第36話 魔物狩り・1


 早朝、セリアがドアをノックする音で目を覚ます。時計は5時30分を示していた。

 お弁当作りは6時からと伝えていたけど、恐らく私の身支度の事を考えての時間なのだろう。


 寝ぼけまなこでドアを開けると、灰色のブラウスに黒のベスト、濃いグレーのズボンに黒いロングブーツを履いたいつもの服とは違うセリアがそこに立っていた。長い髪もしっかり2つに括られている。

 何より目を引いたのは腰から膝位にかけてぶら下がっている2つの剣。


「狩り用の服です。アスカ様にも同じ物を用意しました。いつもの服よりずっと動きやすいですし、防御と魔法防御の加護が掛けられています」


 質問するより先に差し出された服を着こんで全身鏡で確認する。黒とグレーで統一された服は何処とない高級感と共に何処とない哀愁を漂わせる。

 せめてブラウスが薄灰じゃなくて白なら大分マシになるんだけど。


「相手を近寄らせない、という意味では魔物が嫌う白を基調にコーディネートした方が良いのでしょうが、今回は戦闘に巻き込まれる可能性を考慮し相手の魔力に近い色の加護でダメージを軽減させる事を優先しました」


 なるほど、火属性の敵と戦う時に予め火属性の防具を身に着けるような物か――この世界の魔力って色だけに色々と複雑なんだな、なんて駄洒落が浮かんで消える。


「それなら私だけ白でも良くない?」

「それも考えたのですが……アスカ様にはこれがありますから」


 そう言ってセリアは黒の婚約リボンを取り出した。


「白系統の加護とこのリボンの加護は相性が悪く、互いの効果が半減してしまいます。今日ばかりはこの婚約リボンを付けてくださいね。流石6大公爵家の当主が直に込めた魔除けの加護……効果はこの服よりずっと強力ですから」


 言いながらセリアは鏡台の椅子を引いて手招きする。

 そこまで言われて尚拒否する気も起きず――強く拒否すればまた疑われるし――高い位置で束ねた髪を黒の婚約リボンで括られる。ポニーテールなんて、何年ぶりだろう?


 綺麗にセットされた髪を見た後、魔護具のナイフをベルトに装着していると、改めてセリアの両腰に付けられた2つの剣が視界に入る。


「セリア、その腰につけてるのって剣……よね?」

「そうです。アスカ様をお守りするにはやはり武器を持っていないといけませんからね!」


 剣の長さで言えば少し短い気もする。女性にとっては短い方が扱いやすいからだろうか?

 格好良いなぁと思いながら見つめているとセリアは気を良くしたのかドヤ顔になる。


「さて、ではお弁当作りに行きましょうか!」


 もう少し剣について語ってくれてもいいのに、と思いながら軽やかに歩くセリアの後をついていった。




 昨日も訪れたメイドの給湯室は早朝のせいかまだ誰もおらず、閑散としていた。


 チーズ入りの卵焼き、ゆで卵、ウインナー、野菜とキノコの炒め物、魚のバター焼き、冷凍食品の唐揚げ――は電子レンジらしき物が無く、どうした物かと思ったけどパッケージの隅っこに書いてある「自然解凍OK」の6文字に救われる。


「本来は皇城で招待した方と合流した後、城の馬車で目的地へ向かうらしいのですが先程クラウス様から現地に直接向かう、という手紙が届きました。ダグラス様も直接現地に向かわれるので私達は準備ができ次第出発しましょう」


 セリアからもたらされる情報を聞きながら、鍋には中途半端に残った食材と味噌をぶち込んでお味噌汁――とりあえず食材を使いきる事を目的に目いっぱい作る。


 一人暮らしという事もあって日頃から大量に買い込んでる訳じゃないけど、冷凍庫冷蔵庫の食材をありったけ使うとそこそこの量になった。

 お味噌汁は朝食としてセリアと一緒に消化しつつ、残りを蓋つきの容器に詰めてバスケットに入れ終わる頃には7時近くになっていた。


「厨房からパンだけ分けてもらいました」


 いつの間にか傍を離れていたセリアが持ってきたパンもバスケットに入れ、ダグラスさんに返す冷蔵箱の中に入れる。

 それをセリアに持ってもらって城の前に出ると、晴れわたる空の下、馬車が3台待機していた。


 『合流してから出発』というセリアの言葉通りなら、既に1台は出発している事になる。

 誰が早く出たのか気にかかったものの時間が押しているので早々に馬車に乗り込む。


 馬車が動くと同時に、窓の向こうで優里とネーヴェが金髪の青年と城から出てくるのが見えた。

 おそらく、あれがレオナルド――だけど遠目からじゃ金髪って事しか分からない。その上黄色のマントを纏っているから優里より背が高くて、背中に大きな剣を携えている事から剣士っぽい、という事位しか分からない。


 遠ざかっていく彼らの観察を諦めて前に向き直ると、窓の向こうに鮮やかな真紅の馬車がこちらに走ってくるのが見えた。

 馬車がすれ違う瞬間にアシュレーのお父さん――あの大柄な中年貴族が乗っているのが見えた。


(……何かあったのかしら?)


 もう少し出発を遅らせれば状況が分かったのかな? と思う私の意識に反して、馬車は段々と城から遠ざかっていった。




 皇都を抜け、舗装された道が段々荒くなっていくにつれて馬車の揺れは大きくなる。

 周囲の景色は森を抜け草原に出て、また森に入り山道を抜け――目的地らしき遺跡に着いた時には10時を回っていた。


 黒い箱を残して馬車を下りると、折れた石柱や苔むした壁から崩れ落ちた石がそこら中に転がっている。

 まさにロールプレイングゲームに出てくるような、過去に栄えたんだろう事を思わせる遺跡だ。


 だけど、キョロキョロと辺りを見回してみてもダンジョンに付き物の魔物らしき姿は無い。代わりに昨日見た白い馬車が止まっているのを発見する。


(ダンビュライト家の馬車……という事は、クラウスは既に来てるみたいね)


 早速クラウスと合流しようと馬車の方に近づくと、突然「アスカ!」と真下の方から呼びかけられた。

 声がした先を見下ろすと崖の下で美しい純白の弓を持ったクラウスとお馴染みの全身甲冑の騎士が立っていた。


「周囲の魔物は一掃したから、早く中に入ろう!」


 クラウスの足元には地中に降りる階段があった。おそらくあれが地下への入り口なのだろう。クラウスの言葉に従い、いくつもの階段を下りてクラウスと合流する。


「それじゃエレン、後は僕達だけで行くから」

「クラウス、意地を張るな!! 私が付いていく事の何がそんなに気に入らないんだ!?」


 甲冑の中から聞こえる声は少々くぐもっていたけど――予想外にも若い女性の声だった。


「エレン……何度も言うけど、女性の護衛が見守ってる中でツヴェルフの為に戦う貴族なんて、笑い者でしかないだろう……!? エレンはここで待っていればいい。時間になっても僕達が戻って来なかったら探しにくればいいだけの話じゃないか!」

「万が一ここでお前が倒れたらツヴェルフ達も死ぬ事になるんだぞ!? 戦いは遊びじゃないんだ! 下らない意地を張ってないで、もっと慎重になれ!」


 エレンと呼ばれた女性騎士とクラウスの関係は私の想像していた主従関係とはかなり違うようで、その険悪なムードに段々居心地が悪くなっていく。


「えっと……じゃあ先に行ってるから、話が解決したら来てくれる?」


 この喧嘩を見続けるのが嫌で、先に行こうとするとクラウスに手を掴まれる。


「あのね、君が先に入ったら、守れないでしょ!?」


 言いながらクラウスは階段を下りていき、手を掴まれている私もそのまま降りていく。

 慌ててついてくるセリアの後ろで甲冑の騎士も着いてこようとしたけど――クラウスが手を掴んでいない方の手をかざして白い魔法陣を浮かび上がらせて何かしら呟いた。


 その瞬間、入り口に淡く輝く魔法陣の壁が現れる。


 騎士は中に入って来れないようだ。クラウスに向かって叫ぶ声が徐々に遠くなる。

 外の光を失うにつれて奥が見えなくなる中、セリアが柔らかく青い光を、クラウスが強い白の光を傍に浮かび上がらせた。


「……クラウス、どうしたの? 何をそんなに焦ってるの?」


 騎士の声が完全に聞こえなくなってもなお、クラウスは私の手を離さない。流石に手が痛くなってきたので、掴んでいる手をそっと掴む。


「私、クラウスが戦闘向きじゃないのは聞いてるし……あの人が付いてくるって言ってるんなら付いてきてもらえばいいのに……」

「僕にはこの弓もある。魔法だって色々使える。エレンがいなくても何の問題もないよ」


 明らかに機嫌悪そうな言い方は初めて会った時を思い起こさせる。あの時と同じようにクラウスは何かに苛立っている。

 その苛立ちが<私>に向いていないだけマシではあるんだけど――それでもあまりいい気分じゃない。


 次の言葉を紡ごうとした時、クラウスがシッ、と自分の指先に人差し指を当てる。


「……少し下がって。ゴブリンがいる」


 狭い遺跡の通路の奥は薄暗くて何も見えなかったけど、クラウスが指先で一瞬チカッと魔法陣を発動させたかと思うと、ずっと先の闇まで晴れていく。


 そこには、十に足りるかどうかのゴブリンらしき魔物達がいた。


 全身が暗い緑の皮膚で覆われた小柄で細身の、だけど大きな木の棒や折れた剣を持って爬虫類のような大きな瞳で、ギロリとこちらを睨んでいる。

 その瞳に殺気を感じた瞬間、数分前までの余裕が瞬く間に失せていく。


 ゲーム画面越しからは感じられなかった殺気が、今ここに満ちている。そして初めてこの目で捉えた異質な存在に、足が震える。


(……ヤバい。こんな足じゃ、まともに動けない)


「大丈夫……こんな奴ら一瞬で消してあげるから」


 私の手足が震えているのを察したのか、クラウスが優しい声で呼びかけてきた。

 そして、魔物達に向けて持っていた白い弓をつがえる――だけど、その指先にはあるべきはずの「矢」が無い。


 矢がないのに、一体何をしようとしているんだろう――そう思った時、弓を握る部分に白い魔法陣が浮かび上がった。


「さよなら」


 魔法陣から放たれた、輝く純白の矢――もはや矢というよりは光線に近い――が、轟音と共に通った先のゴブリン達を塵のように消滅させていった。



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