第152話 青の公爵
もしセリアから『あれは変装した青の公爵です』と言われても何かしら行動は起こしたと思う。
ただ、自分の醜い感情に気づかずに済んだだろうなと思うとやっぱり正体は最初から分かっていたかった――
頭を下げながらそんな事を思っていると、上から優しい声が落ちてきた。
「どうぞ、顔を上げてください」
顔をあげるとヴィクトール卿が微笑みながら私を見ている。近くで見ると私より少し背が高い位の、細身の印象を受ける。
「歓迎パーティーの際に着ていた藍色のドレスや瑠璃色の目を持つメイド……不思議と青に縁がある貴方には一度挨拶しておきたいと思っていました。貴方に会えた事でここに来た事が無駄にならずにすみました」
穏やかな笑顔の割に、最後の言葉に少し棘を感じた。
「無駄……ですか?」
「ええ……せっかくお茶を用意してもらったのに申し訳ないのですが、交渉が決裂してしまったので私はもう帰ります」
残念そうにため息をつかれ、肩もすくめられる。何の交渉だったんだろう? 私は関係してるんだろうか?
「あ、あの、交渉って……?」
追求するのも失礼かなと思ったけれど、多分ダグラスさんは後で聞いても教えてくれない。
勇気を出して問いかけると、さして気を悪くした様子もなくヴィクトール卿は言葉を紡ぎ出した。
「昨日、ウェスト地方の……ラリマー家が管理している土地で私の息子、アレクシスが獣人に誘拐されましてね。今私は皇都を離れる訳にいかない為ダグラス卿に救出を依頼したのですが、黒の魔力が溜まった貴方から離れる訳にいかない、とはねつけられてしまいました」
私がいるから、助けに行かない――?
「ヴィクトール卿……!」
私が疑問に思うと同時に、それ以上言うなと言わんばかりにダグラスさんが声をあげる。だけど青の公爵の滑らかな喋りは止まらない。
「非常に残念ですが、黒の魔力の特性については私も知っています……そういう事情であれば仕方ありません。そして息子の解放条件は私の死……いくら息子の為と言えど私が死ぬ訳にもいきません。まだ15にもならぬ幼い息子を見殺しにするのは身を引き裂かれる思いですが、獣人に抗う力を持っていなかった時点であの子の運命は決まっていたと思う事にします」
あまりに残酷な状況を穏やかに喋る割には表情には少し陰りが指している。きっと胸の中では悲痛な思いを抱えているのだろう。
「あの、ダグラスさん……私の事は気にしないで助けに行ってあげてください!」
幼い子どもの命の危機を、子を失いかけている親を見捨ててはおけない――そう思ってダグラスさんの方に視線を向けると、こちらは青の公爵以上に悲しそうな表情をしている。
「飛鳥さん……貴方はもう、私から離れられない体なのだという事を理解してください……!」
「じ、事情を知らない人間が聞いたら誤解しそうな言い方やめてください! 魔力的な意味で、ですよね!?」
「おかしな事を言う……それ以外にどういう意味があるのですか!?」
怪訝な眼差しを向けられて強い口調で問われる。
すぐ側で聞いている清潔感と気品溢れる公爵の前で卑猥な事を言いたくなくて目をそらすと、一つため息をつかれた。
「……アレクシス卿がいると思われる獣人の森に向かい、事を対処するには少なく見積もっても2日はかかります……飛鳥さんの中にある黒の魔力はまだマナアレルギーを起こす程の量ではないと思いますが、私がいない間飛鳥さんは黒の魔力に相当苦しむ事になってしまう。私は貴方にそんな苦痛を与えたくない……!」
両肩を掴まれて力説される。
確かに、ダグラスさんに深く口づけされた時に襲われたあの不安や焦燥感にまた襲われてしまうと思ったら物凄く怖いけど――それでも自分の数日間の鬱症状と人の命を秤にかけられたら、私は人の命を取りたい。
どうすればダグラスさんを説得できるだろう? 命に対する価値観が違いすぎる以上、この人を綺麗事で説得する事はできない。となると――
「私、神官長から聞いちゃったんです……私のせいでダグラスさんがぼっちになりかかってるって……ここでアレクシス君を助ければヴィクトール卿はきっとダグラスさんを助けてくれます。私がちょっと辛い目にあうだけでダグラスさんが助かるなら、私……!」
「大丈夫です。これまで特に他の公爵と衝突した事がない、というだけで私は元々ぼっちです」
婚約者を気遣うヒロイン、を気取ってみたけど身も蓋もない言葉で返されて一瞬変な沈黙が漂う。
「で……でも、私のせいで色んな公爵と衝突して険悪になってしまってる訳で……ここで断ったらヴィクトール卿とも確実に険悪になっちゃうじゃないですか!」
「それも心配ありません、赤が異様に馴れ馴れしいだけで他の公爵間は大体険悪です!」
「おや、それなりに公爵間の関係に気を使ってる身としてその発言は聞き捨てなりませんね。私が、どの公爵と険悪だと言うのですか?」
ヴィクトール卿の問いかけにダグラスさんが言葉を詰まらせたせいで室内に再び変な沈黙が漂う。
「ダグラスさん……今の発言はどう考えてもダグラスさんが悪いですよ?」
ダグラスさんの方を見てポツリと謝るように促すと、ダグラスさんは額を手で抑えて深くため息をついて黙り込む。
耳からは何も聞こえなくなったけれど、代わりに頭をつんざく悲鳴が聞こえる。
(うわぁ……すっごい怒ってる……)
このままだとアレクシス君より魂が先に消滅するかもしれない。何か別の方法を考えないと――
「あ……! 私も一緒に獣人の森に行けば……!」
「ああ、それは良い考えですね。ただ獣人の森は危険なのでアスカさんは事件が解決するまで私が持つ別邸に宿泊されると良い。部屋はどうします? 来て頂けるのなら1つでも2つでも、いくらでも上質な部屋を用意しましょう」
これなら何の問題もなくなる。私を言い訳にして断る事も出来ない。
だけど話に乗ってきたヴィクトール卿が喋ってる間に先程にも増して大きな悲鳴が頭に響き渡る。
もしこれ、魂がなかったら私どんな目に合ってたんだろう――? 考えた瞬間、悪寒が走る。
「……飛鳥さんを連れて行く位なら、私一人で行きます」
魂の悲鳴が止んだ後、ダグラスさんが表情のない顔で呟く。
「そうですか? まあどちらにせよ依頼を受けて頂けるのでしたら助かります。いくつか話しておきたい事がありますのでお茶を頂いてもよろしいですか?」
ニコニコと満面の笑みを浮かべるヴィクトール卿と、無の境地に陥ったダグラスさんの表情の差がすごい。
「分かりました……飛鳥さん、お茶を置いたら自分の部屋に帰ってください」
やる気なく呟くダグラスさんから、非常にピリピリした雰囲気を感じる。
美女の正体も話の内容も分かったし、ここで入り浸ると更に悲鳴を聞かされそうだし――ここら辺が引き時だろう。
本来の目的であるお茶をセリアがいつもやっている通りに置いて、退室した。
「セリア……! あの人、公爵本人だったんだけど……!」
執務室から少し離れた所で、早速セリアに詰め寄る。
「やはり……! 以前、どんな変化の術も目の色だけは変えられないと聞いた事があるので公爵家の方だろうと思ったのですが、当たりましたね……!」
セリアが驚きつつ嬉しそうに微笑む。確かに、セリアの予想は外れてはいないけど――
「変装してる事に気づいてたなら、そこまで言ってほしかった……!」
「すみません。でもご令嬢の方じゃなくて良かったですね。心配だったのでしょう?」
「べ、別に……10で言うなら3くらいの心配よ。後の7はあの人がぼっちにならないか心配だっただけで……!」
ニコニコと話すセリアに対して溢れた言葉に、驚く。
(何これ……これじゃ、私、ツンデレみたいじゃない……!!)
何だか、あの人に女性の影が――と思ってから思考がおかしい。それ以上何言い出すかわからない自分の口が怖くて、黙って歩きだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます