第40話 巻き込まれる側の未来
私とセリアとロイだけになったスイートルームに再びヒューイがやってきたのは、1時間位経った後だった。
広いリビングに場所を移した後、ヒューイが人差し指で横線を引くような仕草をしながら「
(この人と面と向かって対面するのは、侯爵裁判の時以来、2回目……)
アオザイっぽい青緑色の民族衣装。肩まで覆うヴェールの付いた帽子。温厚で優しそうな顔立ち――全部はっきり覚えてる。
その顔立ちでこちらにあまり良い感情を持ってなさそうな視線を向けてきた事も。
だけど今はそんな感情すら感じ取れない位、表情が無い。生気もない目で見据えられて、どうにもやり辛い。
「えっと……貴方とこうして会話するのは初めてよね。私は」
「貴方の事はよく存じております。私はモニカ・ディル・フィア・ジェダイト……この領地の主を務めております。この度はシャニカがご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません」
こちらからの自己紹介を遮られた事にちょっとムッとした。
だけど無機質で何の感情も乗ってないように感じる謝罪の声と、深いお辞儀が酷く危うく見えて、ひとまず二人をソファに座るように勧める。
「既にこちらの事情を把握しておいでとの事なので、率直に申し上げます……どうか、あの子を解放して頂けませんか?」
ヒューイの隣に座ったモニカ嬢はセリアが淹れた緑茶に手を出さず、再び頭を下げてきた。
その様子からはこちらを攻撃するような敵意も悪意も感じない。
「私もそうしたいんだけど……あの子が私を殺したがってる以上、そう簡単に解放する訳にはいかないの。貴方から私を殺さないようシャニカを説得してもらえないかしら?」
クラウスの記憶の解析は大分時間がかかると言っていた。
いつになるか分からない以上、モニカ嬢とシャニカに協力してもらった方が良い――そんな私の頼み事をモニカ嬢は首を横に振って拒絶した。
「あの子は私の言葉などもう何も受け付けません……ただ貴方を殺し、その先の問題を解決する事だけに全てを注いでおります。ただ……今世ではもう、貴方をどうにかしようと思っていないと思います」
「今世では?」
含みのある言い方を問い返すと、モニカ嬢は口元を微かに緩めた。
「ええ……自分が直接殺しに行く事すら失敗した今、貴方に固執するより過去に戻ってやり直す方が余程効率的です。貴方がたがあの子を解放すれば、あの子はすぐにでもビュープロフェシーの前で死のうとするでしょう」
「モニカ嬢……貴方、自分が今、何を言ってるか分かってるの?」
これをヒューイやクラウスが言うなら、ここまで強い違和感は感じない。第三者の一意見として冷静に受け止めたと思う。
だけど、モニカ嬢はシャニカの姉だ。
姉妹だから絶対に仲が良いはず、なんて思ってないけど――だけど私と同じ年位の彼女がまだ10歳前後の幼い妹を見殺しにするような言い方が心に酷く引っかかった。
私のそんな感情が声にも顔にも思いっきり出たんだろう。モニカ嬢は微かに口元を歪めた。
「……ならば、貴方があの子と未来の為に死んでくださるのですか?」
痛烈な言葉と冷ややかな視線がグサリと刺さる。
なるほど、シャニカを殺さないって事はつまりそういう事になっちゃう――訳ないじゃない!
「グルル……」
モニカ嬢が放った言葉が、私に対して酷く棘のあるものだと分かったんだろう、彼女に向かって唸りだしたロイを撫でて落ち着かせる。
ついでに小さく息を吸って、自分の心も落ち着ける。
「……私は何か間違った事を言っていますか? 未来の為に自分が犠牲になるのがお嫌ならば、あの子を解放すればいいだけの話です。そしてあの子は死んで過去に飛び、貴方は生き延び、それぞれ新たな未来に可能性を繋げる事が出来る……それで良いのではありませんか?」
「良くはないわ……シャニカが過去を戻ったら、今ここにいる私達はどうなるの? 貴方は両方に未来があるような言い方をしたけれど、過去に戻った時点で世界線が追加されてパラレルワールドが作られるのか、何もかもリセットされるのか……その辺ハッキリしてないのに彼女を死なす訳にはいかない」
私達は時を戻る側じゃない。
何度も何度も同じ時を繰り返した末に状況を打開するタイムリープ物語の主人公がシャニカなら、主人公が過去に戻った後の世界は完全に未知の領域だ。
主人公じゃない私達のこの世界は変わらず時が流れていくのか、あるいは彼女が過去に飛んだ瞬間、リセットという名の崩壊を迎えるのか――巻き込まれる側の未来は誰にも分からない。
「……あ、仮に彼女が過去に戻っても私達は無事ですよ、なんて言われても他の世界線でシャニカが私を殺し続ける事を考えるとすっごく気分悪いから、どちらにせよシャニカをビュープロフェシーの前で死なすっていう選択肢は無いわ」
そう言い切るとモニカ嬢から一層冷めた視線を向けられる。予想外の反応に背筋に悪寒が走る。
「そ……そんなに冷たい視線向けないでよ。貴方だって妹が死ぬのは嫌でしょ?」
「……妹ではありません」
「え?」
「あの子はもう、私達が愛したシャニカではないのです。私はおろかあの子に尽くした父すらも駒として扱ったあの子に、家族としての情を持ち続ける事など出来ません」
「モニカ、さん……?」
微かに震えを帯びた吐き捨てに自嘲のような、悲痛のような感情が込められているように感じて思わず彼女の名前を呼びかけると、彼女は微かに潤んだ目で私を見据えてきた。
「……貴方さえいなければ、彼女が過去に戻ってくる事もなく、こんな気持ちにさせられる事もなく、私達は家族3人で星鏡を見る事ができたのに」
痛烈な言葉がグッサリ心に刺さる。
恨み言を言われるかもしれない――とは思っていた。だから冷静に受け止めようとしたけど、いざ実際に憎しみを向けられて心が動揺を隠しきれない。
(ヤバい、肉体的に殺される心配はなくても精神的に殺される可能性出てきた……)
でも今、モニカさんの本心が見えた気がする――震える手で緑茶に口をつけながら必死で心を落ち着かせている時、第三者の口が開いた。
「……駒、ってどういう意味だ? シャニカ嬢はヴェレーノ卿が死ぬ事が分かっていたのか?」
モニカ嬢の視線が眉を顰めたヒューイの方に移る。
「ええ……アスカさんの暗殺は成功していてもセレンディバイト公の非情な追跡によって足がつき、父は殺されていたそうです。そしてアイドクレース家の温情で私達は家を存続させる事が出来る……そんな世界線を繰り返してきたあの子にとって父の死は必然であり、とうに悲しい物ではなくなっていたのでしょう。ですが、それを父の、既に杭打ちされた棺の前で聞かされた私にとっては……」
モニカさんが声を曇らせる。シャニカから父親の処刑が計画通りだったかのように言われたらしい彼女の心境は伺い知れる。
「……君はビュープロフェシーの前で死んだ事はないのか?」
「分かりません……少なくとも、今の私にそのような記憶は存在しません」
辛そうなモニカさんの横でヒューイは優しい言葉一つかける事無く、更に辛辣な問いかけを続ける。
「それなら何故、妹の代わりに自分が死のうと考えないんだ? 君が死んで戻れば妹だって父親だって助けられるかもしれないのに何故シャニカ嬢の解放にこだわる?」
確かに、モニカさんだって過去に戻ろうと思えば戻れる環境にある。
それが出来ないのは何でだろう――と疑問に思った時、モニカさんが諦めたように息をついた。
「それができたら良かったのですが……ですが、私は父からもシャニカからも、暗殺計画や未来について詳しい話は聞かされていません。そんな私が過去に戻った所で失敗するのは目に見えています。何度も父の死を見届けなければならないのも耐えられませんし……人として大切な物を失うくらいならば、潔く世界と共に滅びましょう」
「人として大切な物を失った妹を過去に突き放して死ぬってのか?」
「……ですから、あの子はもう私の愛した妹ではないのです。それでも、父が死んででも守ろうとした存在です。私はあの子を過去に届けなければならない……それがお父様の願いでしたから」
駄目だ、この人――せめてシャニカの解放さえできれば、と思ってここにいるだけで、私の話を聞く耳なんて最初から持ってないんだ。
これだけ話していれば、人の感情を察するのがそこまで得意じゃない私でも分かる。
(……でも、そうだからって「はいそうですか」って諦める訳にもいかない)
覚悟を決めて温くなった緑茶を喉に流し、空になったティーカップをテーブルに置く。
「……貴方のお父さんは魂になっても私を殺そうとしたわ」
「……え?」
真っ直ぐモニカさんを見据える。これが吉と出るか凶と出るかはわからないけど――
「私を殺そうとした暗殺者や貴方のお父さんの魂、ダグラスさんが拷問目的で捕まえたのよ。私はそんな事全然望んでないのにね」
怪訝な表情を浮かべる彼女に、心身ともに痛い記憶を突きつける。
ダグラスさんの魂イジメ――私に対するイライラを人魂にぶつけて、その悲鳴で心を落ち着ける――もそうだけど、侯爵の魂を掃除機のバッテリー代わりにしてたなんて死んでも言えない。本当、今思い返しても酷い理由。
「……だから助けに行ったのよ。でも貴方のお父さんの魂から反撃されて死にかけたわ。物っ凄く痛い思いしたし、全身傷だらけになって物凄く迷惑したけど……クラウスに綺麗に治してもらったから、今更貴方に私の苦痛をぶつけるつもりはない。その代わり、私の話を聞いて欲しい」
「ち……父の魂は、どうなったのです?」
確かに、こんな話をしたら私の話より父親の魂の行く末が気になるのは当たり前なんだけど――
(でも私、襲われて気を失ってからの事は知らない……)
確か――、とヒューイに視線を向けると目が合った彼は天井を見上げた。
「……天に登っていくのが見えたわ。ダグラスさんもいなかったし、消滅はしてないと思う」
何とか無事に話を着地させると同時に、モニカさんが長い溜息をついた。
安堵のため息だろうことは緊張が解けた表情から察せられる。
説得するなら、今だ。
「モニカさん……貴方は私が生きてるから、手遅れだからって理由で世界崩壊を受け入れるの? 父親が死んでも守ろうとした世界を見放すの?」
その父親に殺されかけた私が言うにはあまりに似つかわしくない台詞だけど――
私が生きてるから(はい、もう世界崩壊確定!)みたいに諦められるのもムカつくというか、もうちょっと足掻こうよ? みたいな気にさせられるというか。
「私とダグラスさんの間に何か起きて、世界が崩壊する……それならその『何か』を起こさなければ良い。何かが起きるって分かってるんだから、事前に対策をすればいいと思わない?」
私は未来を知らない。だから、私が思いついた対処法が成功するか失敗するかも分からない。
でも――中にはシャニカが試した事も思いついた事もない方法があるかも知れない。
「対策する為にも、私はシャニカと全ての情報を共有したい。私が持ってる情報と彼女が持ってる情報を組み合わせれば、有効な手段が見つかるかも知れない。少なくともこの世界はまだ、貴方が投げやりになって良い世界じゃな……」
言い終えようとした所でガチャン! と音が響く。
皆の視線が窓のバルコニーの一点に集中して――そこには純白の大鷲と、バルコニーの扉に手をかけたクラウスが飛び込んできた。
「ごめん飛鳥!! シャニカが逃げた……!!」
憔悴したクラウスと慌ただしく羽ばたくラインヴァイスの様子から最悪の展開が頭をよぎった。
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