第11話 歓迎パーティー・3


 とにかくキスだけはさせまいと繰り出した右手は自然に掌底の形になり、男の頬に直撃した。


「アンナ、大丈夫!?」


 すぐさまアンナに声をかけると、余程怖かったのか逃げ出したかったのか、すっかり怯えたアンナは2階の方へ走り出す。

 すぐ傍のジャンヌにいた目配せして後を追うように促した瞬間、肩を勢いよく掴まれる。


「痛ぇな!! 何だお前!?」


 燃えるような赤い髪に相応しい、赤い眉とギラギラと鋭く光る真紅の瞳。そんな奇抜な髪型や怒りの形相をしていなければ、女の子も寄ってくるだろうに――


「はぁ!? そっちこそ無理矢理女の子にキスとか、何考えてんの!? この世界の貴族はそんな野蛮な事がまかり通る訳!?」


 威圧に負けじとつい言い返してしまって大人しくするタイミングを逃したけど、もういい。

 肩を掴む手を振り払って、この状態を見守る貴族達に向き直る。今はとにかく、この場にいる貴族達に言いたい事がある。


「さっきまであの子に群がってた男どもは!? この奇抜な頭の男に恐れをなして逃げた訳!? 女のピンチ1つ救えないで有力貴族だとか子づくりだとか、話になんないわ!!」


 勢いに任せて出た言葉は余計な言葉も伴ってしまい、内心ヤバいとは思ったけれど。

「たかがツインの分際で……!!」


 リーゼントがこちらに振りかざした拳に炎が宿った瞬間、危険を感じ、反射的に目をつぶって身構えた、けど――


(……あれ?)


 予想した衝撃も痛みもやってこない。恐る恐る、目を開くと――


「お怪我はありませんか?」

「だ……ダグラス、さん?」


 同じ黒を基調にしてるけど、黒馬車に乗っていた時とまた違う威厳のある礼装姿のダグラスさんが私に攻撃を仕掛けてきた男の手首を掴んでいた。


「離せよ……!!」

「離す訳にはいきません……いかなる理由があろうと、女性に無理矢理口づけしようとするのも、魔力を帯びた攻撃を仕掛けるのも、非常に許しがたい行為です。相手の女性がツヴェルフなら、猶更」

「クソッ……!!」


 ダグラスさんは赤い男に向かって淡々と喋っているけれど、手首を掴む拳には一層力が込めてるのが分かる。


「アスカさん」

「は、はい!?」


 男の手首を掴んだまま、何ごともないかのような表情でこちらを見られ、思わず声が上ずる。


「ここは私が納めますので、どうぞご友人の元に行ってあげてください」

「あ、えっと……あ、ありがとうございます!!」


 ダグラスさんに頭を下げ、赤い男の呻きをよそに2階に上がって辺りを見回す。

 2階はホール全体を見渡せるような細いギャラリーになっていて、いくつも設置されてるガラスの扉からはバルコニーに出られるようになってるみたいだ。


(人っ気の無い所に逃げたいと思ったら、バルコニーかしら……?)


 大きなガラスが何枚もはめ込まれた両開きのドアはありがたい事に外に誰がいるか一目でわかる。

 動きづらいドレスに苛立ちを抑えながら歩き、3つめのバルコニーで見覚えのある緑の塊が見えた。その隣には赤毛のツインテール――ジャンヌらしき人影もある。


 扉を静かに開けてバルコニーに出る。扉を閉じた瞬間、室内の喧騒が遮断されて辺りに静寂が漂う。


 こういう場所でカップルが語らったりしたら、さぞ映えるだろうな――と思いながら周囲を見ると、バルコニーはそれぞれ独立していてかなり離れた場所にあるバルコニーではやはり2人の男女が何か談笑している様子が見えた。


 こちらが見ている事に気づいてムードを壊してしまうのは悪いな、と視線を逸らし、手すりに手をかけてしゃがみ込んでいるアンナに呼びかける。


「アンナ、大丈夫?」


 ふるふると肩を震わせていたアンナは私に気づくと、顔を上げて立ち上がり大粒の涙を零しながら謝ってきた。


「アスカさん、ごめんなさい……!! 私、怖くて、逃げ出してしまって……!!」


 消え入りそうな声で言われると申し訳ない気持ちになる。それでも助けたのは余計なお世話だったとか、そういう展開にならなくて良かった。


「気にしないで。アンナが助かったならそれでいいから」


 私も皆みたいにチヤホヤされて素敵な人達と交友を結んだ後にこの状態になってたら素敵な人達に幻滅されて多少落ち込んでいたかもしれないけど、実際はまだ誰からも話しかけられていない。


 ここでの私のイメージが「しょぼいツヴェルフ」から「しょぼい上に野蛮なツヴェルフ」になったところで何のダメージもない。


「すみません……私がもっと、ハッキリ拒絶していたらこんな事には……ああ、アスカさんが後で、あの人に何か復讐されたりしないか心配です……!」


 また手袋を付けたまま顔を覆って嘆くアンナ。先程手袋に化粧が付く事を恐れて叫んだジャンヌが叫ばないので様子を見ると、この状況を見てないようでじっと俯いている。


「ねえ、ジャンヌだっけ? さっきの赤い男がやった事は皇帝に言ってもいいのよね?」


 呼びかけられて我に返ったのか、ジャンヌは顔を上げる。


「はい……先程の行為をアンナ様が皇家に進言なされば、あの方は厳罰に処されるでしょう。本来なら私が何としてでもお止めしなければならない所だったのですが……申し訳ありません」


 悔しそうに表情を歪めながらジャンヌが呟いた。ただ傍観していた訳でもないようだけど、動きでも封じられていたんだろうか?


「……ただ、今回の件はアンナ様が言わずとも今頃皇家直属の騎士がホールに駆けつけて周囲から事情を聞き、後日それ相応の罰が与えられるのではないかと思います」

「厳罰というのは……どれ程の?まさか、死刑になる可能性があるのですか?」

「……アンナ様に物理的な被害は無かったので流石に死刑までは考えづらいですが、当人の家名のはく奪及び国外追放はあり得ます」

「それは……」


 予想以上に重い罪に、私もアンナも口をつぐむ。


 勿論、未遂に終わったとはいえ無理矢理キスしようとしたのだから無罪放免、というのは納得いかない。だけど、家名のはく奪や国外追放、と言われると仰々しい。


 そんな両極端じゃない、溜飲が下がるような罰は無いんだろうか――? 例えば、屈強な男からの全力ビンタとか、タイキックとか。


「……ジャンヌちゃん、今回の件は私がハッキリ断れなかった事に原因があります。厳罰にするとアスカさんが復讐されてしまう可能性もあるので『今後一切私とアスカさんに関わらないと約束するのであれば今回の件は不問にしたい』と皇家の方に伝えて頂けませんか? じ、自分で言うのは怖くて……ごめんなさい」

「分かりました……アンナ様がそう望まれるのでしたらそのように伝えてまいります。アスカ様、お手数をかけますがしばらくアンナ様の傍にいて頂けますか?」


 ジャンヌがこちらを見たので小さく頷くとジャンヌはその場を去り、一瞬の喧騒の跡2人きりになる。


「……お、怒ってますか?」

「え?」


 突然の問いかけに戸惑うと、こちらの機嫌を伺うようにアンナが謝る。


「いえ、あの……せっかく助けてもらったのに相手を庇うような真似をしてしまって……ごめんなさい」

「ああ、全然いいわよ。アンナが決める事だし、アイツに復讐される事はない、と思ったら正直ホッとしてる所もあるし」


 アンナが復讐という言葉を出すまで発想もしなかったけど、あの、怒りの感情に身を任せて振り下ろされた炎の拳――今回はダグラスさんに助けてもらえたけど、今後あれをまともに受けるような事態になるのは避けたかった。


「だから、私の事は全然気にしなくていいんだけど……」

「けど……?」


 何を言われるか分からない恐怖か、不安そうな瞳を向けられる。


「アンナはもっと自信持った方がいいと思う。確かに今のアンナは凄く綺麗だけど、私は元のアンナだって可愛い方だと思ってたわよ?」

「そんな、私なんか……」


 素直な意見をぶつけるも、即座に否定された事に流石に苛立ちが込み上げる。


「アンナのレベルで私なんか……なんて言ったらイラっとする女子は多いわよ」


 実際私も今、ちょっとイラっとしたし――まで言おうものならまた謝り倒される気がして、そこはグッと抑える。


 アンナは困ったように下唇に親指を当て、何かを言いあぐねている。

 言っていいのかどうしようか――そんな感じで悩んでいる状態が少し続いたのち、


「……私、母と姉が女優なんです。二人とも有名で、美しくて……でも、私は父に似てこの癖の強い赤毛やソバカスがあって……周りから一度も綺麗とか可愛い、とか言ってもらえた事が無かったから……」


 ポツポツと呟くように語りだされた境遇は(ああ、だからか)と納得するには十分な物で。


「化粧をしてもらった時に、ソバカスが消えて、自分でも可愛いと思ったけど、怖くなったんです。本当の私はこうじゃないのに、って……」


 けして醜くないアンナがそこまでのコンプレックスを抱く程美しく有名な家族――それ程美しいなら私も知っている女優なのかもしれない。


「へぇ……お母さんとお姉さんの名前、聞いてもいい?」

 その言葉にアンナは表情を更に曇らせながらも、ボソリと答える。


「……母はナタリア・ニコラエヴナ・スミルノワ、姉はタチアナ・アレクセーヴナ・スミルノワ……です。」


 記憶を総動員して脳内でその名前を検索してみるけど、何も引っかかってこない。


「……ごめん、聞いた事ない」


 正直にそう言うと、アンナは目を丸くしてぽかんと大きく口を開けた。

 流石に、家族が有名人と言ってるのに知らない、と返すだけでは失礼だったと反省する。


「あの、えっと、ロシアの映画とかドラマって日本ではなかなか見かけなくて……!」


 映画や海外ドラマにあまり興味が無い私が認識してないだけで、実際はいっぱいあるのかも知れないけど。

 かなり気を悪くさせちゃったかな――と思っていたら、アンナは私が予想した物とは違う反応を見せた。


「……ふふ。いいんです。そっか……母と姉の事、知らない人もいるんですね……!」


 アンナが笑った。初めて見た明るく笑うアンナの姿は、空の星に照らされてとても綺麗で――


「ありがとうございます、アスカさん……何だか気が楽になりました」


 一息ついたアンナがそう言うまで、見惚れてしまっていた事に気づく。


「そ、それなら良かった。この世界にはアンナのお母さんやお姉さんを知らない人ばかりだし、もっと気を楽にしていいと思う」

「そうですね。そう考えるとこの世界に身を置いてもいいかもしれませんね。どうせ向こうに私の居場所は無いから……」


 アンナが夜空を見上げて小さく呟くように言う。有名な女優の娘や妹が行方不明になったらかなり騒がれそうな気がするのだけど、そうならないからそう言ったのだろうし、なにより、


『――が項目に追加されたそうです――』


 リヴィの言葉が頭をよぎり、何とも表現しがたい寂しさが沸き上がる。


 だけど悲しい言い方とは逆にアンナの表情は吹っ切れたように晴れやかだ。

 ここで『そんな事ないよ』なんて下手に励ますよりは聞こえなかったふりをした方が良い気がした。


「あ、ジャンヌちゃんが戻ってきました」


 アンナの言葉に振りかえると、扉の向こうにジャンヌがこちらに向かってくるのが見えた。


「予想通り騒ぎを聞きつけてホールに近衛騎士が来られていたので先程のリアルガー家の子息の行いに関してアンナ様の希望を伝えたところ、了承頂きました。しかし……」


 ホッとしたのもつかの間、ジャンヌは少し表情を曇らせて続ける。


「アスカ様に対しての攻撃行為は到底許されるものではない、とセレンディバイト公が難色を示しています」

「攻撃行為……!?」


 アンナが驚きの声を上げて私を凝視してくる。すぐ様その場を逃げ出してバルコニーに駆け込んだアンナは、私が炎の拳で殴られかけた事を知らなくてもおかしくない。


「アスカさん、ごめんなさい……! 私、アスカさんが見事な掌底をキメられた所までしか見てなくて……!!」

「また、セリア……アスカ様のメイドがその場にいなかった事について今、別室にて責任を追及されています。これは早くアスカ様をお呼びした方が良いと思って」


 そう言われて今までセリアの存在を失念していた事に気づく。

 ジャンヌがアンナを守れなくて悔いているように、セリアも自分がいない間に主人が襲われている訳で、その事を誰かに責められてもおかしくない状況だ。


 早くセリアを助けに行かないと――と慌ててバルコニーから出ると、ソフィアと優里がこちらに向かってくるのが見えた。

 先程まで彼女達に群がっていた男性集団はいない。上手くかわしたのだろうか?


「アスカ! 貴方、すごい事になってるわよ!」

「分かってる……そりゃあんな大きいホールで掌底キメたらそうなるわよね……」


 掌底キメるつもりなんて全く無かったのに――はぁ、と一つため息をついて答えるとソフィアの表情が固まる。


「え、貴方そんな事したの……? 消極的に見えて実はなかなかアグレッシブなのね」


 へぇー…と感心したように呟かれる。でもその表情は若干引いてるような気がしないでもない。


「え……その事じゃないの?」


 その事じゃないというなら何が凄いんだろう? 私が赤い男を殴った事を知らないんならアンナがキスされそうになった事も知らないだろうし。


 赤い男に殴られかけた所をダグラスさんに守られた事? 騎士が来て騒ぎになった事? 一連の流れ全てを含めばすごい事、と言われるのも分かるけど部分的にはそこまで騒がれる程の事ではない気がする。


「あの……多分、飛鳥さんと同じ馬車に乗ってた男の人だと思うんですけど『ミズカワ・アスカに関わろうとする者は男女問わず我が家が全力をかけて潰す』って宣言してて……!!」


 私が状況が読めてない事に気づいた優里が詳細な説明をしてくれたけど、物騒な言葉のインパクトが強すぎて一瞬私の頭が真っ白になった。


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