第31話 青の公爵令嬢を照らすのは・2
数日後――ラリマー家とアイドクレース家の縁談が破談になった事が新聞に載りました。
<青の英雄と美女の力を持ってしても捕まえられない、風の貴公子>
この縁談がお父様主導で組まれた物である事は周囲に知られていましたので新聞社もこのような見出しにしたのでしょうが、今朝の食堂は微妙に寒かったですわ。
そして、こんな風に書かれれば当然絡んでくる人間が出てくる訳で――
「よう、ルクレツィア! お前、あのナンパ野郎にフラれたんだってな!」
教室に向かう最中、また屋外訓練場から、またアシュレーが、また無頓着な大声を上げて、また周囲をザワつかせます。
(私に魔力さえあればあのお馬鹿がいる一帯に氷柱の雨を降らせますのに……!!)
今はそれができませんので致し方なくツカツカと歩み寄っていくと、男子達がアシュレーまでの道をどうぞどうぞと開けてくれます。
「アシュレー!! 大声で言わないでくださいまし!! しかも何でそんな笑顔ですの!? 失礼ですし、不愉快ですし、いくら幼馴染と言えど許せませんわ!!」
「悪ぃ悪ぃ! 自分の子どもがダチの子どもと険悪にならずに済むのが嬉しくてな!!」
友達――明るく淀みのない目で屈託なく笑う所がアシュレーの凄い所ですわ。
悪意のない純粋な喜びをあてられて怒る気も失せて、はあ、と1つため息を付いて元いた通路に戻ると、丁度行き違った明るい茶髪をハーフアップにした暗い緑の目をした先生に対して会釈すると朝の挨拶と共に温かい視線を向けられます。
特にそれ以上の言葉を交わす事無く、そのまま互いに通り過ぎた所で令嬢の一人がそっと私の耳元でささやきます。
「ルクレツィア様、今のが薬学科のアイビー先生です」
その言葉で全て察しました。あの温かい視線はフラれた同志に対する同情の視線だったようです。
放課後――帰り際のエントランスで「あのカウンターの所に座っているのがワサビさんです」と令嬢に説明されて目を向けると、キリッと意思の強そうな薄黄緑の目の女性と丁度目が合ってしまい、苦笑いされてしまいました。
本当微妙な気分ですけれど、どちらからも悪意や敵意を感じなかった分「良し」としなければなりませんわね。
そんな事を考えながら校舎を出て駐車場に向かうと、いつものように迎えの馬車が待機していました。
馬車の所に着くと、ラインハルトが私に一礼し――いつもと違って馬車のドアを開けず、令嬢達の方に体を向けます。
「皆様、明日の休息日ですが……お嬢様は私が護衛についた上で19時まで外出の許可が出ております。もしよろしければ明日のお嬢様の街巡りにお付き合いして頂きたいと思っているのですが、ご都合はいかがでしょうか?」
「えっ……ラインハルト、それは」
「大丈夫です、ヴィクトール様からも許可が降りています」
突然の言葉に戸惑いの声を上げるとラインハルトから穏やかな笑顔を向けられます。
ですがラインハルトの申し出に動揺したのは私だけではなく――
「ちょっ、いえ少々お待ちくださいませ……!」
令嬢達は少し離れてコソコソとテレパシーを送り合っています。明らかに皆さん困惑してらっしゃいます。
そんな表情でどんな話をしているのか分からなくて段々不安になってきます。こういう時、感情が見えるお父様が羨ましいですわ。
(了承してもらえたら嬉しいですけど……でも、こんな形で了承されても、それはラリマー家の命令だから……)
せっかくラインハルトが私の望んだように手配してくれたというのに――嬉しい状況のはずなのに冷めた考えがチクリと心に刺さり――今日は心が妙に疼きます。
『……君は本当に私の意図と反対の方向に舵を切る癖がある』
アーサー様の言葉が、ふと頭をよぎります。反対の方向――アーサー様だったら、こんな時どうなさるのでしょう?
(……『命令だから』なんて思ってしまう位なら、私もアーサー様のように、ちゃんと自分の意見を言えば良いのでは?)
アーサー様は納得出来ない事に対してちゃんと向かい合い、自身の意志を主張なさいました。
それが例えお父様のように恐れ多い人相手でも。自分が関係している事ではなくても。
私も――他人の立場を慮って口を閉ざすのも悪くはないけれど、こうやってモヤモヤを抱く位なら、もう少し自分の素直な意見を言っても良いのではなくて?
私は今の自分の立場と態度に後ろめたさや違和感を感じてる訳ではありません。
アシュレーのように身分の上下を一切気にせずに気さくに話す姿はちょっとどうかと思いますし、上下関係は大事ですわ。
――でも、上下関係にガチガチに縛られて個人のささやかな友情すら育めないのは、苦しいですわ。
今ここで私が黙っていては、本当に『命令』になってしまいます。
(私も……私の意見をハッキリ言わなければ。アーサー様に呆れられてしまいますわ)
スウ、と一つ息を吸って、テレパシーを送り合う令嬢達に歩み寄ります。
「皆様……残り少ない学生生活ですけれど……よ、良かったら友達としてお付き合いして頂けたら嬉しいですわ。でも、無理にとはいいません。これを断ったからと言って貴方方の待遇を悪くする事は絶対にありません。ただ……皆様ともう少し、気さくにお話する事ができたら、と思っただけですので……」
素直な言葉を何とか紡ぎ出すと、彼女達は驚いたように私を見て、その後3人揃って顔を見合わせて――フ、と3人の表情が緩みました。
「……喜んで! 行きましょう、ルクレツィア様!」
「失礼があってもご容赦して頂けるなら、是非。勿論、なるべく失礼がないように気をつけますが……」
「よ、よろしくお願いします!」
3人がそれぞれバラバラの言葉で、私を受け入れてくれる。
それが嬉しくて帰り際に手を振ると、3人がまた驚いた顔をしながら、それぞれ手を降ってくれました。
そして、休息日――なるべく目立たないようにシンプルなワンピースを身にまとい、アズーブラウのブローチを胸元につけて学院へと向かうと、皆さんそれぞれ私服を纏って待ってらっしゃいました。
最初は皆さん緊張していらしたけれど、護衛として同乗しているラインハルトが気さくに和みやすい話題を出し、露店通りに着く頃にはすっかり緊張も解けてカフェで楽しい時間を過ごさせて頂きました。
冷やされたアイスクリームにシャリッと独特の感触をもたらすフルーツが乗ったフローズンパフェも、きっと館にシェフを呼ぶよりずっと美味しい物を頂く事もできました。
(……やっぱり、こうして人と何気ない話ができるのは凄く楽しいですわ)
ヒューイとのデートも楽しかったですけれど、皆の話が聞けてとても楽しかった。
そして緊張が解れた彼女達の表情はこれまで見た事がないものが多かった。
これまで私が逐一自分と相手の立場を意識していたから――だから彼女達も立場の差を強く意識して、色々萎縮してしまっていたらしい事も感じ取れました。
きっと学院を卒業したらまた元の関係に戻るのでしょう。それでもこの日の事は、とても素敵な想い出として私の心に宝石として残りますわ。
叶うなら、彼女達にとってもそうであってほしい――なんて、そう思える位楽しかったのです。
そんな楽しい一時を過ごした後、令嬢達を寮まで送り、ラリマー邸に向けてゆるやかに動き出した馬車の中――向かいに座るラインハルトにこの楽しい一日を作ってくれた礼を言います。
「ありがとう、ラインハルト……貴方がお父様に外出の許可をもらってくれたのでしょう?」
最近のお父様は何処か上の空だったり、いつもより元気がないように見えたり――ピリピリとしたオーラを感じたり。
そんなお父様に私が街に行けるようにお願いするのはとても勇気がいったでしょうに。
その功績を称えて感謝を口にしたのですが、ラインハルトは眉を顰めて困ったように苦笑いを返してきました。
「そうしようと思ったのですが……とても情けない話ですが途中で怖気づきまして。ネクセラリア様とオフェリア様に相談し、お二人からお願いして頂きました。お礼はお二方に」
「あら、そうでしたの? では二人にも帰ったら礼を言わなくては……でも、今日を楽しく過ごせたのはラインハルトのお陰ですわ」
アレクシスがアーサー様に『自分の力の無さを理由に他人に縋るのは恥』と言われたと落ち込んでいましたが、それはあの子の、常に他人頼りな性格を察されたからで、リスクを犯さず他人の力を借りて確実な手段を取る事自体はけして悪い手段ではありません。
仮にそれに恥だと思っていたとしても、あの娘達の緊張した雰囲気を解いてくれたのは間違いなくラインハルトの力です。
ラインハルトは私の従僕として見事に役目を果たしてくれた。恥じる事は何1つないはずですわ。
なのにラインハルトは小さく首を横に振り、先程まで私達の会話をスムーズにしてくれていた温かい言葉とは全く違う自虐の言葉を紡ぎます。
「……それでも、私はアーサー様のように自分の力で切り開けなかった……あの方はとても眩しくて、羨ましい。私は彼の足元にも及びません」
「確かに、ラインハルトはアーサー様のような
ああ、アーサー様の光にあてられて自分がとてもちっぽけな存在だと思い知らされているのですね。
アーサー様は他人の力を借りずに自ら道を切り開けるお方。
その道にどんな障害が立ち塞がっていようと、通らねばならないと思ったら挑めるお方。
「でも私は、夜空から優しく大地を照らすフェガリも美しいと思いますわ」
ラインハルトは自分の力で切り開けないと判断した時もそこで諦めず、他人の力を借りて私の為に道を切り開いた。
輝き方に違いはあれど、道を切り開く結果に至ったのですからそう落ち込む事はないと言おうとしたのですけれど――ぽかんとした顔で私を見つめるラインハルトに別の言葉が溢れます。
「どうしましたの?」
「今……私を
「ええ。青白い光で静かに夜道を照らすフェガリは私を影で色々支えてくれる貴方にピッタリですわ。今回の事も、貴方がお父様や貴方の父君に隠れてオレンジティーや橙の小物を仕入れてくれる事も、本当に感謝してますのよ」
珍しくきょとんとした顔で私を見つめるラインハルトに私何かおかしい事を言ったかしら――? と思い返そうとした時、フッと彼の顔が緩みます。
「……ありがとうございます。貴方に星に例えられるなんて、身に余る光栄です」
あら、いつもならこんな事を言ったら「突然詩人にならないでください」と皮肉の一つも言ってきますのに――珍しいものが見られましたわ。
お父様は心配ですけれど私達の結婚をお認めになってくれましたし、アレクシスはこれを機に変わってくれそうな気がしますし、学友やラインハルトの意外な一面を見る事もできましたし――これも全て、アーサー様のお陰ですわ。本当に、感謝してもしきれません。
そんなアーサー様に私が差し出せる物と言ったらこの身一つと、この身から産まれるアーサー様と同じ色の魔力を持つ子ども。
アーサー様が私に与えてくれたも物を思うとこれだけでは到底釣り合いませんわ。
こんな私がアーサー様の為にしてあげられる事と言えば、そう――
(アーサー様の恥にならない、コッパー領の誰もが認めるような、立派な侯爵夫人になる事ですわ……!)
いつの日か、と夢見て学院の図書室にあるコッパー領の地理や歴史の本を読み込んではいましたけれど、コッパー領に堂々と嫁ぐには全然足りません。
本格的にコッパー領について学ぶにはやはり、生の人の教えを受けなければ!
「ラインハルト! 館に戻り次第コッパー領に詳しい家庭教師を手配なさい! アーサー様にふさわしい侯爵夫人となる為の花嫁修業を一日でも早く始めなくては!!」
「ルクレツィア様、今のヴィクトール様にコッパーは
「なるほど……確かにお父様は負けたから渋々認めたという感じがヒシヒシと出てますから、刺激するような言動は危険ですわね……よきにはからいなさい」
「かしこまりました」
本当に私、アーサー様の事になると頭と心が熱くなってアシュレーを馬鹿にできない位のお馬鹿になってしまいますわ。
それでなくても、今回の縁談で私がいかに未熟で世間知らずだったかを思い知らされてしまいました。
アーサー様に恥をかかせない為にも日々精進していかなくては。
決意を固めて夜空を見上げれば窓の向こうで淡く輝くフェガリも私を優しく照らしてくれます。
この星を今、アーサー様も見上げているのでしょうか?
アーサー様、私、心身ともに鍛え上げ、2人の殿方を何としてでも見つけ出し、役目を果たした後必ずそちらにまいりますので――今しばし、お待ちくださいまし。
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