第29話 黄金の鳥籠の外側で・2(※クラウス視点)


 晴れた空の中、ラインヴァイスの背に乗って冷たい風に当たっても体の火照りと高揚感は未だ収まらない。


 アスカにキスされた。アスカから僕にキスをしてくれた。水鏡越しだとか額だったとかそんな事はどうでもいい。本当にどうでもいい。


 アスカの中で僕は『口付けてもいい存在』になった。


 封印していた記憶を暴いて、嫌われてしまったと思っていたのに。アスカが僕を受け入れてくれた――それで頭が一杯になった。


 その直後はアスカの裁判もあったからそっちに意識を集中させたけど、青の空間で僕がどう叫んでも向こうには全く伝わらなくて、イライラするばかりだった。


 アクアオーラ侯はすごく気に入らないけどアスカ自身に興味がなくて安心した。

 ロイド公子もアスカにハッキリとフラれた。でも僕にはキスしてくれた。アスカは僕を受け入れてくれたんだ。


 まあ僕「だけ」じゃないのかもしれないけれど。

 でも、「僕」を受け入れてくれたのは間違いないし、嫌われてもいない――不安と緊張から開放されて安心感と満足感と高揚感、幸福感――温かい感情に包まれて体温が上昇するのを感じた。


 アスカがレオナルド卿に連れて行かれてからは水鏡の向こうで何を話しているかなんてもうどうでも良くなって、何度もアスカとのやり取りを思い出しているうちに水鏡から出されて「怪我人の治療して回ってこい」と紙切れを渡された。


 あれから日が経った今でも一言一句鮮明に思い出せる、アスカの言葉。


『……私が迷ったから、私のせいで傷ついて、苦しんで、悲しんでる人がいるの……なのに私は今、どうする事もできない……だからクラウスに助けてほしいの。クラウスならそれができるから』


 頼りにされている。アスカが僕の力を求めている。


『私を助けてくれたのと同じように、皆も助けてほしい……お願い、クラウス』


 そんな風に言われたら断れないじゃないか。いや、アスカのお願いならどんな風に言われたって断らないけど。アスカに頼られるのは本当に――嬉しい。


『クラウス……今までありがとう。私、この世界で貴方に会えて良かった。私、お願いばっかりで私からはクラウスに何もしてあげられなくて、ごめんね?』


 そんな、謝らないでよ。君の記憶を暴いてしまった罪は何より重い。それを少しでも償わせてよ。アスカの為なら、僕は何だって――



『クラウス、着いた』



 ラインヴァイスの冷めた声に我に返る。下を見下ろすと薄紅のレンガの外壁が所々崩れた街並みが見える。


(外に怪我人を全員出してくれれば恩恵を使って一発なんだけどな……)


 まあそう上手くはいかない。それにそれだけで済ませるとアスカの為にならない――笑顔を貼り付けてラインヴァイスに一番大きな家の前に降りるように命じる。


 この街を治める伯爵に挨拶した上で診療所に向かい、怪我人達を治療していると純白の大鷲ラインヴァイスの姿を見た街人達が次々と家で看病していた怪我人達を連れてくる。


 都合が良い。診療所内の怪我人を癒やした後、白の弓を空に向けて白い雨を降らせ、外に出て列を作る怪我人達を癒やす。


「ありがとうございます。何とお礼を申せばいいか……! 是非今日はこの街でおもてなしさせてください……!」


 歓喜の声の中伯爵が両手を組んで心底嬉しそうに言ってくるけど、そんな時間はない。


「いいえ、私は早く次の街に向かわねばなりません。私はアスカの為にこの皇国で今苦しんでいる人達を助けなければならないので……」


 僕がここに来て怪我人達を無償で治療しているのはアスカの為だ、という事を強調すると周囲がどよめき出す。


「え、えーと……アスカというのは……貴方と黒の公爵を誑かしたという灰色の魔女……確か強制出産刑が決まったと……」


 周囲から『お前が聞け』と言わんばかりの視線を浴びた伯爵がしどろもどろに聞いてくる。


「アスカは断じて魔女などではありません……私を助けてくれた白の聖女であり、私のとても大切な想い人です。アスカがそんな非道な刑にあうのはとても耐えられない……私は何としてでも彼女の罪を軽減させたいんです。私の行いに感謝するのならどうか皆さんもアスカの罪の軽減を願ってください。それだけで十分です」


 感情込めて言ってみせると、静かな沈黙が漂った、その十数後――歓声が上がる。


「いやはや、情熱的なお方だ……! 分かりました。アルマディン女侯に恩赦の嘆願書を出しましょう!」

「いえ、女侯爵には私から願いますので嘆願書を出して頂けるのならリアルガー公爵家か皇家宛てに送って頂けたら助かります」

「分かりました……! 本当にありがとうございました、ダンビュライト侯……!」


 伯爵や街人の温かい見送りを受けながら、再び空に飛びたつ。

 幸いアルマディン領の民は男女問わずこの手の恋愛話が好きなようで何処の街や村でもこうして温かい声援を受けて見送られる。



「……後はアルマディン領の領都ノウェ・アンタンスだけだね。アルマディン女侯はアスカを庇ってくれてたし、嘆願書を書いてくれるとは思うけど……」

『コンカシェル、優しい、可愛い。我、嫌いじゃない。でも、ちょっと苦手。油断禁物』

「そう? 優しそうな人だったけど……まあ確かに、気をつけるに越した事はないね。裏のない人間の方が珍しいし」


 そんな会話を交わしながらノウェ・アンタンスのアルマディン邸に到着する。

 要塞のような4階建ての大きな建物は屋上がまるまる飛竜達が降り立つ為のスペースになっていて、僕らもそこに誘導された。


 ラインヴァイスから降り立つなり屋上にシンプルな桃色のワンピースに薄桃色のショールを羽織ったアルマディン女侯が紙袋を抱えて上がってくる。


 こちらを見て駆け寄ってこようとして躓いて、赤紫の騎士に抱き止められた。

 あの騎士は14会合の時もいた気がする。後は褐色で上半身裸の傷痕だらけの筋肉男がアルマディン女侯の後ろにしっかり寄り添っている。


「ダンビュライト侯、お待ちしてました……! アルマディン領を治めています、コンカシェル・ディル・フィア・アルマディンです。こうしてお話させて頂くのは初めてですね……!」


 少し息を切らせながら微笑む女侯爵は紙袋を抱えているからか礼は頭を下げる程度に留めたけれど、嫌な感じはしなかった。


「重症者を一箇所に集めてるんですが、今軽傷者も集めますので皆治療して欲しいんです……図々しいって分かってるんですけど、お願いできますか?」


 他の町や村でも言われた事を言われて快く了承し、治療した。

 そして治療を終えて再び屋上に上がった際アスカの恩赦嘆願書を出してもらうようにお願いする。


「そうですよね……好きな子が他の男に抱かれて子どもまで作っちゃうのは嫌ですよね……私も誰の子から産むかで皆とモメました……確か、最終的にはジャンケンで決めたのよね?」


 アルマディン女侯が遠い目で4人の夫を見据える。治療の途中から青紫の貴族と黄色の司祭服の男が増えた。それぞれ気まずそうに僕から目をそらしている。

 そんな夫達の様子にもう、と頬を膨らませたアルマディン女侯が数秒位してから肩の力をぬく。


「分かりました! 可哀想なクラウス卿の為に私、嘆願書書きます……! アスカちゃんとは一度お茶してみたいし、ツヴェルフとは言え女が男に無理矢理抱かれるような刑は私も嫌ですもの……!」

「ありがとうございます。それでは」

「あ、待って! この領の民を治療してくれたお礼にささやかな物だけどこれをどうぞ。本当は名産の夏蜜桃かみつとうを持っていってほしいんだけど、まだちょっと時期じゃなくて……こっちは今が旬なの!」


 早々に立ち去ろうとした僕を呼び止めてずっと持っていた紙袋を差し出される。


「これは……ロゼトマトですか?」


 紙袋から取り出した物は片手にいくつも収まる位の大きさでありながら、一粒一粒に瑞々みずみずしさが詰まった可愛らしい桃色の果菜。

 アルマディン領の特産品として知られているロゼトマトみたいだけど――


「うふふ……普通のロゼトマトとは違って、厳しい環境に置く事で特別甘い実をつけるスイートロゼっていうんです。一口食べてみて?」


 キラキラとした目で見つめられて断りづらく一粒口に放り込むと口の中でプチッと勢いよく弾けた後、口の中にジュワッと甘い果汁が広がる。酸っぱさもあるけれど、それ以上に果物のような甘みが強い。


「甘い……厳しい環境で育ててここまで甘い実が出来るものなんですね」


 肥料や環境に気を使って丹精込めて育てるならこの甘みも納得できるけれど、と素直に感心した言葉を述べるとアルマディン女侯が微笑む。


「そう、これは極限まで追い詰めて生かさず殺さずの環境でこそ生み出される極上の甘みなの。可哀想だけど美味しいからついつい作らせちゃうの……」

「ちゃんと育っているのであれば問題ないのでは? 美味しい特産品があればそれで領地も潤いますし……」


 無難な返答を返してみるとふんわりとした可愛らしい笑顔を返される。


「ありがとう。そう言ってくれると気が軽くなるわ……! それじゃクラウス君、これからは気軽に遊びに来てね。あっ、アスカちゃんと一緒でもいいから! 何かあったら何でも気軽に相談してね!」


 一体いくつなんだろう――ダグラスよりずっと年上のはずなのに、まるで僕より少し年上のお姉さんのように感じる。いつの間にか敬語の壁も飛び越えてきている。


 この可愛らしく親しみやすい不思議な女侯は確かに複数の夫がいると分かっていてもなお「結婚したい、添い遂げたい」と思う男がいてもおかしくないかもしれない。


「キイッ!!」


 ラインヴァイスから急かすように背中を突かれる。危うく落としそうになった小包を抱えて慌ててラインヴァイスの背に乗る。

 僕らを見送るコンカシェル様の4人の夫達の視線がさっきより一段と冷ややかな気がした。



『コンカシェルに見惚れる、駄目! 浮気駄目、絶対!』


 アルマディン邸から遠ざかるとラインヴァイスから怒ったような念話が響く。


「は!? 別に見惚れてないんだけど……!?」


 ただ――あの包容力というか甘い慈愛の雰囲気はとても暖かくて、心地よくて。


 もしアスカが僕に口づけしてくれていなかったら、僕は不安でいっぱいになってアスカを深く傷つけてしまった事やどうやったら償えるのかを相談していたかもしれない。


 でもアスカは僕の罪を受け入れてくれたから、許してくれたから――だから僕は僕が考えたやり方で償う。そこに他人の助けはいらない。


 紙袋に詰まったロゼトマトを亜空間に収納する。亜空間に保管すれば食材の鮮度は保たれる。


(アスカは甘い物好きだから)


 美味しいけれど、これを食べるアスカの顔が見たい。アスカを助け出せたらアスカと一緒に食べよう。



 ズボンのポケットから治療要請のリストを取り出す。次はアクアオーラ、そこからローゾフィア――今はとにかく自分に出来る事をやるしか無い。


 

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