第18話 他人への愛を受け止める覚悟
ヒューイに案内された宿は地方の裕福な貴族が皇都に来た際に利用する所なのでしょう。
入り口から廊下、部屋に至るまで公爵家の物に見劣りしない調度品で飾られた、見事な
皇都を一望できるバルコニーの手前、寝室に置かれたダブルベッドが見えてちょっと心臓がドクドクと音を立て始めた所で軽食のサンドイッチが運ばれてきます。
「俺は先にシャワー使うからゆっくり食べててくれ。それとこの部屋には俺と君しかいないから、もうマントも外して楽にしてくれればいい」
ひょい、とサンドイッチを1つ摘んで浴室の方に入っていくヒューイの言葉に従ってマントを外し、フェロモンがもう切れかかっている首飾りのチャームを付け替えます。
そして軽食を食べ終えた後、グレーのガウンを羽織るヒューイと入れ違いに私も浴室で身を清めます。
(……いよいよですわ)
もうじき私の初めての契り――しかもその行為に私への愛はなく、私も相手への愛はない。
『初めて』をそんな状況に捧げなければならない事に悔いはあります。だけど、その悔いはいずれは消えて無くなる物。
そう信じて今は――他人へ向けられる愛を受け止める覚悟を決めるのみ。
(それに……ファーストハグとキスはアーサー様に捧げられたのです。私は幸せ者ですわ)
極寒の地での氷竜に襲われているアーサー様を助けた、あの熱い一時を思い返すと未だに胸が高鳴ります。
ですがこんな場所で
心を落ち着けて浴室を出て体を拭いた後、淫魔の首飾りを再び身に着けてガウンを羽織り主室に戻りますが、そこにヒューイの姿はありません。
スウ、と深呼吸した後、両の手を握りしめて寝室へと向かいます。
そこには――ガウンを纏ってベッドに腰掛けている、アーサー様の姿がありました。
(……どうして?)
すぐに淫魔の首飾りを確認します。替えたばかりのチャームの液は全く減っていません。
ですが――眼の前にいるのは絶対にアーサー様ではありません。
私も馬鹿ではありません。一度恥ずかしい目にあえば嫌でも『学習』しますわ。
ひと目見てそれが本物なのかどうかを疑う位には、本当にそこにアーサー様がいてもおかしくない状況なのかどうかを考える位には、冷静でいられるようになったようです。そして――
(いくらアーサー様に弱い私でも……アーサー様がこんな場所に来てくれるはずがない事位分かりますわ)
それに私と同じ灰色のガウンを纏われてますし。相手が誰かも推測できます。
「ヒューイ……これは何の冗談ですの?」
震える声で問いかけると、アーサー様の姿をしたヒューイが私の方に向き直ります。
「私の我儘に付き合ってくれた礼に、と思って君が私にやった事をそのまま返してやってるだけなんだが……気に召さないか?」
お父様同様、アーサー様の口調を完全に真似て喋る様に殊更嫌悪感が生じます。
「ええ、とても不快ですのでアーサー様の真似をするのはやめてくださいまし。私は貴方と違って幻のアーサー様と一夜を過ごす気はありません」
「……分かった。外すからそんな顔で俺を睨むのは止めてくれ」
私の抑えきれない怒りの感情と軽蔑の視線に引いたのか、アーサー様の姿をしたヒューイが首元から首飾りらしきものを外します。
それは――私が持っている物と同じ、首飾り。
「何故、貴方がそれを持っているのですか? お父様は今は淫魔の繁殖時期ではないから何とか一体捕まえたと……」
そこまで言って、嫌な可能性に気がついてしまいます。そんな私を察したのか、首飾りをサイドテーブルに置いたヒューイはその可能性を肯定する言葉を放ちました。
「今朝、ヴィクトール卿の名で送られてきたんだ。使うかどうかは自由だと書かれていたが……好きでもない奴に抱かれるより、好きな奴に抱かれた方が良いだろうな、と思ったんだよ。また気絶されても困るしな」
確かに――ヒューイの『想い人と愛し合いたい』という願いを叶えたいのなら私がヒューイの想い人の姿になってしまえばいいし、ヒューイにも
(……お父様の前でアーサー様の幻覚を見た私が見事に騙されてしまったのです。利用できるものは何でも利用する、お父様らしいと言えばお父様らしいですわね……)
ですが――娘としては信じてほしかった。それに私はこういう事をされるのは嫌だと、騙された時にハッキリ言いましたのに。
悔しさと自分の失態に対する怒りがフツフツと心の中に渦巻きます。
「……気絶の件は本当に申し訳ありませんでした。ですが、私はアーサー様をこんな風に汚されたくありません……! 貴方は貴方として受け止め、抱かれますわ! その覚悟で今私はここにいるのです! 私を馬鹿にしな」
「馬鹿にしてない……!! 俺はただ……!」
私が怒りの言葉を連ねているとヒューイは立ち上がって声を上げ、私の言葉を遮りました。
その酷く困ったような、悲しそうな顔――これまで見た事がない表情に、私の怒りが引いていきます。
「ヒューイ……? 理由があるのなら、ちゃんと話してくださいまし」
何かを言いかけたヒューイの言葉の続きが気になって催促すると、ヒューイは諦めたように小さくため息を付いて、私に苦笑いを向けました。
「……俺はただ、今日、君がアーサーについて語る姿が可愛かったから、その目で俺を見てくれたらなって思っただけなんだ……君が幻を使うなら、自分が幻を見せられる事にも抵抗ないだろう、と勝手に思いこんでいた。悪かった」
その言葉はグサリと私の心に突き刺さりました。
私がデート中にアーサー様の事を語る時の目を、自分自身に向けて欲しいと思ったから――つまり私が、ここまでそういう気持ちでヒューイを見てこなかったからヒューイはその首飾りを使おうとしたのです。
ヒューイとのデートは、とても楽しかった。
私が楽しめばヒューイもそれでいいと言うから従った――彼の「自分を落としてほしい」という気持ちを抑えて紡いだ「無理をしてほしくもない」という言葉に甘えてしまった結果、私は、この人が本当に望んでいる事を、してあげられていなかった。
平民の言葉遣いや振る舞い、男性に慣れる特訓――そういう努力をしてきましたけれど、私は何より私自身が先程押さえつけた、アーサー様への気持ち――そう、慕情の気持ちを持って、この方に挑むべきだったのです。
私がその事に気づいた時にはヒューイの笑みは苦笑いから何処か、諦めたような笑みに変わっていました。
「……こんな男に抱かれるのは嫌だろ? こっちも軽蔑の視線を向けてくる女性を無理やり抱くような趣味はないから、眠りの魔法をかけてやるよ。それで朝起きれば全て終わ」
「……嫌」
「え?」
「……私の記憶に一切刻まれる事無く事が済むなら、って思ったけど……自分がどれだけ愛を囁いても、体に触れても、記憶に残らない……ただ、子どもが残るだけなんて、虚しいじゃない」
ヒューイがそれでいいと言っているのだから、それでいい――とはもう、言えません。
この方は想い人の幸せな姿を見ると同時に、幻の愛にも酔いたかったのです。
ならば――私は今からでも務めを果たすべきではありませんか。
今、私が酷い態度を取って、酷い言葉を重ねたのにも関わらずヒューイはまだ私の願いを叶えてくれようとしているのです。
それなら私だって、応えるべきではありませんか。
「今まで貴方の気持ちに気づけなくて、ごめんなさい……安心して。私、絶対に気絶なんかしないから」
私はもう、自らが望んだ立場から逃げたりしませんわ。
ヒューイの想い人と同じようには出来ないかもしれませんけど、私は私なりに、この方の愛を受け止めますし、欲しいと望んでいるであろう愛の言葉も差し上げましょう。
それが――他人の愛を受け止める者としての最低限の礼儀、というものでしょう。
「愛してるわ……ヒューイ」
アーサー様に伝えるように想いを込めて言葉を紡ぎ、両手を広げるとヒューイは驚いた顔をして、何か言おうとして――でも、その声が聞こえる前に私は抱きしめられました。
これまでの優しい感じとはまた違う、男性の抱擁――思っていたより固く、力強い腕。
そして私の中に落ちてくる翠緑の魔力もとても温かくて、綺麗で、優しくて――
こんな風に抱きしめたいと想っているほどその方を愛しているのに、この方は幻に縋るのですね。
自分の幸せより、その方の幸せを願って――
それほどまでに臆病で献身的な貴方にせめてこの夜は夢の幻を――夢か現か分からない一時を――それが私に素敵な一時をくれた貴方への、私のせめてもの誠意ですわ。
「ヒューイ……貴方が私を愛してくれて、すごく嬉しい」
彼の意外としっかりした背に手を伸ばし、そっと抱きしめ返しながら囁いた私の言葉に呼応するように、抱きしめる強さが強まります。そして――
「……アスカ……!」
彼が嬉しそうに呟いた名前に、一瞬、私の思考が止まりました。
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