第14話 黒の嫉妬・3(※ダグラス視点)


 階段を降りて受付で1泊への変更を申請した後、受付横の食堂に入る。

 既に4つあるテーブル席に数名の人間が散り散りに座って食事をとっている。


 アーサーが食堂のカウンターの前に立つと、すぐに根菜とキノコが多く入った温かいシチューが入った木の器が出された。


「ありがとう」


 アーサーが口角を上げて微笑んで受け取ると、器を出した女性がハッとしたように目を見開いた。

 その態度に嫌な予感がしてアーサーが2人がけのテーブル席に座った後改めて見ると、礼を言われた女性が厨房にある小鏡でせっせと髪を整えている。


(そう言えば学院時代は面倒だったな……)


 10代の学院生活――いわゆる青春時代、私も愛想笑いをしただけで赤面された事が何度かあった。

 午後の授業にしか出なかった私はその熱の篭もった視線や黄色い声を少々煩わしく感じ、極力人と関わらないようにしていたが、寮暮らしのアーサーは色々と大変だったのだろうな、と同情しながら彼が食べているシチューを見下ろす。


『根菜ばかりで肉が無いな……』


 この体は腹が減らないのが幸いだった。シチュー自体好きではない上に肉が入っていないとなると全く食欲がそそられない。


『……体が温めてくれる根菜は大事だ。体が冷えると碌な事にならない。肉が入ってないのは大雪の影響で山の動物を狩れないからだ』


 そう言えば先節の六会合で黄が赤に確認した際、赤は『コッパー領の辺りは自然な雪解けを待つしか無い』と言っていたな――


『もう緑の節だぞ……まだ大雪が残っているのか? ノース地方はもうほぼほぼ解決しているようだったが』

『ノース地方の北西……アルマディン領には超広範囲保温装置ヒートフィールドがあるからな。だがその効力はここまで届かない。今回の大雪で一番被害を受けているのはコッパー領だ』


 例年ならこの節に入る頃にはとうに雪は消え草木が萌え、動物が森や草原を駆ける時期に入っているはず。まだ雪が解けないのは異常だ。


『どうもこの状況は自然現象ではなく、何かしらの原因が有るようだ。だとすればそれを解決しない限りこの状況は続く。最近、ルドニーク山の吹雪が強くなってきているらしいからその辺に原因があるのかも知れない。ロットワイラーに行く際にあの山の様子も確認していくつもりだ』


 食べるペースを全く落とす事無くアーサーは語る。いずれ自分が統べる事になる領地の深刻な問題という事もあってか少し表情が固い。

 手短に食事を済ませたアーサーはカウンターに食器を戻し、厨房に立つ先程の女に声をかける。


「君、すまないが……夕食を部屋まで持ってきてもらう事は可能か? 連れが体調不良でな」

「は、はい! 可能です……!!」


 アーサーの微笑みに女は胸に手を当てて見惚れる。うっとりとアーサーを見つめるその女はまさに恋する乙女、と言っても過言ではない。


「ありがとう……感謝する。料理もとても美味しかった」


 頭を下げるアーサーに対し、女の頬はすっかり真っ赤に染まっている。


 あまりの惚れ込まれように魅了の術でも使っているのかと思ったが、アーサーの体からは変化の術以外の魔力を感じない。

 という事は何かの術をかけた訳ではない――天然の魅了だ。


(しかし……笑顔とお礼一つでここまで落ちるか……?)


 だが実際に見知らぬ女がここまで落ちる様を見てしまった以上認めざるをえない。自分が飛鳥に優しくしたら惚れられてしまう――というアーサーの言い分は理解できた。

 そのままアーサーは食堂を離れ、少し息を乱しながら階段を上がる。


『大丈夫か……?顔色が悪いようだが』

『心配いらない……喋りすぎただけだ』


 アーサーは喉元を抑えながら部屋に戻り、椅子にもたれかかり静かに眼を閉じる。

 そこまでして自分が優しくしたら飛鳥が惚れてしまうかもしれない可能性を強調したかったとは。相変わらず変な男だ。


『分かった。もうお前の好きなようにしたらいい』


 馬鹿馬鹿しいとは思ったがアーサーの言う通り、飛鳥がアーサーに惚れない保証は何処にもない。

 アーサーに冷たくされても私が優しくしてやればいい。私が飛鳥の心の拠り所になってやればいい。そう結論づけて告げると、アーサーは小さく頷いた。


 しかし――事態は予想外の方向に展開する。




 しばらくして飛鳥が目を覚まし、夕食の時間になると先程の女が先程よりずっと化粧と服に気合が入れた状態で夕食を運んできた。


「お、お店のサービスです……お口に合えば良いのですが……!」

「ありがとう」


 そういうやり取りがされるテーブルの上には山盛りの唐揚げの山。

 これだけの鳥肉があったなら昼のシチューにも少し入れれば良かったのに。恐らく他の宿泊客の分の肉もこの唐揚げの山に入っている。

 

『分かるか、ダグラス……女は好意を持った相手に喜んでもらおうと、相手が望んでもいない事を押し付ける』


 淡々と言いつつ唐揚げを食すアーサーの目に光はない。そしてその光のない目には唐揚げの山と飛鳥の怪訝な顔が映っている。

 

「ねぇ……他の子にはそうやって笑顔向けられる癖に何で私には厳しい訳?」

『ほらな。私が優しい顔を見せると女は皆興味を持つ。そして他の女との態度を比較して不満を垂れる。そして男達は私を忌み嫌う。理不尽で面倒臭いことこの上ない』


 アーサーは飛鳥に応える前に私の方にウンザリしたようなテレパシーを送ってきた。


 普通に聞けば自己愛が強い人間ナルシストの盲言に聞こえるが、アーサーは本気で自分の恵まれた容姿を煩わしく思っているようだ。


 学院というけして狭くはないものの、未熟な人間達が大勢集まる中での閉鎖的な空間の中、逃げ場のない寮暮らし――その中で自分が素直に感情を表現すればするほど周囲がギスギスしていく状況が彼をここまで無愛想にさせたのだろうか?


 その後飛鳥は何かショックを受けてしまった顔をした後、その顔を真赤にしてスープに口をつけて舌を火傷したようなアクションを取る。その態度に不安がよぎる。


『お前、今、飛鳥に何て返した……!?』

『彼女の問いに「君がダグラスの婚約者だからだ。君にまで惚れられると困る」と返しただけだ』


 まさか……本当にアーサーが言うように、アーサーに好意を持ちかけていたからショックを受けたのだろうか?

 そんな、顔を真赤にしてまで、慌ててしまう程のショックを?


(この男……たかが笑顔一つ見せだだけで……!!)


 込み上がる怒りに体が震えつつアーサーを睨むと、


『だから言っただろう? 私は君に気を使っているんだ。君には恩義もある。君が大切にしている者をこちらに引き寄せたくないんだ』


 こちらを見る事が気まずいのか、アーサーはこちらに目を向けること無く淡々と唐揚げを食べ続けた。



 その後、給仕の女は焼きたての菓子も持って来た。女が去った後アーサーはそれを飛鳥に譲り、買い出しに出ていく。


「……変な人なんだろうなとは思ってたけど、想像以上に変な人ね……」


 もらったマフィンを食べた後、飛鳥は私を撫でながら笑顔で微笑む。


(何故だ……!? さっきまで睨まれて、冷遇されて、恥までかかされた相手だぞ? 食べ物一つ譲ってもらっただけで何故そんなに絆される? そんなにアーサーの笑顔が印象に残ったのか……!?)


 あの女と同様、アーサーの笑顔に心奪われてしまったのだろうか? 他の女に見せた笑顔でそうなってしまうなんて、惚れっぽいにも程がある。


「まあ貴方のご主人様と仲が良さそうだし、類は友を呼ぶと思えばそんなもんか……」


 今、何か馬鹿にされたような気がするがそんな事はどうでもいい。

 自分も飛鳥の笑顔に惹かれて惚れ込んでしまった手前、どうしても飛鳥が他人の笑顔に惹かれると不安になってしまう。


(失敗した……アーサーの容姿を侮っていた! 男と女の二人旅という状況も悪い……!!)


 苛立つ気持ちを必死に抑えながらこれから先の展開を考える。


(どうする、飛鳥がアーサーに惚れたら……いや、まだアーサーは飛鳥を敬遠しているからアーサーについては心配しなくてもいいだろうが……いや、私に気を使っているアーサーもこれから先飛鳥に惚れないとは限らない……)


 飛鳥は予想もつかない行動で人を惹きつけ、変える。ヨーゼフなりあのメイドなり、アレが良い例だ。冷めた心に熱い感情を宿させる力を飛鳥は持っている。


 絶世の美女――とは言い難いが、けして見苦しい容姿ではないし、美人と言えなくもない。何より飛鳥がふと見せる表情や仕草はたまらなく可愛い。

 笑顔や楽しそうな顔は勿論、泣き顔や怒る顔も後で服従させる事を思えばとても良いスパイスになりうる。


 それに恋愛感情抜きにしてもツヴェルフ2人が帰り、残ったツヴェルフの1人がリアルガー家の番認定されている今、アーサーがツヴェルフにこだわるなら18年前に召喚された40近いツヴェルフに子作りを依頼するか、10年後のツヴェルフを待つしかない。その状況に本人及び周囲が痺れを切らす可能性だってある。


(1人のツヴェルフが結婚できるのは公爵家2人に侯爵家3人……アーサーは侯爵家だ。仮に結婚したとしても飛鳥と私との結婚には差し支えない……)


 ああ、飛鳥がアレと結婚しているだけでも私の心は大分抉られているのに、何故その上他の男と結婚する姿を思い描かなければならないのだろうか?


(いや、待て……飛鳥は一夫一妻を希望している……という事はやはり、アレ以外は受け入れるつもりがないのだろうか……?)


 その割には私を撫でる際に抜き差しする結婚指輪の扱いが雑な気がしないでもないが。

 そう言えばバタバタしていてその辺の事情をまだ確認していない。

 折を見てアーサーから飛鳥に聞いてもらわなければ――しかし、この状況で無駄に接点を与えたくない。


(……くそっ、今何を考えてもこの体では何もできない……!)


 色々考えている間にアーサーが戻ってきて、飛鳥も身支度を整えていた。アーサーに掴まれ彼の肩に乗って宿を出る。

 飛竜に乗ったアーサーと飛鳥は2人で何か会話しているようだ。


「……本当に良いの? 何処か人目につかない所で解放してくれてもいいのよ? 捕まってもアーサーに繋がらないように何か適当に言っておくから。いくら貴方がダグラスさんと仲が良いからって、直に頼まれた訳でもないのに、そんな……」


 アーサーを気にかけるな。それは飛鳥が心配する事じゃない。

 そんな苛立ちを抱えながら飛鳥を見つめていると、アーサーに何か厳しい事を言われたようで押し黙った。


『アーサー……飛鳥と会話するなら私にも伝わるように話せ! 気分が悪い! 後、必要以上に飛鳥を傷つけるなと言っただろう!』


 語気が強まってしまったせいか、アーサーは少し困ったように眉を潜める。傷つけてしまった侘びのつもりか飛鳥に食料が入った紙袋を押し付けた。


「……ありがとう。色々、ありがとう」

『返事するな。これ以上飛鳥の好感度を上げるな……!』


 飛鳥の礼と同時にアーサーに念を送る。正直もう2人が話す所すら聞きたくない。

 そんな私の態度を感じ取ったのか、アーサーは小さく息をついた。


『本当にすまなかった……宿の娘に一度優しい態度をとった以上冷たくする訳にもいかず、ついこの娘の前で笑顔を見せてしまった事は本当に反省している……許して欲しい』


 自慢に聞こえかねない謝罪に苛立ちが煽られる。


『お前……その技を何故あの金髪のツヴェルフに使わなかった?』


 あの女が地球に帰る意思が強かったからこそ飛鳥が突き落とされた事を思えば、アーサーが積極的な行動を取らなかった事には感謝しなければならないのだが。


『最初はそうするつもりだったが……異母弟おとうとが惚れた女に惚れられたら私も異母弟もこれまで以上に辛い思いをしなければならないだろう。私は君や家族と女を奪い合う気は無い。穏やかに過ごしたいだけだ』


 兄弟か――確かに、何の交友もない異父兄弟で女を奪い合う今の現状ですら厄介なのに、|大切な家族と女を奪い合うとなるとアーサーの心労は察するに余りある。


『その配慮……少しは青の娘にも向けてやったらどうだ? 何故お前は彼女に何も言わない?』


 そうだ、こいつには青の娘がいる。アーサーが飛鳥に好意を抱けば青の娘はすぐに気づくだろう。

 ある程度分別を弁えている青の娘も恋敵相手となれば何をしでかすかわからない。飛鳥がアーサーに惹かれた場合も同じだ。


『何がラリマー公の逆鱗に触れるか分からないだろう。青の娘に笑顔の一つでも見せてみろ、私は呪い殺される。私はまだ死にたくない。とにかく青の娘が私に飽きるか他の男に目移りするまでひたすら耐えるしか無い』


 この男のこういう所は本当に理解できない。


『困っているなら青と一度話し合え。前も言ったが、お前があの時の事を謝罪すれば青は話し合いに応じるだろう。今私に謝ったのだから人に謝れない訳ではないのだろう?』

『今君に謝ったのは私が間違った事をしたからだ。あの時、私は間違った事をしたとは思ってない』


『アーサー……私は青が娘を危ない場所に放置していたのを責めた事を謝れと言っているんじゃない。わざわざ青が開いているパーティーで、大勢の人の前で言い放って青に恥をかかせてしまった事を謝れと言っている』


 例え自分の正義を曲げる事は出来なくても場所が適切ではなかったと反省し、詫びる事はできるはずだ。


『同じ事だ』

『同じではない! 貴族にとって恥は死にも勝る時が』


 私の言葉を強引に遮るようにアーサーのテレパシーが続く。


『あの時、君と私以外誰も青の娘を助けようとしていなかった。幼い子どもを見殺しにしかねない状況で歓談に勤しむ愚かな者達に物申して何が悪い? 間違っている事を間違っていると言って何が悪い? 私がその事を謝れば、私は私の正義を自ら踏み躙る事になる。私にとってはそれこそ死に勝る屈辱だ』

『お前は――』


「ねえアーサー、私にも飛竜の操縦の仕方を教えてくれない?」


 飛鳥の唐突でロクでもない発言に言い合いが遮られる。

 飛鳥の、真っ直ぐにアーサーを見るその目に不安が煽られる。そんなにアーサーと親しくなりたいのだろうか?


『教えるな……絶対に教えるな! 私が元の体に戻ったら教えてもらえって言え!!』

『分かった。本当に済まない。私は自分の容姿を過小評価しすぎていた。いっそ君の部下のように仮面をつけて生きた方が良いのかも知れない』


 ああ、元の体に戻ったらもう絶対に飛鳥を他の男に会わせない。

 アーサーは勿論、ルドルフやランドルフにも。念の為ヨーゼフも。


 飛鳥に嫌われるのは嫌だが、良い人を演じて利用されて他の男に目移りされる方が耐えられない。

 どうせもう嫌われているのだ。これ以上嫌われた所で大差ない。


 体に戻ったら、番の呪術をかけて、監禁して、もう逃げ出せないように足の筋を切って歩けないように……いや、そこまではやり過ぎだろうか? いや、私無しでは歩けなくなる位が丁度いいのかも知れない。


(しかし私も公務がある……24時間ずっと一緒にいられる訳ではない……他人を会わせないのなら最低限の行動力は残しておいた方が……それにアレが飛鳥の足を治してしまったら単なる筋の切り損だ……筋を切る前にまずアレを何とかしなくては……)



 体に戻った後、どういう風にアレを始末して飛鳥をどう拘束するか――コッパー邸が見えてくるまで私はその事ばかりを考えていた。


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