第30話 青の公爵令嬢を照らすのは・1


 晴天の下を駆ける馬車内は、少々暑いと感じるものの温度を調節しようという気は起きず。

 窓の向こうの街並みをぼんやり眺めながら、私の頭はただただこれまでの事を思い返していました。


 昨日、アーサー様にとても穏やかな顔で頭をそっと撫でられて以降の記憶がなく――目覚めれば夕刻、ラリマー邸の自室のベッドに寝かされていました。


 すぐ様アレクシスの自室に向かい「あれは夢?」と問いただすと「いいえ、うつつです」と返され、橙色の羽の美天使の姿が見えて視界が橙に染まり――再び自室のベッドで目覚めたのが今朝の事。


 私が2度気絶している内にヒューイ卿が訪れ、正式に私との縁談を断りに来た事を朝食時に聞かされました。

 ヒューイはエリザベート様にも言ったとおり「縁談を断る代わりに今後何かあれば自分の一存で出来る限り協力する」と言い、お父様も了承したそうです。


 「ヒューイ卿も友人であるアーサー卿が縁談を潰した事を周囲に知られたくないそうで、断る理由は寸前で自分が心変わりした、という事にしてほしいとの事でした。こちらとしてもそれが最善と思っていますので皆、今回の件は他言無用に」


 そう言ってお父様は微笑んではいましたが、あまり元気がありませんでした。あんなお父様は初めて見ます。

 もし決闘で負けた事が広まっていたらきっと微笑みすらなく、あの食卓も昨日同様凍てついたものになっていたでしょう。

 私も昨日の決闘の事はアーサー様の為にも、お父様の為にも、この心に一生秘めてまいりましょう。


 そしてヒューイの、アーサー様に負担がかからないようにというありがたい配慮が心に染みます。


 地位も実力も申し分ない上に、最低限の負担で最善の方法を選ぶ器量、想い人がいる心――ヒューイは、私にとって最良の子づくり婚相手だったのですけれど――


(でも……ヒューイが断ったからこそアーサー様が私と結婚する事を決意してくれたと思えば、ヒューイにも是非幸せを掴んで頂きたいですわ)


 アスカさんの名を呼ばれた時は本当にビックリしましたけれど――アスカさんの出産ノルマは3件。ヒューイに望みがない訳ではないのです。


 デートで私を見つめるヒューイの笑顔は本当に優しく穏やかで、私を抱きしめるヒューイの力は、本当に、身動き取れない位強くて――望みがあるのならばどうか彼も報われてほしい、と思ってしまいます。


 もしまたアスカさんとダグラス卿が険悪な状況になっても、ヒューイなら上手く仲裁してくれるでしょうし。

 アスカさんにとっても、けして悪い話ではないはずですわ。 


(ああ、それにしても……昨日も、一昨日も本当に夢のような2日間でした)



 街の散策はとても楽しかったですし、アーサー様が来た時は物凄くドキドキしましたし、その上婚約まで――その上、アーサー様が私とアレクシスの契りを阻止する為に命を賭けて決闘を申し出て、お父様が油断していたとは言え見事に勝利し――その上とても優しい笑顔で私の頭を優しく撫で――




「さい……ルクレツィア様、起きてください、ルクレツィア様!」

「はっ……!?」


 ラインハルトの声に我に返ります。困ったように呼びかけるラインハルトの向こうに魔導学院が見えます。


「ああ、またしても意識を失っていましたわ……!! アーサー様の事で感極まったら鼻血か失神という、この脆弱な体と軟弱な意識が心底恨めしいですわ……!!」

『ルクレツィア様、ご安心ください。今は鼻血は出ておりません。刺激的な過去を振り返るのはできる限りお控え頂きたいのですが、昨日の今日では難しい事も存じております。念の為今しがたご学友達にも「本日ルクレツィア様の体調が思わしくなく、顔が真っ赤になった際はティッシュを差し出して頂ければ」と伝えております』

「ラインハルト! 恥を晒さないでくださいまし!! ティッシュでしたら私も3つ持ってきてますわ!」


 本当に――決闘した事を黙っていて欲しいと言ってお父様の恥を隠したアーサー様とは大違いですわ。

 それに、アレクシスの恥も聞かなかった事にしてくれたとか。


(紛う事なき神の所業ッ……! アーサー様は大きな陽イリョスを背負う橙の美神ですわ……!!)


 両手を組んで天井を仰ぎ崇め終えた後、馬車を降りると3人の令嬢が綺麗なカーテシーで私を迎えてくれます。


「「「ルクレツィア様、おはようございます」」」


 いつものように声を揃えて私を出迎る3人の瞳はいつものような淡々としたものではなく、私の婚活の結果がどうだったのか――何処となく期待と好奇心を感じました。


 ただ、全てを話す訳には参りません。教室に入るなり令嬢の一人に防音障壁を張ってもらった後、アーサー様の事は伏せてヒューイとのデートは最後の最後で失敗に終わった事を話します。


「……という訳で、偽物では彼の心を惹き付けきる事が出来なかったのですわ」

「そうだったのですか……ルクレツィア様、どうか元気をだしてください。元は魔物の幻覚作用です。上手くいかない方が良かっ」

「ちょっと……!」


 令嬢一人が軽く制服の袖を掴み、掴まれた令嬢が「あ」と声を上げます。

 発案者お父様に対する失言である事に気づいたのでしょう。可哀想に、口元と足が震えています。


「構いません。倫理に欠けたやり方なのは間違いありませんからそう言いたくなる気持ちも分かりますし、今回は見逃します。ですが淫魔の首飾りを用いた事はラリマーとアイドクレース間の機密事項……貴方方を信頼してお話した事です。決して他言する事はなりませんよ?」

「あ、ありがとうございます……! ルクレツィア様の御慈悲、痛み入ります……!」

「ルクレツィア様、この度の婚活、お疲れ様でした……!」


 婚活を労われるのって何だか不思議な気分ですわね。確かに、予想外の出来事が続いて心身ともにヘトヘトですけれど――


「……でも、ヒューイとのデートは楽しかったですわ。露店通りには本当に色んな物が並んでいるのですね」

「露店通りに行かれたのですか?」

「ええ、ブローチのお店でアズーブラウのブローチもプレゼントしてもらいましたわ。あ、そう言えばここでよく耳にするカリーノというカフェにも連れて行ってもらいましたのよ。ブルーベリーワッフルとオレンジティーを頂きました。美味しかったですわ」

「あのお店のワッフルは私も大好きです。ルクレツィア様のお口にもあったと思うと嬉しいです」


 ああ、こういう話題で盛り上がれるの、楽しい――と思った所でチラッと魔力が放たれたのが感じました。


「あら、今のテレパシーは何ですの?」

「あ、いえ、そう言えば期間限定のフローズンパフェ、今節で終わりだから次の休息日、私達も行っちゃう? と……すみません」


 視線を向けた先の令嬢が驚愕の表情を浮かべた後、たどたどしく謝罪します。


「その程度の雑談、何故テレパシーで?」

「ルクレツィア様の前でルクレツィア様が行けない場所の話をするのは……と。配慮が足りず申し訳ありません……!」

「心遣いは嬉しいですけれど……寂しいですわ。興味を持ったらシェフを呼べばいいのですから、そういう話は遠慮せずどんどんなさって?」

「し、承知しました」


 そこで先生が教室に入ってきて、授業が始まってしまいました。

 授業が終わった後はまた露店通りの話題が出る事はなく――空が赤く染まる頃、いつものように令嬢達に見送られます。


 この後、あの娘達は今日の失言についての反省会を開くのでしょうか――気になさらなくていいのに、と言いたい所ですけれど彼女達の気持ちも分かるだけに何とも言えない気分ですわ。


 私に失礼がないように振る舞わなくては、と皆で一致団結して、そして次の休息日には皆でフローズンパフェを――




 普段なら流せるモヤモヤが今日に限ってはなかなか流れてくれません。

 ラリマー邸に着いてラインハルトの手を取って馬車を降りて、一縷の望みをかけてお願いしてみます。


「ラインハルト……次の休息日、また露店通りに行きたいですわ。先日寄ったお店で食べなかった期間限定のフローズンパフェが今節で終わるそうなのです」

「駄目です。ルクレツィア様が街へ寄る事は許されておりません」


 ラインハルトの言葉はいつものお願いに比べて頑なです。


「下着を売ってきなさい」「オレンジティーを仕入れなさい」――そういうラインハルドが単独で動けるお願いに比べて「私を街に行かせなさい」は難易度が違いすぎますから、そう断られても仕方ないのですが――


「……何処のお店を教えて頂ければ私がシェフをお呼びします。もしご学友達と共に食べたいという事であれば、今週の休息日に皆様を館に招待して……」


 そう、シェフを呼べば食べたいものを食べられる――それは私が彼女達に言った事です。

 この館に招待すれば皆で食べられる――ラインハルトの申し出は私のお願いに込められた本心も汲み取っています。


 確かに、ラリマー邸のテラスでもあの子達は私が何か言えば聞いてくれるでしょう。

 できる限り私が好むような話題を出して、私が好むような返答をしてくれるでしょう。


 でも、でも――違いますのよ。私はそういう綺麗に整えられた会話をしたい訳ではないのです。

 美味しい物だってフローズンパフェよりずっと美味しいだろう物を私、たくさん知ってますのよ。


「私もあの娘達と……気軽なお喋りをしてみたいのです……」


 あの暖かく穏やかなお店で、あの娘達が食べたいと思う物を食べて、あの娘達が普段話すような話を聞ければ――少しは私もあの娘達も、立場を意識せずに楽しく会話できるんじゃないかって思ったから――


「ルクレツィア様……」


 ラインハルトの声に我に返ります。ああ、ラインハルトにどうしようもない事で困らせてはいけませんわね。


「……私を街に、というのはラインハルトには荷が重すぎましたわね。招待も不要です。立場を意識して緊張した中で美味しい物を食べさせるのは可哀想ですもの」


 お父様に直談判して万一街に出る許可をもらえたとしても、護衛が何人か付くでしょうし、きっとあの娘達が萎縮してしまいますわ。


 思い返してみれば一昨日のデートが楽しかったのは私にそう感じさせなかっただけで、ヒューイが私に合わせてくれていたから――だからこその楽しさだったのかも知れません。

 あの娘達にも同じ事をしろというのも、荷が重すぎますわね。


 ああ――いつもと違う場所で楽しい思いをして、ついラリマー家の娘としてふさわしくない事を言ってしまいましたわ。


 少し虚しく寂しい気持ちを抱きつつ、館に入ります。

 後に続くラインハルトも私の我儘がおさまって安心したのか、何も言ってくる事はありませんでした。


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