第6話 初めての敵意


 ル・ティベルの空にも太陽のような星が浮かんでいた。

 それが沈んでいくのと同時に段々と空が赤く染まり、その上に濃い青が夜を告げる為に覆いかぶさっている。


 塔から皇都までそんなに遠くはないって聞いていたけど、それでも青空がこんな風になるまでの数時間は眠ってしまっていたようだ。


 皇城につく前にダグラスさんが起こしてくれたお陰で寝癖を整えたりこっそり涎を拭いたりする余裕があり、皇城に着いた時にはすぐに馬車から下りる事ができる状態だった。


 この世界は夢で、起きたら現実に戻っているんじゃ――なんて思ったのは起きてからほんの一瞬。

 そこからしばらくは涎の跡をどう自然に拭くか、で頭がいっぱいだった。結局、顔を伏せて擦って取った。


(……涎は致命的だわ……)


 上半身を横にして寝ていたようなので、ダグラスさんは私が寝た後に向かい側に座り直したんだと思う。私を起こした後もダグラスさんは自然と向かい側の席に座った。


 このアングルだと、確実に涎を見られてる。よっぽど疲れた日でもない限り涎を垂らす事なんて滅多に無いんだけど。

 いびきとか寝相はどうだったんだろう? 聞くのが怖い――そんな羞恥心と自虐が混じったため息を何度かついてるうちに、馬車が止まった。


 ドアが開いて御者とダグラスさんが二三言交わした後、ダグラスさんが馬車を下りた。続いて私もドアに手をかけると、


「お手をどうぞ」


 ダグラスさんが差し出してきた。断る理由もなくその手を取り、ゆっくり下りる。

 手袋越しでも伝わる、長くゴツゴツとした手と指の感触。


(ぶっ飛んだ発言こそされたけど、優しいし、気が利くし、普通にいい人よね、ダグラスさんって……)


 馬車で数時間――大半は眠ってしまってたけど――二人きりの時間を過ごしたお陰か、最初に会った時の気後れも今は無い。

 もしまたこうして馬車に乗る機会があったら、今度はちゃんと向かい合って座れる気がする。


 改めてダグラスさんの顔を見る。整った顔立ちに穏やかな物腰、そこはかとなく漂う気品。

 本当に、あのぶっとんだ重婚発言さえなければ、失恋直後でなければ、今頃心ときめかせてしまっててもおかしくない位の美紳士だ。


 それに比べて私は――叫ぶわ大きなクシャミするわ寝るわ涎垂らすわで――印象はどう考えても最悪だろう。


「……あちらに皆さん、揃ってらっしゃいますね」


 ダグラスさんが右手で示した先にはソフィア達がいた。

 だけど私は彼女達の後ろにそびえ立つ壮大なお城の方にまず目を奪われ、思わず見上げてしまう。


 何階建てだろう? 見張り台の役目を果たしているのか、塔みたいになってる所もいくつかある。城を囲む白璧も、何処まで続いてるのか計り知れない。


 さっき馬車に乗ってた時にやけに背の高い白壁が続くなぁ――と思ってはいたけど、まさかその白壁で覆われている範囲全てが皇城の敷地なんだろうか?


「それではアスカさん……また後程お会いしましょう」


 ダグラスさんの挨拶に我に返り、頭を下げると、ダグラスさんはまた黒い馬車に乗って行ってしまった。


「アスカ!」


 黒い馬車を見送っていると今度はソフィアの声に我に返り、振り返ってすぐ様ソフィア達の元に駆け寄る。


「ソフィア! 皆! 無事!?」

「それはこっちのセリフよ! さっきの男は何者!? こっちの馬車には私達と御者以外誰もいなかったから、貴方が男にエスコートされて出てきた時はビックリしたわよ!」

飛鳥あすかさん、大丈夫ですか? あの人、この世界の人なんですか?」

「へ……変な事とか、されてないですか?」


 ソフィアと優里ゆうりとアンナに囲まれて、私はようやく言いたい事が言える時が来たのだと気づく。


「そうよ、ねぇ、聞いて!! 変な事はされてないけど、ヤバい事言われ」

「お静かに!」


 張りのある声ともにカラン、と鈴のような音が辺りに鳴り響く。


 音の発生源と思われる方に視線を向けると右手にハンドベルらしき物を持った、いかにもファンタジー世界の御婦人の普段着ですと言わんばかりのワンピースを着た4、50代と思われる女性が私達の前に立っていた。


 まず目を惹いたのは、彼女の右目に付けられた片眼鏡モノクル、だっけ? 薄い金の縁で飾られたそれと、銀髪をひっつめてお団子にした髪型、先程の堂々とした声と服装も相まって典型的な<性格のキツい家庭教師>を連想させる。


「この度地球から召喚された方は、これで全員お集まりになりましたね?」


 私達を一通り一瞥した上で、女性は小さく会釈をした。


「私はメアリー・シェラ・フィア・スピネルと申します。皇城における貴方方の教育者兼、監督者です」


 聞き取りやすいハッキリとした声で名乗った女性は私達に背を向けて歩き出したが。だけど数歩で足を止め、顔だけこちらに向ける。


「ご自身の星の品格を貶めたくなければ、あまり騒がれぬように。それでは、付いてきてください――


 メアリーの見下したような厳しい視線から、この世界に来て初めて「敵意」を感じた。




 メアリー(※明らかに年上だけどさん付けで呼びたくない)に案内されて静かに皇城に入ってから十数分。


 見た時は横にも縦にも広い――と思ったが奥行きもかなりありそうだ。城の中に入りまっすぐ歩くと広大なホールに出て、中央の大きな階段を上がり、何回か曲がって、またそこから真っ直ぐに歩いてるはずなんだけど、まだまだ壁に突き当たる気配がない。


(……一体何処まで歩くんだろう?)


 天井のシャンデリアや壁に所々掛けられた絵画、それを収めている豪華絢爛な装飾の額縁、自分の顔が映りこみそうな程綺麗に磨かれたフロア。

 遭遇するメイドや鎧を着た兵士と思われる達が全員が全員、こちらに気づくとすぐに深々と頭を下げる。


 入った事ないけど、まるで物凄く大きな高級ホテルに来たみたい――それが率直な感想だった。

 ただ、先程のメアリーの言葉が繰り返し頭をよぎって素直に感動する気にならない。


 突然異世界に攫われた身で『自身の星の名を貶めたくなければ』と言われるこの状況は、非常に理解しがたい。


 国の名を背負う選手やプロチームに所属している選手が国やプロチームの名を貶める事が無いようにそれぞれ行動に気を付けなければならない理由は分かる。

 でも、突然召喚された特に際立った能力もない平凡な人間にいきなり星の名を背負わされても困る。


(まあこの世界に来てから、もう何度も理解しがたい状況に陥ってるんだけど……)


 私以外の皆もメアリーの言葉にそれぞれ思う事があるようで、城内を案内される中、誰一人声を発しようとしない。

 明らかに不機嫌そうなソフィアと、押し黙ってしまった優里とアンナ。


 私も先程の事を喋る気がまるっと削がれてしまい、ただ皇城の中を観察しながら歩いてうちにメアリーが立ち止まり、こちらを振り返った。


「こちらの部屋に貴方がたのドレスや装飾品が用意されております。それらの着脱や化粧、ヘアメイクの為にメイドも待機していますので、彼女達が手伝えば2時間後のパーティーには十分間に合うでしょう」


 メアリーが言いながら手で示した先には扉があった。この中で準備しろという事だろう。


「ちなみに今回貴方達に着くメイドは今後貴方達の身の回りのお世話をする専属メイドになります。もしメイドに不快な思いをさせられたり不満がある場合は別のメイドと交代させますので遠慮なくどうぞ」


 メアリーは笑顔で言うけど、目が笑っていない。

 不満がある場合は、と言っておきながら実際に不満を言うと『これだから地球の人間は……』とか嫌味言ってきそうな雰囲気だ。


 説明を終えた彼女は首に下げたペンダントのロケットを開いて中を確認し、


「……それでは、20分前に様子を見に来ますので」


 そう言ってロケットを勢いよく閉じ、颯爽と奥の方に歩いていった。

 空気を悪くしていた人間がこの場を去り、場の空気がようやく緩む。


「とりあえず……入りましょうか?」


 扉を指さして優里が呟く。ドレスや装飾品に興味があるんだろうか? その表情は何処となくワクワクしているように見えた。


「……ちょっと待って。中にはここのメイドがいるのよね? それなら今、一つだけ言わせてほしいんだけど」


 ソフィアが優里を止め、三人の視線がソフィアに集まる。

 ソフィアは腹の中にある黒い感情をありったけ込めたかのように呻くように吐き出た。


「あっのババア、クッソムカつくんだけど……!?」


 ソフィアの怒りを込めた言葉に一同ハッキリと頷き、大きく溜飲が下がった。


 私もこの勢いに乗って『この世界の貴族の価値観、本当にヤバい説』を吐き出したかったんだけど、話が長くなりそうな上に何処で誰が聞いているかも分からない事から諦めた。



 扉を開けるとまず色とりどりの煌びやかなドレスが視界いっぱいに飛び込んできた。

 目いっぱいドレスを立てかけた背の高いハンガーラックが規則的に複数並べられており、見る者を圧倒する。


 そのハンガーラックの奥――部屋の中央にはメイドが4人、こちらに向かって頭を下げていた。


 これだけ距離が離れてたなら先程のソフィアの発言は聞かれてないだろう。

 ドアを開けたら目の前にメイドが――なんて、気まずい雰囲気から始まらなくて良かった、と思いながら彼女達の方に歩いていく。


 頭を下げているメイドは暗めの茶髪をお下げにした人が1人、ツインテールの赤毛が1人、ロングの金髪が1人に切り揃えた短い黒髪が1人――それぞれ青、赤、緑、黄を基調にしたワンピースに白いエプロンを付けている。


 メイドさんと言えばお約束の白いヘッドドレスも付けている。想像した通りのメイドさんの姿と完全に一致していて、ちょっとした感動を覚えてしまう。


「えっと……まず、どうすればいいのかしら?」


 私が一番近くにいる暗い茶髪のメイドに向かって問いかけると、メイドはゆっくりと顔を上げて微笑んだ。


「皆を代表して私、セリア・フォン・ゼクス・アウイナイトが申し上げます」


 鮮やかな瑠璃色の瞳に思わず目を奪われる。

 暗めの茶髪だからと無意識に想像していた目の瞳と全く違った事にちょっと驚いてしまったけど、セリアと名乗った女性は気にせずに言葉を続ける。


「まずは皆様、ご自身の専属メイドを選んでいただく事になります。皆それぞれ容姿や性格、魔力の色や量、声色、出自、得意不得意の違いこそありますが、皆ツヴェルフの専属メイドとして恥じる事のない実力がございます。どのように選ばれるかは皆様でご相談ください」


 セリアさんがそう言うと他のメイドもこちらを見ながら微笑んでいる。


 待って、今この場で出会ったばかりで『色々違うけど皆メイドとしてちゃんと仕事できるよ! さあ選んで!』状態で選べと言われても、困るんだけど――


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