第1部・2章

第29話 素敵な朝食を


 私達を乗せた馬車は皇都の街並みを抜けて都外に出る。薄暗い雲は薄れ、雲の隙間から暖かな光が降り注ぐ。


 握手を終えた私は改めて右手の中指を確認した。薄桃色の爪先はさっきまで内出血を起こしていたと思えない程自然な物になっている。


「……セリアにも少し治してもらったけど、ここまで完全に治せるなんてクラウスって凄いのね」

「怪我を根本から修復できる程の魔法は白の要素が強い人間じゃないと使えないだけ。僕が凄い訳じゃない」


 クラウスは私の言葉にさして喜ぶ様子もなく、窓枠に肘をつき、外の方を見たまま答える。


「白の要素?」

「……白味を帯びた魔力の事。淡かったり、薄かったり……」


 聞きなれない言葉を復唱すると、クラウスがああ、と気が付いたように補足した。


 そう言えば、セリアが己の持つ色によって得意不得意の魔法があるって言ってた。

 その上でクラウスの言葉も考慮すると、回復系の魔法はパステルカラーみたいに薄く淡い色の魔力を持つ人にしか使えない――という事だろうか?


 現に、瑠璃色の目と同じ鮮やかな青色の魔力を持つセリアの癒やしの魔法は私の怪我の症状を少し緩和させた程度だった。


「…じゃあ、貴方の家以外の5公爵家や8侯爵家は回復魔法使えないの?」


 昨日見た地図に書かれた枠線はどれもハッキリ濃く鮮やかな色で、パステルカラーと言える程淡い色合いの線は無かった。


「……そうだね。でも何処の家も回復魔法を使える家を従えているし回復薬ポーションも有る。自分が回復魔法を使えなくても大した問題じゃない」


 クラウスはすんなりと肯定する。なるほど。社長が事務作業を一切できなくても事務員がいれば問題ないって事か。

 大きな貴族であれば当然補佐する人間も多いだろうし、回復アイテムがあるなら尚更。


「……白の要素があるって事は、黒の要素もあるの?」

「あるよ。黒の要素が強ければ強いほど攻撃魔法や状態異常魔法が強力になる。だから公侯爵家は大抵白と黒の要素の強い家を側近につけてる」


 どんどん興味が沸いてきて質問を重ねると、クラウスも特に気を悪くする様子もなく答えてくれる。


「貴族に限らず、冒険者のパーティにも大抵白と黒の要素が強い2人が組み込まれてると聞くよ。戦闘になると白と黒はお互い助け合う関係になるから、当たり前と言えば当たり前だけどね」


 白は回復、黒は攻撃――それは地球で有名なゲームに出てくる白魔導士と黒魔導士や僧侶と魔法使いみたいな関係と考えておいて間違いなさそうだ。

 違う部分があるとすれば、自分の意思で職を決める事はできなくて産まれ持った魔力の色である程度付ける職が決まってくる、という部分だろうか?


「貴方も? あの全身甲冑の人とか、黒い人なの?」


 その質問にクラウスは目を大きく開いた後、苦笑いする。


「まさか。白と黒は相反する存在だからね。相性が悪い存在をわざわざ傍に置くはずがない」

「でも、さっき言ったじゃない。白と黒がパーティに入ってるって」

「それは中立の立場が仲介するからさ。仲介者がいない僕が黒を嫌うように、黒だって白を嫌う。それは本能的な物で、どうしようもない。だからこそ緩和する為の中立の存在が必要なんだ」


 クラウスは嘲笑うかのように肩を竦めるけど――本当にそうなんだろうか?


「……ダグラスさんは貴方を嫌ってるようには見えなかったけど?」

「会った事ない相手に対する感情なんて、いくらでも取り繕えるさ」

「会った事が、ない……? え、でも……手紙でやりとりしてるんでしょ?」


 言ってすぐに手紙なんて会った事がなくても出せる物である事に気づいたけど、訂正するよりに先にクラウスが私の問いに答える。


「ある日突然、自分が召喚するツヴェルフに魔力注げなんて手紙送られてきて……無視してたら『このまま無視続けるならお前の家叩き潰すぞ』って脅しまでつけられた」


 お手上げと言わんばかりにクラウスは肩を竦めた。


 パーティーの際のアシュレーに対しての台詞からも感じてたけど、ダグラスさんはかなり物騒な事を平気で言える人のようだ。

 口先だけならまだしも本気で行動しかねない可能性を感じるから猶更たちが悪い。


「無視する方も無視する方だけど、叩き潰すなんて……脅す方も脅す方ね」

「まあ、丁寧な言葉ではあったけどね」

「そういう問題じゃないと思うわ」


 優しいようで、冷酷で。その冷酷な部分を私に隠そうとするなら――あるいは一切私に見せなければ、まだ――私も見ないフリが出来たのかも知れないけど。


(つくづく厄介な人に目を付けられてしまった……)


 そんなため息が一つ漏れた所で馬車が坂を上がり始めたんだろうか? 車体が少し傾く。朝食のお誘いのはずなんだけど、クラウスの家って何処にあるんだろう?


「……ダグラスさん、クラウスも愛が無いとキスもハグもできない的な事言ってました、って言ってたから……てっきりそういう会話をしたのかと思ってた」


 朝早くに出たお陰でまだ時間に余裕はあるものの、授業には間に合わせたいなぁ――なんて考えつつ何気なしに呟いた言葉に、クラウスの顔が見る見るうちに真っ赤になる。


「……僕の事、馬鹿にしてるの?」


 鋭い眼差しで睨まれてはじめて失言を認識する。クラウスの背後に何だか不穏なオーラを漂い始めたのを察し、慌てて訂正の言葉を探す。


「ば、馬鹿にしてるって……そんな訳ないじゃない! 私だってキスとかセックスとかは好きな人とじゃないとできないわよ!? いや、好きな人ってだけじゃ駄目……やっぱり好き合ってる関係じゃないと……! いやいや、それでもセックスは子どもが出来てもいい状態になってからじゃないと……!! つまり結婚……最低でも婚約……いや、やっぱり結婚してからじゃないと怖い……!」

「待って、その話もう止めて……! 聞いてるこっちが恥ずかしくなる……!」


 私の言葉を止めに入ったクラウスはもう耳まで真っ赤になっている。


「ご、ごめんなさい……ただ、その辺りの価値観はクラウスと同じで良かったって事を言いたかったのよ」


 目の前の人を赤面させるほど赤裸々に喋ってしまった羞恥心が私を深く俯かせる。

 ああ、このままだと羞恥心で押し潰されそう。私がふった話題だし、私が話題を変えないといけない。何か、何か話題を――


「そう言えばクラウス……何で会議とかパーティーに出ないの?」


 必死に頭の中の記憶を漁った事で疑問が一つ浮かび上がる。

 この状態で何が『そう言えば』なのか――とは思ったけど、もう話題を変える事で頭がいっぱいだった。だけどクラウスからはつれない返事が返って来た。


「……面倒だから」

「そんな理由なの? 侯爵家に格下げされても出ないって聞いたから、よっぽど大きな理由があるんだと思ってた」


 そう言うと、クラウスはふい、と窓の外を見る。少し眉を顰めてムスッとした表情からはそれを追及される事を拒んでいる事がありありと分かる。

 先程のやりとりの事も考えると、これ以上踏み込むのは難しそうだ。


「まあ……そんな面倒臭がりな貴方が今日私を朝食に誘ってくれたと思うと、結構嬉しいわね」

「あんな顔されたら、何もしない訳には……」


 素直に感謝の言葉を述べた後にクラウスが呟いた台詞に今度はこちらの顔が赤くなっていくのを感じる。

 「もうその事は――」と言いかけた時、馬車が止まった。


「ここは……?」


 窓の向こうを見ると、色とりどりの薄くて淡い色合いの花が咲き乱れている。花畑、だろうか? 綺麗だけど館どころか建物の影も形もない。


「僕が気に入ってる場所……まだ君を屋敷に呼ぶには早すぎるから、ここで朝食を食べようと思って……」


 クラウスが指を鳴らすと、クラウスの横にピクニックで使われるような木製のバスケットが現れた。

 やや小ぶりなのは、恐らく2人分の食事しか入っていないからだろう。


「豪華な食事じゃなくて、残念?」

「全然? 豪華な食事なんてたまに食べる位が丁度いいのよ」


 クラウスが少し気の毒そうに微笑んだから、素直に思った事を返す。

 馬車のドアを開けると澄み切った空と柔らかな風、そして萌える緑と可愛い小さな花達が迎えてくれる。

 花畑の向こうには皇都が広がっている。どうやらここは皇都を一望できる丘の一部のようだ。


「うわぁ……すごく良い場所じゃない! 自然って感じがするわ!」


 ずっとこの風に包まれていたいと思う位には、柔らかで暖かい風が吹く。

 この世界に来てから窮屈な感じがしていたけど、久々の爽快感――ついつい顔が緩む。


「……本当に、ごめん」

「悪いけど……その声で私に謝らないでくれる?」


 クラウスが馬車の窓から呟いた弱弱しい言葉が彼氏の最後の言葉と重なって、つい表情を固まらせて言ってしまった言葉に、クラウスは困惑したのか眉を潜める。


「あのさ……昨日も思ったけど、君ってかなり情緒不安定だよね? 侮辱するなって言ったり、謝るなって言ったり……何で君、そんなに僕の声にこだわるの?」


 怪訝そうな眼差しで見降ろされ、またやってしまった――と体まで硬直してしまう。情緒不安定、という言葉にぐうの音も出ない。


(……やっぱり、声が重なると駄目だ。どうしても反応してしまう)


「ねえ、教えてよ? 僕の声ってそんなに気に障る声なのかな?」


 違う。その声は、その声そのものは嫌いじゃない。でも――


 昨日よりはまだ冷静でいられてるけど、これから事あるごとにクラウスにこういう態度を取ってしまったら愛想尽かされる日も早いだろう。それなら――


「情緒不安定なのは認めるわ……! その……クラウスの声って一昨日フラれた彼氏と、同じ声なの! だから侮辱されると本当イラっとするし、ごめんって言われると、フラれた時の言葉思い出すのよ!」


 愛想尽かされるにしても<情緒不安定で地雷だらけの女>と思われるよりまだ<失恋を異様に引きずる変な女>の方がマシな気がする。


「……へぇ、だからか……厄介な偶然もあるもんだね」


 きょとんとした顔の数秒後、全てを察したような苦笑いの表情に変わったクラウスに、罪悪感が押し寄せる。


 『貴方の声が彼氏――いやもう、元カレなのか――と同じなんです!』なんて言われても言われた側からしたら「で?」って話だ。


「ごめん……やっぱり、これは自分で解決しなきゃいけない問題よね。次に会う時には軽く耳栓するとか、工夫してみるわ」

「え、何それ……僕と話す時は耳栓するって事?」


 がっくりと項垂れて、とりあえず思いついた対策を呟くとクラウスは何言ってるの? と言わんばかりに返してくる。

 そりゃそうだ。相手と話すのに耳栓なんて失礼極まりない。でも――


「だって、そうでもしないと、どうしても反応しちゃうし……クラウスに嫌な思いさせたくないし……」


 足元に咲く可愛い花達が、心なしか寂し気に見える。

 先程あれだけ綺麗だと思っていた花でも、見る者の気持ちが落ち込んでいたらここまで味気なく見えるものなんだな、と変な所で感心する。


「……却下」


 しばらく風と草が揺れる音だけが響く中で予想外の言葉がおちてくる。


「それじゃいつまで経っても君は僕の声に慣れないし、面白くない。それに、そんな事してたらダグラスに本当に仲が良いのか疑われる」


 冷たい言い方で放たれた中の『面白くない』という言葉に違和感を覚えつつ、じゃあどうすればいいのか分からず項垂れたまま黙り込んでいると、再び穏やかな声が落ちてくる。


「じゃあ、こうしよう……僕は君の言う通り、これから先君に一切謝らないし侮辱もしない。その代わり……君はちゃんと僕を見て、僕の声を聞いて?」


 クラウスの意外な言葉に思わず顔を上げる。真っ直ぐとこちらを見る彼が何を思ってその言葉を言っているのか、全く読めない。


「僕は君の元カレじゃない。君に気を使って声色変えて話すほど優しくもないし、君の耳栓を許せる程器も大きくない。だから、君が僕に慣れるしかない」


 凛とした声が、少し怒っているような感じがして。


「……でも、また貴方に喧嘩売っちゃうかもしれないし」

「君にいつも耳栓されたり視界ボヤかされて会話する位なら、地雷踏んだ時に喧嘩売られる方がマシ。情緒不安定になる理由も分かったし……君も僕の立場になったらきっと僕と同じ事を言うと思うよ」


 呆れたような苦笑から紡がれた言葉は何だか優しい感じがして――何だか、少し年上のお兄さんに諭されてる気分になる。

 見た目より子どもっぽい感じがすると思ったら、妙に大人びていたり――何だか不思議な感覚だ。


「ゆっくり、良い感じをかもし出すんでしょ?お互い楽になれるルールを決めて接した方が良くない?」


 お互い――口調や態度こそ違えどお互い対等でいようとする姿勢が、あの人に似てると思った。

 父親が違えど兄弟なんだろうなって思わせる位には、似ている。


「……何?」


 改めて不思議そうな眼差しで見つめられて、心臓が激しく揺れる。


「あ、いや、えっと……ありがとう」

「それじゃ、そろそろ中に戻ってきてよ。食べる時間なくなるよ?」


 別の人間に重ねてしまった事の罪悪感を押し隠しながらお礼を言った私に、クラウスはバスケットを見せて馬車の中に戻ってくるように促す。


「え……クラウスは外に出ないの? 風が気持ちいいわよ?」


 こんなに晴れ渡った空と優しい風が迎えてくれるのに、クラウスは馬車から全く出ようとしない。


「窓を開ければ風は十分入ってくるし、今はそんな気分じゃない」

「そう……残念ね」


 淡々とした声からは本当に外に出る気がない事が感じ取れたから大人しく馬車に戻り、今度はバスケットを挟んで隣に座る。

 小さめのバスケットの中いっぱいに詰まったサンドイッチはとても美味しくて、景色を眺めながら摘まんでるうちにすぐ食べきってしまった。


 3分の1位はクラウスが食べたと思うので、けして私が食べ過ぎという訳ではないと思うのだけど――


 食べ切ってなおグゥ、とお腹を鳴らしてしまってクラウスに唖然とされるのは、この後すぐの話。


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