第16話 訓練の成果


 ダグラスさん達を見送った後、着替える為に休憩所ログハウスに戻ると、オープンテラスでセレブ臭漂う老若男女達がさっきの件でざわついていた。


「アイドクレース公は風を操るとは聞いていましたが……」

「念話とも拡声魔法とも違う、不思議な感覚だったな……」


 皆シーザー卿の言葉に戸惑ってるみたいだけど、不満を吐いたり怒ったりしてる様子はない。

 この調子なら大きな問題にはならなさそう――と思った時、茶髪の男の子が不安そうな表情で直ぐ傍にいる年配の男性の袖を引く姿が視界に入った。


「おじいちゃま、本当に大丈夫なのでしょうか? 緑の人間の言う事は」

「しっ……公爵様にそれを言ってはいけないぞ。公爵様は『別格』だからな」

「べっかく?」

「そうだ、公爵様は神の加護を受けておられる……この国と国民の安寧を守る偉大な方々だ。我らは公爵の意向に従うしか無い。もし万一星鏡が見られなかったとしても、公爵様の事を絶対に悪く言ってはいけないよ?」

「どうして?」

「公爵様の機嫌を損ねた者は罰が当たる……殺されてしまうからだよ。それだけで済めばいいが、公爵様が怒ったら戦争だって起きてしまうかも知れない」

「怖い……!」

「ははは、悪く言わなければそこまで恐れる事はない。ただ、公爵様の悪口はいつ何処で誰に聞かれているか分からないからね、気をつけなさい」


 袖を引かれた年配の男性が孫らしき男の子に優しく言い聞かせている。

 なるほど、こういう教育を受けているから皆今の状況に文句や不満を言わないのか。


 『横断歩道が赤信号だったら絶対に止まるように』と諭すノリで『公爵様の悪口言ったら殺されるから言わないように』なんて残酷な言葉を言う光景に<触らぬ神に祟り無し>ということわざが頭をよぎった。


 私は普通に接しているけれど、この国の人達から公爵は凄くて、恐ろしい人達なのよね――、とセレブな貴族達の様子を見て改めて感じながら2階に上がり、あてがわれている個室に入る。


 自分だけで着替えられる。簡素なワンピースを持ってカーテンで仕切り、さて着替えるか――と思ったその時、


「あれっ……? お父様! 何で鍵かけちゃったのぉ?」


 ドアの向こうに女の子の声が聞こえる。部屋を間違えているのか、ガタガタとドアを開けようとする音が室内に響く。


 着替え中じゃなくて良かった――とドアを開けて説明にし行こうとすると、先にセリアがドアの近くに立っていた。

 私が出てくる事を予測したのか、ドアを開けずに向こう側に呼びかける。


「お嬢さん、部屋を間違えておりますよ。こちらの部屋は現在セレンディバイト公爵家が使用しております」

「えっ、嘘……私、お父様ここに入ってくの、見たもん! 開けてよ!」


 女の子の物騒な言葉に緊張が張り詰める。セリアと互いに怪訝な表情で見合った後、セリアの瑠璃色の魔力が微かに広がるのを感じる。


「魔力探知してみた限り、誰もいないようですが……」


 魔力探知だけじゃ確実ではない事はセリアも分かっているようで、クローゼットなど人が隠れられそうな場所を開け、目視でも確認していく。


 透明化を使っている可能性も考えて、ちゃんと手を入れて本当にいないかどうか確認する辺りセリアって本当にしっかりしてるなと思う。


(透明化、魔力隠し、浮遊術を使って宙に隠れてる、って可能性もあるわよね……)


「……ロイ、この部屋の中、私達以外の匂いする?」


 姿と魔力を消せても、匂いはどうかな――とロイに呼びかけると、スンスンと周囲の匂いを嗅ぎ回りだす。

 その様子を見守っているとまた女の子の声が聞こえてきた。


「何で開けてくれないの? お父様、お父様……悪い人達に捕まってるの!?」

「お、落ち着いて! 私達は本当に中に人がいるか確認してるだけよ!」

「じゃあ開けてよぉ……!」


 こっちは今から水着を脱いで着替えるって状況で「中に人がいるかも」と言われて不安になってるのに、ドアの向こうにいる女の子はこちらの気持ちも知らずに涙声をぶつけてくる。


 まあ、女の子の視点になってみれば、父親が中に入ったのを見て自分も入ろうとしたら鍵がかかっていて、中の人間が開けようとしないのだ。

 お父さんが悪い人達に捕まってる、と狼狽えてしまう気持ちも分かる。


 流石にこのまま開けないのはマズいと思ってロイの方を振り向くと、首を横に振られる。私達以外の人間の匂いはしないようだ。


 それなら女の子にも入ってもらってその目で確認してもらうしか、と思ってドアに手を伸ばすと、


『アスカ様、私が開けます。アスカ様は少し離れていてください』

『え?』

『ダグラス様のお言葉を思い出してください。アスカ様は他人と迂闊に関わってはいけない存在なのです。特にこのジェダイト領は、前侯爵が処刑される発端となったアスカ様を恨んでいる人間もいるかもしれないのですから……ダグラス様がいない今、一層警戒すべきです』


 セリアの表情も言い方も真剣だった。真剣になるだけの理由も添えられただけに改めて緊張感が走る。


 愛想の良い女であれ子どもであれ、他人と迂闊に関わってはいけない――ダグラスさんはそう言っていた。

 日本だって、知らない人と接する時は警戒するけど、でも、相手は少女――


(いや……これは私の考えが甘すぎるかも知れない)


 近くに男がいたりするかもしれないし、少女の声に見せかけた大人かも知れない。


 色々なケースが頭の中に浮かぶうちに女の子の啜り泣く声が聞こえてくる。


 先程セリアが開けて上下を確認していた窓を改めて開け、トランクケースのの中からを取り出してワンピースの下に隠した後、セリアに目配せする。


 セリアが頷いてドアを開けると、10歳くらい、だろうか?

 茶髪、前髪で目が隠れた緑と薄緑を貴重にしたワンピースの女の子が入ってくるなり、私達に何を言う事もなく部屋の中をあちこち探り出した。


 何も警戒せずに女の子の動作を見守っていたら気づかなかったかも知れない。


 この子――わざわざ離れている私に近づくように探してる気がする。

 近づいてくる度に私が離れるからそう思ってしまうのかも知れないけど。

 

「……ほら、いないでしょ? 見間違いじゃない?」


 女の子があらかた部屋を探し終えた頃には、ドアの近くにまで来ていた。


「見間違いじゃないもん……見たもん」


 そう言われると怖くなってくるんだけど、頭を下げて肩を震わせ、涙声で呟く女の子に(色々考えすぎだったかなぁ)なんて考えと罪悪感が過る。


「……着替えた後で良かったら私達も一緒にお父さん探してあげるから、一回部屋から出てってくれる?」

「本当!? お姉さん、ありがとう!」


 パアッと顔を上げて口元を緩ませた女の子は、私に抱きつこうとしてきた。


(おかしい)


 突然こちら側に差し伸ばされた手に対して、反射的に防御壁を作り出す。


 ダグラスさんから返してもらった、魔護具のナイフ――魔力を持たないツヴェルフでも念じるだけで防御壁が張れるそれは、カツン、と何かを弾いた。


 女の子の手――指の下から少し飛び出ているのは――キラリと輝く銀色の針。


 私がそれを見て表情を強張らせたことに気づいたんだろう、女の子の表情が大きく歪む。

 その鬼気迫った表情に咄嗟に後ずさって距離を取る。


 状況を察したセリアが行動停止ストップを少女に向けて放つと、少女の体から青緑色の魔力が吹き出してそれを弾いた。

 同時に、茶髪の髪が鮮やかな青緑に染まっていく。


 この髪と眼の色――私、知ってる。


 全身の、消えたはずの傷跡が疼くような感覚を覚える中、床に大きな魔法陣が浮かび上がり、セリアとロイの動きが固まる。

 広範囲の行動停止ストップだ。私は先に魔護具の防御壁を発動させているからか、固まって動けない程じゃないけど、体が鉛のように重い。


 上手く身動きがとれない中で少女は私に向けて、青緑色に輝く数本の針を構えている。

 その表情はまるで鬼のように――殺意に、満ちている。


(今は、恐れてる場合じゃない!!)


防御壁プロテクト!!」


 唱えた瞬間、青緑色の魔力を込められた針がいくつも飛んでくる。

 だけど魔護具の防御壁と、自分の中にある黒の魔力で発動させた二重の防御壁が投げつけられた針を全て弾く事ができた。


「何なのよ、あんた……!!」


 少女が、まるで酷く目障りな物を仕留め残ったかのような恨めしい声を上げる。


 相手の視線や手の動きから、それを投げつければ何処に当たるか――恐れずに冷静に考えれば推測できるものだと、避けられるとコッパー邸にいた時にリチャードから教えられたけど、私にはまだまだ出来る気がしない。

 というか、動きが制限されてるこの状況じゃ避けるのはまず無理だ。


 だけど、恐れないでいる事で――冷静に前を向く事で、どう動くかが判断できるようになる、って教えは何となく分かってきた。


 この状況を、私は、冷静に受け止める事が出来てる。


 避けられるものなら避けて、避けられそうにないと思ったら弾くか、受け止めて流せばいい――訓練のお陰で私、本当にレベルアップしてるみたい。


「何でそんな落ち着き払った顔してんのよ……さっさと死んでよ!!」


 殺意に満ちた少女がナイフを構える。何でそんな恨まれてるのかとか今はどうでもいい。


 今は、この鉛のように重い体で、セリアとロイの動きが止められた事の状況で、時間制限ありの二重の防御壁がどこまで通用するか――今、私ができる事は――


「誰かーーーー!!! 助けてーーーーーー!!!!!」


 窓の向こうに向かって目一杯大声で叫ぶ。同時に少女が舌打ちした。


 乱暴に投げつけてきたナイフは再び防御壁に弾かれて、少女はドアに手をかけて外に出ようとすると――その動きがピタリと止まった。

 少女の表情は見えない。だけど――少女の足元には、純白の魔法陣が輝いている。


「飛鳥!! 大丈夫!?」


 窓から飛び込んできた私の、2人目の婚約者――クラウスの必死な声が、私の心にようやく安息をもたらした。


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