第53話 白の崩壊・3(※クラウス視点)



(知られたくない、知られたくない……!! 今このタイミングでそんな事知られたくない……!!)


 もし僕がアスカとの蜜月や交わる事ばかり考えていると告げられたら、アスカはどんな顔するんだろう?

 今の状況ではどうしても良い方向に考えることは出来なかった。


(諦めるしか、無い……!!)


 そう絶望して間もなく、アスカがすぐ後ろに降ろされた事に気づいた。ああ、本当に感情見えるんだ。どうしよう、ひたすら辛いし恥ずかしい。


 そんな感情が頭から離れない内に青の公爵は氷竜と戦い始める。

 脳が考えるのを拒否して強固な防御壁を張るのが精一杯で、とても大きい蛇と蛇の戦いだな位にしか思えなかった。そんな時――


『クラウス、我、気づいた!』


 ラインヴァイスからテレパシーで囁かれる。そのちょっと嬉しそうな口調がムカつく。


『何だよ……』

『青の公爵、逃げたら、アスカにお前のピンク思考バラす。だけど、バラされても、後でアスカの記憶、消せばいい!』


 ラインヴァイスの言葉を脳が理解した瞬間、方向転換してその場から離れる事を命じた。


『珍しく良い事言うねラインヴァイス……!! そうだ、僕達は記憶を消せる……! 都合が悪い記憶は全て消してしまえばいいんだ……!!』

『失礼! 我いつも、良い事言ってる!』


『ダンビュライト侯、そちらの方に行かないでください! ロットワイラーの領地に色神が侵入したら休戦条約に違反……』


 青の公爵の警告にラインヴァイスの動きが止まりかける。


『ラインヴァイス、もう戻れないんだ!! 今を逃したらもう、僕はアスカと一緒にいられなくなる!! そんなの、嫌だ……!!』


 そうテレパシーで叫ぶとラインヴァイスはまた空を全力で駆ける。


 ああ、休戦条約違反――上等じゃないか。いっそ戦争になってくれればいい。

 あいつも、さっきの魔獣使いも、あの風使いも――アスカに関心を払う奴らは皆死んでしまえばいい……!!


「クラウス、お願い! 戻って!!」

「駄目だよ、戻ったらまたアスカがダグラスに捕まってしまう……!!」


 氷竜は青の公爵一人でも何とかできるよ、あれだけ強いんだから――と言うか死んでくれた方が安心できる。



 そんな風に人の死を疎かに考えた罰が当たったのか――乾いた音と同時に頬に痛みが走った。



「クラウス……もう、いい加減にして!!」


 アスカに、叩かれた。そして嫌悪の表情を僕に向けている。初めて出会った時や塔の屋上で僕を見限った時よりずっと怒りの感情が宿っている。

 マナアレルギーの時に噛みつかれた時の痛みより明確な意思を持ってはたかれた今の方が痛い。


 そのつり上がった眉が――僕を睨みつける目が――怖い。


「アスカ……そんな目で、見ないで……! 僕は……!」


 見ないでと言ってもやめてくれない。その目が僕を軽蔑しているみたいで。もう二度と僕に笑いかけてくれないような気がした。


(嫌だ――嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!)


 それなら、消そう――今の記憶もさっきの記憶も全部消してしまおう。これ以上何も言われたくない。拒絶の言葉を吐かれたくない。手をそっとアスカの額に添える。


「……ラインヴァイス、僕は、アスカに、嫌われたくない……!! 力を……!」


 僕の言葉に呼応するかのようにラインヴァイスが止まり、淡く輝き出す。


 エレンの古く深く刻まれた記憶を消すのにはちょっと手こずったけど、今の浅い記憶なら――飛鳥の記憶を消す作業に取り掛かった、その時。


「ヴニャアアアアアア!!!」


 突然アスカの頭上に現れて手を引っ掻いてきた小さな黒猫を反射的にふっ飛ばすと、その黒猫をアスカが追いかけるようにラインヴァイスから落ちた。


 何が起きたのか分からない状態でいる間に、山頂近くで雪崩まで起きた。


 このままじゃアスカが飲み込まれる――


「ラインヴァイス、アスカを!」


 アスカを助けようとした時に僕もラインヴァイスも動きが止められる。そして何も出来ないまま――アスカが雪崩に飲み込まれていった。


「アスカ……アスカ!!」

「戦争を起こされると困るんですよ、ダンビュライト侯……!」


 アズーブラウに乗った青の公爵がその身の半分を恐らく氷竜のものであろう血に染めながら僕達の直ぐ側に迫っていた。


 青の公爵の目には明らかに静かな怒りが宿っている。

 敵前逃亡した挙げ句に敵国侵入しようとしてるんだ、当たり前かも知れない。


 だけど、そんな事どうでも良かった。今の僕の頭の大半はアスカの事でいっぱいだった。

 何とか魔力の拘束を振り解こうとするも、ビクともしない。何でだろう? 僕の魔力は青の公爵よりずっと大きいはずなのに。


 そう思う間に先程氷竜の命を奪ったであろう青の鞭で作られた大きな輪の中にラインヴァイスごと引き寄せられた。




 不思議な薄暗い水の中――何処を見ても果てのない深い青の空間が続く。ただ一箇所、僕の背後に青の鞭で作られた輪っかがあった。


 その輪の表面はまるで鏡のようで、鏡の向こうでは青の公爵がこちらを見据えている。


『その空間は青の鞭の恩恵、水鏡が作り出した特殊な空間です。無理してその空間に穴を開ければ貴方は異空間の塵と消える。まあ……白の家系である貴方にその空間に穴を開けられる程の攻撃ができるとは思えませんが』


「アスカを……アスカを助けてください!!」


 今の自分にはどうする事もできない環境である事を悟ると、僕は反射的に叫んでいた。

 水の中にいる割には呼吸が出来る。身動きできない状況で溢れる涙も構わずに精一杯叫ぶ。自分の中から溢れ出る大量の空気の泡が視界を遮っていく。


『……残念ですが彼女はもうロットワイラーに入ってしまっている。今、色神を持つ者はあの国に一切手を出してはいけない事になっています。マナクリアウェポンとかいう変な兵器を使わない条件に反してしまいますから』

『バレないように魔力隠し《マナハイド》を使って入ればいいじゃないですか!!』


 喋る度に発生する気泡が不快でテレパシーに切り換える。


『残念ですが今あの国にはが設置されているらしく色神を宿す私はあの国には入れません。それは魔力隠し《マナハイド》で誤魔化せる物なのかも分からない。少なくとも、私達公爵の間では色神の存在は魔力隠し《マナハイド》では消せない』


 青の公爵はそこで一旦言葉を切ると、自分の服がすっかり血に染まっている事に気づいたのか浄化の魔法をかける。

 余程強力な浄化術なのか、服にこびり付いた血や汚れはあっという間に綺麗になった。それを確認した上で青の公爵はまた言葉を続ける。


『勿論、公爵家の人間の立ち入り自体禁じられていますから、向こうが宿主の色で探知している事を大袈裟に言っている可能性もある。ですが私はそんな未知の文明に対して危険なリスクを犯したくありません。彼女の存在は貴重ですし、助けたいと思いますがそれで不特定多数の……数千、数万の人間の命を奪われる事に繋がるのであれば私は人の上に立つ者としてそちらの命を救わなければなりません。彼女自身もそれを望むでしょう。それでも彼女を失うのはとても惜しい……貴方が余計な事を企まなければ全て上手くいったというのに』


 青の公爵が遠い目をして見据える先は何処なのか、ここからじゃ分からない。苛立ちを覚える中、ラインヴァイスが青の公爵に呼びかける。


『青の公爵、ペイシュヴァルツ、アスカの器に入った。それはいいのか?』

『あの位の魔力量なら、恐らく小さすぎて感知されない可能性が高い。アスカさんの黒の魔力や黒の魔力を宿した小道具があればいくらでも誤魔化しようがある……確かに、公爵が動けない時に代わりに動ける有能な存在がいる事は悪い事じゃありませんね。今は色神を宿してない人間に彼女の未来を託すしか無い』


 ポツポツと独り言のように呟いた後、青の公爵は僕を見据える。


『……どちらにせよ凶悪な感情を持つ今の貴方を放置する訳にはいきませんから、その空間の中でしばらく反省してください。貴方の先程の一瞬の心変わりは怖い。貴方が自分の行いを本当に心から反省して突然心変わりした理由も教えてもらった上で解放しましょう』


 冷めた目の中にもう怒りは見えなかった。その分何を考えているのか分からなかった。

 そして青の公爵に冷たい笑顔を向けられた後、青の鞭の輪っかの中の鏡が溶けるように消えた。完全に水鏡の中に閉じ込められてしまったみたいだ。


『ラインヴァイス……何とかならないの……!?』

『無理。お前の魔力、青の公爵より多い。けど、我、神化しんかしたアズーブラウに勝てない。だから、無理』

『……神化?』

『純粋な魔力を持つ者、その魔力に応じて色神、神化できる。だけどお前、黒の魔力混じってる。だから我、神化できない。神化した色神と我との差、大きい。この空間、神化したアズーブラウの影響受けてとても強固。青の公爵がアズーブラウの神化維持してる間、脱出無理。大人しく開放されるの、待つしかない。そして、我、この空間、姿維持するの……辛い』


 しょぼんとするラインヴァイスはそのまま僕の中に入ってくる。誰もいない空間の中、絶望に包まれる。


 アスカは無事だろうか? そう言えば指輪の事を聞けなかった。指輪に白の魔力を込めてあげてたら、アスカにまた魔力を注げていたら回復魔法が使える分まだ安心できたのに。


 ああ、アスカ、アスカ、どうして――どうしてこんなに上手く行かないんだろう?


 僕が何か悪い事した? ただただアスカを助けようとしているだけなのに。

 アスカの傍にいたいだけなのに。


 情けない僕を守ってくれたアスカが好きだから、僕自身を頼ってくれるアスカが大好きだから――だから助けたいだけなのに。


 ――でもアスカは言う事を聞かない僕の事が嫌い。


 言う事聞かない僕の事が嫌いになったから、叩いた。


 きっと僕とあいつのどちらかしか助けられないとなったら、アスカは迷わずあいつを選ぶんだ。あいつどころかあの朱色の少年にだって負けてしまうかも知れない。


 だって僕はアスカに――嫌われてしまったから。


「ああああああああ!!!!!」


 自分の中から空気が大量に吹き出していく。頬の痛みが消えても震えた心の痛みは消えないどころかどんどん痛みを増していく。


 ここがどういう空間なのかさっぱりわからない。呼吸こそ出来るけれど水の中にいるような息苦しさは変わらない。そして何処を見ても先が見えない青色が殊更僕の中の不安を煽っていく。


(ああ、駄目だ。この空間の中にいたら、壊れてしまいそうだ)


 嫌だ――嫌だよ、アスカ。死なないで。嫌いにならないで。変わるから。今度こそちゃんと、君が望む僕になるから。


 君が死んでしまう位なら、嫌われてしまう位ならちゃんと君の言う事聞くから。

 君が何て言っても僕が君に逆らっちゃいけないのはもう痛い位に分かったから。思い知ったから。



 お願いだから死なないで、僕を嫌わないで。

 君が死んだら、君に嫌われたら僕はもう、生きていけない。



 死なないで、嫌わないで、死なないで、嫌わないで、死ぬな、嫌わないで、死なないで、嫌うな、死ぬな、嫌うな、死なないで、嫌うな――



(嫌だ、嫌だ、こんな思考だから、僕はアスカに嫌われるんだ。僕は……!!)



 願いが傲慢な思考に押し潰されていくのを感じる。願えば願う程、反発が強まっていく。頭を抑えても尚、脳が考える事を止めない。



 アスカ、お願い。



 僕を、助けて。


 

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