第28話 早朝の来訪者


 3日目の朝は小鳥のさえずり――ではなく、ドアをノックする音とセリアの声で目を覚ました。

 まだ意識が定まらない中、ぼんやりした視界で時計を見やると、朝の6時過ぎを示している。


「アスカ様、起きてください! 緊急事態です……!」


 セリアの只ならぬ声に一気に眠気が引き、身だしなみも確認しないままドアを開ける。

 そこには朝早い時間にも関わらず、ピシッとメイド服を着こなし完全な仕事モードに入っているセリアが立っていた。


「ダンビュライト侯から朝食のお誘いが入っています……! どうしますか!?」


 何で? とうっかり口に出してしまいそうな状況に、起きたばかりの頭を必死に回転させる。


 ――これは仲直りするチャンス! 仲直りとまではいかなくてもちゃんと謝れるチャンス! ――いやでも、朝の6時から朝食のお誘いとか普通に非常識じゃない? ナメられてない? ――でもでも、向こうも向こうなりに色々考えて反省したのかも知れないし――いや、それならそれで昨日のうちにこっちに知らせるとか――


 不満が多めの思考の中、それでも『ここで断って余計に機嫌悪くされるとマズい』という結論が弾き出される。


「分かった、受けるふぁ……」

「それでは、早速着替えましょう!」


 承諾の途中で欠伸が出てしまって咄嗟に口元を抑えたけど、セリアは気に留めずワードローブの中から白が基調のワンピースを取り出した。



 


「アスカ様、この爪、どうしたんです!?」


 セリアのなすがままにされている内に眠気は完全に引き、仕上げに爪にマニキュアを塗ろうとしたセリアが驚愕の声を上げる。


 言われて見てみると、右手の中指の爪が黒く変色している。


「ああ……昨日の夜、そこのワードローブで挟んじゃったのよ」


 大人しくしてる分には痛みはないけど、ちょっとぶつかったり力を入れたりしたら絶対痛いヤツだ。


「……よく見せてください」


 セリアが私の中指に向けて、自身の指先を当てた。少し淡い光が爪を優しく包む。

 少し色合いが薄くなった気はするものの、パッと見黒くない? と思う位には黒い。


「うーん……マニキュアはやめて手袋にしましょう」


 セリアは鏡台の引き出しからやや厚めの白い手袋を取り出す。付けてみると少し違和感があるけど、仕方がない。

 聞けばクラウスは今馬車の中で待ってるらしい。控えめに着飾った後そこまで移動する事になった。


 まだ空は薄暗く、少し肌寒い。ただでさえ薄暗い雲が立ち込めているのが憂鬱なのに、メイドや騎士の姿も無い閑散とした外廊下が殊更憂鬱を煽る。


「この世界じゃ、こんな早くからお誘いがある訳……?」

「過去に例がない訳ではありませんが、礼節に欠ける行為ではありますね」


 その礼節に欠ける行為にもちゃんと対応するセリアのプロ精神を尊敬しながら門の近くまで来ると、白い馬車が見えた。


 一昨日ソフィア達が乗っていたらしい白い馬車も結構高貴な感じがしたけど、今見えるのは純白を基調に煌びやかな金の装飾で彩られた車体に見惚れる程立派な白馬。


 周囲には早朝の業務にいそしむメイドや兵士達が物珍しい早朝の来客見たさにチラホラと集まっているようだ。

 そろそろ彼らに気づかれるかなという辺りまで来て、セリアが立ち止まって振り返る。


「アスカ様、ダンビュライト侯はアスカ様とだけお話ししたいと仰っているそうなのですが、いかがします? もしアスカ様が私にも着いてきてほしいとお思いでしたら、交渉してみて頂けたら……」


 てっきりセリアも着いてくるんだと思ってたけど、そうじゃないのか。

 セリアには悪いけど、セリアがいなければ地球に帰る話もできる――この状況は逆にありがたい。


「いいわ。向こうが一人で来いって言うなら、一人で行ってみる」

「分かりました。それでは念の為、こちらをお渡ししておきます」


 そう言うとセリアは自身のスカートのポケットから何かを取り出し、それを私に手渡してきた。


 それはすっかり見慣れてしまった金の刺繍が入った黒いリボンと、皮製の鞘に収まった小さなナイフ。

 婚約リボンだけでも「え」って言いたくなるのにそこにナイフという物騒な物を組み合わされたら戸惑うしかない。


「アスカ様お一人で皇城を出られる……という事は全く己の身を守る術がないという事です。このリボンに強い魔除けの加護が込められていますのでお守りとして持って行った方が良いでしょう。そして、このナイフはツヴェルフの護身用にと支給された魔護具タリスマンです。魔を払う力と一時的に身を守る防御壁を張れるそうですが、効力はそれ程強い物ではないそうです。あくまで緊急時の護身用としてお持ちください。」


 手渡されたナイフを鞘から少しだけ抜いてみると、美しい銀色の刀身が見える。柄の部分には灰色の小さな球が艶やかに煌めいている。


 それはカッターやハサミ、果物ナイフとは明らかに違う――護身用と言えば聞こえはいいけど護身の為に誰かを、何かを傷つける為に存在する刃物。


「昨日険悪な状態になったのは確かだけど、警戒し過ぎじゃないかしら……」


 あれほど険悪な状態で恨まれてない、という自信もないけど――これから仲良くなろうとしている相手に会う時に刃物を携帯する事に抵抗を覚えながら、ナイフの刀身を鞘に戻す。


「アスカ様を見てるとあの方から何かされるというより、道中であの方と喧嘩して外に放り出されたり、一人で飛び出したりしないかが心配なんです。皇都は治安が良いとはいえ、いつ魔物が入り込まないとも限りませんし、何処で狙われているかもわかりません……くれぐれもお気をつけて」


 セリアが私の事をどう思っているのかよく分かる解説を背に、ポケットにリボンとナイフを突っ込んで馬車に駆け寄る。



 馬車の馬を操る従者は昨日クラウスの傍にいた全身をプレートアーマーで固めた騎士みたいだ。

 昨日のやり取りを一部始終聞かれているので正直気まずいやら、恥ずかしいやら。


「お、おはようございます」


 勇気を出して挨拶しても特に返事が返って来る訳でもなく、こちらもこれ以上話す事がなく――奇妙な沈黙に耐え切れずそそくさと馬車のドアを開く。


 本を読んでいるクラウスが視界に入ると、やっぱりその麗しい容姿に圧倒される。一瞬、ダグラスさんの面影を感じたのは母親が同じだと分かったからだろうか?


「お、おはようございます、クラウス様……」

「……おはよう」


 勇気出して声をかけてみれば、思いのほか穏やかな声で。


 クラウスがこっちに視線を向けてこなかったので、ダグラスさんとクラウスの瞳、同じ灰色だけと色合いが大分違うな、なんて程度には観察する余裕もできた。


 乗る前は斜め向かいに座るつもりでいたけど、この調子なら正面に座っても良いかも――と向かいに座って間もなく、馬車がゆっくりと動き出した。


「あの、クラウス様……昨日はすみませんでした! 私、自分があの人の婚約者になってた事知らなくて……! 色々と、失礼な事を……」


 先に何故こんな時間にお誘いに来たのかを聞こうと思ったけど、それだと謝るタイミングを逃してしまう気がして、深く頭を下げる。


 正直言えば(何で私が謝らなきゃいけないのか)という気持ちが全くない訳じゃ無い。

 けど私にも色々非があるのも確かで。そこを見て見ぬふりして謝らないという選択はできなかった。


「……謝らなくていいよ。最初に酷い態度を取った僕が悪かったんだ」


 下げた頭に落ちてくる声からはやはり昨日の刺々しさは感じられない。そして元気もない。それが猶更謝罪心を煽る。


「私だってドアからこっそり貴方を覗きました! 最初に失礼な事やらかしてるのは私の方です!」


 どっちの方がより悪いかなんて話をしても仕方ないのは分かっていたけど、こちら側から許すというのもおかしい気がして、引けない。


「ああいうの慣れてるから別に気にしてないよ。それより、君にあんな顔させるまで怒らせてしまった僕の方が……」

「ああーっ! もうその事はいいんです! それこそ、クラウス様だけのせいじゃないので……!」


 大声て言葉を遮る。あの時の涙はどちらかと言えば、勝手にアイツを連想して、勝手に追い詰められて――そう、私が勝手に自爆しただけだ。


 強引に話を遮ってしまった事で馬車内に気まずい沈黙が漂う。


「き、昨日の件は……お、お互い様って事に、しましょうか?」


 この重い空気を何とかしたくて、切り出す。頭を下げた状態からはクラウスの表情は全く分からない。


「……それがいいね。昨日の非礼はお互い無かった事にしよう」


 しばしの沈黙の後、優しさを帯びた声が下りてきて一気に肩の力が抜ける。


「……はぁー……良かった! 仲直りできて、良かった……!」

「……そんなに気にしてたの?」


 顔を上げてほっと胸をなでおろすと、クラウスはちょっと驚いたような表情をしていた。


「そりゃあ、自分が失礼な事してたと知ったら胃が痛くなる……なりますよ。気まずいし、自己嫌悪するし、謝らなきゃって気になって仕方なくなって……クラウス様もそうだったから、こんな朝早くに私に会いに来たんじゃないんですか?」

「僕は、別に……ただ、あの後の君が心配だったから……」


 少し顔を赤くして窓の向こうを見るクラウスの姿と照れる声も相まって胸が激しく高鳴る。


(これはいわゆるツンデレってやつ……? いや、ツンツンしながら照れるのはツンデレというよりツンテレじゃない?)


 仲直りできて緊張が解けた瞬間、どうでもいい思考が混ざってくる。


 昨日はセリアに視力を調整してもらっていたし、声や態度の事も相まって面と向かって話さなかったけれど、銀の髪に銀の瞳の王子様と向き合うと一気に顔が熱くなってしまう。


 これは恋――というより、美しい彫刻や絵画を見た時の感動に近い。歩く芸術。芸術が感情を持って動いている。こちらを見ている――そう思うとまともに目も合わせられない。


(……この状態じゃいつかハグされた時、鼻血出して失神しそうな気がする)


 声もそうだけれど、今のうちに少しだけ触れる事にも慣れておいた方が良いんじゃないだろうか?


 とは言えいきなり『貴方に慣れたいのでちょっと触らせてください』と言ってしまっては危ない人に思われてしまう。それで『はぁ?』なんて言われた日にはまた取り乱してしまいそうだ。


 無難で、不快に思われない触り方を模索する。会話の際に軽くボディタッチ? いやいやいや、それを自然にやってのける人もいるけど私にはハードルが高い。


 そうだ――


「そ、それじゃあこれから協力者って事でよろしくお願いします、クラウス様!」


 手袋を外して手を差し出し、なるべく視線をクラウスの鼻の辺りに向けて握手を求める。

 握手なら、特に相手に不快な思いをさせる事はないだろうと思ったんだけど――


「何……それ」


 怪訝な声に引いた眼差し。その眼差しの先は――私の右手。


「あ」


 中指の先が痛々しい事になってる事――すっかり忘れてた。


「……指、痛くないの?」

「すみません、お見苦しい物を……」


 慌てて手を引っ込めて再び手袋をはめようとした時、クラウスの左手が差し出される。


「治してあげるから、右手出しなよ」

「え……」


 戸惑いつつ右手を差し出すと、クラウスの白い手袋に覆われた左手で優しく掴まれ、指先に右手を重ねられる。

 手袋越しでも指が細く儚い印象を受ける手は、ほのかに柔らかくて温かい。


「動かないでね」


 淡く白い光が、指先を覆う。クラウスが右手を離した時には、私の中指の爪先から黒がすっかり消え失せていた。

 試しに親指と中指を力強く押しあてて見ても全く痛みを感じない。


「すごい……全然痛くない……」


 感動している私の前に、今度はクラウスの右手が差し出される。


「え?」

「握手、するんでしょ?」

「ありがとうございます……! クラウス様!」


 握手を許してくれた事と傷を治してくれた事が嬉しくて、ついクラウスの右手を両手で握り、心からのありがとうを込めて伝え、頭を深く下げる。


「……僕の事は呼び捨てで構わないよ。後、普通に話して」


 意外な言葉に顔をあげると、クラウスは少し困ったような顔をして私を見据えていた。


「無理して丁寧に喋ってるの、伝わる。そんな態度だとダグラスにもすぐにバレる」


 片肘をついて窓の向こうを見ながら呆れたような表情でため息をつく。やっぱりその表情は少しだけ、赤い。

 あまり男の人に言って喜ばれる言葉ではないのだろうけど、この人――結構可愛い所もあるみたい。


「なるほど……それじゃああらためて、よろしく、クラウス」


 笑顔でもう一度右手を差し出すと、クラウスはこちらを見てちょっと驚いた顔をしたけど柔らかく微笑んで、握手を交してくれた。


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