第108話 漆黒の鳥籠
誰が何を言うでもない、私が時折鼻を啜る音とため息を漏らすだけの沈黙の時間が流れている中、私は全力で窓の向こうの流れる景色に視線を集中させていた。
(やってしまった――……)
思いっきり叫んでしまった後、隣に座っていたセリアが黒のケープを私の肩にかけ、私の腰にストールを置いて裂け目を隠し、涙が止まらない私の為にハンカチを出してくれた。
その後、何を言う事も無くずっと窓の向こうをガン見して――今に至る。
私から何か切り出すべきなのは分かってる。成人してる女に馬車の中で大泣きされては誰も何も言えなくなるのも分かってる。
分かっているけど、まだ何も言う気になれない。墓穴を掘りそうだし。結果、ため息と涙だけが止め処も無く漏れる。
(『もうおうち帰る』のノリで『もう地球帰る』とか『大っ嫌い』とか……いくら何でも叫んだ内容が幼稚過ぎるでしょ……!?)
そう自分に対してため息を漏らし、でもその思考を否定してしまったら自分の心を否定してしまったような気になってしまって涙が溢れる。ため息と涙の悪循環。
クラウスと初めて会った時もキレたけど、あれはクラウス達が出ていくまで涙を堪えられただけ、一人で泣けただけずっとマシだった。
でも今回は黒の公爵の他にセリアと黒の執事――じゃなくて家令に思いっきり聞かれてるし見られている。その事実が頭をよぎる度にため息が漏れる。
「あの……飛鳥さん……今日は、本当に……すみません、でした」
どの位沈黙か続いただろうか? 一向に物を言う気配の無い私にしびれを切らしたのか、黒の公爵が所々言いあぐねながら謝罪の言葉を紡ぎだす。
ちょっとだけ視線を向けると、受け取る事を拒絶したマントを自分の膝に乗せてその上に肘を置いて項垂れている。
無理矢理閉じ込めてきた割に、こっちが物投げたり地球に帰るって叫んでるのに怒りもしないのが不気味で怖いけど――向こうから謝罪された以上こちらも何か言わなくてはいけない。
「……いいえ、ダグラス様が謝る必要なんてありません」
今の心境で傷つきました作戦を展開できるか不安に思いつつ、言葉を紡ぎ出す。
「ダグラス様にとって私は所詮その程度の存在だって事がよっっっく分かりましたから」
淡々と言うつもりなのに、所々で心に残る怒りが瞬間的に吹き上がる。マズいなと思い一つ深呼吸をして、言葉を続ける。
「さっきは身の程もわきまえずに声を荒げてすみません……でもこの世界に来てから本当、心休まる時間が無くてもう限界なんです……だからそっとしておいてもらえませんか? 3ヶ月位」
どういう会話の流れにするか、予め組み立てておいたお陰でここは言葉に詰まらなくて済んだ。それを最後にまた馬車内に沈黙が漂う。
(3ヶ月を長いと言われたら2ヶ月……そこで威圧してくるようなら1ヶ月という風に縮めていこう……1ヶ月を縮めてくるようなら今度はハイヒール投げて叫び倒してヤベー女と思われる作戦に出るしかない……)
「わ、私が、3ヶ月待ったら……飛鳥さんは私を許してくれますか?」
しばしの沈黙の後に戻って来た返答は割と良い感じだけど、どう答える? 許さないと言ったら機嫌を損ねるだろうし、あっさり許しますと言うにもおかしい状況な気がする。となると――
「……許すも何も、私、ダグラス様に怒ってる訳じゃありません。今回の事は完全に私の自業自得ですから……今しばらく何もする気が起きそうにないだけです……」
「いいえ……貴方の心も知らずに、婚約者としての義務を放棄した私に責任があります。私が、あの場にいれば、貴方が心身傷つく事は無かった……」
項垂れたまま首を振って小さく震え出す。今の黒の公爵からは魔物狩りの時の傲慢な態度が見る影もない。
この人は本当に、悪い笑みを浮かべて死霊王を煽り楽しんでいた男だろうか?
(私が盛大にキレたのにこの人がこんなに大人しいのって……多分黒パン見たから、よね? ……凝視してたし、隠せとか言ってたし)
まさか、本当に下着1つでここまで態度が変わるなんて――公爵ともあろう存在をここまで豹変させるとなると、死刑になるのも分かる気がする。
(私が気合い入れて勝負下着を身に付けなければ、この人もこんな情けない姿晒さなくて済んだだろうに……ああ、この事バレたら私死刑になるのかな……いや、それより今は1ヶ月の安全を確保する事に集中しないと……)
新たに作られた大きな厄介事から目を逸らし、目の前の問題に向き合う。
「……とにかく、今しばらくそっとしておいてください。さっきもう地球帰るって叫んじゃいましたけど、地球に帰る為にダグラス様の力が必要なのはわかってます……私、今は一人の時間が3ヶ月位欲しいだけなんです。その後はちゃんと、ダグラス様とその……こ、子づくりに……」
そこまで言って、恥ずかしさに耐え切れず顔を伏せる。
一応これも脳内で言う練習してたんだけど、その言葉に何の感情をこめていなくても他人が他人に向かって言ってるだけでも(うわぁ……)と思う台詞を、自分が言う事の何と恥ずかしい事か。しかも第三者が2人もいる中で。
「……分かりました。3ヶ月、何も気にする事なく私の家でゆっくり休んでください」
穏やかな声に顔を上げると、黒の公爵の優しさと喜びに満ちた表情で見つめられている――ちょっと情けない姿晒してもそういう表情ですぐ取り返せる容姿端麗な人の特権、本当ズルいと思う。
「飛鳥さんが休まれてる間、私は先日の六会合で依頼された魔物討伐を片付けます。半月ほど朝から晩まで家を空ける事になりますが、飛鳥さんは遠慮なく自由にお過ごしください。ああ、でも20時までには帰るようにしますので、夕食は一緒に――」
夕食――そう言えばこの人、ご飯食べる時って手袋してるんだろうか? もし手袋してなかったらあまり近づきたくないけど、そんな質問したら怪しまれるかもしれないし――
「夕食は自分の部屋で取らせてください」
「お、怒ってるじゃないですか……」
喜びの表情が曇り、悲しみを帯びていく。その姿も様になる事にちょっとイラっとする。
「怒ってません。でも今、貴方の顔見たらどうしても悲しくなるし、口を聞けば生意気な事ばかり言ってしまいそうで……だからしばらく一緒の食事は遠慮させてください……お互いの為に」
本当に、この人の顔を見て口を開いたら色々感情を吐き出したくなるし、その結果変なトラブルが起きる事も予想できる。
できるだけ安全な1ヶ月引きこもり生活を確保したい。
「……分かりました。貴方がそう望むなら……」
「ありがとうございます、ダグラス様」
「あの……飛鳥さん、私を様付けしないでください。以前のように……いえ、呼び捨てでも構いませんから……様付けは、距離ができたようで……」
諦めたように小さくため息をつく彼に棒読みでお礼を言うと、寂しそうに願われる。
まあ、そこまで言うなら――と思って口に出そうとして言葉に詰まる。
以前のように気軽に言えない。意地なのか、嫌なのか、分からない。さん付けも、呼び捨ても、嫌。
(……ああ、私、まだ怒ってるわ)
さっき思いきり叫んでスッキリしたかと思ったけど、自分でも気づかない位この怒りは根が深かったようだ。彼が言うように距離ができたのは、間違いない。
「ダグラス様……失礼ですが、今、アスカ様は大変傷ついておられます。そんなアスカ様に無理強いさせたら、より傷が深まるだけです」
私が返答できないでいると、隣で静かに座っていたセリアがフォローしてくれた。
「ダグラス様はまず、どうすればアスカ様の心が癒えるのか考えるべきです。ダグラス様がアスカ様の心を癒せば、自然と呼び方は戻りますよ。ね、アスカ様?」
「……そう、ね」
笑顔で問いかけられて、思わず頷く。
「心を、癒す……」
そう呟いて、黒の公爵は腕を組んで視線を逸らした。変な事考えてなければいいけれど。
セリアが会話に加わった事で、改めて同席者の様子をうかがう。セリアはケープや ショールをかけてくれた時こそ少し慌てていたけれど、今は落ち着いている。
そして彼の隣に座っている黒の家令はただずっと目を閉じて座っている。
主がここまで豹変したら目を背けたくもなるよね――と思った所で軽い頭痛が襲ってきた。頭を使い過ぎたのと思いっきり泣いたのが原因だろう。
ああ、早くドレス脱いで化粧落として横になって目を閉じたい――そう思って間もなく、馬車が止まった。
窓の向こうに、黒に染められた大きな洋館が立っている。一度魔物狩りの帰りに止まった時に何も見えなかったのは完全に闇と同化していたのだろう。
パッと見3階建て位だろうか?貴族の館、という感じがしたダンビュライト家に比べて、陰鬱な感じがする。夕方にはカラスとか蝙蝠とか集まってきそうな雰囲気だ。
馬車を降りる際、先に降りた彼が手を差し伸べて来た。
「飛鳥さん……お手をどうぞ」
小さく震える手が痛々しい。また私に拒絶されないか心配なのだろうか? それでも手を差し出すその姿に、罪悪感を煽られる。
(全てを拒否して反感を買うのは避けないと……手袋をしてる分には、何も読まれないはずよね……?)
そっと彼の手に自分の手を重ねて、慣れないハイヒールで馬車を降りる際、体勢を崩す。
その際、彼が私を抱く形で受け止めたのは、きっと他意は無かったのだと思う。
だけど彼から黒の魔力が落ちて来たのを感じた瞬間――私は反射的に彼を突き飛ばしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます