第54話 誘惑は計画的に


 膝枕されるつもりはなかったんだけど、ダグラスさんの服の滑りが良くて、なし崩しに膝枕の状態になってしまった。


 でも、この感触結構心地良いな――って思ってたらダグラスさんの動揺した声が落ちてくる。


「あ、あの、飛鳥さん、この体勢はちょっと……」

「……私、前にダグラスさん膝枕した事あるんですから、私が膝枕されたっていいじゃないですか」


 この感触から離れるのが嫌でちょっと駄々をこねてみると、ダグラスさんは困ったような顔をして一つ息をつく。


「……では、せめてクッションを」

「いらないです」

「私が必要なんです……!」


 必死な感じで言われるから渋々頭を上げると、大きなクッションを挟まれる。

 ポフ、と頭を載せてみたけど何だか収まり心地が悪い。


 さっきの感触が名残惜しい気持ちと、私を膝枕するのに何でクッションが必要なの? という疑問が混ざり合って苛立ちが募る。


(本当……この世界の人達はおかしい)


 下着で魅了されたり、コスプレでデレデレになったり、膝枕にクッションが必要だったり――本当におかしい。


「……すみません。カチューシャを付けてなくても今日の飛鳥さんは一段と綺麗です。私の為に色々努力してくださって、ありがとうございます」


 落ちてくる言葉は一生懸命言葉を選んだのが伺えるけど――努力したのはさっき私が言ったからで(言った後で褒められてもなぁ)なんて自業自得とは言え微妙な気持ちになる。


 喜んでくれるなら、と思って猫耳カチューシャ付けたし、実際喜んでくれたのは嬉しかったんだけど――その喜び様が異様で、つい引いてしまったというか。

 他の努力は一体何だったんだって寂しくなっちゃったと言うか。

 

「……ごめんなさい。ダグラスさんが自分と同じ色の下着に魅了されたり、コスプレに興奮する人種なのは分かってるんですけど……」


 この微妙な気持ちと微妙な空気を作り出してるのは自分なのは分かってるから、誤って素直に自分の気持ちを吐き出そうとすると、ダグラスさんが少し前かがみになって、真剣な声が落ちてくる。


「飛鳥さん……私を見境無い変態みたいに言わないでください。私は飛鳥さんの下着にしか魅了されませんし、飛鳥さんのコスプレにしか興奮しません」


 至近距離で見下してくる、困ったように眉を潜めたダグラスさんはこんな角度アングルからでもカッコいい。

 逆に自分がどう見えているのか恥ずかしくなって、顔を横に向ける。


「私、ちゃんと人種って言いました。ダグラスさんだけ変態扱いした訳じゃありません」

「……それはそれで、この世界の人間まるごと変態扱いされているようで……地球の人間は好きな人の下着やコスプレに全く反応しないのですか?」


 そう言われると――自分はそこまで反応しないけど、好きな人がそういう事したら嬉しい人達がいるって何となく分かるし、否定はできない――


「……ごめんなさい」

「いえ……こちらこそ、飛鳥さんの私へのサプライズに対する努力や気持ちに配慮する事が出来ず、すみませんでした」

 

 謝罪を重ねる事の恥ずかしさが更にこのクッション付き膝枕の居心地を悪くする。

 けど、ホッとした様子のダグラスさんの声と恐る恐る、といった様子で髪を撫でてきたから逃げる気にもなれなくて。


 でも口を開いたらまた何か嫌な言葉が出てきちゃいそうで――続く言葉も紡げない中、ぼんやり部屋を見ている内に壁時計が目に入った。

 もうクラウス達がサウェ・カイム目的地についててもおかしくない。


(もしクラウス達がシャニカを捕まえるのに失敗したら……)


 今どんな状況なのか全く分からないのが恐い。

 スマホとか通信機があれば<今着いた>とか<捕まえた>とか<失敗した>とかすぐに分かるんだけど――

 リアルタイムで何が起きているのか分からない不安は向き合えば向き合うほどじわじわと心を侵食する。

 

(不安はある、けど……今は、クラウス達を信じるしか無い)


 私はここでダグラスさんを抑えるって役目があるから、一緒についていく訳にはいかなかったけど――こうして安全な場所で髪を撫でられてる自分がすごく歯痒い。


(誰かに運命を託すって、結構怖い事なのね……)


 シャニカがもし過去に戻ったら、この世界は平行世界として変わらず時を刻んでいくのか、それともリセットされるのか――リセットだったら全て終わってしまうのにそれでも不安に押し潰されないのは、きっと大丈夫って思えるから。


 魔物狩りの時に比べてクラウスは凄く成長してるし、ヒューイの魔道士としての力や結構頭回る所は何度も見てきたし、アクアオーラ侯だってセリアが言うには魂分離させて両方のシャニカ嬢を助ける事が出来るかもしれません、って言ってたし。

 自分の妹が助かるかも知れないって分かったら、きっとモニカさんだって、協力してくれるはず――


(不安はあるけど、それに押し潰されないだけの希望もある……だから私は、私に出来る事を成し遂げるだけ)


 そう改めて決意して、ダグラスさんの為すがままに髪と頬を触れられる。

 優しく撫でてくる手付きが心地良いな――なんて考えている内に、


「……あの、飛鳥さん……寝室に行きませんか?」

「……え?」


 動揺して、咄嗟に起き上がる。こちらを見るダグラスさんは微笑んでるけど、優しい目の奥にあるのは――熱情。


「……ごめんなさい、あの、今日はちょっと、まだ……」

「そ……そうですか。てっきり……」


 言葉の続きを言われなくても分かる。このソワソワした雰囲気を醸し出されたらつまり、そういう事なのだと。


 でも――流石に、クラウス達が頑張ってる時にそんな事する気にはなれない。

 ただ、そっちの展開を期待していたらしいダグラスさんは顔が固まっていて、明らかに落ち込んでいる。


「……ごめんなさい」


 もう一度謝ると、ダグラスさんはゆっくり顔をそらした。

 そして言うべきかどうか悩んでいるのか、困惑した顔で口を開いて、閉じてを繰り返し、微妙な沈黙が流れた末にいつもより小さな声を紡ぎ出した。


「……あの、飛鳥さん。怒らないで聞いてほしいのですが、その気がないのなら、こういう、男を誘惑するような態度を取らないで頂きたい……!」

「……誘惑するような態度?」

「男の胸に頭を寄せてそのまま膝枕に持ち込んだり、髪や顔に触れても嫌がらない態度の事です……!!」


 語気が荒くなったダグラスさんの顔は真っ赤で、何て返せばいいのか分からない内に、ダグラスさんは一つ深呼吸をして言葉を続けた。


「あ……あまり飛鳥さんに性的な事を言いたくないのですが、私も男です。好きな女にサプライズと称してコスプレされたり、誘惑まがいの行動を取られたら本能が刺激されて、色々期待してしまいますので……!!」

「……ご、ごめんなさい」


 何だかさっきからごめんなさいばっかり言ってる。

 けど、さっきの膝枕はちょっと寂しくて悔しくて、甘えて昇華させたかっただけで、性的な意味は全くないというか――それを性的な方向に捉えられるのはちょっと納得いかない。


「……誘惑したつもりはなかったんです。地球で恋人達が性的な意味なく膝枕するのは、普通の話で……」


 でも、ご機嫌取りの猫耳カチューシャだけならまだしも、片腿に頭を乗せる一連の仕草は恋人だからこそ許される仕草で。

 他人同士の男女で女性側が同じ事してたら正直、誘惑してるなとしか思わない。


(……でも、ダグラスさんとは恋人同士な訳で……他人同士じゃない訳で……)


 そう。ダグラスさんとは恋人同士な訳で。それを分かってもらうにはどうしたらいいんだろう?


 性的な意味がなくても傍にいたいし、触れたい――こう、心の触れ合いっていうか温もりっていうか、そういうのを分かち合いたいっていうこの感情を分かってもらうには――


「あの、ダグラスさん……エッチな事は出来ないですけど、一緒のベッドで寝たいなとは思って」

「飛鳥さんは男というものを本当に分かっていない……!! だから平気で男を性欲と理性の混沌に突き落とすような真似が」

「ダグラスさんこそ、私の気持ち、全然分かってない……!! そりゃあ他人の太腿に頭乗せたらほぼほぼ誘惑だろうけど!! でも、恋人の太腿に頭乗せるのは誘惑じゃない時だってあるの!!」

「ゆっ……ゆ、誘惑じゃない時、という事は……誘惑の時もあるのでしょう!? そ、それなら、誘惑じゃない時は最初に『性的な意味はありません』って言ってください……!!」

「そんなのっ……」


 いちいち性的な意味はないって言うなんて、なんか――恥ずかしいし、なんか、変――


 ダグラスさんの言葉が私の言いたい事とあまりにもズレてて、頭が沸騰しそうな位熱くなった所で一つ大きな深呼吸をして、溢れ出そうになる言葉を抑える。


 何で分かってくれないのかなって思うけど――赤の他人にやれば誘惑で、恋人にやったら誘惑じゃない時もあるって、自分で言っててもややこしいなって思うし。

 ダグラスさんが誘惑行為してきて、私がその気になった後で「そんなつもりじゃなかった」って怒られたら――納得いかないし。


「……私、今日はもう寝室行きますね。夕食も一人で寝室で食べます」

「あ、あの、飛鳥さん、私は」


 立ち上がった私の手を縋るようにダグラスさんが掴む。不安そうなダグラスさんの手に自分の手をそっと重ねて振りほどく。


「分かってます。私も怒ってる訳じゃなくて……ちょっと一人で頭冷やしたいんです。ダグラスさんの事が嫌になったとか、そういうのじゃないですから……安心してください」

「……そうですか。その……私も、言い過ぎました。ここで一晩頭を冷やします」


 肩の力が抜けたダグラスさんの声は、心から安堵した事が伝わってきて――すぐにでも仲直りしたい気持ちが滲み出たけど、私も心の切り替えが上手くできなくて。


「……不安になってツノとか生やさないでくださいね? それじゃ、お休みなさい」


 ツノが生えそうな部分にギュッと手を押しあてた後、寝室に入る。




 寝室を淡い星明かりが照らす中、広いベッドに横になる。

 ベッドに顎を乗せるロイの頭を撫でている内に、大分心も落ち着いてきた。


(……ダグラスさん、何だか以前のクラウスに似てきたなぁ……)


 私に縋るような目も、力無い声も――変わる前のクラウスと重なる。

 ダグラスさんがそうなったのは、きっと私に対して大きな不安を抱えてるから。


 ――この感覚自体は最近……私の中から白の核が抜けてからハッキリ感じるようになりました。どうもこの感覚は不安に反応するようで――


 ――貴方が1節おきにアレの所に行く事は自分なりに納得しているつもりです。ただ、私が大切にしているものが誰かに奪われてしまうのではと、心変わりしてしまうのではないかと、不安になる――


 黒の魔力は不安に凄く敏感で心の中を掻き乱す。精神が侵食される感覚も私自身体感してる。

 ダグラスさんにとっては生まれながらに持ってるものだし、私よりもずっと黒の魔力に対して強い耐性を持ってるんだと思う。

 だけど――ダグラスさん本人が不安になったら、黒の魔力が彼に牙を剥く可能性だってある訳で。


 そんなダグラスさんに『これから私達の間で何かがあって、ダグラスさんが暴走して世界崩壊するかも知れない』なんて、到底言えない。


(じゃあどうするかって話なんだけど……)


 良い答えが出ないまま、セリアが夕食を運んでくる。

 また喧嘩して……と呆れられるかな、と思いきや、セリアは笑顔だった。


「……ダグラスさんとまた衝突した」

「そのようですね。ダグラス様、頭抱えておられましたので」

「……セリア、呆れてるでしょ?」

「いいえ。衝突は予想の範囲内ですから……ですがお互い頭を冷やしたい、と一歩引き下がって……お二人とも成長されたなぁと感動してます」


 そんな微妙で優しい言葉をかけられながら食事を終えて、お風呂に入る。


 今の所、何の変化も起きてない――って事はクラウス達はシャニカを捕まえる事に成功したんだろう。


 あるいは、シャニカが過去に戻ったけどこの世界はこの世界で時が進んでいるのか――何にせよ、一番怖いリセットの危機からは逃れられたとみて間違いなさそう。


 少し心が落ち着いてきた辺りでお風呂から上がり、セリアから着替えを受け取る。


 お互い、ペイシュヴァルツを警戒してクラウス達の話を一切出さずにいるけどセリアが上機嫌なのも(とりあえず危機は抜け出せたっぽい)と思ってるからだろう。


「それでは、アスカ様……後の事は私に任せて、今夜はゆっくりお休みください」


 セリアがそう言って部屋を出ていく。静かになった部屋でまたベッドに横になって、改めてこれからの事を考える。


 ダグラスさんの不安を取り除くには私が一妻多夫じゃなくなって、ダグラスさんとしかそういう事しない、そういう関係にならないのが一番良いんだろう。


 でも、強制出産刑はこの国が私のこれまでの罪に対して課した刑だ。私の罪をその刑で償えるというのなら、逃げたくない。

 マリーやルクレツィアに人数を肩代わりしてもらってるのに、元凶の私がそれを覆すような真似も絶対したくない。


 良い方向に変わり始めてるクラウスの手を振り払う事も、もうしたくない。ヒューイとの契約違反にもなるし。


 ダグラスさんの不安を取り除きたいけど、ダグラスさんだけを選ぶ事も出来ない。


(……それなら、その中で出来る事をやるしかない)


 まだ自分の身を守るだけでもいっぱいいっぱいな私に何が出来るか、どうすればダグラスさんを不安にさせずに、かつ、いつか来る世界崩壊の危機を乗り越えられるか――


 段々夜が明けてきて、寝なきゃって思っても考えることが止まらなくて。

 結局、空がすっかり明るくなるまで考えてる内にノック音が響き、セリアが入ってきた。


「おはようございます、アスカ様。ダグラス様は昨夜遅くにペイシュヴァルツに乗ってアクアオーラ領に向かわれたので、恐らくお昼過ぎまで帰ってこないと思われます」


 ――――え?


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