第139話 男が捨てた倫理と


「待って、私何の役にも立たないから、まず誰かを……」


 人魂に助けを求められるこの状況――正直、私の方が誰かに助けを求めたい。

 ここから一番近いのはセリアの部屋。業務時間外な事に気が引けるけど、助けを求める相手としても最適――と足をそちらの方に向けると、


『だ メ』


「でも私だけで助けられる気がしな」


『タ す ケ て』


「ええー……」


 意外と我儘な人魂に思わず声を漏らすと、人魂が不自然に揺れ動いた。

 怒ったのかと身構えると、壁をすり抜けて通路に入り込んで階段の方に移動する。その先には――


「あ、ルドルフさん……」


 通路には窓から差し込む青白い星の光が微笑む彼を照らし出す。

 そして人魂が彼の手に引き寄せられる、触れるか触れないか――と言った所で半透明の赤黒い球体に包まれた。


「アスカ様、夜ももう遅いです。部屋に戻ってお休みください」

「でも、それ……」


 彼の滑らかな喋りに少し違和感を覚えつつも赤黒い球体の中でうにょうにょと蠢く人魂が気になり、指差すとその球体は不透明になって人魂の姿が見えなくなった。


「ご安心ください。これはこちらで処分しておきますので」


 ルドルフさんはサラリと答えた後、笑顔でそのまま頭を下げる事なく背を向け、階段を下りて行った。


 タすケて――突然の人魂と突然の人魂回収で呆然とする中、再び魂の声が心でこだまする。

 <処分>という言葉がどういう意味かなんて、誰にだって分かる。


(……このままに、しておけないわよね……それに、部屋の物音だって解決してないし……)


 先程魂は執務室の方に誘っていた。何となく人魂もそこに連れていかれたような気がして、恐る恐る階段を下りていく。

 もしまたルドルフさんに遭遇したら『部屋で物音がしたから着いてきてほしい』と言えばいい。


(執務室に明かりがあったって事は、ダグラスさんもまだ起きてるんだろうし……そんなに危なくは、ない、はず……)


 そう思ってしまうのは、惚れた弱み――愛されている自信、からだろうか?

 この思考も他人から見れば、お花畑、と言われるのかもしれない。


(ダグラスさんにルドルフさんを止めてもらって……ついでに部屋も見てもらえば……)


 そうして執務室の前に立ち、ノックしようとした手が止まってしまったのは、さっきの悪夢の影響だろうか?

 全身を刺すような痛みは一瞬の物だったけれど、二度と味わいたくない痛み。


 あの夢は、本当に、夢だったんだろうか――? 渦巻く不安を否定したい気持ちが執務室の扉を開かせる。



 窓から青白い星の光が差す中、机に並べられた深い青と暗い緑、先ほど見たのと同じ黄緑の3つの人魂らしきものが並んでいた。

 それには黒い刃の様な物が幾重にも刺さっている。


 そこまで把握したところで机にかけてあったらしきマントでそれらを覆い隠された。


「飛鳥さん……どうしました?」


 青白い星の光に照らされたダグラスさんの顔はいつにない位神秘的だけど、どんな表情をしているのかまでは把握できない。ただ、声は穏やかだ。


「いえ、あの……それが浮いてたので……」


 マントに隠される前に黄緑の人魂があった場所を指さす。


「何の事ですか?」


 冷淡な言い方にゾクりと悪寒が走る。これは――こちらからハッキリ言わなければ誤魔化される。


「それ、悪い人魂じゃないと、思うん、です、よね」


 圧を感じながらも、紡ぎ出す。


「……悪い人魂です」


 ダグラスさんの冷たい言葉と同時に机にマントに黒い刃が突き刺さり、言葉にならない悲鳴があがる。


 その切実な叫びに咄嗟に駆け寄ってマントを剥がそうとするとまた魔力で動きを止められ、その弾みで魔護具のナイフを手から落としてしまう。


「飛鳥さん……これは助ける価値も庇う価値もない物です。まして守る必要などない」

「な、何の説明もなくそう言われても、従えません……!」


 そう言い切った瞬間、また黒い刃がマントに刺さって悲鳴があがる。


(何なの……何が起きてるの……!?)


「だ、ダグラスさん、説明してください……! 一体ここで何してるんですか……!?」


 近づいて見る彼の顔は何の感情も宿していない。その態度に一層恐怖をあおられる中、彼は一つため息をついた。


「……これらは貴方を襲った暗殺者の魂です」


 ダグラスさんがそのままマントを剥ぐと、幾重にも刃が刺さった人魂が再度姿を現した。

 人魂の下にはそれぞれ黒い魔法陣が敷かれていて、動きを拘束されているようだ。


「貴方の為に反公爵派を潰そうと決めたものの、暗殺者は貴方が襲撃された際に殺してしまっていたので大元を洗い出すのに困りましてね……そんな時、先日魔物狩りで手に入れた死霊王の本に肉体から魂を抽出する方法が書いてあったのを思い出したので使ってみたんです」


 ヤバい本持って帰ったなとは思ってたけど、本当にヤバい事書いてあった。


「魂という物は実に面白い……まだ全て解明できた訳ではありませんが、死霊と同じで物理攻撃は通じない事、魔力で攻撃した際に回復が早い事……回復力や耐久力の限界を超えれば消滅するみたいですが消滅さえさせなければ長く痛めつける事ができる……」


 恐ろしく残酷な事をとても嬉しそうな表情でダグラスさんは語っている。その姿に、私の足が小さく震えだす。


「襲撃者は仲介者を知っている。仲介者は依頼主を知っている。依頼主はその繋がりを知っている……魂に手を出せば大元を洗い出すのは簡単でした。魂は鍛えられるものではありませんからね。自分が半永久的に痛めつけられると知ればどんな屈強な者でも口を割る……」


 自分の言葉に酔い、黒い刃に貫かれた球体を眺めて悦に浸っているこの人は、今、私がどんな顔をしているのか気づいているのだろうか?


「……酷すぎませんか?」


 軽蔑の意味を込めて呟くと、また黒い刃が魂に突き刺される。このペースで刺さってたら朝には3つともウニみたいになってる気がする。いや、その前に消滅しそうな気がする。悠長な事言ってないで止めないといけない。


「皇太子や2人の公爵からも倫理に反する非道な行いだと散々言われましたが……貴方の命の前では倫理など無意味……いや、それがあるから貴方を守れないのであれば倫理など邪魔でしかない」


 当然のように語る言葉が苛立ちを煽る。私を守る為と言っても、限度がある。守られる立場にだって、守られ方に口を出す権利位はある。


「それなら……もう反公爵派はいなくなったんですから痛めつける理由もないはずです……もう解放してあげてください……!」


 刃が黄緑の魂に突き刺さり、言語化しづらい悲鳴が頭の中に響く。


「ダグラスさんやめて!! もう攻撃しないで!!」


 叫ぶとまた突き刺さる。頭に響く悲鳴が、酷い耳鳴りを伴わせる。


「あまり私を怒らせない方が良い……私の怒りや不快感に反応して自動的に刃に具現化してこいつらを攻撃するような陣を組み込んでありますから。私を怒らせれば怒らせるほど彼らを傷つける事になりますよ?」


 優しい顔で言い捨てられたダグラスさんの言葉は一度聞いただけでは理解できず、押し黙ってその言葉を反芻する。


 確かにダグラスさんが黒い刃を出している感じはしなかった。私が喋る度に宙に現れて人魂を突き刺すそれはつまり――私が攻撃しているのと同じ事になる。


(そんな事言われたら……もう何も言えないじゃない……!)


 どう言えば黒い刃が出ないかを必死に考えている間にダグラスさんはふぅ、と小さく息をつく。


「痛めつける理由ならあります……私が飛鳥さんへの罪を償ったように、彼らにもちゃんと、罪を償ってもらわなくては……ねぇ?」


 私が押し黙った事で、彼の緩んだ口元から震えを感じる言葉が紡ぎ出される。


「どういう、意味ですか……?」


 叫びたい気持ちを抑えて口に溜まる唾を飲み込み、刺激しない言葉を選び取る。


「襲撃しようとした事に対しての罪なら、死で十分じゃないですか……?」


 自分で言っておきながら『死で十分』という言葉もかなり恐ろしい言葉だなと思う。


「貴方を襲撃しようとした罪と、私と貴方を引き裂いた罪は別です。後者の罪は単なる死では償いきれない……そこで、この怒りを魔力で具現化して魂を攻撃する方法を思いつきました。」

「何でそんな事を……? 私達、仲直り、した、じゃないですか……? それで、いいじゃないですか……?」


「……私が貴方と愛し合うのに必要なんです」

「え……?」


 嬉々として語るダグラスさんと、自分でも震えてるのがわかる位暗い声の落差が、怖い。


「私も、貴方を愛している……しかし、貴方のふとした言動が私を苦しめる……生意気な態度や自分勝手な態度に苛立たされ貴方をどうにかしたくなる……! でも、そんな事をすれば、私は貴方に嫌われてしまう……もう二度と、大嫌いだと突き放されたくない……私は、貴方に、嫌われたくない……!!」


 私への怒りを他人の魂にぶつけて嫌われないと思ってるんですか!? ――それを言えば地獄を見そうで、言えない。


 すっかり自分に酔っているような、そんな自分自身を諫めるように天井を見上げながら独り言ちるダグラスさんをただ、見据える。


「……次に貴方を傷つけたら、今度こそ貴方の私への想いは消えてしまうかもしれない……そんな、衝動と不安と理性がせめぎ合う中で、私と貴方を引き離そうとした者共が苦しむ悲鳴は私の衝動を静めてくれる……! そうして私は、理性を保てる……!!」


 言っている意味が、本当に理解できない。

 ただ、ここ最近ダグラスさんが圧をかけてこなかった理由はけして熱に浮かされていたからじゃなかった事だけはよく分かった。


「貴方への衝動を、彼らがその魂を持って請け負う事で、再び貴方と私は純粋に愛し合える……! 魂が耐え切れずに消滅した時こそ、彼らの罪は昇華される……!!」


 予想以上の性癖――いや、もうそれで傷ついている、苦しんでいる人間がいる以上、それは性癖という言葉で片付けてはいけない――大罪。


 彼の大罪と知らない内にその大罪に自分が加担させられていた事実を突きつけられて、私はその場に立ち尽くす事しかできなかった。


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