第157話 薄灰の鳩がもたらすもの


 一面真っ黒な空間の中、少し離れた場所に白い何かが見える。


 目を凝らすと、クラウスが背を向けて倒れている。駆け寄ろうにも透明な壁のような物が間を遮ってこれ以上近づけない。


「クラウス!」


 呼びかけてみても全く反応がない。こっちの声が聞こえないんだろうか? そしてよく見ると震えているように見える。寒いんだろうか?


 もう一度、届くように大声で叫んだ所でクラウスが消えた。

 



 自分を包む柔らかい枕と布団の感触が今のは夢だとを気づかせる。


 目を開けても視界は真っ暗。窓が無いせいで今が朝なのか夜なのかも分からない。この漆黒の部屋にいると心が落ち着くのは確かだけど、この異常な空間で落ち着ける自分が怖い。


(こんな、黒一色の部屋で落ち着けるとか……どう考えても私、頭おかしくなってるでしょ……?)


 自嘲しつつ今は朝なのか夜なのか確認する為にドアを開けるも、入り込む光に少し抵抗を感じて無意識にドアを閉めてしまう。


(え……私、ヴァンパイアかアンデッドにでもなっちゃったの……?)


 外の光にさえ抵抗を覚えるようになった自分に愕然とし、立ち上がる気力もわかずにその場に座り込む。

 さっきドアを開けた時に差し込んだ光の具合からして、今は多分朝か昼――そのうち誰かが朝食か昼食を運んできてくれるだろう。


 しばらくしてコツ、コツとドアを叩く音が室内に響く。通常のノック音と違うそれに違和感を感じ、なるべく光が当たらないよう少しだけドアを開ける。


(誰も、いない……?)


 そう思った時、足に何だか滑らかな物が触れる。思わず声を上げて足元を確認するとそこには鳥らしき生き物が「クルルッ」と喉を震わせてこちらを見上げていた。


「は……鳩?」


 光のない横長の目をした、模様も可愛さもない薄灰の鳩――昨日セリアが言っていた鳥だろうか?

 何処から入り込んで来たのかとドアの隙間から廊下を見回すと、良い天気だからか廊下の窓が何箇所か開いているのが見えた。なるほど、侵入容易だ。


 それにしてもやけに人馴れした鳩だなと見つめていると、鳩もじっと私を見つめた後、開いた窓の方までトコトコと歩いて、こちらを振り返る事無く飛んでいった。


 鳩が見えなくなるとまた気持ち悪さが体を襲ってきたのでドアを閉めようとするも、今度は先程のように上手く閉まらない。何か挟まったのかとドアの溝を見ると、煌めく物を見つけて拾い上げる。


 それは小振りな白い宝石がついただけの、細いシンプルな銀色の指輪だった。何故こんな館にこんな物が落ちているんだろう?


 ただ、その白い石の優しい輝きにどうしようもなく惹かれ、試しに右手の人差し指に付けてみる。

 サイズ的にはちょっとキツい感じもしたけど無事に第二関節を越えて収まった瞬間、優しく温かい感じに包まれる。


 まるで、クラウスから魔力を貰った時と同じような感覚。


 それと同時にこの部屋に感じていた穏やかな感覚がなくなり、異様な恐怖に襲われる。

 逃げるようにドアを開き部屋から出ると、丁度食事を運んできたセリアに遭遇した。


「あ、アスカ様……! 部屋を出て大丈夫なのですか!?」

「大丈夫、そこに落ちてた指輪をつけたら楽になった……!」


 声を上げて驚くセリアに指にはめた指輪を見せると、怪訝そうに見据えられる。


「……少し見せて頂いてよろしいですか?」


 セリアにそう言われて指輪を外した瞬間、軽い目眩を覚えてその場に座り込む。

 セリアが謝りながら焦る手付きで私の指にはめ直すと、目眩なんて無かったかのように頭が軽くなる。


「その指輪にはかなり強い白の加護が込められていますね」


 何故そんな指輪がドアの真下に落ちていたのか分からないけど、すごくありがたい。


「……これで、体調悪いフリをすればヨーゼフさん達を油断させられるかも……」


 ぽそっと呟くとそれに応じるかのようにセリアがテレパシーで応える。


『確かに……アスカ様の中にはそこそこ白の魔力が残っていますし、指輪を黒の手袋で隠してしまえば魔力探知に長けてる人でない限り指輪に気づかないと思います。このタイミングでそんな物を見つけられるなんて……アスカ様は本当に神に愛されていますね……!』


 感心したようにテレパシーを送られたけど、これまでの自分の状況を振り返ってみてもまず神に愛されてない事は断言できる。


『ついでにアスカ様、こちらの石に黒の魔力を込めて頂けますか?』


 何がついでなのか、と思いつつセリアに差し出された透明な小石に言われるがままに魔力を込めると、石が黒く変色した。

「これは……?」


『これは魔道具にも使われている、込めた魔力を好きな時に発動させる事ができる石……魔晶石ましょうせきです。詳しくはこれに目を通してください』


 セリアは黒くなった石をポケットにしまい込むと、代わりに眼鏡と1枚の手紙を手渡してきた。眼鏡を掛けて手紙に目を通す。


<明日の14時頃 ルドルフ殿が街に買い出しに出かけるそうです この位の時間なら朝夜警備のランドルフ殿も寝ている可能性が高く ヨーゼフ殿さえ何とかできれば執務室を探索するチャンスです>


 明日――ダグラスさんが帰ってくる可能性がある事に不安を感じつつ、続きを読みすすめる。


<明日 ルドルフ殿が館を出たのを見計らって私が黒の魔力を込めた魔晶石を使って庭の訓練場に侵入します ヨーゼフ殿は私を怪しんで間違いなく後を追ってくるでしょう アスカ様が今いる部屋の前の窓からその様子が一望できますので、ヨーゼフ殿が訓練場に入ったのを見計らって執務室を探索してください 仮にランドルフ殿が起きていたとしてもアスカ様がテレパシーをガンッガンにかけ続ければ動かなくなると思います>


 チラ、と窓の向こうを見やる。確かにここからなら訓練場への出入りがしっかり見下ろせる。極力声を抑えてセリアに問いかける。


「……あの訓練場の入り口って、黒の魔力じゃないと通れない所なの?」

『いえ、この家に仕える者の魔力でも反応すると思いますが……この石に魔力込めて、なんて言えませんから』


(なるほど。きっと執務室の隠し通路もそうなんだろうな……)


 そうでなければあんな、来客が訪れる応接間を兼ねた執務室に飾られた額縁に寝室へのスイッチを仕込むはずもない。


<個人的に 執務室の夫婦写真の下の額縁の黒い石の装飾が怪しいかと>


 手紙の締めの言葉に驚く。セリアが私の言葉を信頼して動いてくれたのはセリア自身も執務室に怪しいと思う所があったからか。


 この館に来てから3週間弱。その間にこの館の探索を済ませて、間取りを完全に把握し、怪しい所に着目しているセリアに素直に感心する。


「……セリアって本当すごいわね」


 その言葉にセリアは自分の口元に指をあてて、うふふ、と笑う。


『アスカ様にそう言ってもらえるとメイド冥利に尽きます。私は彼らほど強くはありませんから、その分頭を使ってお役に立ちたいのです』

「ありがとう、セリア。後で責められる事になっても私が守るから安心して」

 

 そう、これは私がそうしたいと願ってセリアは的確に案を提示して準備してくれただけ。

 ルドルフさんから予定聞き出したり、こうすればヨーゼフさんを遠ざけられると計画を立てて、魔晶石まで用意してくれたり――そんなセリアに被害が及ぶのは何としてでも避けなければ。

 

「……じゃあ、今日は体調不良だと思わせる為にこのまま部屋にこもるわ。昼食と夕食は部屋の前に置いといてくれればいいから」


 セリアに手紙を返し、指輪を外してポケットに入れた途端足元がフラついたのをセリアに支えられる。


「無理なさらず。食事の準備位はできますから」


 そう微笑んでセリアはサービスワゴンを押して部屋に入る。朝食が乗ったトレーを持つ手が震えていたのですぐに受け取って部屋から退室させようと押し出す。


「あ、これを忘れる所でした……!」


 部屋の前で振り返られ、白い封筒を手渡される。既に封の開けられているそれには優里の名前が記載されていた。



 セリアを見送った後、薄暗い照明の下で封筒を開く。まだ会えそうにないという事やアンナの懐妊パーティーが緑の節の3日に決まったからその日に会いたいですね、というのが表の内容として記されていた。


 そして暗号の内容は『セリアさんに気をつけて』と『飛鳥さん大丈夫ですか?』の2つ。


(私が『ユンに気をつけて』とだけ送った時、きっと優里も『どうやって?』って思ったんだろうな……)


 どう気をつければ良いのかもう少し具体的に書けば良かったなと、机とちょっとだけ色味の違うコップに入ったジュースを飲みながら反省した。



 朝食を食べ終え、改めてポケットの中に収めた指輪を確認する。

 この状態異常と回復が目まぐるしい自分に笑えてくるけどこの体調不良を回復できる指輪が手に入ったのは本当にありがたい。


 確か、幸福を持ってやってくるのは白い鳩だったっけ。あれは薄灰だったけど。

 見つけるきっかけを作ってくれた光の無いやや横長の黒い目の、あの鳩――


(あの鳩、もしかして……?)


 違うかも知れないけど。もしかしたらと思えば思うほど、心に温かいものが広がっていった。


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