第12話 黒の嫉妬・1(※ダグラス視点)


 飛鳥の言うとおりにすれば――人を傷つける事無く、周囲に迷惑かける事無く彼女と話し合えたら――きっと飛鳥は戻ってきてくれるはずだと、そう思っていた私が間違っていた。


 飛鳥があの女に突き落とされた時、やはり過去の自分が正しかったのだと思った。


 力無き者が窮地に陥った時、大体四種類の判断をする。

 他人を優先させ自らは犠牲となる者、他人を犠牲にして自らは生き延びようとする者、悲劇に酔いしれ共に死のうとする者、共に生きる為に一か八かの賭けに出る者。


 あの女が自らを優先させるタイプなのは歓迎パーティーで見かけた時から感じていた。

 だから飛鳥さえこの世界に残せば邪魔はしない、という警告を送った。


 それをアテにはしていなかったが結果的に彼女は自分や仲間が私に殺されるのを恐れて飛鳥を突き落とした。

 実際にはもう殺すだけの余力も残っていなかった私を恐れて。


 あの女には本当に感謝しなければならない。

 飛鳥をこの世界に残してくれたと同時に、人を動かすのはやはり力や恐怖なのだと改めて私に悟らせてくれたのだから。


 そう、愛より情より信頼より、恐怖こそが人を動かす。

 飛鳥に溺れてしまう前にあの女に警告した――その時の私こそが正しかったのだ。


 本当に、理性を狂わせる色恋沙汰なんてロクでもない。

 こんな事になるなら青の娘が言っていたとおり、町の住民を人質にとって脅してしまえば良かった。そうすれば、醜態を晒さずに飛鳥を手に入れる事が――


(……いや、今私の腕の中に飛鳥が傍にいるのだからもう考えるのはやめよう)


 もう魔法を出す事すらしんどい体で無理矢理衝撃を和らげる魔法を使い、無事屋上に着地する。

 飛鳥の無事を確認した後、今ある心の中の感情を全てを吐き出すと大分心が楽になった。


 そして現状を理解して絶望し、嫌だ嫌だと泣き喚く飛鳥の口を防ぐ。


 ああ、抗えない彼女の何と愛らしい事か。

 絶望して何処にも逃げられなくなってしまった彼女が、これから私にどう接してくれるのか――想像するだけで疲労が吹き飛ぶ程の高揚感に包まれていく。


 昨夜の温かい愛に酔いしれた甘い幸せがもう二度と手に入らない事に強い喪失感を覚えるものの、飛鳥の言う事を聞いても体よく利用されるだけだと知った今、あの甘い幸せはもう望まない方が良いのだろう。


 それでもいい。それでも私は飛鳥が欲しい。飛鳥は別の幸せをくれる。私に想像を絶する快楽を与えてくれる。その快楽だけでも手に入れたい。

 彼女に愛がなくともお互いに信頼していなくとも、私はもう飛鳥を手放せない。


 だが飛鳥はいつだって私と異父弟の心を惑わせ、狂わせる。このまま捕らえるだけではまたきっと私の目を盗んで逃げ出そうとするだろう――飛鳥のこれまでの態度からそんな予感がした私は一つの禁術を使う事を決めた。


 番の呪術――あくまで知識として知っていただけで使う事はないと思っていたのだが。

 飛鳥が私を惑わす以上、飛鳥を狙う人間がいる以上、私達の間にけして断ち切る事のできない鎖をつけてしまうしかない。


 飛鳥が他の男から快楽を与えられないように。飛鳥が私以外の男に快楽を与えないように。

 例え飛鳥の心がその呪術で壊れてしまったとしても、仕方がない。


(私を住まわせてくれない、他の男を住まわせる心なら、もう――)


 呪術を発動させようとした瞬間、自分の中で何か亀裂が入る感覚が聞こえた。

 それが自身の持つ器に小さなヒビが入った感覚である事はすぐに分かった。


(しまった、魔力を無理に使いすぎた……!)


 私の中の白の塊が魔力の放出口を塞ぎかけた状態で何度も魔法を使った事で器そのものが傷んだのだろう。

 呪術の発動を止めても器の亀裂から魔力が吹き出ていくのを感じる。


(このままだと、飛鳥の体すら手に入らない…!)


 吹き出す黒の魔力が外にある飛鳥の中の黒の魔力に向けて動き出そうとしているのが分かる。

 このまま魔力を暴走させてしまったら飛鳥を殺してしまうかも知れない。


 それは駄目だ。飛鳥には心が潰れようと、一生笑いかけてくれる事がなかろうと、私と生涯を共にしてもらわなければ。


 自分の中で暴走する魔力を堪えながら飛鳥を逃がそうとすると、私達の間を強風が襲い異父弟に蹴り飛ばされて堪えていた魔力が放出される。


 それに伴って硝子に亀裂が入るような嫌な音と同時に器のヒビが大きく入るのを感じた。

 溢れ出た魔力は制御できない。飛鳥の中にある黒の魔力を目指して暴走してしまう。


(飛鳥を、助けなければ……!)


 ――そう思いながら、意識を失った。




『ダグラス……ダグラス……!』


 横たわる私を揺さぶり、呼びかける声が聞こえる。

 漆黒の空間の中でペイシュヴァルツが前足で私の背中を揺さぶりながら私を見下ろしていた。


 ゆっくり身を起こすと、今まで私の中で蠢いていた触手のような魔力が凍りついたかのようにピタリと固まっている。


『緑の公爵にそちの体の時を止められた……! このまま術が進行すれば余もそちの魂も時の檻に閉じ込められてしまう……!』


 時を止める魔法タイムストップ――色神を宿し多大な魔力を有する公爵の中でも特に術に秀でた者にしか扱えない秘術。


 私の器が崩壊してしまえば、世界も崩壊に近づく。器のヒビが治す方法が見つかるまで私の時を止めるのは今の状況で最も安全で確実な方法だ。

 だがこのままずっと私の時が止められてしまったらまた飛鳥が逃げてしまうかも知れない。


(再び時が動き出し、目を覚ました時には10年後で飛鳥が既に地球に帰っているなどと……そんな事は、絶対にあってはならない……!!)


 様々な不安が過る中、最も心を占めるのは『また、飛鳥を失うかも知れない』という焦燥感。

 これまで何度と無く感じてきたこの感覚だけは一向に慣れそうにない――それどころか感じる度に焦燥感が強くなっていく気がする。


 何としてでも自力でヒビを修復する方法を見つけ、自分の体の<時>を動かさなければ。

 

『……今から余の力で分身を作り出す。そちは分身に魂を移し替えてここから逃げろ……嫌な予感がする!』


 私の決意に呼応するかのようにペイシュヴァルツがとても小さな分身を作り出した。


『この位の体であれば飛鳥やあの音石のリングに込められた黒の魔力を依り代にして行動する事ができるはずじゃ……!』


 大人の片手に収まる位の子猫のような分身に魂を移す事に何も思わない訳ではなかったが、この体から離れる体としてはその位の大きさが限界なのだろう。他に方法がないなら仕方がない。


『さあ、取り返しの付かない事になる前に早く行け!』


 いつになく捲し立てるペイシュヴァルツの勢いに何も言えずに子猫の体に魂を移すと、ペイシュヴァルツが私の体を覆う緑色の障壁に小さな穴を開けた。


 そこめがけて飛び出すと、青白い星に照らされた屋上に出る。



「おや……?」


 緑が面白い物を見つけたような眼でこちらを見据える。

 この小さな猫の体に中に宿る魔力は微々たるもの――眼を付けられたら即座に捕らえられてしまう。


 全力で自分の本体から遠ざかるにつれて体のしんどさを感じる。近くに黒の魔力がないからだ。屋上に落ちているはずの黒の音石の魔力も感じない。


(まずは、飛鳥を探さなければ……)


 私の体以外に黒の魔力を宿す存在――それは一人しかいない。


 黒の魔力の気配を感じて飛鳥がいる部屋の窓を覗くと、驚く事に彼女は今にも私の大切な音石を踏み壊そうとしていた。


(写真を全て破いたように、音石も砕こうというのか……!?)


 破られてしまった盗撮写真は全て丁寧に貼り直したが音石はそうはいかない。物理的に破壊されてしまうと復元が難しい。


 飛鳥のもう二度と聞けないだろう甘い音声が消されるのは耐え難い。その上私の魔力が強く込められた黒の音石は、今の私にとって希少な依代の1つだ。


 今の私はその音石のリングか、黒の魔力を持つ飛鳥の傍にしかいられない。

 咄嗟に部屋に飛び込んで前足にリングを引っ掛けて窓から塔の真下に向けて飛んだ。



 無事に地に降り立って一目散に逃げた先にアーサーが立っていたのは幸いだった。


『アーサー! 私だ、ダグラスだ!』


 そうテレパシーで呼びかけると、アーサーはマジマジと私を見据えた。

 続けて何故今自分がこういう状態なのかを簡潔に説明すると、アーサーは私を自分の肩に乗せて歩き出す。


『君の器のヒビを治す為にこれからロットワイラーに行く。3年前に君が壊滅させた国境近くの研究所の跡地で最近また不穏な動きが見られる。捜査も兼ねて私が行く事になった』


 ロットワイラー……大量殺戮兵器マナクリアウェポンを開発した愚かな魔導王国。

 3年前、国境近くの研究所というワードから自分の過去の記憶を掘り返す。


『ああ……確か器の拡大や移植を研究をしていた所だったか? 確かにまた研究が再開されているなら何かしら役に立つ物あるかも知れないが……お前一人で行く気か?』

『不確定な情報だからな。私だけで行った方が万が一の被害も少なくて済む』


 絶対にその色でなければならない公爵家と違い、侯爵家はあくまで各地に点在する古代遺産――大魔道具の管理者に過ぎない。大魔道具の性質からその色が望ましい、という面はあるがその望ましい色に近しい色であれば問題無い。


 それ故、侯爵家は時折入れ替わる事がある。

 以前飛鳥を襲った反公爵派の大元の1つであったジェダイト侯の後はヒューイの計らいで侯爵の娘が継ぐ事になったようだが、あの地ももしかしたら名前が変わっていたかも知れない。


『それにあの辺りはコッパー領に近い。次期領主として領地を脅かしかねない危険は見過ごせない』


 この男を一人でロットワイラーに行かせる事には僅かに不安がよぎる。

 この男の強さは信頼に足るものだが、役目を果たした後のが今いち信頼できない。潜入中に余計な事をして外交問題を引き起こされると困る。


『……私も行こう。自分の事だからな。ああ、それと悪いがこの音石をしばらく預かってくれ』


 子猫の腕には大きすぎる音石のリングを前足にかけ続けるのも疲れ、アーサーにわたす。

 子猫と化してしまい何の戦闘能力もないが、頭脳は私だ。アーサーの歯止め役になるついでに研究所に入れば役に立てる事もあるだろう。

 今現在あの国でどういう研究がされているのか、この目で見てみたいのもある。


 だが、この体が滅されたり依代が近くにいなくなったら私は本体に引き戻されるだろう。その辺は気をつけなければならない。


 アーサーは音石のリングを小指に身に着けた。指輪扱いされて非常に微妙な気分になる。

 飛鳥になら指輪にされても良かったのだが、飛鳥に渡すと破壊されてしまう。間違いない。


『それと……私がこんな情けない姿になっている事は誰にも知られたくないから黙っていてくれ』

『分かった』


 そんな会話をした直後、飛鳥が私を追いかけてきた事に驚いた。飛鳥が絶望に打ちひしがれておらず盗聴に対して激怒しているのは予想外だった。

 黒の魔力の安定を解いた時も思ったが、飛鳥は本当にメンタルが強い。この状況で一体何が彼女を動かすのだろう?


 そして飛竜に乗って飛んでも諦めずに追いかけて来た事に重ねて驚かされ、その直後に何者かに連れ去られ魔力を隠された時には血の気が引いた。


『アーサー、戻ってくれ!! 飛鳥がさらわれた! 飛鳥が……!!』


 こんな深夜に街に出た女が捕まったらどうなるか――悲惨な目に合う飛鳥の様々な想像が頭を占めて、私はテレパシーでアーサーに戻るよう叫んでいた。


 近くに飛竜を待たせ、微かな魔力の形跡を追って古びた倉庫の一室で飛鳥を見つけたかと思えば、事もあろうにルドルフの顔に手を当てて何かしていた。


『ルドルフ!!!』


 冷静に考えれば耳打ちなのだろうが、まず真っ先にキスしていると思ってしまった私はやはりテレパシーでルドルフの名を叫びながら威嚇していた。

 ルドルフは目を丸くして飛鳥と距離を取った。


『ダグラス様、誤解です……! 塔を出てきた理由が言いづらそうだったので耳を傾けただけです……!』


 この猫の体はどうにも私の感情のままに反応し、叫んでしまうらしい。

 非常に情けないのでルドルフとランドルフにも私の正体を絶対に飛鳥にバラすなと伝えた。


 そして2人から今の状況を聞き、どうしたものかと思い悩む。白の騎士団が何を考えているのが予測できず、塔に飛鳥を預けておくのも心許ない。


 アーサーに飛鳥をコッパー家で匿ってほしいと頼むと、アーサーは長い沈黙の後に了承した。

 この男は性格や態度こそすっかり変わってしまったが、困っている人間を見過ごせない気質は子どもの時から全く変わっていない。


 青の娘もそこを上手く突けばいいのにそれをしない。気づいてないのか負担をかけてはならないポリシーでもあるのか分からないが、まあ私に助言する義務はない。

 下手に助言して青の顰蹙を買うのは避けたかった。


 こうして私が飛鳥の無事を確保する為にアーサーに頭を下げたのに、飛鳥が能天気に異父弟に言伝すると言い出したのでもう何言っても無駄だなと思ってランドルフに命令して気を失わせた。


 本当に飛鳥には困らされる。他人にうつつ抜かしてないと言うのなら、もっと異性との距離を意識して欲しい。心配だから嫌味を言ってしまうのだ。普通に言っても理解してもらえないから言ってしまうのだ。何故それを分かってくれないのだろうか?


 ヒビが治ったらすぐに番の呪術をかけよう。それまでの辛抱だ――と尻尾をビタ付かせたい気持ちを必死で抑えながら決意した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る