第92話 異世界での修学旅行・4


 蝙蝠の羽が生えた猫のブローチは全体が銀色で覆われていて、目の部分には黒く輝く宝石が飾られている。

 これは何をモチーフにした物か聞いてみようとカウンターに佇んでいる年配の男性店員に声をかけようとした時、


「アンナ、建物の中に入る時は一言言ってくれ! 心臓に悪い!」


 ドアが勢い良く開き、慌ただしくアシュレーを先頭にした男性陣が入ってきた。


「ネーヴェ、この生き物って何?」


 リチャードがソフィアの方に歩いて行ったのでネーヴェに問いかけるとネーヴェは少し怪訝な瞳で私が指さした物を見据える。


「それはペイシュヴァルツ……漆黒の大猫と呼ばれる黒の色神です」


 予想通りの名前が出たけど――その後に続いた説明に違和感を覚える。


「色神……ペイシュヴァルツが?」

「ご存じなかったんですか? 魔物狩りで死霊王と遭遇した際、ペイシュヴァルツにアスカを護らせたとセレンディバイト公より報告を受けていますが」


(何の説明も無いからてっきり使い魔だとばかり思い込んでたわ……あの人、本当に私に重要な事を説明しないな……)


 故意なのかうっかりなのか分からない分、余計にイラっとさせられる。


「……じゃあ、これは?」


 ペイシュヴァルツの隣にある、両翼を広げた鷲のような鳥のブローチを指さす。こちらの目の部分は白く煌めく宝石が嵌められている。


「それはラインヴァイス……純白の大鷲と呼ばれる白の色神です」

(重要な事を言わないのは兄弟そろってか……まあ、クラウスが言いたくない理由は何となく分かるけど……)


 モヤモヤする気持ちを抱えつつ、ここに来た目的を改めて思い返す。


 あの人の贈り物としてペイシュヴァルツのブローチはなかなか良い線いってるのではないだろうか?

 寵愛ドレスはもう貰えないだろうから贈り物なんて意味が無いかもしれないけれど、何かあった時のご機嫌取りに使えるかもしれないし、買っておいて損はない。だけど――


「……何を悩んでるんです?」


 質問した後、急に無言になってブローチを見つめだした私が気になったのか、ネーヴェが訝し気に見上げてくる。


「……ブローチ、可愛いなって」

「銀貨1枚です。ダンビュライト侯から貰ったお金で買えばいいじゃないですか」

「でもねぇ……スカーフも買ったし、ちょっとした物も買ってるのに人のお金でこれ以上あれこれ買うのも悪いかなって」


 ペイシュヴァルツのブローチはともかく、隣のラインヴァイスのブローチまで買うのが少し気が引ける。でも。


「ソフィアはいっぱい買ってます」


 ネーヴェの言葉にちら、とソフィアを見やると、ソフィア自身は手ぶらだけどあれこれ買った物を全てリチャードに持たせている。


「ソフィアはソフィア、私は私」


 ショーケースに目を戻し、どうしたものかと小さくため息をつく。


「……ソフィアは分からないそうです」

「何が?」


 突然のネーヴェの呟きに、反射的に問い返す。


「愛する人に裏切られた時に、子どもを見捨てるかどうかなんてその時になってみないと分からないそうです」

「お前まだそんな変な事聞いて回ってるのか?」


 ネーヴェの呟きにアンナの隣でショーケースを眺めていたアシュレーが反応する。


「アスカは帰る、アンナは帰らない、ユーリとソフィアはその時になってみないと分からない……同じ質問なのに、何でこんなに答えが違うんでしょうか? アスカとアンナは何故、その時になってないのに答えを出せたのですか?」


 正解なんてない質問に対する答えは皆違って当たり前なのに、ネーヴェはそれが納得いかないようだ。


「私はその状況でも地球に帰るよりこっちの方がマシだと思ったからです。だから子どもがいなくても地球に帰らないと思います」


 アンナの言葉に、アシュレーとネーヴェは少し驚いた顔をする。


「私は、こっちにいるよりは地球に帰った方がマシだと思ったからだわ。結局、地球とル・ティベル……どっちが自分に都合が良い世界かどうか、って話よね。愛だの子どもだのはそれに対する追加要素でしかない」


 アンナのお陰でどう言語化すれば良いか分からなかった感情がまとまる。この質問でソフィアが「分からない」と言ったのは意外だけど。


「……この世界は、アスカにとってそんなに都合が悪い世界ですか? 今、生活には何一つ困ってないはずです。パートナーの愛情を一身に受けられない事はそんなに辛い事なのですか?」


 やはり私が否定的な答えを出すのが気に入らないのか、ネーヴェは眉を潜めてこちらを見据えてくる。


「そうね……一妻多夫に一夫多妻、<恋愛>と<子づくり>は別……この価値観は本当に合わないわ。その上何不自由ない生活を唄っておいて実際は勝手に街にも出られやしない、優しく丁重に扱ってくれる割には囮にされる、しかも初夜はメイドに聞かれる……この状況は都合が悪いどころの話じゃないわ」


 子どもの事から剣や魔法のファンタジーの世界に憧れはあったし、異世界召喚の物語に夢見た事もあるけれど――ここに来て初めて<召喚された世界が自分に都合が良い場所だとは限らない>なんて当たり前の事に気づかされた。


 召喚されたタイミングもあるけれど。召喚先の容姿端麗な男達と恋に落ちられるような状況じゃないってのもあるけれど――まさか自分が(異世界に召喚されたけど価値観が合わないから帰りたい)なんて、思う日が来るとは思わなかった。


「……そうですか」

「そもそも貴方達は私達を何だと思ってるの? ツヴェルフ、ツヴェルフって言う前に、ちゃんと一人の意思のある人間として扱ってほしいんだけど?」

「……そうですね。意思の無い人間だったら、人の物を盗んだりはしな」


「待ってください……!! あ、あの、初夜をメイドに聞かれるって、どういう事です……!?」


 ネーヴェの不穏な呟きは、驚愕の表情で叫ぶアンナの声にかき消される。


「アンナ聞いてないの? 初夜の時ってツヴェルフが助け求めた時にすぐ助けられるようにメイドが部屋の前で聞いてるんだって」

「えっ……え!?」

「アンナ、知らなかったのか?」


 きょとん顔のアシュレーにアンナの顔の赤さが更に増す。


「あ、アシュレーは知ってたんですか!? ……やだ、私、恥ずかしい……!!」

「ど、どうした!? えっ、おい、アンナ!? ちょっ、ちょっと待てよ!!」


 口元を片手で抑えてバタバタとアンナが店を飛び出し、慌ててアシュレーが追いかけていく。

 カランカランと鐘の音が空しく響く中、知らない方が幸せだった事を告げてしまった罪悪感を感じつつ、静まり返った店内を見回す。


「あれ? ソフィアとリチャードは?」

「さっき2階に上がっていきました」


 店内に他に客がいた訳でもなく1階にはネーヴェと私、顔を真っ赤にしながら2回へ上がる階段の方を指さす優里、カウンターに立ってこちらの様子を訝しげにうかがっている店員だけになる。


「アスカ、日記には何が書いてありましたか?」


 アシュレーとアンナのやり取りで流してくれるかと思ったが、ネーヴェが決定的な事を問いかけてくる。


「……日記?」

「……とぼけても無駄です。貴方が日記を持っていった事は分かっています」


 私を見るネーヴェの視線が厳しい。この感じはカマかけではなく本当にバレている。言い逃れ出来そうにない。


(箱の中身はパッと見た上手く誤魔化せていたはずなのに……)


 私が来る前に箱の中身を一通り確認していたのだろうか? ああ、今はそんな事より今この状況をどう乗り切るかだ。


 アシュレーとリチャードがこの場にいないのはありがたいけど、ここには店員がいる。

 ここで話すのはあまり良くない。チラ、と優里を見やると優里は小さく頷いてネーヴェに向き直る。


「ネーヴェ君……ちょっと場所を変えよう?」


 優しく声をかける優里の手を振り払ったネーヴェの手は、私の顔の方へ向けられる。


「その必要はありません。アスカが言わないなら、頭にその日記の内容を問うだけです」


 ネーヴェの手に淡く浮かぶ灰色の魔法陣が、あの時の物と重なる。


「アスカ!!」

 

 自分の名が叫ばれたのを認識した瞬間、眩い閃光に襲われて視界が真っ白になる。


 目が元の視界を認識すると同時に声がした方を振り向くと、ドアの前で息を切らせたクラウスが、こちら側に向けて淡く光る右手を伸ばしていた。


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