第37話 二つの器


「ギャアアアアッ!!!」


 耳をつんざくような猫の悲鳴に朧気ながら意識を取り戻したものの、視界に入ってきた光景は目を閉じたくなる位に一面眩しく、真っ白な世界だった。


 明らかに現実じゃないこの空間に叫び声の主はいるらしく、叫び声が聞こえてくる方を向くと純白の世界に一点の黒が見えた。


 どうやらこの眩しさの原因もその黒の近くにあるようで、極力目を細めて光を遮ってなお黒目が何処かいってしまいそうな位の眩しさを堪えつつ、その黒に近づいていく。


 近づくにつれて黒の点は段々大きくなり、まるで逆三角のような形を取っている事がわかってきた。

 手が触れられるくらいに近づいて初めて、その黒が透明な何かに入った液体のようなものである事に気付く。


 私と同じ位の背の、まるでゲームに出てくるクリスタルみたいな正八面体の器の頂点からはポタ、ポタと墨のような黒い液体が落ちて底に溜まっていく。そして、猫の悲痛な鳴き声はその黒溜まりの中から聞こえてくる。


 改めて辺りをギリギリの薄目で見回すと周囲の白に一部、違和感を感じる。近づいてみると白に同化した同じような正八面体がある。


 そして…正方形のてっぺんからからまるで蛇口から溶けた蛍光灯でも流し込んでいるのかと思うほど眩しく輝く白の液体が注がれている。


(もしかして、これが私の<うつわ>ってやつ……!?)


 2つの器に注がれる白と黒の液体と、体がちょっとフワつくような感覚は私の推測を後押ししてくれる。


(じゃあ、さっきの黒い液体が溜まってる所から聞こえてきてる猫の鳴き声って……!?)


 嫌な予感がしてもう一度黒の液体――黒の魔力が溜まっている器にへばりつく。荒々しく波打つ魔力の中で一瞬、ブワ付いた尻尾が見えた。


「ペイシュヴァルツ!! 貴方そんな所で何してるの!?」


 助け出そうとするもベタベタと器を探ってみるも、手を入れられそうな部分がない。猫の悲痛な鳴き声だけが響く。


 どうしようもない――で済ませられない。何で鳴くの? 苦しいから? 何で苦しい?


(……私の中に、白の魔力が大量に注がれてるから?)


 じゃあ注がれるのを止めさせれば――と思うもののどうやって起きればいい? 強く念じればいける?

 そう思って目を閉じて強く(起きたい!)と願いながら目をうっすら開けてみても状況は何も変わらない。


 止められないならせめて白の魔力が注がれている間、ペイシュヴァルツの壁になれないだろうか?

 私が器にへばりついていれば、その分少しは光を遮られるかも知れない。いや、それより――


(……この状態でも、魔法が使えれば……)


 その可能性にかけて白の魔力が注がれている器を包むように、白の魔力を使った防御壁を張ってみる。周囲が真っ白なので目視で確認出来ないけど、魔法を使ってる感覚はあるから恐らく成功しているだろう。


 黒の防御壁は黒の魔力を吸収する――ダグラスさんが教えてくれた言葉が白にも共通しているなら……白の防御壁は白の魔力を吸収するはずだ。


 その証拠に白の器に向けて防御壁を張った事で周囲の眩しさが大分薄れた気がする。ペイシュヴァルツの悲鳴も微かな唸り声に変わった。


『アスカ……?』


 悲鳴が止み空間に静けさが訪れたからか何処からともなくクラウスの声が聞こえてくる。しばしの沈黙の後、また勢いよく白の魔力が注がれる。


 白――温かくて、優しい、綺麗な色――だけど、今はそれが何より怖い。


 途中、艶めかしい吐息やまるで舌をかわすような音が響き顔が熱くなる。今、私はクラウスに何をされているのだろうか?

 意識がない人間と勝手に事に及ぶ行為がどれだけ酷い事か、クラウスは分かってるんだろうか?


(まさか、致したりとか……してないわよね……!?)


 ただでさえコッパー家の人達には迷惑をかけているのに、まさかこの館で致すとか――致してるかどうかの心配より、致していた場合の罪悪感と嫌悪感が物凄い。


 流石にキス止まりだと思いたい。ルクレツィアだってキスしろって言ってた。いやキスも十分アレだけど。まだ、まだキスなら許せる。だけどそれ以上はアウトだ。


(落ち着いて……相手はクラウスよ。クラウスなら、きっと大丈夫……)


 本当に? 父親が違えどダグラスさんの弟よ? それに、4日の朝だって同じベッドで――


 真っ白な魔力に今まで抱かなかった恐怖を感じてジリジリと後退し、後ろの器にもたれかかる。

 幸い使用している魔力以上に注がれている白の魔力が多くて防御壁を張り続ける事自体は全く苦じゃない。


 クラウスを信じたい感情と疑うのを止められない理性が拮抗する中でどの位時間が経っただろうか? 突如白の魔力が注がれる感覚が止まった。


 恐る恐る防御壁を解いてみると、器の大半が白の魔力で満たされている。さっきの眩しさも落ち着いたようだ。防御壁を解いてもペイシュヴァルツの声も聞こえない。


「ペイシュヴァルツ……ペイシュヴァルツ、大丈夫?」


 器の方を振り向いてしゃがみ込み、呼びかける。ヒョコッと顔を出したペイシュヴァルツは耳がペタンと頭にくっついてる上にフルフル震えているけど、苦しい訳ではなさそうだ。


「ああ、良かった……!」


 ペイシュヴァルツが無事な事に安堵しつつ、再び疑問が浮かび上がる。


「全く……いつの間にこんな所に入り込んでたの? ダグラスさんの体の中にいる時もこうやって器の中に浸かってるの? 色々言いたい事あるけど……とりあえずもう大丈夫みたいだから、出ておいで?」


 濃灰の目が少し涙目になってる気がするペイシュヴァルツに優しく呼びかけてみるも、フイッとそっぽを向かれ再び黒の魔力の中に潜られてしまい見えなくなった。


「まあ……出たくないなら好きにすればいいけど……」


 黒の色神の欠片と考えると、黒の魔力の中にいた方が楽なのかも知れない。

 着替えやお風呂、トイレの時は出てってもらいたいけどそれ以外なら別に入っていた所で困りはしない。人語理解していても、猫だし。


 もう一度器によりかかって座り込み、目を閉じる。再び起きた時にどうクラウスと話せばいいかを考えている内にまた意識が遠くなっていった。




「……いや、だからね、ルクレツィア嬢……政略結婚は両家の当主の意思によって成り立つ。私は息子の意思を尊重したいし、君は私を説得する前に君のお父上をだね……」


 うっすらエドワード卿の声が聞こえてくる。

 

「近親相姦に抵抗があるのは当然だ。人は自分と近すぎる遺伝子と交わる事を本能的に嫌う。だから私は君にそれを無理強いするつもりはないし、君の境遇にも同情している。だがね、逆らうには相手が悪すぎる事は分かってほしい。息子も君については何も言わないから、君をどう思っているかも分からない。逆に言えば息子と君のお父上の承諾があれば私からは何も言う事はない。君は説得する相手を間違えているんだよ」

「……分かりましたわ。エドワード様が私達の結婚に反対している訳ではない事が分かっただけでもありがたい事ですわ」


 ああ、外堀を埋めようとして失敗したのか。

 『面倒な子』って言われていたからエドワード卿があまりルクレツィアに関わりたくなさそうなのは感じ取れていたけれど。


 背中の硬さと全身に感じる何かがのしかかっているような重さに違和感を覚えながらゆっくり目を開く。

 そこには吹き付ける激しい吹雪の向こうに灰色の空。そしてサラサラの銀髪が視界の隅に入る。


(ここは……? いや、それより……)


 まず真っ先にどんな方法で魔力を注がれたのかが気になって、体を少し動かす。着衣の乱れはない。どうやら最悪の事態は免れたようだ。


 体勢を変えずに次は視界を動かす。空がどす黒く視界の大半が白い――吹雪によって遮られている。

 床一面が不自然に真っ白い雪の硬さと景色の割に寒々しさを感じない事から、これらの光景全てが映像だと教えてくれる。


 エドワード卿のすぐ傍ににアナライズテレスコープがある事から目に見える光景が雪山というだけで、場所は意識を失う前と全く変わってないみたいだ。

 エドワード卿のすぐ傍でルクレツィアがテレビ画面を凝視している。テレビ画面の向こうにはオレンジ色の髪をまとめた人間の後ろ姿。


「ああ、アーサー様……ラインヴァイスが元に戻り次第、今すぐ参りますから…!!」


 こっちの苦労も知らずに勝手な事言って……と思いつつ、私の上に被さっているクラウスの方を見る。

 私が頭を動かしている事にも気付かずに目を閉じているのを見ると寝入っているようだ。その顔色が良くなっているのを見て、少し安堵する。


(……怒鳴りたい気持ちもあるんだけど……)


 もしここで怒鳴って突き放してしまったらクラウスはもっと自暴自棄になってしまう。無理矢理攫われるのも、私の目の届かない所に行ってより心を病んでいってしまわれるのも怖い。

 というか、キスで済んで良かったと思ってしまえている自分の心も怖い。


 次にキスをお願いされたらこうして意識を失わされて身動き取れなくなる位なら目を瞑って受け入れてしまいそうだ。返して、私の恥じらいと倫理観。

 クラウスをそっとどけて身を起こすと、テレビ画面を見ていたエドワード卿がこちらに気付いて歩み寄り、手を差し伸べてくる。


「すまないねアスカ殿。本来はこの二人に出ていってもらうべきだったのだろうが、この二人の力を借りたい状況になってしまってね。何、記憶がなければそれは無かったのと同じ事だ。意識がない間に何をされていたかなんて考えたらそこで人生が終わってしまう。前を向こう、アスカ殿。生きていればきっと良い事がある」


 気遣ってるつもりなんだろうけどエドワード卿の追い打ちをかけるような励ましに心抉られ、そこに凄く不穏な言葉が含まれている事にどうしようもない不安がのしかかった。


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