥さんが今よりもっと不幸になる事は目に見えて分かるじゃないですか……私は飛鳥さんを見捨てる事なんてできません。まだ何か方法があるはずです、何か……」
ギュッとスカートを握る手と、涙声、顔からこぼれ落ちる水滴に心が締め付けられる。
「……馬車と休憩室を用意したのはお義父様です。助けを求めれば応じてくれるかも知れません」
優里の隣でアンナが口元に手を当てながら呟く。
「え……赤の公爵、私達が地球に帰ろうとしてる事を知ってるの?」
「はい。昨日の朝、クラウス卿がアスカさん達を地球に帰すのに協力してほしいと来訪されて……」
「クラウスが?」
ダグラスさんにあんな目に合わされても館を壊されてもまだ、私を助けようとしてくれているのか。
「貴方を助けようとすれば間違い無くあの悪魔が来るでしょ? クラウスは午後動けないから代わりにあの人と戦える人間が必要だと考えたみたい」
確かに……昨日の夕方の事を考えるとダグラスさんと対等に戦えそうな人ではあるけれど。
「お義父様はリアルガー家だけがツヴェルフを手にして他のツヴェルフを皆地球に帰すというのはフェアではない……と悩まれ、その場では了承しませんでした」
確かに、自分の家だけツヴェルフを手に入れて他のツヴェルフの逃走に協力する、というのはかなり敵を作る状況だろう。
「ただ昨日の夕方アスカさんの様子を見に行かれて、協力する事を決意されたようです。『この世界で幸せになれぬなら、帰した方が良い』と」
「でも……私達に協力したら他の公爵との仲は険悪になるじゃない。その上ダグラスさんと戦うなんて……何で赤の公爵は何でそこまでしてくれるの?」
ずっと疑問に思っていた問いをぶつけると、アンナは優しく微笑んた。
「私とアシュレーを結びつけてくれたのがアスカさんだからです」
「え?」
確かに、赤の公爵は私を息子夫婦の恩人だと言っていた。
でも私には全く心当たりがない。誤解させて拗らせて迷惑かけた事しか覚えてない。
「アスカさん、歓迎パーティーの時アシュレーに絡まれた私を助けてくれたでしょう? あの時誰にも助けてもらえず無理矢理アシュレーにキスされてたら私、アシュレーを好きにならなかったと思います」
瞳を輝かせて微笑むアンナに(私が思いっきりアシュレーに殴られてても上手く行かなかっただろうし、アンナとアシュレーが上手くいったのはダグラスさんのお陰でもあるのでは……)という疑問がよぎったけど、ここで突っ込むのは流石に野暮だろう。
「アスカさんがアシュレーを止めてくれたから……アシュレーが怖い位真っ直ぐで、不器用で……でもちゃんと自分の非を謝れる人だって事、言えば分かってくれる素直な人だって事が分かったんです。アスカさんを通して、アシュレーを知る事が出来た。向き合う事が出来た。私が斧や魔法を覚えようと思ったのだってアスカさんがきっかけです。赤の魔力に飲まれた時は正直アスカさんの事を憎く思いました……でも、今はアスカさんに対して感謝の気持ちでいっぱいです。アスカさんは私の心も軽くしてくれましたから」
そこまで言われると、もう、何て返せば良いのかわからない。
ただただ、優里が、アンナが、私の存在を認めてくれるのが恥ずかしくて――嬉しい。
「私、アシュレーと一緒にお義父さんを呼んできます。ここでもう少し待っていてください」
そう言ってドアに手をかけて開こうとした瞬間、アンナが固まる。
「どうしたの、アン――」
ソフィアの声にアンナは小指を口に当てる仕草をして、小声で呟く。
「待ってください……今、とても強い黄色の魔力が近づいてきます……」
少しだけズレたドアに皆して集まり、耳をすませる。
「ダグラス卿、探したぞ」
重く、低い、威厳のある声が聞こえる。
「ロベルト卿……生憎今私はここから離れる訳にはいきません。説教は後日お聞きします」
ウンザリとした様子のダグラスさんの声も聞こえてきた。
「ここで構わん。説教しに来た訳でもない。漆黒の下着の件で話したい事がある」
漆黒の下着――待って、何だか、ものすごく――嫌な予感がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます